七、嵐の前
少しはしゃいで、口を出し過ぎただろうか。亜耶は未だ必要とされて居た事が嬉しくて、先程の落ち込みを忘れて居た。
今宵の事を伝えようと巫王の御館に向かう、が。女御館の前に既に大蛇の姿は無く、捌かれた鳥が物陰に置かれて居るだけだった。
中途半端で何処へ行ったのやら。羽が撒き散らされて居無いのが救いだが、帰ったらきつく言わなければ。誰かが通るかも知れないのだから。
巫王の御館では、既に亜耶の訪いを知って居たかの様に階が掃き清められていた。昨夜の記憶を無くしたとは云え、巫王は数多の巫覡達の長だ。此の位の事は朝飯前だろう。
遠慮無く御館に上がり込むと、亜耶は巫王の間に向かった。すると、額に氷を充てた巫王が座を崩している。
「お父様、随分な相好ですね」
「…亜耶、夕べはお前も来たのか?」
「ええ、寝て居る所をお父様に呼ばれて」
巫王が唸り声を上げる。気不味いのだろう。最初は小埜瀬と飲んで居たと云うから、時記を呼んだ記憶も無いかも知れない。
「其れで、今日はどうした」
真逆、文句を言う為に階を昇っては来るまい、と巫王が言う。
「真耶佳が今宵、大王のお通いを受ける事に為ったのです」
「おお、遂にか…」
「今後は毎夜の様に、お通いが有るかと」
ふむ、と頷いて、巫王は胡座をかき直した。額に充てた氷も横に置いたから、少しは二日酔いを忘れたのだろう。
「孕みの卦は有るが、今宵では無いな」
「ええ」
巫王は、二人目の孫も心待ちとは行かない表情だ。真耶佳が男子を授かった時の事を、考えて居るのか。
「お父様、真耶佳の子は同胞では有りません」
ご安心をと亜耶が言うと、巫王は複雑な顔になる。祖父として、孫を切り捨てたくは無い心中は理解出来る。
「真耶佳の子がどちらか、卜ってみるか?」
巫王は主に卜を得意とする。外れる事は、無い。
「もう、どちらだかは見えて居ます。知りたいですか、お父様?」
亜耶が見る物も、外れない。巫王は暫し思案してから、止めて置こう、と言った。
巫王の御館を出て、沓を履く時。亜耶は何気なしに、階の上から神殿を見た。其処には、階で尾鰭を乾かす綾の姿と、何故か隣に大蛇が見えた。
綾に何かを強請って、大蛇は拒絶されて居る。大蛇が綾の肩に触れると、綾は其れを払い除けた。亜耶が見て居るのも知らず、何を強請っているのか。
綾の足が人のものに変わるまで、大蛇は何事かを懇願して居た。いつもそうやって、通っていたのか。大蛇は未だ、綾に縋るほど愛して居るのか。
亜耶はいつの間にか、大蛇に頼って居た。ずっと共に在ってくれる者として。綾の事はもう忘れたのだと、自分に言い聞かせて共に暮らし、共寝を重ねた。其れが全て、幻だったとしたら。
大龍彦への思いは、今や恋では無かった。恋はずっと、亜耶の側に在った。其れにやっと、亜耶は思い至る。
其れ故亜耶の心の中で、何かが崩れ落ちる音がした。




