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二年目の誕生日 ACT15

この作品は作者が舞氏のHP、「ARCADIA」と自分のHP「たわごと御殿」に掲載しているものを再度投稿したものです。

 

 老医師の家から抜け出した後、眠れない夜が幾日も続いた。

 武装した憲兵が、今にも追い掛けてくるんじゃないかと毎日怯えた。

 あの時、老夫婦を殺さなかった事を後悔した事すらあった。

 

 妹が風邪から回復すると、私はすぐに彼女を連れて、もう一度隠れ家を変えた。

 独裁政権の言論弾圧で閉館になった図書館が、私達の新しい家になった。

 利用者のいない地下墓地みたいな館内で、私は狩りにも出掛けずに何日も引きこもった。

 

 しかし、いくら時間が経っても憲兵が追い掛けて来る事はなかった。

 それどころか、誰かが私達の事を調べている気配すらなかった。

 気になった私は、夜中に隠れ家を抜け出し、政府が発行している新聞を手に入れた。

 

 恐る恐る、覗き込んだ紙面に並んでいたのは、どうでもいいような独裁者への賛辞。

 そして、憲兵隊が敵国の生物兵器に対して「敢闘」し、「奮闘」し、「勝利」している記事だけだった。

 

 同じような内容の記事を読みながら、私は首を傾げた。

 私は図書館に引きこもるまで頻繁に外出していた。

 だが、新聞に書かれているような激しい戦闘に遭遇した覚えは一度もなかった。

 眠れる巨獣のように大きな力の気配を秘めながら、夜はいつも静かだった。

 

 気になった私は、今までと逆に積極的に情報を集めるようになった。

 顔と服を何度も変え、時には非合法の酒場や賭博場にまで入り込んで話を聞いて回る。

 そして、ついに軍の作戦本部の人間を捕まえ、今ドラーシャで何が起こっているのか吐かせる事に成功した。

 

 筋金入りの軍人だけあって男の口は、なかなか堅かった。

 しかし、その堅い口もカナヅチで指を三本叩き潰し、歯を二本抜いた後は、ずいぶんと滑らかに動いてくれた。

 男を通じて私は、ついに母国の現状を知った。

 

 そして、それは呆れるのを通り越して笑い出したくなるほどお粗末なものだった。

 なんとマスコミが誉めたたえ続けた軍や警察は、とっくに『強化人類(イクステンデット)』の正体に気付きながら何もせずに放置していたというのだ。

 

強化人類(イクステンデット)』になる確率は、大体百万分の一だ。

 理屈でいえば人口約四百万人程度のドラーシャで生まれる変異能力者は、四、五人程度。

 しかし、『強化人類(イクステンデット)』の発生率は、土地や人種によって大きく異なる。

 

 原因は不明だが、特定の地域では全くと言っていいほど発症しない場合もあれば、通常の比率からは考えられないほどたくさんの人間が変異現象を起こす時もあるのだ。

 不運なことに私達の国、ドラーシャは後者のケースだった。

 埼玉県程の国土と人口の中に、百二十人もの超人が誕生したのだ!

 これは日本で生まれた変異能力者の総人口に匹敵する数だった。

 

 蛹に当たる変異期の間にその身柄を確保すれば、軍警にも大量変異現象に対応するチャンスがあったのかもしれない。

 しかし、アンドロポフが保身のために流したデマが、彼らの足を引っ張る事になった。

 

強化人類(イクステンデット)』を外国の生物兵器だと思いこんだ国民は、身内に発症者が出ても家の中で彼らを匿い続けた。

 その結果、ほぼ全ての発症者が変異期を乗り越え、三桁に昇る超人達が小さな国土の中に溢れかえった。

 

 何も知らない軍警も最初の頃は、真面目に変異能力者達と戦おうとしていた。

 だが、彼らが機関銃や戦闘車両程度の装備ではまるで歯の立たない怪物を相手にしている事に気付くのに、大して時間はかからなかった。

 

 短い戦闘の末に四肢強化系に五体をちぎられて人間パズルにされた者が約百名。

 その倍の人数が、振動波系と電磁波系の間接攻撃でひき肉の山に変えられた。

 EX=Chemicalの生体化学兵器やEX=Sensitiveの狡猾きわまる罠の犠牲者になった者は数え切れない。

 

 首都で最初の銃声が鳴り響いてからわずか一週間、軍の殉職者は五百名を超えた。

 それに対して『強化人類(イクステンデット)』の犠牲者は、戦死者と捕虜を合わせてもたった十数人。

 しかも、その捕虜というのも癌細胞を消滅させるホルモンを出す子供や地中の微生物を操る老婆のような戦闘能力のない者ばかり。

 

 強浸蝕性の体液を持つ能力者を運悪く銃で撃ってしまった同僚が世に凄まじい死に様を遂げたのきっかけに、前線の兵士達は『強化人類(イクステンデット)』に対する戦意をすっかり失ってしまった。

 しかし、安全な後方に隠れた将校達は保身と昇進のために無茶な戦果を要求し続けた。

 頭を悩ませた結果、兵士たちは最悪の選択肢に手を出した。

 

 魔女狩りとは、自分よりも弱い者に対して行うものだ。

 強靭な肉体を持つ変異能力者に魔女狩りは成立しない。

 ならばもっと弱く、理不尽な暴力に抵抗できない者を生贄にすれば良い。

 

 スケープゴートに選ばれたのは変異能力者のように歪んだ体を持ちながら、異能力を持たない人々。

 軍警は普通の障害者とその家族を狩りたて、彼らの財産を没収した。

 取り上げた金品の半分は賄賂として上官に渡し、残りの半分を自分達の懐に納めた。

 

 間もなくナチス政権下のドイツの如く障害を持つ人々が街から姿を消した。

 すると軍警は新しい狩の対象を普通の民衆の中に求めるようになった。

 権力と強欲の味を知った彼らは、もはや血に飢えた野盗と何ら変わらなかった。

 

 一方、自力で軍を退けた『強化人類(イクステンデット)』達も平穏な日々を過ごしていたわけではなかった。

 政府は変異能力者を絶滅させる事はできなかったが、彼らの生活基盤を破壊した。

 超常的な肉体能力を手に入れても、変異能力者は人間と同じように飢え、渇く。

 多くの『変異した普通の人たち』は生きていくために、或いは家族を養うために私と同じように罪に手を染めていった。

 

 彼らはその超人的な力で家屋を破壊し、金や食料を持ち去った。

 全てが終わると今度は軍がやって来て何の関係もない人々を逮捕して、同じように略奪を働いた。

 

 たまらないのは板挟みになった国民達だった。

 毎夜続く悲鳴と建物の倒壊音、何時か自分が略奪の標的になるかもしれないという緊張感。

 麦をひき潰す巨大な石臼のように恐怖と貧困が人々から笑顔や働く意志、生きる気力まで奪い去っていった。

 

 かつて、ドラーシャは『石炭と歌の国』と呼ばれていた。

 貧しい極寒の地でも石炭が体を、歌が心を温めてくれた。

 だが、今母国の工場の炉は冷え、街角から歌声は消えた。

 

 人々は餓えと寒さに苛まれながら、家の中に閉じこもった。

 そんな彼らを嘲笑うように無数の足や巨大な翼を持つ異形の影が人目も憚らずに街中を徘徊する。

 

 恐怖に震える人間の中に紛れながら、私は唯一人、同朋達の姿を誇らしげ見守っていた。

 その頃、私はもう普通の人間を自分と同じ生き物と見なさなくなっていた。

 むしろ自分が人類よりもずっと優れた生き物だと思い始めていた、

 

 家族を失い、顔を無くし、社会的にも抹殺された私は帰属する対象を渇望していた。

 だから、同じ異形の身でありながら、私にはない強大な力で持ち、ゆうゆうと街を練り歩く同胞達に強烈な憧れを抱いた。

 しかし、その幼い憧憬が身勝手な思い込みに過ぎないと思い知るのに、それほど時間はかからなかった。

 

 東欧の短い春が駆け足で走り、さらに短い夏がようやく訪れかけた頃。

 もう追われる心配はないと安心しかけた私は、致命的なミスを二つ犯した。

 

 私が犯した一つ目の間違いは、以前尋問するために捕まえた軍人を殺さずに解き放った事。

 そして、二つ目の間違いは、その軍人を捕まえる時に使った『外装』をもう一度身にまとった事だ。

 その日、晩御飯に揚げたジャガイモを買いに行った私は、帰り道でばったりと懐かしい顔に出くわした。

 

 声をあげたのは、軍人の方が先だった。

 だけど、手を動かしたのは、私の方が速かった。

 人差し指をこちらに向けて馬鹿みたいに口を開けている男の顔に拳を叩き込むとその体を後ろに立っている同僚目掛けて突き飛ばした。

 

 私は全力で逃げた。

 軍人達はすぐ追い掛けてきた。

 鋭い笛の音が石造りの壁に木霊し、建物の間から追っ手が蟻の群のように次々に湧き出した。

 

 突然、肩を強烈な勢いで突き飛ばされたと思った。

 危うく転びそうになった私は、耳元で弾けた銃声でようやく自分が撃たれた事に気づいた。

 痛いというよりも熱い、生まれて始めて味わう着弾の感触は私の頭から冷静さや論理的な思考能力を根こそぎ奪い去った。

 

 あの時、どんな道順を辿って、どんな風に逃げたのか、今ではうまく思い出す事は出来ない。

 一つだけはっきりしているのは、何発撃たれても、何回転んでも何故か『揚げジャガ』の袋を決して手放さなかったこと。

 

 ただ、ただ死に物狂いだった。

 目には血肉を焼いたあの火炎がちらつき、耳元では殺されかけた晩の雷鳴が響く。

 雑多な思いは綺麗に殺ぎ落とされ、死にたくないと言う願望だけが頭の中を埋め尽くした。

 

 そして、追っ手も私と同じぐらい死に物狂いだった。

 何発も拳銃の弾を打ち込んだ後で、ようやく彼らは、私が普通の人間じゃない事に気が着いた。

 もし、この場で私をとり逃がせば、『化け物』の仲間達が後で報復に来るかもしれない。

 それを防ぐためには、この『人間モドキ』を誰にも気付かれないうちに葬り去るしかないっ!

 そう考えたのか、軍人達はどこまでも追い掛けてきた。

 

 十分走ったのか、それとも一時間以上逃げ回ったのか……。

 気がつけば私は、背の高いマンションで囲まれた行き止まりに追い詰められていた。

 私の手足の力は強いが、垂直に天へと伸びる壁を攀じ登る暇はなかった。

 そんな事をすれば格好の的になることは、分かりきっていたからだ。

 

 残された逃げ道は、一つしかなかった。

 私はマンホールの蓋を力任せにこじ開けると、街の地下に広がる下水道の中に逃げ込んだ。

 

 下水道の臭気は凄まじかった。

 中に入った途端、固体のような質量を持った悪臭と湿気が自分の体を押し返そうとするのを感じた。

 だが、軍人達は悪臭程度で追跡を諦めたりはしなかった。

 振り返った私の目に無数の懐中電灯の明かりが、地下の闇を貫くのが見えた。

 

 背後に迫る光の束から逃げるために地下水道の角を曲がろうとした。

 瞬間、今までとは比べものにならない激痛が私の肩を叩き、抉り、貫いた。

 一向に終わりの見えない追走劇に焦れた軍人がAK47ライフルで私を撃ったのだ。

 

 倒れてから身を起こすまでのわずかな時間に、追っ手が一気に距離を詰めて来た。

 もう逃げ切れない!

 走り出す余裕すらない!

 懐に隠したナイフの柄を握りしめる。

 最後の、そして決死の反撃に出ようとした、その時だった。

 

 


 ―――汚水の表面を突き破って飛び出した巨体が追っ手の最後尾にいる軍人に襲い掛かった。 


 

 

 とてつもない質量に一つの命が、あっけなく押しつぶされた。

 近くにいる軍人の一人が、同僚を襲ったものの正体を探ろうと懐中電灯を向けようとした。

 大蛇のように恐ろしく太く長いもの、その『生き物』の尾が軍人の胴を薙ぎ払う。

 彼は壁に叩き付けられた後に、大量の血を吐きながら汚れたコンクリートの上に倒れ、二度と起き上がることはなかった。

 

 私を撃った男が、まだ硝煙の臭いを放つ銃口を『生き物』の方に向けた。

 だが、男が引き金を引くよりも早く、ずんぐりした影が地面を這って彼に躍りかかった。

 筋肉の潰れる音と腱の千切れる音、そして骨の砕ける音が地下水道に木霊した。

 

 男が腕を抑えながら女のように甲高い悲鳴をあげた。

 肘のところで千切れた腕から温かな血が、噴水みたいに飛び出す。

 噛み千切られた腕に握られたAK-47がフルオートで弾をばら撒きながら、くるくると飛んでいくのが見えた。

 

 マズルファイアと跳弾の火花の中に、灰色の粘液と鱗に覆われた皮膚が浮かぶ。

『生き物』は巨大な顎で男の頭を呑み込むと、悲鳴もろとも彼の命を噛み砕いた。

 生き残った軍人の半数は、その場に踏み止まって戦おうとし、残りの半分は仲間と敵に背を向けて逃げ出した。

 そして、どちらも最後に辿った運命は大して変わりはなかった。

 

 腰が抜けて立てなくなった私は、その場からに逃げようとした軍人のズボンに縋りついた。

 その軍人は恥も外聞も捨てて助けを求める私の顔を懐中電灯で殴りつけると、惨劇の場から一目散に走り去ろうとした。

 コンクリートの床に倒れた私は、巨大な質量が頭上を通り過ぎるのを感じた。

 遅れて、汚水の水滴が雨のように辺りに降り注いだ。

 

 巨体からは想像も出来ないような身軽さで私の頭上を飛び越えた『生き物』は、上空から最後の獲物に奇襲をかけた。

 最後の殺戮は最初の襲撃と同じぐらい手際よく、素早く行われた。

 気付けば先程まで悪臭と同じように地下水道に充満していた悲鳴や雄叫びが跡形もなく消え去っていた。

 

 死のように重厚な沈黙が、私の鼓膜を包み込んだ。

 耳に聞こえる音と言えば、懐中電灯がころころとこちらの方に向かって転がってくる音だけだった。

 無意識の内にその明りから逃げようとして、何か柔らかいものに触れた。

 視線を下げると半分噛み千切られた人間の顔の中に手を突っ込んだ事が分かった。

 

 息を呑もうとした。

 悲鳴を吐き出そうとした。

 二つを同時に行おうとしたせいで、呼吸困難に陥った。

 

 しゃっくりみたいに短い、引きつった声を上げながら壁際まで這って逃げた。

 もう『外装』を維持しているどころではない。

 絶え間なく続くショックと恐怖に心も体もぐちゃぐちゃに崩れていた。

 

 私が避けた懐中電灯の光の輪の中に、灰色のぶよぶよした指が入ってきた。

 それから筋肉の盛り上がった上半身と首のない頭、頭の半分を占める冗談みたいに大きな口が現れた。

 その『生き物』はまるで長い鼻面を叩き潰された鰐みたいな顔をしていた。

 口を開けると血と内臓の匂いと一緒に、びっしりと並んだ歯の間に詰まった犠牲者の服や肉片が見えた。

 そいつは壁際で震え上がっている私に近づき、じろじろと観察した後、

 

「ひひひ、今まで色んな仲間を見てきたけれど、俺よりも醜い奴には始めてお目にかかったぜっ!」

 

 意外な事にその『生き物』は、若い男によく似た声の持ち主だった。

 そいつはあの騒ぎで地面に落ちた『揚げジャガ』の袋をくんくんと嗅いだ後に、私に声をかけた。

 

「おい、ちょっと食ってもいいか?」

「だ、駄目っ! お、お願い、食べちゃ駄目ぇっ!!」

 

 そいつは少し気分を害したように顔をしかめた。

 

「ケチな奴だな。こんなたくさんあるんだから、一口ぐらい分けてくれたっていいだろう?」

 

 私は狂ったみたい首を振り続けた。

 すると『生き物』は床に落ちた紙袋と私を見比べた後ににんまりと口元を緩めて、

 

「ははあ! さてはお前、俺に食われると思ったのかっ? 安心しろ。お前みたいなまずそうな奴なんか食べやしないよ。俺が分けて欲しいと言ったのは、ほら! そこの揚げたじゃがいもの事だよ!」

 

『生き物』は馬鹿でかい口を開けて豪快に笑った。

 私も釣られて一緒に笑い出した。

 泣き声と笑い声がごっちゃになったような甲高い声だったが、なんとか笑う事には成功した。

 それをきっかけに二人の間にあった緊張が、一気に和んだ。

 私達は一袋の『揚げジャガ』を分け合いながら、お互いの身の上について話し始めた。

 

 追っ手から私を助けてくれた彼は『淵鬼(アーヴァンク)』という名前を持っていた。

 もちろん本名じゃなくて、仲間内で使う渾名のようなものだった。

 彼を通じて、私は首都ペルンに思っていたよりも多くの怪物、つまり『強化人類(イクステンデット)』たちがいる事を知った。

 彼らは隠れ家や近道に使うために、ちょくちょく『淵鬼(アーヴァンク)』の住処である地下水道を利用していた。

 そして、『淵鬼(アーヴァンク)』はその度に通行料と称して仲間達から地上の情報や食べ物を分けてもらっていたのだ。

 

「だから、俺はこの都市に住む化け物の中でも一番の情報通なのさ」と彼は得意げに語った。

淵鬼(アーヴァンク)』の外見は、お世辞に気持ちの良いものじゃなかったけど、私は素直に感心しながら、彼の話に聞き入った。

 自分の正体を隠さずに人と話すのは久しぶりだったし、妹以外の『強化人類(イクステンデット)』と会話をするのは始めだったからだ。

 

『揚げジャガ』が底を尽きた頃、私達はすっかり打ち解けていた。

淵鬼(アーヴァンク)』は軍人に追われたら、また何時でも地下水道に逃げ込んで来いと言ってくれた。

 私は助けてくれたお礼に地上の食べ物を持ってくることを約束した。

 もし、別れ際に私があんな馬鹿な事をしなければ、私達は今でも良い友人のままでいられたかもしれない。

 でも、運命はそこまで私達二人に優しくなかった……。

 

淵鬼(アーヴァンク)』に別れの挨拶を済ませた後、私は地上に帰るために新しい『外装』を身に纏った。

 その途端、物凄い声が隣りから沸きあがった。

 驚いて振り返ると、『淵鬼(アーヴァンク)』が大きな口と小さな目をそれぞれ限界まで開きながら、こっちの方を見ていた。

 

「お、お前、い、今何をしたっ!!」

 

 彼は短く、不恰好な指で私の顔を指差しながら掠れた声で言った。

 私は戸惑ったように自分の顔を撫でながら答えた。

 

「何って、上に帰るためにちょっと顔を変えただけど?」

「それだぁ! お前、今人間に化けただろうっ? い、一体どうやってやるんだ、それはっ! 教えてくれ、その方法を!」

「どうやるって、皆こうやって体の形や色を変えられるんじゃないの?」

 

 滑稽な話だけど……。

 それまで私は『強化人類(イクステンデット)』の能力が個々人で全然違う事に気付いていなかった。

 自分の変身能力がどれほど希少なものか。

 人間の中に混じって歩ける事が同胞の心にどれ程の波風を呼び起こすのか。

 全く、何も知らなかったのだ。

 

淵鬼(アーヴァンク)』の巨体が突然、さらに一回り膨れ上がったように見えた。

 震える唇から、かすれた声がこぼれ落ちた。

 

「それじゃ、お前は上の世界で普通の人間みたいに暮らしていたっていうのか? 俺がこの体のせいで親父やお袋を殺して、穴蔵の中でドブ臭い鼠の肉を食っている間に……お前は温かい飯を食ってベットで寝ていたっていうのか? ちくしょう、ふざけやがって! どうしてお前が、お前だけがっ!」

 

 私は声を張り上げて『淵鬼(アーヴァンク)』を落ち着かせようとした。

 決して彼を侮辱するつもりはなかったのだと伝えたかった。

 でも、『淵鬼(アーヴァンク)』には私の言葉などまるで聞こえていないみたいだった。

 

 灰色の巨体がずるりと音を立てて、こちらの方に近寄ってきた。

 私は自分の何倍もある肉体の質量に押されて後ろに下がった。

 懐中電灯の明かりの輪から出た途端、踵が死んだ肉の感触を探り当てた。

 

 生々しい感触が凍りついた恐怖を溶かす。

 私はようやく思い出した……。

 自分が死体に取り囲まれながら、人食いの怪物と話していたことに。

 

 目の前に『淵鬼(アーヴァンク)』の口があった。

 私の上半身ぐらい簡単に入ってしまいそうな巨大な顎。

 乱立する無数の太く鋭い牙、その間に挟まっている兵士たちの肉片、私を見る唾液まみれの眼球。

 

 自分でも気づかぬうちに私は叫んでいた。

 一度喉から飛び出した声は尾を引き、幾度も下水道の壁に反響する。

 乾きかけた血、死んだ肉、汚水まみれの怪物、木霊する悲鳴。

 すべてが合わさったまるで趣味の悪いホラー映画のような光景……。

 

 その全てに背を向けて逃げ出した。

 内臓で足を滑らせ、散らばる死体をかき分けながら、逃げ続けた。

淵鬼(アーヴァンク)』は、その場から動かず、ただ走り去る私を見守っていた。

 しかし……

 

「なぜだ……なぜおまえだけが、なぜ俺だけが……」

 

 下水道から脱出する寸前に耳に飛び込んだ彼の呟き。

 そして、あの責めるような黄色い瞳だけは、何時までも何処までも私を追いかけてきた。

 

 手ぶらで帰ってきた私を妹は何も聞かずに出迎えてくれた。

 あの子は怯える私を抱きしめ、震える足を寝床へ導いた

 その夜、眠れぬまま横たわりながら、私は気付いた。

 

 私達の味方はどこにもいないのだ。

 普通人の中にも、変異能力者の中にも、どこにも、どこにも……。

 


あとがきのやうなもの



あ、さて……。

今まで、舞氏のHPにある作品を転載してきたわけですが、

このACT15で書きためておいたお話をついに使い果たしました。


というわけで、次の投稿は一週間かそこらかかります。

ここまで読んでくれた皆様。

よろしければ、このお話が終わるまで、お付き合いください(ぺこ)

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