表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/36

切り裂き屋の憂鬱な日曜日 ACT3

この作品は作者が舞氏のHP、「ARCADIA」と自分のHP「たわごと御殿」に掲載しているものを再度投稿したものです。残酷かつ暴力的な描写が出てくる場面がありますので、ご注意してください。

 ―――落ち着け……

 

 まず、そう思った。

 

 ―――冷静になれ!

 

 次に、そう思った。

 

 俺は集中した。

 少なくとも、集中しようとした!

 岩を砕き、水流を裂き、鉄をも穿つほどに強く!強く!

 

 だが、いくら思いを凝らして無駄だった。

山猫(リンクス)』の台詞を聞いた時から、思考は空回りするばかり。

 俺の頭は『百目(アルゴス)』を葬った日に見た青い空と白い鳥の映像をエンドレスで流しつづけた。

 

 半ばやけくそ気味に必死に先日受けた『営業研修』の内容を思い出そうとした。

 だが、全部16まであるLessonを隅から隅まで読み返しても、殺し屋に的確な突込みを入れられた場合どう対処すればよいのか教えてくれるものはなかった。

 

 お先は真っ暗だった。

 そして、不意にその真っ暗な視界に光が差した。

 禿げの講師が天から現れ、頭頂の後光も眩しく俺にお告げを下したのだ。

 

 ―――Lesson 17、人間は諦めが肝心です……

 

 ……

 ……・・・

 くそお、この禿げ親父め!

 次にあったときは俺の電磁波で体中永久脱毛してやるからな!!

 

「大分てんばってきたようだな」

「あ、いや、そんな事はないぞ。うん、ないとも!」

 

 いつもいつも最悪のタイミングで話し掛けてくる『山猫(リンクス)

 こいつ、ひょっとして俺の心を読んでいるんじゃないだろうな!?

 

「……さあ、お前の思っている通りかもしれないし、そうじゃないかもな」

 

 また考えを読まれたっ!?

 まさか、こいつ本当に読心の能力を持っているのか!

強化人類(イクステンデット)』は超能力者じゃない。

 テレパシーなんて使えないはずだ。

 し、しかし、確か『華神(フローラ)』はテレパシーに近い能力やコミュニケーション手段を持っていた。

 もしかしたら、『山猫(リンクス)』も……。

 

 お、落ち着け!

 これから相手を煙に巻こうとしている奴が、逆に好き放題に心をかき乱されてどうする!

 確かに『山猫(リンクス)』には痛いところを疲れてしまったが、ここで相手の言い分を肯定するわけにはいかない。

 開き直って、誤魔化し通すしかないのだ!

 

「『百目(アルゴス)』が本当に死んでいるなんてしらなかった。嘘じゃない!あんたの剣幕から亡くなっているんじゃないかって推測しただけなんだ。で……本当のところどうなんだ?彼はもう、その……」

「ああ、死んでるとも。お前も知ってのとおり世にも酷え有様でな」

「それはご愁傷様で……」

 

 これではっきりしたな。

 下手人が誰かまでは特定できていないようだが、『山猫(リンクス)』は『百目(アルゴス)』が死んだ事を知っている。

 

 しかし、そうすると不可解な点が出てくる。

 奴がどうやって『百目(アルゴス)』の死を知ったかと言う事だ。

 

 俺は事件屋と会社員で二束の草鞋を履く半端ものだが、『華神(フローラ)』は違う。

 彼女が『百目(アルゴス)』の死体を置き去りにして立ち去るはずがない。

 あの時、すぐさま現場を立ち去ったから最後まで確認できなかったが、きっといつも通り専門の掃除屋に証拠も残さず始末するように依頼したはずだ。

 

 だとすると情報が漏れる抜け穴は一つ……

 

「随分と腕の良い掃除屋に後始末を頼んでくれたな。お陰で俺の能力とコネを総動員しても、あいつが運び込まれた場所を探り出すのに結構手間がかかったぜ」

 

 やっぱり、そっちから情報が漏れたのか!

 くそ、あの腐れ掃除屋め!

(俺の相棒が)高い金を払ったのに、依頼人の情報を漏らすとは何事だ!

 もしこの状況から生き延びたら、必ず仕返しを―――

 

「あんまりストレスが溜まったんで、俺は『百目(アルゴス)』を見つけた後、思わず手近にある工具で掃除屋の野郎をバラしちまった。後悔してるよ……頭が熱くなりすぎて、俺の怒りをちゃんと表現し切れなかったからな!!」

 

 あ……もう始末済みなのね。

 

 一瞬、俺は不運な掃除屋に同情しそうになった。

 だが、結局止めた。

 今みたいな苦境に陥っている責任の一端は間違いなくそいつにあるし、さっきの言葉からすると俺はこれから件の掃除屋以上に心の篭ったオモテナシを受ける事になりそうだからだ。

 

「俺が見つけた時、あいつの体は滅茶苦茶になっていたよ。『処理工程』がもう半分ぐらい済んでたからな。まさに親が見ても誰か分からない有様って奴さ。まあ、もっとも―――」

 

 俺も『百目(アルゴス)』も親なんて生き物は見た事も会った事もないがね―――自嘲気味に『山猫(リンクス)』はそう付け加えた。

 

 首から下、胃袋の辺りから石のように硬い感情が食道を遡ってくるのを感じる。

 おい、大人しくしろ俺の良心! 

 今はお前なんかお呼びじゃないんだ!

 この世界に足を踏み入れた時に、『華神(フローラ)』が最初に教えてくれた事を思い出せ!

 殺し、殺される者達の間に殺意と戦意以外の感情は必要ない。

 戦場に感傷を持ち込む愚か者は真っ先に命を落とす。

 死の猟犬は何時でも涙の匂いに敏感なんだ。

 

 俺は自分の感情を把握しようと必死だった。

 しかし『山猫(リンクス)』そんな俺の心のうちなど知らぬ顔で淡々と言葉を紡いでいく。

 

「……俺はこの歳まで色んな戦場を巡って、色んな死体を見てきた。それでも、あの時の『百目(アルゴス)』ほど酷いホトケにはお目にかかったことがない。肉屋のひき肉だってもうちょっと手心を加えてもらってるだろうよ。『百目(アルゴス)』の体には無事な細胞が一つも残っていなかった!」

 

 急に空気が固体に変わったかと思った……。

 

 こ、こんな殺気があり得るのか!

 携帯から伝わるプレッシャーの凄まじさに呼吸すらままならない。

 感情を伺わせない平板な言葉遣いが、かえってその下に潜むどす黒い溶岩のような情念を際立たせる。

 俺は自分の中で頭をもたげかけた同情心が臆病な獣よろしく大急ぎでどこへ逃げ帰っていくのを感じた。

 

「間違いなく電磁波による攻撃の痕だった。それも見た事もないような大出力の。そして俺が知る限り、そんな真似のできる奴は……『切り裂き屋(リッパー)』お前一人だけだ!」

 

 無意識のうちに、足が止まる。

 川のような人間の流れが俺と言う小石にぶつかり、真っ二つに割れていく。

 悪態やら罵倒の声が自分に向けられたと思うが、全く頭の中に入らなかった。

 

 過冷却状態或いは過熱状態と言う現象がある。

 この状態にある物質は凝固点や昇華点を超えても、凍りついたり、気化したりしないが、ほんの僅かな衝撃で瞬時に凍りついたり、沸騰したりするのだ。

 

 今の『山猫(リンクス)』を言い表すのにこれ以上相応しい言葉はない。

 携帯電話から聞こえるのは野獣のような荒い呼吸音が混じった沈黙だけ。

 しかし自他共に人の感情に疎いと定評のある俺でも、その沈黙の中に潜むとてつもないエネルギーの気配だけは間違いようがない。

 例えそれが挑発であろうと謝罪であろうと、或いは単なるくしゃみであろうと、ほんの微かな刺激で水面下のエネルギーは爆発する。

 そして真っ先にその被害をこうむるのはこの俺なのだ。

 

 俺は息を殺して、電話の向こうの沈黙に聞き入った。

 いまだかつてこんなに死を身近に感じた事はない。

 まるで処刑台へと続く十三階段を二段飛ばしで昇っているような気分だ。

 雑踏のざわめきが何光年も遠くの事に思える。

 こんなにも街は人で溢れているのに、誰一人当てにならない孤独をひしひしと感じながら、俺は待った。

山猫(リンクス)』の感情が少しだけ温まるか、或いは少しだけ冷えるのを。

 

 全てが凍りついたような静けさの中を、時間だけが恐ろしく緩慢に通り過ぎていく。

 具体的にどれぐらい時間が経ったか分からないが、大体10回ぐらい俺の時計の分針が回転した後、少しだけ携帯の向こうの空気が変わったような気がした。

 俺は恐る恐る声をかけてみた。

 

「『山猫(リンクス)』?」

「……なんだぁ?」

 

 不機嫌そうな声が返ってきた。

 

 良かったぁ!

 

 声が返ってくるなら、まだ話し合いはできる。

 どうすれば相手への刺激を最小限にして最大限の情報を得る事ができるのか?俺は眩暈がするほど頭をフル回転させた。

 

「あんたの言う根拠って奴が俺にも良く分かってきたよ。でも、それを言うならこっちにも俺が『百目(アルゴス)』殺しの犯人じゃないって証明できる根拠がある。それも最低三つ以上!」

「……ほう。じゃあ、言ってみろ。お前の言う無罪の証明って奴をさ」

 

 静かな凄みを秘めた声。

 しかし、俺の言葉を頭ごなしに否定しないところを見ると、一応こちらの言い分を聞く耳はありそうだ。

 俺は薄氷を踏むような思いで慎重に言葉を積み重ねていった。

 

「まず、動機の問題がある。あんたも知っていると思うが、俺は普段、普通人と同じ生活と送っている。幽霊会社じゃないちゃんとした普通の会社に勤めているし、家庭も持っている。ちょっと人の道から踏み外れた力を持っていても、殺人や窃盗に手を出して、社会の道から足を踏み外した事はない。あんたや『百目(アルゴス)』の名前も噂に聞いた事がある程度だ。そんな俺にあんた達みたいな裏社会の住人と一戦交えて、殺さなきゃならない動機なんてあると思うか? 無いだろ? これが一つ目だ。

 「二つ目は能力の問題だ。俺の能力の破壊力は確かに凄い。でも、それ以外の部分はからっきしなんだ。この歳になるまでほとんど喧嘩をした事もないし、勝った事もっと少ない。戦闘力に関して俺は仲間内じゃ小学校の男子や中学校の女子以上って言われているんだ。これがどう言う意味かわかるかい?」

「どう言う意味だ?」

「つまり、中学生の男の子や高校生の女の子にはぼろ負けって意味さ」

「そりゃ、酷え! ダチの言う事とは思えないな!」

 

 携帯の向こう側で噴出す気配。

 気持ちがほぐれてきた証拠だ。

 ほっと一息をつき、相手の共感を得るためにこっちも笑い声を上げる。

 

「確かに酷いけど……全部本当の話なのさ。実は俺には中学二年になる姪がいるんだが、正直な話、喧嘩であの子に勝てる気が全くしないよ! こんな俺があんた達みたいなプロの戦争屋相手に殺し合いを挑んで勝てると思うかい?」

「思わないなぁ。たっぷり見せてもらったが、お前の動きははっきり言って素人以下だ。わざとやってるんだとしたら大したもんだ。俺にもちょっと真似できそうに無い」

 

 意図して誘導した結果とは言え、自分の不甲斐なさをそこまで容赦なく指摘されると結構きつい。

 でも今は相手から「肯定の言葉」を引き出せたから、一先ずよしとしよう。

 

「そうだ。それにあんたや『百目(アルゴス)』だって名札をつけて街中を歩いているわけじゃないのだろ? むしろ、その逆のはずだ。殺せるかどうか以前に俺じゃあ彼がどこにいるのかさえ分からない。で、これが俺の二つ目の言い分だ。……さて、最後の奴に入る前に確認をしておきたい。これから俺の言う事で聞いても決して怒らないって約束してくれるか?」

「約束はできんな……だが、言って見ろ」

 

 残念。

 ここでまた「Yes」と言わせればなし崩しに俺の言い分を認めさせる自信があったんだが……流石に一筋縄では行かないらしい。

 

「そうか……じゃあ仕方がないな。なるべく頭を冷やしながら聞いてくれ。さっきがあんたが『百目(アルゴス)』の遺体を見て、犯人は俺しかいないっと判断した件なんだが、はっきり言ってそれは間違いだと思うぜ」

「何故、そう思う?」

 

 感情を伺わせない声。

 怒りを抑えているのか?

 それとも好奇心にかられて先を促しているか?

 俺は後者にかけて、口調を変えずに話しつづけた。

 

「何故なら人間をハンバーグのパテに変えられる奴等が俺以外にも存在しているかもしれないからだ。確かに俺達、電磁波系の能力者は『強化人類(イクステンデット)』の中でも比較的珍しい方だ。しかし、あんた達『EX=Sensitive』ほど稀少な存在って分けじゃない。これは人伝に聞いた話だが、この日本だけでも十数人程、俺や『百目(アルゴス)』の同類がいるらしいぜ。世界中の仲間の数を合わせたら、百人に届くんじゃないかな? で、その百人の中に俺以上の出力を備えた電磁使いがいないって言い切れるか?」

 

山猫(リンクス)』またしても沈黙。

 それをポジティブな方に判断して話を続けた。

 

「俺がこんなに有名になったのは運の悪い偶然が重なっただけの話だ。しかし、もし……いや、こんな事を言うのは無意味だと分かってはいるんだが、もしあの時に戻れるんだとしたら、絶対自分の能力の全貌が見えないように工夫をしただろう。今みたいに厄介ごとに巻き込まれるのが目に見えていたからな。あんた達のような裏社会の住人が俺と同じ『力』に能力に目覚めた場合も、きっと全力でそれを隠蔽しようとしたはずだ。いや、むしろそう言う爪を隠した鷹が『百目(アルゴス)』殺したと考えた方が自然じゃないか?」

 

 一端口を閉じ、相手の様子を伺う。

 やはり答えはすぐには帰ってこなかった。

 俺はちょっと心配になってきた。

 

「『山猫(リンクス)』?」

「ちゃんと聞えている。そのまま続けろ」

 

 低く抑制された声、何かを考え込んでいるような気配がした。

 どうやらこちらの意見を真剣に検討しているらしい!

 そのことに勇気付けられた俺はさらに大胆な行動に出た。 

 声のトーンを落とし、哀れみを誘うような声音で話し掛ける。

 

「なあ、『山猫(リンクス)』。今聞いてのとおり、俺があんたの知り合いを殺した可能性は決して高くない。あんた、勘違いで確か人を殺したら寝覚めが悪いって言っていたじゃないか? それにもし他に真犯人がいるとしたら、そいつは今あんたが見当違いの相手をいたぶっている間に大笑いで海外へ高飛びしているはずだ! もしそうだったら、『百目(アルゴス)』も浮かばれないだろ? 一度、『百目(アルゴス)』が亡くなった日の俺のアリバイを洗って見てくれないか? その時になっても自分への嫌疑が晴れないのなら、俺も観念するよ。なあ、良いだろ? どうせ俺はどうやってもあんたから逃げられないんだからさ」

 

 同意を求める振りをして勝手に納得する。

 立て続けに肯定的な返事を言わせて否定的な言葉を口にしづらい空気を作る。

 笑わせて和ませ、反論する前と後は必ずへりくだり、仮定に過ぎない事を事実とすり換える。

 

 営業の仕事を通して身に付けた話術を総動員して、俺は『山猫(リンクス)』からできる限りの猶予を手に入れようとした。

 

 もちろん、俺だってこんな手で山猫を騙しとおせるとは思っちゃいない。

 アリバイ工作はしているが、普通の警察用のもので超人的な知覚能力を持った『強化人類(イクステンデット)』が相手ではちょっと心もとない。

 それにこの手の工作は突っつけば必ず穴があるものだ。

 

 だが、『山猫(リンクス)』が事実関係の裏付けを取っている間、必ずこちらに余裕が生まれる!

 半日、いや2時間でも良い!

 それだけの余裕があれば、『華神(フローラ)』と連絡を取れる!

 そうすれば、2対1で形勢逆転だ。

華神(フローラ)』が敵を探り出してマーカーを付け、俺がそれを追跡して狙撃すると言ういつもの必勝パターンが使えるようになる!

 

 今までの会話から手ごたえを感じていた俺はさらに畳み掛けるように問い掛けた。

 

「どうだろ? 俺は少なくとも間違った事は言っていないと思うんだが……」

 

 相変わらず携帯から返事は返ってこないが、気のせいか『山猫(リンクス)』の気配がさっきよりも遠ざかっているようだ。

 

山猫(リンクス)』もプロだ。

 もし俺の言葉を信じたとしても、別れの挨拶をしてから立ち去るような事はしないだろう。

 追撃サプライズを防ぐために携帯を通話状態にしたまま、姿を消すはずだ。

 

 一先ずは虎口を脱したか?

 

 過ぎていく時間に比例して期待がどんどん膨れ上がる。

 だが、携帯から突然飛び込んできた一言が、希望に膨らんでいた俺の心を一刺しした。

 

「クヒィッ!!」

「くひぃっ?」

 

 不意に聞こえた奇声に意表をつかれて、同じ声を返す俺。

 次の瞬間、携帯から溢れ出す音の奔流が驚愕の感情もろとも俺の思考全てを押し流した!

 

「くひゃははははははははっ、ひひひひぃ、くけぇっ!!くぇけけけけけけけけけけぇ、けぁはははははははっ、はひひひひひひひひ、ひゃひゃひゃひゃひゃひゃ、うはははははははははははははっ!!!!」

 

 笑い声と言う名の暴力が俺の脳を滅茶苦茶にかき回す。

 携帯を両手で包んで慌てて、耳から引き離した。

 そのまま、その笑い声を聞いているとこっちまで頭がおかしくなっちまうような気がしたからだ。

 

 顔を上げると同時に無数の通行人がこちらに怪訝そうな視線を向けているのが分かった。

 皆、俺と目が会うと慌てて顔を逸らした。

 

 そして不安だけが残った。

 

 何かが石みたいに重く胃袋の中に蟠る感触。

 自分がまた失敗をしたと言う確信に近い予感。

 だが、どんなヘマをしたのか見当もつかない恐怖。

 

 恐る恐る掌中に毒虫でも入っているみたいに手を開け、携帯を再び耳に近づけた。

 まだ聞こえる笑い声の余韻。

 体が反射的にびくっと竦みあがったが、痙攣する唇は何とか言葉を紡ぎだした。

 

「り、『山猫(リンクス)』、どうした? 俺が何かおかしな事も言ったのか?」

「ひぃ、ひひひ、いや、何、お前があんまり必死なのがおかしくてな。いやぁ、距離を取っておいてよかったわ。でなきゃ、笑い声で俺の居場所がばれるところだったぜ!」

 

 絶句。

 文字通り返す言葉もない。

 

 どこか、声も聞こえないほど離れた場所で『山猫(リンクス)』がまた笑い始める。

 その声で何とか俺は正気に戻った。

 

「そ、それじゃあ、あんた、わざわざ大声笑うために俺から離れたって言うのか!?」

 

 1、 2分呆けた後で、辛うじてそれだけの言葉を搾り出した。

 だが、『山猫(リンクス)』はまるで聞き分けの無い子供を相手にしているみたいに適当に俺の言葉を聞き流して笑った。

 

「まあ、そんなにカッカするなよ。笑えるからさあ」

 

 クククっと喉の奥で笑い声を押し殺すと、不意にビジネスライクな声で話し始める。

 

「さて、ひとしきり笑わせてもらったところで、お前さんが上げた無実の言い訳とやらに反駁させてもらおうかね。まず一つ目。動機の問題とか言ってたな……悪いけど、こりゃ話にならんわ。俺が今までバラした人間の数は軽く三桁に昇るが、そん中で推理小説のネタになりそうな動機のある殺しなんてほとんど無かったぜ。俺ら殺し屋(アサッシーノ)にとっちゃ人間なんぞ家畜と一緒だ。屠殺人は牛や豚(ひょうてき)の柄なんて気にしない。要はどうやってツブスか!」

 

 鼓膜を震わせるスナップフィンガーの音。

 不覚にも恐怖のあまり跳び上がりそうになった。

 

「……それだけさ。お前個人と『百目(アルゴス)』の間に接点があろうが無かろうが関係ない。お前達の間に第三者が入り込んで、そいつが『百目(アルゴス)』を始末するように依頼、或いは脅迫したと考えれば説明はつく。これはお前が挙げた二つ目の根拠とやらにも言える事だ。必死に自分をこき下ろしてたお前の努力を無駄にして悪いがな、『切り裂き屋(リッパー)』。俺はお前を見くびっちゃいない。少なくともお前の能力は侮れない。だから、こんなに人目の多い繁華街でお前を襲った。血のたっぷり詰まった水風船ほどお前の能力から身を守るのに適した盾はないからな」

 

 唇に痛みが走る。

 無意識の内に血が出るほど強く噛み締めていたらしい。

 

 口惜しいが、奴の言う通りだ。

 週末の人出でにぎわう市街地ほど俺が心理的にも、物理的にも能力を振るいづらい場所はない。

 またしても俺の心情を読み取ったのか、『山猫(リンクス)』がニヤリと唇を歪める気配がした。

 

「一対一で闘えば、お前は『百目(アルゴス)』の敵じゃない。それは間違いないだろうよ。しかし、もしお前の依頼人、いやこの場合は相棒(不覚! 思わず心臓が飛び出しそうなほど動揺してしまった!)……そう、相棒って呼び名の方が何故かしっくりくるな。そいつが『百目(アルゴス)』の居場所を探り出して、全てのお膳立てをしたと考えれば話は違ってくる。お前は単に言われたとおりの場所へ行って、何知らない『百目(アルゴス)』をその両手の大砲で撃って来るだけで良かったはずだ。50m……いや、あいつが死んだ日は確か雲ひとつ無い晴れの日だったな。空気もほどよく乾燥していたはずだから、100mか200m。それぐらい離れた場所からお前の力で狙い撃たれたら、どんな『強化人類(イクステンデット)』だってイチコロだ」

 

 俺は『山猫(リンクス)』の言葉に愕然として、しばらく指一本動かせなかった。

 あの日、俺は正に『山猫(リンクス)』が言ったとおりの距離から奴の友人を撃ち殺したのだ。

 

 ちきしょう!

 流石は『百目(アルゴス)』の知り合いだ。

 俺達の能力の長所、短所、特徴全て知り尽くしていやがる!

 

「だ、だけど、それだけじゃあ俺が『百目(アルゴス)』を殺したって言う決定的な証拠にはならないぞ!」

「殺さなかったって言う証拠もないけどな。多分、お前が言いたいのはあれだろ? 最後の『根拠』、『他にもお前と同等以上の出力を持った電磁波系能力者がいるかも知れない』ってやつ。だけどこれも問題ないな。ああ、全然問題にならねえよ。何せ……全員、ぶっ殺せば良いんだからな!」

 

 え? こいつ、今何を言った?

「あいうえお」の発音ははっきりと聞き分ける事ができた。

 あいつが口にしているぞれぞれの「単語」の意味もちゃんと理解できる。

 だけど、それが全部揃って一つの言葉になった時、俺の脳は一瞬その意味を理解する事を拒んだ。

 

「『山猫(リンクス)』? お前、何を……」

「何って、さっきお前が自分で言ったじゃないか? お前の同類はこの日本でたったの十数人。世界中合わせたって百人ぐらいだって。だからさぁ……全員、ぶっ殺しちまえば良いじゃねえか? もともと一人じゃ物足りなかったところだ! あいつの仇を百人も殺せるんだぜ! 最高じゃねえかっ!!」

 

 そして、再び始まる際限のない狂った笑い。

 瞬き一回分の時間、思考が純白の闇に包まれる。

 そしてもう一回瞬きをした時、直感が波となって俺を真実の方向へ押し流した。

 

 なんて事だ!

 ああ、なんて事だ!!

 俺はようやく自分がどんなヘマを犯したかを悟った!

 

山猫(リンクス)』は完全にイカレてやがる!

 

 

 

【私達(EX=Sensitive)は硝子のように脆く、そして一度砕ければ硝子のように周りのものを傷つける】

 

 

華神(フローラ)』が昔俺に言った台詞だ。

 EX=Sensitiveは最強の能力者。

 だが、金剛石がその剛性ゆえ壊れやすいように、EX=Sensitive達の精神は発達しすぎた感覚器官のために容易に外界の刺激を受け、酷く傷つきやすい。

 

 あの二人がどんな関係だったのか不明だが、『山猫(リンクス)』の精神は『百目(アルゴス)』の死のせいでとっくに崩壊していたのだ!

 

 全世界の電磁波系能力者を皆殺しにするのは勿論不可能だ。

 何れ『山猫(リンクス)』は、奴を危険視する仲間達の手で葬られるだろう。

 だが、あの狂った男の言葉が本当ならば、その前に奴の最初の標的になってしまった俺は確実に殺される!!

 

 十三階段の二段飛ばしどころの話じゃない!

 俺はとっくの昔に自分の絞首刑用の縄に首を突っ込んでいたのだ!

 すぐにそれに気付かなかった事こそ俺が犯した最大の失敗だ。

 

 くそっ、助けてくれ、神様!

 こんな時のためにあんたらは存在するんだろ!

 この際、俺の家系がだいだい浄土真宗なのは忘れる事にする!

 デウスでも、

 キリストでも、

 アッラーでも、

 ヤハウェイでも、

 大日如来でも、

 仏だろうが、鬼だろうが、誰でも良いか何とかしてくれ!!

 

 俺は思いつく限りの神に祈った。

 もちろん、返事は何もなかった。

 悪魔に取引を持ちかける根性が無かったので、俺は神頼みをやめる事にした。

 

 分かりきっていた事だ。

 最初から俺が頼るべき神は一柱、いや一人しかいない。

 

華神(フローラ)

 

 今日俺は彼女と初めてのデートに出かける予定だったが……

 今となっちゃ何年も前の話のように思えるな。

 

 だが、この場合デートを中断された事が却って俺にとって有利に働いている面もある。

山猫(リンクス)』に狙われていると解った時に、待ち合わせ場所の噴水のところにメッセージを残しておいたのだ。

 

華神(フローラ)』と同じ能力者でなければそのメッセージに気付く事は出来ない。

 仮に気付いたとしても、『華神(フローラ)』と俺以外にあのメッセージの暗号を解読できるものは存在しない。

 

 ああ、そうだ。

 今、俺にできる事とするべき事は一つ!

華神(フローラ)』が俺のメッセージに気付いて、駆けつけてくれる事を信じて一分、一秒、何とかこの命を繋いでいく事しかない。

 

 何時の間にか、『山猫(リンクス)』の長い笑い声が止んでいた。

 圧し掛かる沈黙の重圧。

 さっきまでの喧騒とのギャップが奴の心が負った傷の深さを伺わせた。

 

 黙っているのは不味いが、下手なことを口にするのも不味そうだ。

 精神の均衡を崩した男がどんな行動に出るのか全く予想がつかない。

 なんとかこの場を凌ごうと俺は無難な話題から会話に入る事にした。

 

「ず、随分と『百目(アルゴス)』にご執心のようだな。一体、あんたらはどう言う関係だったんだ?」

 

 質問の答えは既に予想している。

山猫(リンクス)』がここまで一人の男の敵討ちに血道を上げる理由は一つしかない。

 恐らく、俺と『華神(フローラ)』と同じように『百目(アルゴス)』は奴の……

 

「俺は『百目(アルゴス)』を愛していた……」

「ああ、分かるよ。大事な相棒を無くしたら、誰だって―――えっ、なんだって!?」

 

 俺は慌てて『百目(アルゴス)』の人相に関する記憶をほじくり返した。

 

 髪の毛、白銀に近いアッシュブロンド。染めた形跡は無く、おそらく天然もの。

 ―――よし!

 

 目の色はサングラスのせいで不明。だが、左眼は海賊みたいなアイパッチに覆われていた。

 ―――よし!

 

 体格、かなりの痩身だが俺みたいに貧弱な感じはしない。引き締まった筋肉質の体。

 ―――ちょっと羨ましいが……よし!

 

 顔立ち、はっきり男前。日本人離れした彫りの深い造形。よく手入れされた口ひげがダンディズムを匂わせ……

 ―――って、おい待てよ!!

 

 そうだよな。

 あいつ、確かに髭を生やしていたよな? どうみたって男だったよな?

 それとも最近は女でも顎鬚や口ひげを生やすのがトレンドなのか?

 

「あ、あの、『山猫(リンクス)』? つかぬ事を伺いたいのですが……」

 

 突然思い至った可能性に思わず敬語を使ってしまった。

 しかし、『山猫(リンクス)』の奴はさっきと変わらない平然とした声で俺の言葉を遮った。

 

「ああ、その通りだ。別に隠してきたわけじゃないが。俺は同性愛者(ホモ・セクシャル)だ。そして、俺と『百目(アルゴス)』は愛し合っていた。心の底からな!」

 

 くそ、なんだよ、これは!?

 くそ、神様、何故俺をこんなタチの悪い茶番劇につき合わせるんだ!

 

 物凄く腹を空かした巨大な虎かライオンが目の前にいて、そいつにとんでもなく笑えるジョークを言われたような気分だ。

 ここで笑い出したら破滅なのは分かっているのに、俺の喉はヒステリックな笑い声を上げようと痙攣し続けている。

 

「……最初、あいつの死体を見つけた時、俺は自分の眼が見た事を信じようとはしなかった。次に、目の前にいるひき肉の山が誰か別人のものだって思い込もうとした。だがっ! だが、最後に俺は現実と向き合った。何故なら俺はあいつを愛していたからだ! 何故なら、愛とは受け入れる事だからだ! それがどんなに絶え難いものであろうとな!」

 

 サディストでホモの殺し屋による愛の講義……。

 ちきしょう、止めてくれ!

 俺はもう限界だって言うのに……。

 これじゃあ、拷問と一緒だ!

 

「そう……一度、現実と向き合った後、俺は全てを受け入れる事にした。俺達にとってお互いこそ全てだったからだ」

 

山猫(リンクス)』の声のトーンが突然変わった。

 正気と狂気の狭間で危ういダンスを踊っていた男が突然バランスを崩した感触。

 

 笑いの衝動が物凄い速さで食道を駆け下りていく。

 それは良かったんだが、逆に周りの空気が急速にきな臭さを増していった。

 一端遠ざかった俺と奴の距離が再び縮まり始めた様な気がする。

 金縛りにかかったみたいに強張った足を動かしながら、少しずつ歩き始めた。

 

「俺は『百目(アルゴス)』の死を舐め、味わい、全て飲み干した!」

 

山猫(リンクス)』の絶叫が鞭のように俺を打ちのめす。

 目立たないようにゆっくり歩く気なんて空の果てまで吹っ飛んで消えた。

 周囲の人間を押しのけ、押し分け、全力疾走でその場から逃走しようとする。

 湧き上がる怒声、悲鳴、脅迫の声は全て無視した。

 

 しかし、それでも携帯の通話を切る事は出来なかった。

 俺と『山猫(リンクス)』を繋げる唯一の証。

 もし、この通話が切れたら俺はたった独りで殺し屋の潜む闇の中に放り出される。

 不条理だと分かっているが、それだけは我慢できなかった!!

 

「―――今から俺が味わったものを、死をすべてお前の中に吐き出してやる! 体中の穴という穴から垂れ流すぐらいにな!!」

 

 突然、一方的に、通話が断ち切られた。

 

「おい、『山猫(リンクス)』! おい、『山猫(リンクス)』待ってくれ!」

 

 必死に通話が切れた携帯に呼びかけたが、当然返事は何も帰って来なかった。

 壮絶な激怒を秘めた静寂が耳と心に突き刺さる。

 俺はこの静けさが何を意味するのか知っている!

山猫(リンクス)』は攻撃をする前に必ず一回沈黙するからだ!

 とっさに唇を思いっきり噛み締め、これから味わう感覚に備えて覚悟を決めた。

 

 

 ―――だが、今度の『痛み』はあっさりと俺の覚悟を上回った。

 

 


『主人公に送る死亡フラグ(のようなもの)その3』


 「覚悟の量が違うんだよ」

 「相手がどんな殺人技をしかけてきても俺たちゃ瞬時に覚悟をキメる!!そのダメージに負けないだけの量の覚悟をな

 その量を見誤ると天国行きだ」


by猪狩完至(……死んではいません。でも今のこの人は死んだも同然です(涙))

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ