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魚の杜の巫女  作者: 楡 依雫
水鏡篇

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三、長い夜

 今日は疲れた、と亜耶は思った。(みお)の孕みに関して、()すべき事が多過ぎた。

 最近大蛇(おろと)の物が着々と増えつつある亜耶の間で、漸く大きく伸びをする。大蛇はもう、此処に住まって居ると云っても良いかも知れない。

 無造作に床に置かれた毛皮の(おすい)を見て、もう一つ櫃を取り寄せようか、等と考えてみた。狩りの道具などは未だに神山(かむやま)(ねぐら)に置いている様だが、其処此処に置かれた物を見ると荷の殆どを亜耶の間に持ち込んで居るのが判る。

 毛皮の襲は、雨の此の時期に眠るのに良い。其れを手繰り寄せて包まると、大窓でがたんと音がした。大蛇が帰って来たのだ。

「亜耶、澪が孕んだらしいじゃねえか。邑中(むらじゅう)其の話で持ち切りだぜ」

 また、其の話題か、と。亜耶が不機嫌を隠さないのを見て、大蛇が苦笑する。

八津代(やつしろ)は何と言ってた?」

「喜び過ぎて、闇見(くらみ)(うら)も侭成らない体だったわ」

 亜耶が行った時にはもう、巫王(ふおう)の耳にも澪の話は届いていた。亜耶は巫王から何度も真実かを尋ねられ、辟易(へきえき)して戻って来たのだ。

 愚痴にも似た亜耶の口調に、大蛇は八津代らしいなと笑う。嬉しい事は何度も確認しないと気が済まない(たち)だった、と。

「お父様のあんな顔を見たのは、初めてよ。澪が来た時より酷いわ」

 生まれたらきっと、何度も水鏡(みずかがみ)を覗きに来るわ。そう亜耶が言うと、大蛇は(まず)いな、と呟いた。

「今来るのでは無いわ。次の春よ」

「ああ、其れまでに何とか…」

 言い掛けた言葉を、また大蛇は飲み込む。亜耶に見えない何かを企てているのは、確実。

「余り、目立つ立ち居振る舞いはしないでね。大蛇を見えている族人(うからびと)も居るんだから」

 今まで再三言って来た事だが、一応釘は刺して置く。其れなのに大蛇は、ああ、と気の無い返事をした。




 眠りに入り掛けた頃、巫王から使いの者が来た。此れから御館(みたち)に来いと云う。使いは時記(ときふさ)の所にも寄って来た様で、亜耶一人が拒める状況でも無い。

 大蛇に一声掛けて、霧雨の中を使いと歩く。(きぬ)を着替えずに寝て居て良かった、と亜耶は思った。何か先触れでも有っただろうか、と。

 (きざはし)で使いと別れて、御館の中に入る。灯りは落とされて居らず、中からは何やら賑々(にぎにぎ)しい声が聞こえて来た。

「お父様、こんな時刻に何です?」

 巫王の間に入り様、亜耶はきつい口調で問い質す。見れば、巫王は明らかに酔って相好を崩して居た。

「おお、亜耶か。飲め」

 巫王の向こうには、八反目と交代で帰って来た巫王の従弟と時記が座している。亜耶は、巫王の従弟の名も知らない。亜耶が生まれる前に、(くが)の姫に付いて纏向(まきむく)に仕えに出たからだ。

「此方が亜耶か。八津代兄(やつしろあに)の子は、皆美しいな」

 従弟は小埜瀬(おのせ)と名乗り、亜耶に笑顔を向けた。そう酔っては居無い様だ。八反目と真耶佳には、交代の際に顔を合わせたと云う。

(もり)の者でも、こんなに美しい姉妹は中々生まれない。真耶佳(まやか)と云い、我が娘にしたい位だ」

「…恐れ入ります」

 時記が手招きするのでそちらに行くが、今宵は小埜瀬の話し相手に終始しそうだ。巫王はもう、言って居る事の半分も理解出来て居無い。

「澪は元気?」

「ええ、元気よ。未だ杜が恋しい様だけれど」

 時記は、相変わらず穏やかに話す。久々に兄妹の会話だ。其れだけなら良いのだけれど、巫王の此の有様。

 長い夜に成りそうだ、と。亜耶はまた、大きく溜息を吐いた。

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