三十一、出立
そうこうしている内に、日は経って仕舞う物だ。出立の朝は晴れ渡り、空と海の境目が色を違えて美しい。
禊の間も、澪は泣き顔だった。魚の杜を離れるのは、こんなにも辛いのか、と。
亜耶が女御館の結界を解き、二人の荷物が運び出される。其の時も、澪は目に涙を溜めて居た。此の時は真耶佳も少し辛そうな顔で荷物を見送ったので、二人共が魚の杜に心を残して行くのだろう。
「澪、顔を上げて。皆見送りに来て居るのよ」
燦々と太陽が降り注ぐ神殿の前で、亜耶は澪に声を掛けた。折角結った蝶髷も、其れに挿した簪も。婆の繕った豪奢な衣も、此れでは台無しだ。化粧場で思い切り泣かせて貰ったのを知って居る亜耶は、澪に笑う様促す。
「もっと、亜耶さまと居たかった…」
「澪…」
「もっと早くに、魚の杜の民に成りたかったです…」
こんなに愛情を注いで貰える場を、澪は他に知らない。だからこそ、去りがたいのだと。
「澪、此処は貴女の故郷だとお父様も言ったでしょう?戻って来るのよ、必ず」
だから泣かないで、と言葉を紡いだ亜耶に、八反目が反論した。
「お前と離れ難いんだ。泣かせて遣れ。化粧など、いつでも直せる」
総出で見送りに来た族人からも、啜り泣きが漏れている。だからこそ。
「魚の杜はこんなにも、澪を愛しているわ。ずっとね」
そう言って澪を抱き締めると、澪はぎゅっとしがみついて来た。優しく背中を撫で乍ら、澪を陸へ行く舟へと誘導する。真耶佳と月葉も思う所は有る様で、其の足取りは重い。
亜耶と巫王は陸まで付いて行くが、他の者とは白浜までだ。四隻の舟に人と荷を積み、輿入れの列は杜を離れた。
陸に着くと直ぐ、荷物の載せ替えが始まった。真耶佳と月葉の荷物は同じ馬車に、澪の荷物は八反目の物と共に。
供人も仕人も男達は馬に乗り、出立の時を待つ。女は真耶佳と澪、月葉の三人だけなので、同じ幌付きの馬車に乗った。
出立の準備が整ったのを見計らい、巫王が低く歌い始める。亜耶も違う旋律を、巫王の歌声に乗せていく。ゆったりと、亜耶が歌い舞う。陸の長に押し付けられた天青石が、きらきらと亜耶の額で光を弾いた。
「亜耶さま…」
澪の声が小さく聞こえ、幌付きの馬車が動き出す。必死で亜耶の動きを捉えようとする澪が馬車から乗り出して、真耶佳と月葉に抑えられた。
亜耶は舞う。送るべき者達が、見えなくなるまで。亜耶は歌う。巫王が声を止めるまで。淡藍の領巾が、空に溶けて行く様だ。
陸の見物人達が、珍しく着飾った亜耶を見て頬を染める。けれど、そんな事は意識の外だ。亜耶はただ、姉妹姫とその供人の無事を祈る。
其の夜亜耶は、大蛇の胸で淋しいと泣いた。
中途半端ですが、魚の杜篇は此処で終わりです。
来週からは日・水更新の水鏡篇となります。
宜しくお願い致します。




