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二年目の誕生日 ACT10

この作品は作者が舞氏のHP、「ARCADIA」と自分のHP「たわごと御殿」に掲載しているものを再度投稿したものです。

 

 部屋を飛び出した後、『(レインボー)』はずっと階段の踊り場にいた。

 柔らかな絨毯の上に、腰掛けながら何十分も泣き続けた。

 彼女の心を表すように、皮膚は生ゴミで作ったアイスクリームのような色に染まってぐるぐると渦巻く。

 

 こんな体じゃ、とても厨房には帰れない。

 ゴキブリだって、もっと清潔そうに見えるに違いない。

 かと言って今から三階の部屋に戻って、『極光(オーロラ)』と鉢合わせになるのはもっと嫌だった。

 

 どうして、こんな事になったんだろう?

 お食事を持って、厨房を出た時は、気持ちが弾んで今にもスキップしそうな気分だったのに。

 コックのおじさんや先輩のお姉さん達は、頑張ってねって励ましてくれたけど、今きっとこんな簡単な仕事もできない自分に呆れ果てているに違いない……。

 

 気持ちがマリアナ海峡よりも深いどん底に行き着くと、今度はマグマのような真っ赤な怒りが湧き上がってきた!

 

「ひ、ひどいよ、『華神(フローラ)』! ど、どうして、こんな事するのさ!!」

 

(レインボー)』にとって『華神(フローラ)』は、数少ない、いや今となっては唯一人の友人だった。

 長い軟禁生活で『(レインボー)』が、辛うじて正気を保っていられたのも『華神(フローラ)』が相談相手になってくれたおかげだ。

 だから、『華神(フローラ)』が家出をしないかと誘った時も、迷った末に彼女の言葉に従った。

 

 この森の中のお屋敷に戻ってきた時は、本当に嬉しかった。

 大人達に混じって仕事をしている時も、とっても楽しかった。

 だけど、最後にこんな酷い裏切りが待っているなんてっ!!

 

 お腹の中で渦巻く怒りをぶつけるためにもう何度も『華神(フローラ)』に電話した。

 でも、携帯の電源を切っているのか、圏外にいるのか一向に連絡は取れない。

 だからと言って、この怒りを『極光(オーロラ)』にぶつける訳にもいかなかった。

 

 例え少しおかしくなっていても、『極光(オーロラ)』が大切な家族である事に変わりはない。

 その上、『極光(オーロラ)』は、自分自身を磨り減らしながら、『(レインボー)』を守ってくれた。

 燃え盛る家から脱出したあの時も、その後に続く悪夢のような生活の間もずっと、ずっと……。

 

極光(オーロラ)』の事に思いが及んだ途端、暑く煮えたぎっていた想いが一気に凍り付く。

 冷え固まった溶岩のように、重い感触がズシンと胃袋にのし掛かった。

 

 沈んだ気持ちのまま、ピカピカに磨かれた階段に視線を移す。

 どんよりした色に染まった自分の顔が見えた。

 ますます気分が落ち込んだ。

 

 ……いけない。

 

 心と変異能力が、悪循環を起こしている。

 このままじゃ自宅に、一人で閉じこもっていた頃と同じだ。

 手摺に映った自分の顔を、ぺちっと手の平で叩いて隠す。

 ひっぱがすように視線を、窓の方に向けた。

 窓ガラスの向こうには、地平線まで広がる冬枯れした山の林。

 その灰色と茶色の海の中に、緑色の杉や松の緑が、小島のように浮いているのが見えた。

 

 緑色には、心を落ち着かせる作用がある。

 自分の力について勉強していた『(レインボー)』はその事を思い出した。

 まずは良くリラックスして、この酷い顔色をどうにかしなくちゃ。

 こままじゃ文字通り人に会わせる顔がない。

 

 メイド服のスカートの裾を払って立ち上がる。

 窓辺に近付き、広々とした庭園を見下ろした。

 庭の一角にある常緑樹に目をつけた時、木の根元にいる黒服に気がついた。

 

 あの人も寂しそうだなぁ……。

 

 この季節に外に立つのはさぞ寒かろう。

 一人佇むガードマンに自分の境遇を重ねてちょっと男に同情した。

 だから、ちょっと彼に向かって手を振ろうとした。

 例え届かなくても、今感じた気持ちを伝えたいと思って……。

 

 運良くこの時、『(レインボー)』は瞬きをしなかった。

 だから、文字通り一瞬の間に起きた出来事を見逃さずにすんだ。

 彼女が手を上げようとしたその時、

 

 

 ―――木の下にいたガードマンが消えた。

 

 

 黒服の男の体が、微かによろけたように見えた。

 木々の茂みが、少しざわめいた。

 そして、後には無人の静寂だけが残された。

 一秒の半分にも満たない時間の出来事だった。

 

(レインボー)』は、手を肩の高さまで上げたまま凍り付いていた。

 目で見た事を頭が、理解できなかった。

 そして、ようやく脳みそが、視覚から得た情報を咀嚼し終えた時―――

 

 茂みの中から黒服の男が、姿を現した。

 

 さっきの人が、戻ってきたんだろうか?

 いや、違うっ!

 マサイ族並みとはいかないにしても、『(レインボー)』の視力はかなり良い。

 少女の目は、再び現れた黒服が、消えた男と別人である事をしっかり見分けていた。

 

 と、その侵入者が、いきなり屋敷の方に顔を向ける。

(レインボー)』は息が詰まったような悲鳴を上げて、窓の下に身を隠す。

 心臓が口から飛び出しそうな勢いで跳ね回っていた。

 

 小さな胸を押さえながら、数を数える。

 一、深く息を吸う。

 二、深く息を吐く。

 三、ゆっくりと吸って吐く。

 どうにか、意思の力で暴れ回る鼓動を鎮める事に成功した。

 

 臆病な青虫のような色染まった指を、恐る恐る窓の枠に乗せる。

 鼻から上だけを覗かせて、外を盗み見た。

 松の木の下には誰もいなかった。

 一瞬、また姿を消したのかと思ったが、それは間違いだった。

 

 あろう事か男は、屋敷の方目掛けて歩き始めていたのだ。

 誰かに知らせなくちゃ!

 そう思って周囲に目配せした途端、血が凍りそうになった。

 

 侵入者は一人じゃなかった!

 目に入る範囲だけで五人。

 同じようにガードマンの服装に身を固めた男達が、一糸乱れぬ足取りで、屋敷に近付こうとしている。

(レインボー)』の目は男達の胸元が、不気味に膨らんでいるのを捉えた。

 

 足腰の力が抜けて、お尻が絨毯にぶつかるのを感じた。

 刺客?

 襲撃?

 暗殺!

 寒い祖国に置いてきたはずの言葉が、津波のように押し寄せてきた。

 

 バケツでペンキを被ったみたいに恐慌の色が、一気に少女の全身を染め上げる。

 反射的に立ち上がり、非常用の火災警報器に飛び付いた。

 突入作戦のセオリーから言えば、あの男達は次に連絡手段を破壊しようとするはずだ。

 今の内に早く一階の人達に知らせないと―――

 

 だが、『(レインボー)』の拳は、プラスチックのケースごと警報器のスイッチを叩く寸前で止まった。

 ほぼ一年間、少女の身でありながら鉄火場を潜り抜けた経験が耳元で叫ぶ!

 

 

 ―――ダメ、これを押したら皆死んじゃう!!

 

 

 この屋敷の従業員達は、非常に良く訓練されている。

 警報装置の音を聞けば全員、非常口の方に向かうはず。

 だが、これだけ見事な手際を見せた侵入者が、非常口を開けているだろうか?

 

 そんなわけはない!! 

 

 必ず非常口で鉢合わせになるはずだ。

 そうなったら、あの侵入者が、同僚達をどう扱うか火を見るより明らかだ!

 だから、火災警報装置ではなく、今の窮地を詳しく説明できるような道具が要る!

 

(レインボー)』は今朝、支配人から渡された連絡用の通信端末を探した。

 このホテルの従業員に渡されている通信端末は、小型ながら高性能なテレビ電話機能がついている。

 あれさえあれば―――!!

 

 しかし、端末を探す肝心の手が、パニックで震えて使い物にならない!

(レインボー)』は小刻みに痙攣する指を見つめながら、前に『華神(フローラ)』が聞かせてくれた言葉を思い出そうとした。

 全ての変異能力のコントロールに共通する特徴は―――そう、イメージだ!

 

 思いっきり息を止めて、指先に全ての意識を集中させる。

 焦りや混乱を注射器のように外に押し出す様を想像!

 するとどろどろに混ざり合った極色彩の体色が、手首から透き通った氷のような青に変わっていった。

 

 感情を操る変異能力を、利用した自己催眠暗示!

 新しい色を目にした途端、震えとパニックがほぼ同時に治まる。

(レインボー)』の手は、まるで別人のような滑らかさでスカートの裾に隠された通信端末を取り出した。

 自己最高記録の速さで、支配人に繋がる短縮ボタンを入力。

 続いて、自分たちの会話が、全部の従業員に伝わるように端末を操作した。

 

 泣きたい程の焦燥感に満ちた一秒が通り過ぎた後、やっと支配人の端末に繋がった。

 長年、際物ぞろいの客をもてなしてきただけあって、初老の支配人は只者ではなかった。

 端末のモニターに映った少女の顔色を見た時は、驚きのあまり言葉を失ったが、一瞬で持ち前の冷静さを取り戻した。

 

「『(レインボー)』ちゃん、何か危険な事が、この屋敷で起こっているんだね?」

 

 よし、これで言いたい事の六割はすでに相手に伝わった。

 後は、最小限度の説明をするだけで済むはずだ。

 だが、少女が口を開こうとした時、太いロープが切れるような音を立てて、モニターの画像が消えた。

 

 再び、落とし穴の中に足を突っ込んだような恐怖が少女を襲う!

 通信設備が、破壊された!

 突入作戦が、本格的に始まったんだ!

 爪先がほとんど反射的に一階への階段を駆け下りようとした。

 だが、『(レインボー)』は意思の力で何とか自分の足を押し留めた。

 

 ……口惜しいけど、とっても口惜しいけど。

 戦闘じゃ自分が役立たずなのは、誰よりも『(レインボー)』自身が一番良くわかっている。

 支配人達を助けに向かったとしても、死体になる体が一つ増えるだけ。

 同僚を助けるためには、自分にできる最も効率の良い行動を取らなくてはいけない。

 そして、今『(レインボー)』にできる事はただ一つ!

 

 先程までお尻を階段の踊り場に釘付けにしていた想いを、心の箪笥に仕舞いこむ。

 この世でただ一人の、そして誰よりも信頼できる家族に助けを求めるために、少女は三階に繋がる階段をひた走った!!

 

 


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