十六、真耶佳の恋
巫王が受け取れと言った額飾りを、亜耶は持て余して居た。銅鏡も、贈り主を思うと曇り勝ちに見える。
「亜耶、全部見てたよ」
気が付くと足は神殿に向いて居り、綾の声で我に返った。また妻求ぎされたんだね、と綾が気の毒そうに言う。
「綾、此れ浄めて呉れない?気持ちが悪いの」
思い切って手に持っていた二つを差し出すと、綾が顔を顰めた。
「何此れ、非道い下つ恋。気持ち悪いね」
あっさりと手に取って呉れた綾の掌中で、銅と黄金の色が輝き出す。ほわほわと反射するのは天青石の空の色だろう。
「はい、此れで鏡も額飾りも無垢だよ」
輝きが収まると、亜耶の手元に二つは返された。先程まで触るのも厭だった物が、今は美しく見える。
「有り難う、綾」
「此れくらい如何って事無いよ。其れにしてもいけ好かないね、あの醜男」
「醜男って、陸の長の事?ああ云うのを醜男って言うの?」
不思議に思って聞き返すと、綾はああ、と合点が行った様子を見せた。
「亜耶の周りには居無いもんね、ああ云うの」
「着飾って居ていけ好かないとは思ったけれど、美醜は佳く分からないわ」
「八反目や時記…大蛇でも良いや、想像してご覧、あの装束。醜男よりずっと涼やかだから」
髪が黒いから、大龍彦では無く大蛇の名を出したのだろうが、亜耶の心の拍が上がる。綾にも知られては居無い、知られてはいけない。
「大蛇に美豆良は、どうかと思うわ…」
美豆良を結った姿を想像出来なくて、亜耶はやっと其れだけ言った。綾は何を気付いた風でも無く、確かに、と笑った。
「あんな醜男に亜耶を上げるくらいなら、宿り木の中に閉じ込めて僕と大龍彦で大嵐を起こしてあげる」
神の御使いはどうやら、亜耶が思う以上に陸の長が気に食わなかった様だ。
女御館に戻って贈られた物を見せると、澪と真耶佳の反応は微妙な物だった。美しいのだが贈り主が、と云った処か。
「大王のお顔を知らないのだけれど、あの様なものだったらどうしようかしら…」
真耶佳は既に不安の体だ。亜耶は此れまで、幾ら闇見をしても大王の顔について触れた事は無かった。其れが、却って不安を煽って居る様だ。
「西の方での噂では、大王は神の血を継ぐだけ有って美しいお方だとの事でしたよ」
澪が言うが、真耶佳の不安顔は晴れない。先ず、美しいの基準が杜の族と外の族では違うのだ。
「亜耶は、幾度も闇見したのでしょう?」
「ええ。誰に似ているかと問われても困るけれど、神気を纏ったお方よ」
「そう…」
何がそんなに不安なのか、真耶佳は溜息まで吐いて仕舞って居る。
「…私ね、幾年か前に恋した人が居たの」
真耶佳の告白は、亜耶を驚かせるのに充分だった。話に依ると相手は迚も美しい族の神人で、真耶佳は一目恋に落ちたと云う。しかし神人は、真耶佳の気持ちに気付くと直ぐに打ち消しに来たそうだ。
「口づけ一つでね、私の心を封じて仕舞ったのよ。其れまでの胸の高鳴りが嘘の様に、静まって終ったの」
失くした恋とは言え、真耶佳には大事な記憶だったのだろう。噛み締める様に言の葉が積もっていく。
「…その神人は、真耶佳を恋して居たのね」
亜耶が言うと、澪は頷き、真耶佳は不思議そうな顔をした。
「神人が記憶を千切るなんて簡単よ。己の存在を相手の心から消すなんて、赤子の手を拈る様なものだわ」
「真耶佳さまに、覚えて居て欲しかったのですね…」
「そうなの…?そうだったら、嬉しいわ…」
心を封じられた筈なのに、己の唇に触れ、真耶佳は一粒涙を零した。亜耶と澪は、見ない振りをして真耶佳の恋を心の底に閉じ込めた。