十三、化粧場
女御館に着くと、入口に湯殿の婆の義娘が待って居た。婆が一晩中、亜耶の衣を繕って居たと云うのだ。
婆は針が速い。薄麻の上衣も幾枚も繕われ、義娘の持つ籠には今夏の為の衣がぎっしりと入っていた。
「婆には休みをあげて、今宵は湯殿には来なくて良いって」
「そんな事を仰有れば亜耶さま、義母の針が止まらなくなります」
やんわりと休みを拒まれ、亜耶は籠を受け取るしか無い。兎に角元気な婆なのだ、一晩くらい寝なくても何とかなる、は口癖だった。
「有り難う、と婆に伝えて」
其れだけ伝え、亜耶と澪は女御館に入る。此処で着替えて化粧場へ行くのだ。
「あら、髪はもう結って来たのね、遅いと思った」
中では漸く起き出したらしい真耶佳が、おっとりとした声と共に廊下へ降りて来る。朝早くから巫女姫は大変ね、と欠伸をする真耶佳は、この先の道程が同じだと自覚して居るのか居無いのか。
「澪の衣ならもう見立てて有るのよ」
そう言って、再び自分の間に滑り込んで行った。付いて来い、と受け取った亜耶と澪は、沓を脱いで真耶佳の間に上がる。
其処には、陸から届いたばかりの色取り取りの衣が溢れていた。真耶佳はその中から、亜耶が采女の様だと排した若草色の裳を取り上げた。
「澪の為に混ざっていたのね、新妻に良いでしょう?深衣に合わせて、領巾も着けるのよ」
深衣は夜闇に紛れない様に、明るい色にしましょう。真耶佳が独り決めして、衣を片っ端から漁る。亜耶は色衣に慣れて居無いので、此処は真耶佳の独壇場だ。
「ああ、此れが良いわ」
真耶佳が取り出した深衣は、金糸の織り込まれた生成りの物だった。呆気に取られる澪の禊衣を剥ぎ取って、早々に着替えさせ始める。領巾は黄色のものを巻かせて、後は化粧さえすれば立派な今宵の主役の出来上がりだった。
亜耶も速く着替えて、と真耶佳に言われ、自室で籠の中身を取り出す。布連の向こうでは、既に澪が沓を履いて待って居る様だ。
取り出した衣は涼しい素材で上品に繕われ、宴にも充分着て行ける。受け取った時には真
白だと思った上衣は、淡い藍で染められていた。
身に着けてみれば、衣と裳の境目も、胸紐も透ける。同じ生地で領巾も有ったので、有り難く着けさせて貰った。
「あら、綺麗よ亜耶」
布連を分けると既に真耶佳も沓を履いていて、和やかに妹姫を褒める。久方振りの色衣に戸惑って居た亜耶には、力強い後押しだ。
「お待たせ。じゃあ行きましょうか」
気恥ずかしくて、礼は言わない。待たせた事のみ詫びて、三人で化粧場へ向かう。真耶佳と澪は亜耶の照れを感じたのか、忍び笑いを漏らして居た。
化粧場は、湯殿の更に奥に在る。女御館を入口にするのは、男が間違っても入らない為だ。
此処で杜の巫覡の血筋の女達は、代々化けて来た。亜耶は真耶佳の付き添いで訪れた事が有るくらいだが、今日は化ける側だ。
澪は薄い紅を、亜耶は深い紅を見立てられ、唇に刷かれて行く。真耶佳は慣れた物らしく、先ずは髪結いからだ。
「私は髪を結う分時間が掛かるのだから、先にお父様の処に行ってね」
そう言って、化粧場の女達に身を委ねて居る。
眉を整えて紅を刷き、眦に朱を乗せるのは亜耶と澪の二人。巫女では無い真耶佳は、眦には何もしない。瞼に墨を乗せる程度だ。
先に髪を結った二人の化粧は剰りに呆気無く終わり、鏡を見ても手持ち無沙汰。ふと顔を見合わせると、澪は稚くも大層な美し姫だった。
「兄様が妹背の言挙げを承知したのは、此れを見抜いて居たからなのかしら…」
思わず呟いた亜耶の言葉に、澪は首を傾げる。其の二人の背に飛んで来たのは、何処かしら似ている、と云う女達の囁きだった。