二十五、真名
食後には、以前亜耶が貰った木の実が出て来た。珍しい木の実に、澪と真耶佳は釘付けだ。前に、亜耶が喜んだから。そう良い乍ら木の実を配る大蛇に、真耶佳の視線は温かい。
「迚も甘いです」
早速口にした澪が、嬉しげな声で言う。確かに木の実は迚も甘く、初夏の夜には涼しい味だった。
「其れにしても…」
不意に浮かんだ疑問に、真耶佳が声を低くする。何事か、と視線を集めると、亜耶の方を見た。
「真耶佳と亜耶で一対でしょう?お母様は、私が輿入れした後、亜耶が何に劣ると思ったのかしらね」
綾だ、とは大蛇の手前言えなかった。其れに母は、綾の存在を知らない。
「大変だったよな、八津代も長老達も怒り狂って」
八津代とは、巫王の真名だ。幼い頃、大蛇と遊んだ話はよく聞いた。
「あの…どういう事ですか?」
一人会話に付いて来られなかった澪が、おずおずと尋ねる。
「私の名には、真耶佳に亜ると云う意味が有るの。それで皆、勝手に名付けた母を責めたのだわ」
「亜耶さまが、劣る…」
「そうよ」
亜耶が月の忌みを迎えた時、母は前年に果敢無くなっていた。丁度良いから真名も変えて仕舞え、と長老達は亜耶に迫った。けれど亜耶は、大龍彦が綾を呼ぶ時の優しい声を聞き違えたかった。自分に向けられたものでは無いにしろ、同じ音だから。
「亜耶は結局、真名を変えなかったのよね…」
私は変えて欲しかったのだけれど。真耶佳がそう言うと、大蛇が意外そうな顔をする。
「真耶佳はそんな事、気にして無いのかと思って居たが」
「気にしない様に努めて来たのです。自分より何もかもが秀でた妹姫に、何が優るのか。そう見られるのが厭で」
真耶佳の秘された悩みに、亜耶は此れまで気付いた事は無かった。そんな事を思って居たの、と言うと、真耶佳はええ、と頷いた。
「顔は真耶佳の方が、全体的に均衡で美しいよな。亜耶と澪は、意志の強そうな目と幼い唇が対照的だ」
大蛇が言うと、真耶佳は首を横に振った。不均衡の方が、人の心を捉えると知って居るからだ。
「巫女では無い、普通の女だと云う所が一番優っているわ…」
物思いがちに発した言葉は、真耶佳の胸を抉った様だ。
「亜耶…」
哀しげな真耶佳の声に我に返った亜耶は、自分は巫女で良い、と付け加えた。良い闇見が当たった時には、嬉しくなる。悪い闇見が当たってしまった時には、覚悟が出来ている。其れは、利点だと。
「亜耶、亜耶…」
強がりを、言った訳では無い。けれど真耶佳は、亜耶を抱き締めた手を暫く離さなかった。
そうこうしている内に、日は完全に沈んで仕舞った。澪の新しい衣の色も、此の明るさでは正確には見えないだろう。
真耶佳と澪は、大蛇は泊まっていく物だと思って居る。大蛇も否定しない。
「澪、明日の禊を終えたら、婆の贈り物を広げましょう」
「婆の、贈り物…?…あ、はい!」
食欲に負けて、意識の外に追い出されて居たのか。澪の返事には、少し間があった。大蛇が苦笑し、真耶佳がくすくすと笑う。
散り散りに、己の間に戻った後。二籠も!?と云う澪の叫びが女御館に響いたのは、間もなくの事である。




