切り裂き屋の憂鬱な日曜日 ACT2
この作品は作者が舞氏のHP、「ARCADIA」と自分のHP「たわごと御殿」に掲載しているものを再度投稿したものです。残酷かつ暴力的な描写が出てくる場面もありますので、ご注意してください。
「貴方の能力ってまるでメーザー殺獣光線車ね」
初めて俺の能力を説明した時の『華神』の感想がそれだった。
「め、メザシ・・・・・・がなんだって?」
俺は怪訝そうな顔で聞き返した。
その可憐な顔立ちに似合わず、『華神』は結構な特撮&B級SF映画オタクで時々俺には遠い星の言葉にしか聞こえないような不思議な専門用語を口にする。
「メーザー殺獣光線車」
『華神』は特に気を悪くした様子もなく、今度は堅気の俺にも聞き取りやすいようにはっきりゆっくりと先ほどの固有名詞を繰り返した。
「ほら、あの大きな衛星放送のパラボラアンテナのようなものを載せた戦車よ。よく怪獣映画に出てきてゴジラなんかに踏み潰されるヤツ」
今度は俺にも彼女が何の事を言っているのか良く分かった。
名前こそ知らなかったが俺も子供の頃見た怪獣映画の中でそんな感じの戦車が何度も登場していた事を覚えていた。
妙に近未来なデザインをしていて、巨大な主役達の足元を役にも立たないビームを撃ちながら、ちょこちょこ走り回っているのが妙に印象に残っていたものだ。
あの時は『華神』が何故か急に笑い出したので、俺も彼女に合わせて笑ったが、本心は笑い話どころじゃなかった。
怪獣映画の名脇役。逆に言えば決して主役になれない噛ませ犬。
怪獣を殺せない殺獣光線車。
名前倒れの役立たず。
兵器の形をした自己矛盾。
それは落ち毀れの能力者で負け犬人生まっしぐらの俺にはあまりに似合いすぎる例えだった……。
俺達の事を知らない一般人はよく勘違いするが、『強化人類』は決して『超能力者』ではない。
俺達の特殊能力はEX=Geneに強化、或いは特異化された器官によってもたらされる。
人間の身体能力の延長上にあるものではあるが、決して物理法則を超えた存在ではない。
例えば、腕が変異した者は鉄骨を捻じ曲げる腕力を手に入れ、足が変異した者は車を追い越すほどの脚力を身につける。
内臓や感覚器官が変異した時はプラスチック等を食べてエネルギーに変換する能力や弾丸をも見切る動体視力等が芽生える事になる。
俺の場合、両腕を中心にほぼ全身が変異を起こした。
一つ一つが電気ウナギ数百匹に匹敵する発電細胞。
その細胞が生み出した膨大な電力をマイクロウェーブに変換する既存の如何なる生物にも存在しない謎の器官。
それら全てが一体となった俺の能力は正に生体メーザー砲とも呼ぶに相応しい。
久しぶりに外気に曝した両手を握っては開く。
その掌の中心ある昆虫の複眼にも似たメタリックグリーンな物体こそ俺の『光速の刃』の照射口、メーザー殺獣光線車のパラボラアンテナに当たる部分だ。
拳を握り締め、肺一杯に酸素を供給して、全身に電力を蓄える。
セーターを着た恋人に触ろうとした少年が指から蒼い火花を吹いて、悲鳴をあげた。
俺の近くを通りかかった10歳ぐらいの女の子の髪が風もないのにふわりと舞い上がる。
ははは、どうだ!
どんなもんだ、『山猫』!!
能力を使わなくても、俺の体から溢れ出す静電気だけでこの威力だ!
これでもまだフルパワー時の出力の20%にも届いていないんだぞ!
本気を出した時の威力はこの比じゃないからな!
効果範囲を絞って放たれる俺の刃は分子運動を極限まで加速させ、この地球上にある全ての物質をバターみたいに溶断する!
この俺が『切り裂き屋』と呼ばれる由縁だ!!
だからっ!
だから……。
―――頼むから、これにびびってどこかへいなくなってくれ!!
ヘタレと呼んでくれていいよ……。
さっきまで無駄な程高まっていた闘志は手袋を脱ぐと同時にどこか抜けてしまった
俺だって命のやり取りをした事が無いわけじゃない。
人を……この手で殺めた事だって一回や二回じゃない。
しかし、その時は大抵相棒の、『華神』の手引きで相手の後ろから忍び寄って不意討ちをかけるか、圧倒的な射程距離の差を利用して一方的に相手を砲撃して倒すのが主だった。
一対一の勝負で命のやり取りをするのがこんなに恐ろしいとは思わなかった!
しかも、今回は俺が狙撃される側に回っている。
何時殺されるか分からない。
今すぐにでも殺されるかもしれない。
奥歯はさっきから休み無しで16ビートの恐怖のメロディを奏でている。
まだか?
まだ来ないのか?
もうか?
もう来るのか?
1分過ぎても、何も起こらなかった。
2分が過ぎても同じだった。
そのまま3分が過ぎ、5分が過ぎた・・・・・・。
俺が『山猫』が本当に逃げ出したんじゃないかと言う希望的予測を信じかけた頃、
「ギィッ――――!?」
再び激痛が俺を襲った!
しかも、今度は右手の小指っ!!
り、『山猫』の野郎、なんて真似を!?
痛みのあまり変な声が漏れた。
俺の目の前で真っ二つに割れた爪の間から血がにじみ、指の先が見る見る内に青紫色の染まっていく。
昔の針を爪の間に差し込むと言う拷問があったらしいが、俺は今日それに斉しい痛みを自分の体で味わっている。
こ、この痛み、洒落にならん!
確かにこれなら知っている事、知らない事何でも告白してしまいそうだ!
痛みに身をくねらせる俺の耳に、人をさらに深い鬱へと誘う暗いメロディーが響く。
中谷美紀の「砂の果実」。
俺の携帯の着メロだ!
痛み右手を庇いながら、左手をコートのポケットに突っ込んで携帯を取り出し、大急ぎでそれを耳に当てる。
通話ボタンを押すと同時に予想していたとおりの粗野な声が聞こえてきた。
「ははは、どうせお前が何も思い出してないだろうと思ってな! 先にお仕置きしといてやったぜ!」
「な、がぁっ……あんた、何を……」
「ん?何だか不満そうだな。じゃあ、何か思い出したのか?」
―――沈黙。
「まあ、そんなことだろうと思ってたぜ。それにしてもお前も酷い奴だな。こんな街中で能力を使うつもりだったのか。確かお前の能力って掠っただけでも人間を水風船みたいに破裂させるんだろ?」
奴の言葉を適当に聞き流しながら、俺は周囲に視線を走らせた。
俺が手袋を脱いだ事を知り、しかも小指に正確に攻撃を命中させた事から、奴がこの周辺にいる事は間違いない。
そして、俺と話をしていると言う事は、今携帯を使っている奴が『山猫』という事になる。
誰だ?
誰が『山猫』なんだ?
あの如何にも脳みその変わりにマックシェイクが詰まってそうな山姥のコギャルか?
いや、そう言う感じではないな……。
それじゃあ、あの塾帰りの10歳ぐらいの男の子?
声変わりもまだじゃないのか?
なら、あのドレッドヘアのプロレスラーみたいな奴は!?
良い感じだが、あの紫のスーツを着たやくざ風の男も捨て
―――ごがぁ!!
今度は二発ほぼ同時に来た!!
わき腹と内股。悲鳴は何とか堪えたが、体が痛みのあまり変な形に捩れる。
その結果、俺は進行方向からそれて隣りにいる紫色のスーツを来たやくざ風の男にぶつかってしまった!
一瞬、恐ろしい眼光でこちらに向けるやくざ。
しかし、すぐに俺から目を逸らし、その場を立ち去ってしまった。
ふっ、どうやら俺の決死の覚悟を秘めた表情から何かを感じ取ったようだ。
或いは、単に涙と鼻水を垂れ流しながら、変な顔で身を捩る男と関わり合いになりたくなかっただけかもしれないが……。
と、とにかく今は時間を稼がないと。
俺が今も命を繋いでいるのは、『山猫』の奴が鼠をいたぶる猫みたいに俺をなぶって遊んでいるからだ。
奴が本気を出したら、一瞬でけりがついてしまう!
「……『山猫』、後生だ! ヒントを! せめて、俺が何で殺されるのかヒントだけでもくれ!」
鼻水と涙と汗を垂れ流し、相手の靴を舐めんばかりの卑屈な声で懇願する。
命を書けた迫真の演技、これにはお釈迦様だって騙されるだろう!
何せ、半分本気だからな!
「……ヒントか、ヒントねえ」
俺の演技に心打たれたのか、携帯の向こうで『山猫』が何やら思案しながら黙り込んだ。
まさに沈黙は金になり。
千金にも値すべきその時間。
その貴重な時間を俺は全て思索につぎ込んだ。
……如何なる戦闘においてもそうだが、勝敗を分けるものは常に情報だ。
異能者同士の戦いにおいて、最優先すべき課題は敵の能力を知る事!
その意味では、既に広く自分の能力とその特質を知られている俺は戦う前から
圧倒的に不利な立場に立たされていると言って良い。
だからこそ、この絶望的な戦況を覆すためには、一刻も早く『山猫』の能力の正体を探る必要があった。
研究者達によれば、俺達『強化人類』の能力は大まかに三つの種類に分類する事ができるらしい。
一つは筋肉や骨を強化され、超人的な運動能力を手に入れた『EX=Physical』。
もう一つは内臓を強化され、様々な化学物質を合成する生体化学工場『EX=Chemical』。
そして最後に脳や感覚器を強化され、現存のレーダーやソナーを遥かに上回る生体センサーとなった『EX=Sensitive』。
一人に芽生える能力は一つだけ。
『EX=Physical』が『EX=Sensitive』を兼ねる事は基本的にあり得ない。
これは大幅な肉体の変異が人間の生命活動に支障が及ぼす恐れがあるからとされている。
EX=Geneを発症させて、人の道を踏み外した新参者がこの情報を耳にした後に良く口にする質問がある。
すなわち、この三種の能力者を戦わせたら、誰が一番強いのか?と。
実戦を経験していないものは大抵『EX=Physical』が一番強力な能力者なのだと推測する。
もしそうなら、曲りなりにも『EX=Physical』に属する俺は大喜びしていた事だろう。
だが、残念ながらそうじゃない。
実戦はそうじゃないんだ。
俺が潜伏期間を終えて発症してから、はや2年の時間が過ぎた。
その間、否応無しに経験する事になった無数の戦いがその問いに対する答えを俺に教えてくれた。
そう、天然石を素手で砕き、時速100kmで駆ける『EX=Physical』ではなく、
ありとあらゆる毒物や薬品、果てはナパームジェルまでも体内で合成できる『EX= Chemical』でもなく、
敵味方を瞬時に識別し、常に敵の一歩先を行き、戦いのイニシアチブを掌握する『EX=Sensitive』、彼らこそが最強の能力者なのだ!
考えてみればこれは別に不自然な事ではない。
人間が元々、頭脳を発達させる事によって自然界で抜きん出た競争力を獲得した生き物。
一番強力な素質を更に補完、発展させた『EX=Sensitive』が弱いわけがないのだ。
それに中世暗黒時代ならいざ知らず、現在では『EX=Physical』や『EX=Chemical』の能力はほとんど科学設備などで代用する事が可能だ。
特に俺の能力なんて銃が一丁あれば事足りる。
撃鉄を起こし、狙いを絞り、引き金を引き、鉛弾を送り込む。
実にシンプル、実にスマート。
無駄な破壊力なんて必要ない。
人を殺すには八グラムの金属の塊が一個あれば事足りるのだ。
……以上の条件を『山猫』の例に当て嵌めてみよう。
さっきから俺を悶絶させている謎の間接攻撃。
これは一見『EX=Physical』の能力のように見えるが、しかし隠し武器のようなもので代用する事も可能だ。
もともと『山猫』は傭兵。暗器の取り扱いに関する技術や知識には事欠かないだろう。
それよりもこの群衆の中で全く他の人間当てずに、俺の小指に攻撃を当てた命中率の高さを見ると『EX=Sensitive』の能力者である可能性が遥かに高い。
最悪のケースとして、二系統以上の能力者がチームを組んで俺の命を狙っている可能性もあるが、俺と『山猫』の実力差や奴が攻撃をする前に必ず一回沈黙しているところを見るとその可能性は低い。
しかし、『山猫』が『EX=Sensitive』系の能力者で、単独で襲撃しに来たと仮定しても、俺が相当不味い状況に置かれている事には変わりない。
身を隠すために俺が飛び込んだ町の雑踏が奴にとっての壁にもカモフラージュにもなり得るからだ。
一刻も早く奴の居場所を探り出さなければならない。
だが、今のままでは情報が少なすぎる。
何とか奴からもっと情報を引き出さないと……。
まるで、俺の気持ちを読んだように携帯の向こうから声が響いてきた。
いや、奴が『EX=Sensitive』なら本当に俺の感情を読み取ったのかもしれない。
とにかく、俺は周囲に『山猫』らしい人影がないか目を走らせながら、奴の声に耳を傾けた。
「……『切り裂き屋』、さっきお前が言った事を考えてみた。確かにこのままお前を殺すのは簡単だ。だが、お前が何も知らずに死んだのでは俺の気がすまない。それに人違いでうっかり無関係の人間を殺しても寝覚めが悪いしな!」
嘘つきの人殺しめがっ!
携帯越しに聞こえる声から罪悪感など微塵も感じられない。
|『EX=Sensitive』《じごくみみ》じゃなくてもその程度の事は分かる。
「『切り裂き屋』、『百目』と言うコードネームに聞き覚えがないか?」
殺し屋が口にした名前が耳から飛び込んだ途端、頭が真っ白に染まり、呼吸までも止まったかと思った。
よりによって『百目』だとっ!!
平行線を辿っていた俺と『山猫』の過去がその名前を接点に急速に接近した。
聞こえ覚えがあるなんて物じゃない。
俺がついこの前『華神』と組んで抹殺した男の名前こそ『百目』だったのだ。
「あ、『百目』だって?確か有名な傭兵だったな。あんたと同じ。それから俺と同じような能力を持っていたような……」
上の空で『山猫』との通話に応じながら俺は『百目』に関する記憶の引出しを片っ端から開けてはひっくり返した。
『百目』、腕利きの傭兵。
戦場で失った左の眼球をEX=Geneで再生させ、俺と同じ電磁波放射の力を手に入れた男。
波長を変えることによって、電波、光、X線、ガンマ線等あらゆる電波を変異した左眼から放出することができた。
変異した細胞が少ないから出力では大きく俺に劣るが、応用範囲は比べ物にならないほど広い……。
名前は言葉を呼び起こし、言葉は記憶を喚起する。
俺の脳裏に、かつて『百目』と関わった記憶がフラッシュバックとなって鮮明に蘇った。
*****
切っ掛けは一人の老人が日本の大地を踏もうとした事から始まった。
老人の名前、出身国、来日の目的に至るまで、全ては最後まで謎のベールに覆い隠されていた。
ただ一つ明らかだった事は、彼に大きな力を持った敵が存在していた事。
そして、その敵にとって老人はかなり高額な報酬を要求する暗殺者を雇っても排除したいと思うほど目障りな存在だった事だけだ。
その高級取りな暗殺者こそ『百目』だった。
この依頼を受けるに当たって『百目』がどの程度の報酬を受け取ったのかは分からない。
しかし、その後の仕事から見るに俺の会社の給料なんて紙っペらに思えるほどの金額だった事は間違いない。
60台半ばの年寄り一人を始末するために奴が用意した爆弾の数、実に50個以上。
その内の一つは老人の親族である7歳の少年の体内に仕掛けられていたという。
胸糞の悪くなる話だが、傭兵の仕事に日常の倫理観を持ち出してもしょうがない。
とにかく、『百目』が高性能爆薬を以って描いた図面は高額の報酬に見合う完璧なものだった。
ただ一つ、老人側が通常のSP以外に秘密裏に日本でも有数の『EX=Sensitive』、『華神』に護衛を依頼してきたことを除いては……。
老人の依頼を受け取った『華神』はすぐさま現場に急行し、自分の能力をフルに生かして調査に乗り出した。
彼女から連絡を受けた俺が到着する前に『華神』は50個の爆弾のほぼ全てを発見し、さらにその過程で爆弾を作った人間の身長、体重、大まかな外見までも探り出し、とうとうそこから暗殺者の正体が『百目』である事まで突き止めてしまった。
しかし、この時点ではまだ爆弾を全て解除するわけにはいかなかった。
俺達の存在に気付かれて『百目』に逃げられたら、イタチゴッコに陥る可能性があったからだ。
暗殺は防ぐ方が仕掛けるよりも遥かに難しい。
一度情報的に優位に立ったのならば、それを手放すことは決して出来ない。
『華神』は老人の替え玉を用意し、『百目』の計画を逆手にとって、彼を誘い出し返り討ちにする計画を立てた。
俺は『百目』を殺さずに生け捕りにするように進言してみたが、あっけなく却下された。
『百目』が爆弾全てに自分が放つ特別な周波数の電磁波に反応して爆発する仕掛けを付けていたからだ。
自分にも発見できなかった爆弾がまだ存在している可能性があり、敵に半端な情けをかければそれらの爆弾(特に奴が老人の親族にしかけたようなもの)を盾に取られてこちらが脅迫される可能性がある、と言うのが『華神』の言い分だった。
それに爆弾がなくても、『百目』はそのガンマ線の視線だけで人間の体の中にがん細胞を芽生えさせる事ができる。
特に免疫力の弱い老人などが長時間奴の発する放射線に被曝すれば、命に関わる可能性が極めて高い。
誰一人犠牲者を出さずに『百目』を止める最善策は、強い電磁波耐性を持ち、奴を上回る破壊力と射程距離を兼ね備えた能力者による遠距離狙撃だった。
『華神』に強い恩義を感じていた俺は釈然としないものを感じながら、最後まで彼女のプランに反論する事は出来なかった。
俺を説き伏せた後も『華神』は精力的に働きつづけた。
彼女は徹夜で必要な人材と基材を手に入るだけ手配し、予想される『百目』の出現場所と逃走ルートを洗い出し、要所要所に手駒を配置して暗殺者の襲撃に備えた。
その間、俺は邪魔にならないように部屋の隅にじっと座っている事しか出来なかった。
『EX=Physical』に対する『EX=Sensitive』の圧倒的な優位を見せ付けられると同時に、この時ほど自分が火力以外彼女にとって要らない存在なのだと落ち込んだ事はなかった。
それから12時間後、件の老人が日本の国土を踏むと同時に静かな戦いの火蓋が切って落とされた。
暗殺者とボディガード、本物の命をチップに二人のプロフェッショナルの間でやり取りされた複雑なゲーム。
その碁盤の上で俺と言う駒が果たした役割は恥ずかしいほど小さく簡単なものだった。
『華神』とその仲間達が苦労して見つけ、命がけでマーカーをくっ付けた一人の男を見つけ出し、追跡し、狙撃して殺す。ただそれだけ……。
それでも責任感は重く背に圧し掛かり、プレッシャーは冷たく俺の内臓を掴む。
俺が失敗すれば、罪がないかどうかはわからないが、一つ以上の命が確実に失われるのだ。
緊張をしない方がどうかしている。
だが、俺の心配をあざ笑うように獲物は思ったよりも遥かに簡単に見つかった。
俺は双眼鏡の向こうに、雑居ビルの上に立つ獲物を見つけ出したのだ。
現実の鉄火場には激しいアクションを準備してくれる振付師もいないし、華々しい台詞を書いてくれる脚本家もいない。
衣装係や大道具係など夢のまた夢だ。
本当の戦いはいつも残酷なほど静かで、醜いほど淡々としていて、底冷えするほどあっけない。
当事者である俺達がどんな思いを抱こうが、今までどんな人生を歩いて来ようが全く関係はない。
一度戦いが始まれば、それから先は瞬き一回分の時間の奪い合いとなる。
一瞬……
双眼鏡で奴を仰ぎ見る。体内で発電細胞を起動。磁気に敏感な鳥達が驚いて一斉に飛び立った。
一瞬……
『百目』がこちらの存在に気付く。極端に勘が良いのか、それとも同類の勘か?
一瞬……
双眼鏡を片手で支えながらもう片方の掌を奴に向ける。体内に溜まった過剰な電力、開放を夢見てのた打ち回り。
一瞬……
『百目』の瞳を過ぎる怪訝、想起、驚愕、理解の光。動揺した精神が交渉、逃亡、闘争の選択肢の間で揺れ、
一瞬……
血に餓えた破壊の波を解き放つ、照準は腰から上、
一瞬……
決断を下し、逃亡を選択、だが時既に遅く……
双眼鏡のレンズの中で逃げようと身を翻した『百目』が雷に打たれたように身を強張らせた。
その上半身が一気に倍近く膨れ上がった。
血管が目に見えるほどはっきりと皮膚の下から浮き上がり、沸騰する血で満たされた眼窩の中で眼球がぐつぐつと奇怪な舞踏を踊る。
そこまで見たところで、俺は瞼を閉じて目を逸らした。
遠く離れたところで、大きな水風船が破裂したような音が響いた。
しばらくした後、俺が天を仰いで重たい瞼を開けた時、眩暈がするほど青い空を背景に白い鳥の群が飛び去るのが見えた。
*****
世界が一気に現実感を失った。
まるで夢の中の出来事みたいに全てが頼りない。
さっきまであれほど悩まされていた指先の痛みすら遠く感じる。
そのくせ体の中の感覚は妙に敏感で、呼吸をする度に自分の息の音や心臓の音ががんがん頭蓋骨に木霊する。
人を殺した記憶はいやなものだ。
増してや最近、殺したばかりの人間の記憶たるや最悪だ。
しかし、俺がここまで動揺しているのはきっと今から自分を殺すと宣言している暗殺者にその事実を突きつけられたせいだろう。
俺は必死に乱れた自分をかき集めようとした。
だが、『山猫』はまるでこちらの心理を見透かしたように、言葉を俺の耳に滑り込ませた。
「大サービスだ。『切り裂き屋』。自分が何をしたか思い出したか?」
ここで
「はい」と答えたら、営業職失格だ。
今までの会話からして、『山猫』は『百目』殺害の下手人が俺だとまだ特定できていない……はずだ。
「『百目』をあんな風にしやがって! これで俺が貴様を殺す理由も納得できただろ?」
やっぱり!
もし確信があるなら、こんな回りくどい方法で俺を痛めつける必要はないし、わざわざ『百目』の名前を出して誘導尋問する必要もない。
だが、黙っているのも不味い。
『山猫』に無言の肯定だと受け止められる恐れがあるからだ。
何か喋らなくてはいけない。
何とかして『山猫』からできるだけ情報を引き出し、時間を稼がなくてはいけない。
今、俺は公開処刑場のど真ん中に立っているのだ。
話もできないほど、怯えたり、動揺している余裕はないんだぞ!
ぐっと奥歯をかみ締め、瞼を瞑る。
目に流れ込んだ脂汗が涙と一緒に押し出されて頬を伝う。
消えろ、蒼い空!
消えろ、白い鳥!
消えろ、俺の罪悪感!!
後で良い。
後で良いのだ。
後悔に体を捩るのも。
憐憫に身を浸すのも。
今はただ持てる力の全てをかき集めろ!
死ぬ気でこの一瞬を奪い取る術を考えるんだ!!
頭に蘇るのはついこの間受けた『営業研修』。
あの時聞いた講義とその後に続いたロールプレイングの内容を思い出せ。
部屋の照明で禿げ頭を光らせながら講師は自信満々に語った営業トークの真髄の数々。
あんな禿げオヤジに営業の真髄が語れるなら、まだ禿げきってないこの俺に『山猫』を煙に巻けないはずがない!
砂粒のような勇気をかき集め、なるべく動揺を悟られないように気をつけながら、口を開く。
―――Lesson1、お客様の言葉を完全に否定してはいけない!
「な、なるほど、『山猫』。サービスをありがとう。あんたの言いたい事は良く分かったよ」
「ほう……」
―――Lesson2、誠意を以って、冷静かつ論理的に相手のクレームの根拠を突き止めよ!
「しかし、俺は『百目』の事は名前ぐらいしか聞いた事がない。あんたは何を根拠に俺が彼を殺したと言うんだい?」
「ふむ……」
よし、掴みは悪くない……様な気がするぞ。
次はLesson3―――
だが、俺が口を開くよりも早く、
「山猫」が口を挟んできた。
「根拠ねえ。根拠なら色々あるぜ。例えば―――」
苦笑いをしているような気だるげな声。
ゆったりと床に身を横たえている大きな猫のイメージが頭に浮かぶ。
だが次の瞬間、猫が獅子に変わったかと思うほどの圧迫感が俺を襲う。
牙のように鋭い殺気が後頭部に突き刺さり、
「例えばだ。俺は『百目』具体的にどうなったのか一言も言ってなかったよな?なのに
……お前なんであいつが死んだって知ってるんだ?」
なけなしの勇気が砂の城のように崩れていく。
俺は墓穴を掘ったようだ。
それも二人は入るほどのでっかい奴を……
『主人公に送る死亡フラグシリーズその2』
「ああ、ウソだぜ。だが、マヌケはみつかったようだな」
by承太郎(香港の港でオヤジの活け作りを作る前に)




