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魚の杜の巫女  作者: 楡 依雫
水鏡篇

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32/269

一、孕み

 真耶佳(まやか)たちを送り出して三週ほど経つと、(いお)(もり)も雨の季節の直中(ただなか)だった。出立から十日経った頃に水鏡(みずかがみ)は通じていたので、一行は晴れやかな空を行ったのだろう。

 近頃、大蛇(おろと)の意味の無い(おとな)いが多い。呼ばなくても来る、と言うべきか。共寝をする夜も有れば、しない夜も有る。亜耶はもう、大蛇の腕の中で声を抑えなくなって居た。

 女御館(おなみたち)を三つに分けている衝立は、其の侭だ。亜耶は自分の領域を広くしようとも思わない。布連が三枚はためいて居無いと、落ち着かないのも有る。(みお)のお陰で女御館は、母が居た頃よりずっと居心地の良い物になったから。

「亜耶さま」

 水鏡から声がする。澪の声だ。

 真耶佳は輿入れと同時に大王(おおきみ)の目に留まり、后となった。其れからずっと慌ただしかったのに、今日の声は落ち着いている。

「澪、やっとそちらは落ち着いたの?」

「いえ、未だ…。月葉(つくは)が大王の下さった側女(そばめ)の役割を、決め終わった所です」

 其れでは、一体。そう思った所で、亜耶は澪の醸す雰囲気が少し変わった事に気付いた。

「澪、孕んだの?」

「矢張り、そうですか…?」

 澪自身、実感が湧いて居無いのだろう。不安げな双眸が、水鏡に映る。

「悪阻が来る迄(ひと)二月(ふたつき)と云った処かしら。本当に孕まれたばかりの子ね」

「はい…」

 こんなに忙しい時に、と。澪は、そう言いたげだった。

 宮が落ち着かなければ、大王のお通いは無い。今は、孕んでいる時では無いのでは、と。澪なりに考えて居る様だ。

「一の兄様がきちんとお役目を果たして呉れた様で、安堵したわ」

「え?」

 澪の孕みを否定する言葉は、亜耶には無い。純粋に、良い子が生まれて呉れればと思うだけだ。宮の事ならば、月葉に任せれば大丈夫だろう。

「月葉にも、きっと見えているわ。尽力する、と豪語して居たじゃ無い」

「けれど月葉は、今忙しくて…これ以上の負担は…」

 澪が不安を吐露すると、水鏡の後ろに月葉が映った。

「負担などでは御座いませんわ」

 後ろから急に聞こえた声に、澪がびくりと跳ねる。月葉は澪を見、少し咎める様な顔をした。

「ごめんなさい、月葉」

「謝る事では御座いません、(はふ)(ごと)です」

 でも、先に真耶佳さまと私に相談して欲しかったです、と月葉が笑う。澪としては、皆が忙しない中、亜耶にしか言えなかったのだ。其れが少し淋しい、と月葉は言った。

八反目(やため)さまには?」

 月葉の問い掛けに、澪が首を振る。妹背(いもせ)で在り乍ら相談もされて居無いのか、と亜耶と月葉は水鏡越しに目を見合わせた。

「では、八反目さまには私から申し上げます」

「お願いね、月葉」

「お願いします…」

 亜耶側の人間だった月葉には、八反目の印象は余り善くない。其れでも澪の為なら、と言い出した月葉に、後は任せるしか無さそうだ。

「私は神殿(かむどの)とお父様に、一応伝えて置くわ」

 何か有れば、其処で言われるでしょう。そう言って、亜耶は澪に笑い掛けた。




 水鏡での澪の孕みの報告に、魚の杜も少々ざわついていた。神殿に赴く亜耶に、声を掛ける巫覡(かんなぎ)の多い事。覗き見の多さは予想して居たとは云え、次からは少し護りを固めよう、と亜耶は思った。

「澪は、孕んでどの位なの?」

「十日か二十日、と云う処かしら。本人も、未だ違和感程度みたい」

 綾も興味津々で、亜耶に根掘り葉掘り尋ねようとする。しかし子は孕まれたばかりで、男子か女子かも判らない。闇見をすれば分かる事だが、亜耶は其れをしたく無い。聞くにも限度が有る、と直ぐに察して呉れるのは、綾の良い所だ。

「此処に来ている間にも、八津代(やつしろ)の耳に入っているんじゃ無い?」

「そうね。水鏡を露わにした私が愚かだったわ」

 族人達は、良い意味で遠慮が無い。今回の様に澪が思い詰めて亜耶を求めても、祝り事ならば広めて仕舞う。悪気が無い分、(たち)が悪いのだ。

「其れにしても、八反目に言う前に亜耶に相談、なんてねえ」

「遠慮が抜け切れて居無いのよ、慌ただしかったし」

「そうだと良いんだけど」

 八反目は周りが見えない所が有るじゃ無い、と綾も月葉と同じ事を言う。其れに異論は無いので、亜耶は頷くに止めて置いた。

次回は水曜日更新です。

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