はい。やってみます
何言ってるんだ。
いくらなんでも非現実的すぎる。
ていうか高校生に戻ろうなんていう設定は、映画やドラマの世界だけで十分だ。そもそも現実でそんなことをしたら、犯罪ではないのか?
「どういうことですか?」
やっと声が出た。何一つ具体的なことを知らされていなかった戸惑い、怒り、驚きがぐちゃぐちゃに混ざり合い、感情を整理するため、しばらく沈黙していたのだ。
「そのまんまの意味だ。高校生に戻ってもらう」
「だから高校生に戻るて簡単におっしゃいますが、なぜですか。そしてどうやってですか。いきなりそんなこと言われても意味がわかりません。1からちゃんと教えて頂けますか」
自分でも言葉が次から次へと出てくるのに驚いた。それだけこのチャラついた若い男と眼光の鋭い初老の男に不信感が溜まっていたのだろう。
冴島はマルボロライトを胸ポケットから取り出し、「吸っても構わないかな」と訊いてきた。
はい、と栄介が答えると
その中の1本を口に加え、マッチを擦り、タバコの先端に火をつけた。
「まず、私達のことから話そう。私達は日本警察から独立した組織だ。優秀なメンバーを集めて特別捜査官として活動している。」
「特別捜査官?」
「簡単に説明すると、表舞台の事件は警察が担当し、裏の不明瞭な事件は我々、特別捜査官が担当することになっている。」
少し間を入れて、さらに冴島が続けた。
「ところで栄介くん。この街で最近新種の合成麻薬が出回っているという噂を聞いたことあるかね?」
「麻薬…ですか?」
「うん。ヘロインでもコカインでもMDMAでもない。新種の麻薬だ。成分は不明。だが何らかの合成化学物質を大量に添加してつくられている。見た目はキラキラ光る透き通った結晶のようだが、中身は人を地獄へと誘う危険な化学物質だ。俺たちはその美しい見た目から、そいつをクリスタルと呼んでいる」
「なるほど。それで、そのクリスタルと俺が高校に行かなければならない理由はどこか関係あるんですか」
「これが大有りなんだよ、栄介くん。私立景星高校。言わずと知れた進学校だ。でも最近どうもきな臭くてね。」
栄介は思わず笑った。
「きな臭いて高校生でしょ?それも誰もが知ってる進学校ですよ?そりゃ大麻ぐらいなら、話としてあり得なくもないですが」
それまで黙っていた快斗が口を挟んだ。
「半年ほど前から、この学校の生徒が普通ではない奇行を起こす事件が、あとを絶たないんだ。ある男子生徒が授業中に何の前触れもなく、教室から出ていき、奇声をあげながら廊下を走ったり。生徒会の女子生徒が学校近くの4階建のビルから飛び降りたり。文武両道のサッカー部のキャプテンが突然部屋から出てこなくなってね、1日中ブツブツと殺される殺されると呟いていたりとかね」
確かに気味の悪い話だ。だが、それらは本当にクリスタルのせいなのだろうか。思春期特有のストレスでそうなった可能性だって十分にあり得る。
そんなことを疑問に思い、栄介は首を傾げた。
「でも、それらの奇行が全部麻薬のせいだと言い切れる証拠はあるのですか」
冴島は、半分ほど吸った煙草の火を、灰皿の中で消し、「君の言う通り、もちろん全部が全部クリスタルのせいではないかもしれない。だけど、最近この地域の市民間でもそういった奇行があちこちで乱発している。これらの突発的な異常奇行をストレスだけで片づけるには、ちょっとムリがある」
「じゃあ彼らを問い質して、芋づる式に元締めを突きとめればいいじゃないですか。何もわざわざ高校になんか潜入しなくても」
「そんなことはもうやってるさ。しかし高校生に麻薬を売りつけるような輩は、みんなチンピラの類だ。それに本気で高校生を長時間拘束して、尋問できると思うか?すぐに親や人権団体が騒ぎ立てるだろうよ。てなわけで、クリスタルの元締め、すなわち黒幕の顔がまるで見えてない」
栄介は、いまいち要領を得ない顔つきをした。
「でも景星高校の生徒達は売られている側でしょう?それなら何のために彼らの中に入り込んでまで捜査する必要があるのですか」
冴島は人差し指で眼鏡をクイっと上げた。鋭い目が一瞬鈍く光ったように気がした。
「これは、確かな情報源からのタレコミだが、景星高校の中に何らかの手がかりがあるとみている」
「手がかり…ですか?」
「うん、情報源に関しては、今ここで詳しくは言えないが、景生高校3年生の中に、黒幕に直接繋がる手がかりがあるかもしれないということらしい」
コの字型のソファに寝転がっていた快斗が冴島の言葉を継いだ
「あるいは黒幕のXが景星高校の中にいるかもしれない…でしょ?」
それを聞くと冴島がたしなめるように言った。
「おい。それは、まだいうなといってるだろうが」
「でもどっちにしても栄介くんは、バカじゃないのですぐ気づきますよ」
冴島は、まったくお前はといった調子で嘆息し、2本目の煙草を口にくわえた。
「まぁ栄介くん。これはあくまでも可能性の話だ。三年生の教師、生徒の中に奴が潜んでいるかもしれないというね」
栄介は先程から心臓の鼓動が、徐々に速くなっているのを感じた。何やらとんでもない事に巻き込まれているという実感が遅ればせながら、わかってきたからだ。
「あ、あの、それでどうして俺なんですか。どうしてその重大な任務に俺なんかが選ばれたんでしょうか。自分でいうのもなんですが、ただのしがないフリーターですよ。もし万引き犯確保の腕を買われたというなら、あんなのなんてことはありません。5年もコンビニで働いていれば、怪しい奴なんて、いやでもわかってきますよ」
冴島は栄介の言葉の一言一言を頷いて聴いた後、おもむろに口を開いた。
「君が捕まえた万引き犯の中に、うちの捜査員が紛れ込んでいたのは知ってるかね?」
「へ?」
「実は、私は君が万引き犯を確保する所を一度だけ直接見たことがあってね。それからちょくちょく、君の観察眼を確かめるために、君のコンビニに捜査員を送って、万引きさせていたんだ」
「はぁ?」あまりの唐突さと信じられないといったいった気持ちから、間の抜けた声が漏れた。
「怒らないでくれ。仮に成功していたとしても、商品はきっちり返すつもりだった。だがその必要はなかった。なぜなら君が百発百中捕まえたからだ」
栄介は思わず唇端が上がるのを感じた。栄介にはどんな野郎がきて、どんな手口を使っても、ことごとく見破り、捕まえてきたという自負があった。
冴島は続けた。
「特に驚かされたのは、捜査員が商品を盗む時、栄介くんは背中を見せて、一度もこちらを振り返らなかったにもかかわらず、レジでターゲットに声をかけたことがあったろう?」
栄介は表情がさらに緩み、自分が得意気になっていることがわかった。あの技は、栄介が勝手に「ゴッドアイ」と名づけていた。
種明かしすれば、なんてことはない。怪しい相手に対しては、一度背中を向けて油断させ、前もって同じシフトの店員に奥の防犯カメラでそいつを見張っといてもらう。その店員が出てきて、親指を上に持ち上げれば、ターゲットは万引きしたということになる。ただそれだけのことだ。
正直、栄介のゴッドアイが外れた事は一度たりとも無い。
しかし調子づいて同じシフトに入ってた女子高生に、この技の名がゴッドアイだということを伝えると、「あぁ。そーですか。」という救いようのない返事と憐みの視線をもらって、死にたくなって以来、この名称は封印された。
そのゴッドアイが今改めて評価されてるのだ。
嬉しくないわけがない。
ニタニタした栄介を見て、今度は快斗が口を開いた。
「そっから冴島さんが、栄介くんを気に入っちゃてさぁ。ぜひ欲しいっていうわけ〜。それに栄介くんは26歳に見えないほど童顔だしさ、いけるんじゃねえかて言うんだよね〜」
ソファにだらーっと寝っ転がり、銀髪の髪を人差し指にクルクルと巻きつけて遊んでいる。このタイプが苦手なのは、高校から今に至るまでずっと変わらない。
冴島は紫煙をくゆらせながら、栄介の方を見据えた。
「やってみるかね?栄介くん」
今振り返ってもわからない。ゴッドアイを褒められたのが余程嬉しかったのか、それとも人生ではじめて自分の力を必要とされたのが嬉しかったのか、それとも単にカネに踊らされたのか、あるいはもう一度高校生に戻るのも悪くないと感じていたのか。
とにかく俺は「はい。やってみます」と答えていた。