二十三、未来の夢
開けましてお目出度う御座います。
本年も宜しくお願い致します。
夢の中で澪が泣いていた。水鏡越しの涙、ああ此れは未来の夢。
澪は泣いているのに、亜耶に感謝を述べるのだ。何度も、何度も。引き起こしたのは亜耶だと云うのに、亜耶の胸は後悔で張り裂けそうなのに。水鏡の向こう、涙する澪を哀れと思ったか。優しく肩を抱き寄せたのは、時記だった。
「…さま、亜耶さま!」
耳元で声がする。夢見の割に穏やかな目覚めだと思って起き上がったら、眦を涙が伝って行った。
「亜耶さま、良かった…!」
見れば、澪の目にも涙が溜まっている。眠り乍ら泣く亜耶を、心配しての事らしい。
「亜耶だって、泣く時はあるわよ」
真耶佳が面白そうに言って、小さく欠伸をした。
「亜耶さま、私、不思議な夢を見たのです」
「…どんな?」
はい、と一つ前置きをして、澪が語り出す。
「鯰髭の好々爺が、澪の一つ目の幸せを奪ってごめんね、次の幸せも亜耶さまが下さるから…と」
「鯰髭の好々爺…?手に笏を持って?」
「はい、高貴な衣を着て…」
亜耶が真耶佳を振り返ると、真耶佳も考えていた事は同じ様だ。
「其れは、綿津見神様よね…?」
「ええ、私もお母様が果敢無くなった折に、一度だけ夢で見たわ」
何故に話が通じるのだろう。そんな顔をしていた澪が、一拍遅れて驚きの声を上げる。
「わたっ…綿津見神様!?」
「ええ、直々にお越しになったのね」
「直々に、澪に謝りたい事が有ったのかしら…?」
真耶佳の疑問に、亜耶はもう黙っているのも酷だと判断した。澪と八反目の先が見えない。そう言うと、澪も何故か同調した。
「八反目さまは優しくして下さる。お子も下さる。でも、其れまでなのです…」
亜耶と澪は顔を見合わせて、不穏な夢見の朝を越えた。
その後の一晩は何事も無く過ぎて、澪の望んだ取り留めの無い話に興じた。禊の無い朝は、前夜に夜更かししても良い。そう学んだ澪が、真耶佳に少し、叱られた。
そして昼を過ぎた頃だろうか、保乃に三人が呼ばれた。各々自分の箇所の藁を掻き集めて、出口へと向かう。外は、初夏の心地良い風が吹いていた。
「さあ、藁も衣も火にくべて!」
保乃の号令で、亜耶達は火の周りに集まる。こうして、忌みの血の付いた物は此処で燃やすのだ。貫頭衣を燃やしてやっと、忌屋の女達が冷たい水で体を拭いて呉れる。
「ああ、お三方。湯殿から伝言です。温湯が沸いているそうですよ」
この時期の二晩湯浴み無しは、気分が悪い。湯殿の女達に感謝しながら、三人は着て来た衣と裳を身に着けた。
女御館に戻れば、何か食事が用意されている。澪はそう思って居たらしい。しかし其処には空の碗しか無く、澪を甚く気落ちさせた。
「先に温湯に浸かった方が、気分良く食べられるわ」
「そうそう、其れに、夕刻には嬉しいお裾分けも有るのだから」
そう、澪を宥めて空かして湯殿に行くと、婆の姿が無かった。珍しい事である為、亜耶はつい女達に聞いて仕舞う。
「澪さま、帰ったら澪さまの間に婆からの贈り物がありますよ」
女達は亜耶には応えず、澪の方を見て笑った。真耶佳を振り返ると、亜耶と同じ事を考えているのが見て取れる。
婆は、二晩針を動かしたのだ。澪ももう杜の姫、輿入れにも付いて行く身で恥は掻かせまいと。何となく亜耶のお下がりを着せて過ごして居たが、後で澪に教えて遣ろう。此の杜で、どんなに愛されて居るかを。
体を洗われて温湯に浸かって居ると、湯殿の窓からどことなく食欲を誘う香りが漂って来た。肉を燻す匂い。大蛇が、湯殿の火を借りているのだ。
「ほら、此れが嬉しいお裾分けよ」
真耶佳が言うと、澪は途端に明るい顔をした。
「美味しい物が、有るのですね!」
ざばっと湯船から立ち上がって言う澪は、今にも飛び出して行きそうだ。其の手を掴んで元の位置に座らせ、亜耶は言う。
「まだ燻し始めよ。もう少し浸かって居ましょう」
「はい…」
澪が恥ずかしそうに笑って、亜耶に従う。そうして、燻した肉の香りが芳ばしさを増すまで、三人で温湯に浸かって居た。




