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魚の杜の巫女  作者: 楡 依雫
水鏡篇 二の章

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八十五、一因

 頭を抱えた侭の(みお)の元に、悟織(さとり)が遣って来た。何やら面白そうな話になっている、と耳を(そばだ)てて居たのだろう。

「澪さま、お心は如何(いか)に?」

「悟織…さ…ま、聞こえていたのでしょう?」

「違うでしょう、澪さま。私の事をどうか姪と思って下さいな」

 亜耶さまが言って下さって助かりました、と悟織は微笑む。矢張り、何処か疎外感が有ったのだろう。澪は小さな声で悟織、と呼んだ。

「澪さま!」

 先程までの澪の悩みなどどうでも良くなる程、悟織は喜んで飛び付いて来た。騒ぎは、秀真(ほつま)真尋(まひろ)を囲んだ時記(ときふさ)遊馬(あすま)にも届く程。すると、真尋が其の輪から飛び出してくる。

「澪、真尋は?真尋は?」

 そんな言葉を掛けられ、無邪気な目で見詰められると、澪も弱い。

「真尋、大叔母の澪です。…受け入れられますか?」

「勿論だ、澪!」

 結局澪は二人掛かりで飛び付かれ、澪は揉みくちゃにされた。助けを求めて時記を見ると、此方を見乍ら遊馬と何か話して居る。

「澪、大叔母では無く其方は真尋の義母(はは)さまになるのだぞ。受け入れられますか等と訊くな」

 澪の肩に顔を埋めた真尋が、少し複雑そうに言った。直ぐに澪はそちらに気を取られ、時記から目を離す。

「然うですね、真尋。真尋は秀真の定められた人ですから、気が利きませんでした」

「目下から言うのもやめろ、澪。真尋は澪が好きだ」

「…直ぐには難しいかも知れませんが、努力しますね」

 澪が、笑みを含んだ声で頭を撫でた。真尋はうむ、と言って納得を示す。そしてこっそりと、喬音(たかね)の祝宴の衣装は秀真と揃いか訊いてくるのだ。本当は当日まで何も言わずに置こうと思っていた澪だったが、小さく頷いた。

 必要な限り全員の衣装が、(いお)(もり)からもう届いている。答えなければ真尋は真耶佳(まやか)の隠す櫃を透かし見するかも知れない。そう思っての行動だったが、真尋はぎゅうっと澪の二の腕に抱き付いて来た。余程嬉しかったのだろう。澪は微笑ましい気持ちになり、また真尋の頭を撫でた。

「真尋、そろそろ此方へお出で。悟織も澪が困っているから離れてあげて呉れないかな」

 そんな中響いたのは、時記の声だった。淀みなく悟織と真尋を呼び捨てにし、尚且つ下からの発言でも無い。

「時記さま、直ぐに(こな)されますね」

義父(とう)さまとお呼びしても宜しいか」

 殆ど同時に悟織と真尋が反応して、真尋は素直に父と時記の元に駆けていく。遊馬は義父と云う響きに少し戸惑いを感じた様だ。其れは未だ早いと慌てて真尋を言い含めている。父の心、娘知らず。真尋は不服そうな顔をし乍ら、遊馬には丁寧にはいと答えた。

 一方、熟さないと受け取った澪は、悟織に詫びていた。

 其処が、大王(おおきみ)が起きて来る迄の事。




 朝餉の香りがしてきて、大王が閨から出てきた。其の時には側女(そばめ)達も全て揃っていて、大王は今宵の神事の為に寝過ぎた、と言訳(ことわけ)をしたが夜着の侭だ。真耶佳(まやか)が着替える様もう一度閨に連れて行こうとしたが、夕暮れまでは気楽な格好で過ごすと聞かない。

 そう、今日は大晦(おおつごもり)。大王が夜を徹して祈りを捧げ、翌朝直ぐに四方拝なのだ。真耶佳も諦めて、皇子(みこ)を敷物の上に座らせる。二日程大王は留守にするが、その間の皇子の事をよく頼まれた。

 昨夜が重い冬の肉だったので、今朝は白粥に菜が四品。相変わらず加古香(かごか)だけ五品だ。しかも皆に無いものは、豚の肝。加古香に悪阻が来る迄此れは続くのだが、三朝(みささ)が豚の肝を羨ましそうに見ていた。

「三朝、食べる?」

「一つだけ…」

 側女同士の譲り合いも有って、朝餉の席は(なご)やかなものになる。しかし皇子の利かん気を、其れが刺激した。

「加古香、我にも寄越せ!」

「皇子には未だ、食べられません」

「逆らうのか!?」

 菜も食べられぬのに薄い白粥に不満を覚えたらしき皇子が、加古香に無茶を言う。

「いい加減にせよ、朝霞(あさか)。其方には食えぬ」

「父上…」

「皇子、此の粥卵が入っている」

 険悪な雰囲気を変えたのは、也耶(やや)の気付きだった。皇子と也耶の粥にだけ、卵が溶いてあったのだ。菜の食べられる真尋の粥には、残念ながら入って居無い。

「…まあ、良い」

 皇子は矛を収め、粥を掬って食べ始めた。一同ほっと胸を撫で下ろし、朝餉は続く。最近食事の度に皇子は我が侭を言う。如何(どう)したものかと皆顔色を覗っているのだが、何が気に障るか分からない。二日間、叱るのは真耶佳だ。気が重い、と其の場に居た大人全員が感じていた。

「そう言えば、朝餉が終わったら水鏡(みずかがみ)を…」

(あかとき)(きみ)、其れはもう終わりました。後程(つまび)らかにお話し致しますね」

「何と、我の知らぬ間に…!」

 大王は驚いていたが、真耶佳が朝の喧噪を耳打ちするとうむ、と頷いた。其れは致し方なかった、と云う事だろう。皇子には未だ、真尋に同母弟(いろと)が生まれる意味が分からない。故に、気にして居無いのだ。

 此の侭気にしなければ良い、其れは皆の願いだった。

 其処で秀真が泣き出したので、澪が中座する。皇子は乳母(めのと)()まで付いて行こうと椀を置いたが、大王が留めた。

「真逆、未だに乳が欲しいとは言うまいな?」

「………」

 大王の低い声に萎縮した皇子は、卵粥を口に運び続ける。本当は澪に乳を寄越せと言う積もりだったのだ。真耶佳は此の二日の間に留めきれるか、不安になった。

「大丈夫、真耶佳。私が留めるよ」

「時記兄様…」

「其方は本当に頼りになる。朝霞、我が不在の間は真耶佳と時記の言う事をよく聞く様に」

「父上が不在?何故…」

「大王の務めだ。其方も行う事になる」

 皇子が戸惑いの表情を浮かべるが、大王は深くは言及しない。杜子(とうこ)を生んだら真耶佳も大晦に祈りを捧げる事になる。皇子の厭々は、何処まで被害を及ぼすのだろう、と真耶佳は月葉(つくは)を見た。月葉が静かに首を横に振ったのを見て、真耶佳の不安は増す。亜耶は如何言うだろうか。また、亜耶に聞きたくなって仕舞った真耶佳だった。

 そしてふと思う。女だけの湯殿(ゆどの)に連れて行くのも一因かと。真耶佳は大王に、年が明けたら皇子を男達の湯の刻に合わせて貰う事にした。

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