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射手座の矢 ACT6

この作品は作者が舞氏のHP、「ARCADIA」と自分のHP「たわごと御殿」に掲載しているものを再度投稿したものです。

 彼女の意識を奪ったのは痛みだった。

 彼女を目覚めさせたのもまた痛みであった。

 

 闇の彼方に輝く苦痛を意識した時、心身は急速に覚醒へと浮上する。

 唐突に何もかも思い出した。

 

 そうだ!

 私は敵に心臓を打たれ、意識を失ったんだ!

 

 慌てて胸の辺りをまさぐり、ほっと息を吐く。

 手の平の下に小振りだけど柔らかな乳房を感じた。

 その下で彼女の心臓が確かな鼓動を刻んでいる。

 

 目だった外傷も出血もない。

 どうやら自分は命びろいしたようだ。

 しかし、それならばあの時感じた激痛と衝撃は何だったのか?

 

 痛みの在処を求めて、指を胸から下へ滑らせる。

 そして、彼女は初めて自分が撃たれた時何が起きたのかを察した。

 

 脇腹から生えている三本の副腕。

 その内二本がへし折れ、一本が千切れかけていた。

 恐らく、あの時彼女は相棒を撃たれた恐怖から無意識の内に心臓を副腕で庇ったのだろう。

 その結果、腕を折られ、心臓に受けた衝撃で意識を失ったが、間一髪、死の指をすり抜ける事に成功したのだ。

 

 横になって呼吸を整える。

 砂嵐のように乱れていた視界が少しずつはっきりしていた。

 そして、回復した視力で彼女が始めて見たものは『蛇神(ヴリドラ)』の死に顔だった。

 

蛇神(ヴリドラ)』の胸には手首が通りそうなほど大きな穴が開いていた。

 細い血の川が一筋青ざめた唇から流れ落ちている。

 目は驚愕のために見開かれ、まるで自分の死因を問うようにこちらを見つめていた。

 

 その顔を見た瞬間、凄まじい恐怖に襲われた。

 今まで射殺死体を見た事がないわけじゃない。

 自分の手でも二桁を超える人間たちを撃ち殺してきた。

 

 それでも彼女は『蛇神(ヴリドラ)』の死に顔が恐ろしくて仕方がなかった。

 恐怖は、冷や水のように心を打ち据え、まだまどろんでいた意識を一気に覚醒させる。

 そして、急に自分を取り囲む膨大なざわめきに気付いた。

 ざわめきの正体はヘッドフォンから聞こえる無数の声だった。

 その声に耳を傾けた瞬間、

 

 

雷撃(サンダーストライク)』は自分が戦場という名の地獄にいる事に気がついた。

 

 

『こちらCチーム!至急応援を乞う! 応援をがっ―――『C-03!! ちくしょう、あの悪魔め一発の弾丸で三人を殺しやがった!』『しっかりしろ、B-02! ジョニー、傷は浅いぞ!』『うう、くそ! 腐った卵を服につけたまま死にたくねえ』『救急隊早く来てくれ! 相棒が燃えた車の中に閉じ込められているんだ! 救急隊ぃっ!』

 

 至る所に悲鳴が溢れていた。

 傷を受けた者、苦痛に呻く者、そして死に行く者。

 圧倒的な恐怖と無力感に満ちた声が津波のように彼女を取り囲む。

 押し寄せる犠牲者たちの感情に溺れて呼吸もままならない。

 混乱の余り、彼女はその場から一歩も動けなくなった。

 だが―――

 

『ヘリだ! ヘリで奴の頭上を取って射撃しろ!』

 

 突然聞こえたアームストロングの言葉が彼女を正気に戻した。

 慌ててヘッドフォンに付いたマイクに向かって叫んだ。

 

「ベース・ワン! 急いでヘリを引き返しなさい! 皆、死ぬわよ!」

『なっ、何、EX-00っ? 生きていたのか!?』

 

 当惑したアームストロングが聞き返す。

 彼の質問を無視して『雷撃(サンダーストライク)』が言った。

 

「『蛇神(ヴリドラ)』が敵に撃ち殺された。あそこにいるのは多分、私の同類。それも最強のEX=Sensitiveだ! 早くヘリを退却させないと……」

 

 その時、断末魔のような破砕音が大気を震わせた。

雷撃(サンダーストライク)』は顔を上げ……。

 そして自分の忠告が手遅れに終わった事を知った。

 

『ああ、神よ! あの悪魔がヘリを撃ち落としたぞ!』

 

 アームストロングの悲鳴をヘリのローター音がかき消した。

 黒い煙の筋を引きながら、戦闘ヘリが市街地に落ちて行く。

 鋼の巨体が建物の影に姿を消したかと思うと、鼓膜が破れそうな轟音と共に真っ赤な火柱が天を突いた。

 

『退け! 退け! 退却して一端体勢を立て直すんだ!』

 

 アームストロングが大声で喚いていた。

 まるで女みたいに甲高い声。

 だが、その声が萎えかけていた彼女の闘志に火を付けた。

 

『あれ』に背を向けろだって?

 冗談じゃない!

 そんな事をするのは死神に魂を預けるようなものだ。

 十分と経たずに死体の山ができ上がる。

 

 むしろ敵が警官隊の迎撃に集中して、自分の事を忘れている今こそ絶好のチャンス!

 犠牲者を最小限に止めるためにはこの隙を突いて奴を仕留めるより他にない。

 

 一度決断を下せば、『雷撃(サンダーストライク)』の動きは迅速を極める。

 もはや雑音を垂れ流すただの邪魔物となったヘッドフォンを投げ捨てた。

 身を投げ出すように伏射体勢を取り、生体レールガンの銃身を砂袋の上に置く。

 スコープを通して建設現場の深淵を覗き込み―――


 

 深淵もまた彼女を覗き返した。

 


 敵の殺意が真っ赤に焼けた針金のように脳に突き刺さる。

 なんという化け物じみた直感っ!

 奴はすでにこちらの意図に気付いている!

 もう不意打ちは通用しない。

 しかし、今さら逃げる事もできなかった。

 

 僅か一秒の十分の一の時間。

 脇腹の激痛や周りに溢れる雑音、仲間を撃たれた怒りやその怒りの陰に潜む恐怖。

 そんな狙撃に不要な雑音を彼女の『魔法』が光年の彼方に吹き飛ばす。

 十全たる集中と万全なるコンディションの元に『雷撃(サンダーストライク)』は弾丸を解き放ち―――

 

 

 ―――そして、彼女は十一年振りに的を撃ち損じた。

 

 

 一瞬何が起きたのか分からなかった。

 自分は完璧なタイミングで弾を放った。

 ―――それは間違いない。

 ほぼ同時に彼方の空で大きな火花が弾けた。

 ―――それはわかっている。

 スコープの敵影は依然としてこちらに銃口を向けている。

 ―――不本意だが、それも受け入れよう。

 

 だが、あの瞬間に何が起きたのか……。

 本能はそれを理解した。

 しかし、理性は受け入れる事を拒否した。

 

 そんな事が起きるわけがない!

 自分の心に生じた不安を振り払うように再度、超々音速の弾丸を解き放つ。

 そして、さっきと全く同じ事が起きた。

 

 射線の彼方に咲く火花。

 焼け焦げるような金属音。

 鉄骨の間で微動だにしない敵の影……。

 

 有りのままの事実が毒のように脳を犯す。

 遥か遠くに追いやったはずの恐怖がじわじわと手足を浸食するのを感じた。

 

 ああ、なんてことっ!

 敵は私の弾を撃ち落としているんだっ!!

 

 頭の中に封印した記憶の中から、怯えた少女が蘇って叫んだ。

 あいつは私をなぶり殺すつもりなんだ!

 冷静な狙撃手が即座にその考えを否定した。

 いや、それは違う!

 

 追い詰められているのは自分だけじゃない。

 警官隊に包囲されているあの敵だって十分危険な状態にあるはず。

 なのに弾丸を撃ち落とすために無駄弾を使い続けている理由はなんだ?

 ふいに一つの答えが頭の中に浮かび上がる。

 

 まさか……?

 まさか、そんな馬鹿な!

 

 しかし、それならば全ての辻褄が合う。

 先ほど無線のやり取りの中に大統領の安否に関するものはなかった。

 あいつは警官隊に包囲される前に逃げられたのに、逃げなかった。

 まるで私が目を覚ますのを待っていたみたいに……。

 

 やはり、そう!

 敵の目的は大統領じゃない!

 私だ!

 あいつは私との勝負を望んでいるんだ!

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 まさか、こんな事になるとはな……。

 

 狙撃手がお互いの命を奪うために放った弾丸が空中で激突する。

 しかも、それが一回きりの偶然にではなく、二回も起きた。

 三回目も多分同じ結果に終わるだろうと言う確信があった。

 こんな馬鹿げた現象は、生涯の大半を戦場で過ごし、一億発近い弾を撃ってきた『射手座(サジタリウス)』ですら目にした事はなかった。

 

 しかし、『射手座(サジタリウス)』は目の前の出来事に驚嘆よりも失望を覚えていた。

 彼女と自分の因縁を思えば、この程度の奇跡が起きたとしても何の不思議もない。

 むしろ、戦況が膠着状態に陥った事のほうが彼にとって問題だった。

 このままでは、人生を賭けた勝負がただの退屈な狩りに成り下ってしまう。

 

 狙撃手同士の殺し合いは普通の狙撃よりも遥かに心身を消耗する。

 例えるなら、自分の血肉を弾丸に変えて撃ち合っているようなものだ。

雷撃(サンダーストライク)』の集中力と精神力なら恐らく後三発、多くとも後四発。

 間もなくあの子は限界に達し、魔術のような射撃の精度を維持できなくなる。

 

 一方、『射手座(サジタリウス)』にはそんな恐れは全くなかった。

 EX=Geneが彼に与えた能力は、『絶対身体統制』。

 六十兆の細胞を完全に支配するこの能力をもって彼は全身に転移した癌細胞を消滅させ、老いた体に若い活力を呼び戻した。

 そして、生涯一発撃てるかどうかというベストショットを何度でも繰り返す事ができるようになった。

 まるで、機械のように正確に。

 いや、機械よりも遥かに正確にっ!

 

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 

 三度、虚空に赤い火花が散る。

 一見今までと同じ事が起きたように見えた。

 しかし―――

 

「近いっ!!」

 

 押さえていた悲鳴をついに口にしてしまった。

 今回の火花はさっきの二発よりも遥かに彼女に近い距離で花開いた。

 

 敵の弾速が彼女よりも速いはずがない。

 とすれば、均衡が崩れつつある原因は一つしか考えられなかった。

 敵が速くなったのではない。自分が遅くなったのだ!

 

 今、『雷撃(サンダーストライク)』は『蛇神(ヴリドラ)』の死に顔を見た時に感じた恐怖の正体を悟った。

 ケイロンから教えを受けた時以来、彼女は無敵の存在だった。

雷撃(サンダーストライク)』にとって戦闘とはスコープの中の獲物を射殺す狩りでしかなかった。

 しかし、今日彼女は始めて自分を越える狩人に出会った!

 自分もまた狩りの獲物に過ぎないという認識はとてつもない重圧となって彼女にのし掛かった。

 

 恐怖と苛立ちに呼吸が荒くなる。

 目に入った汗のせいで、視界がぶれる。

 左手に宿るレールガンが急に重たくなった。

 これじゃ、まるで自分の体の一部じゃないみたい。

 叔父が死んだあの時みたいに、魔法が自分から逃げていくのを感じた。

 

 それでも、考えつづけるのをやめる事は出来なかった。

 敵が何故ここまで自分に執着するのか、その理由を知りたかった。

 あの怪物じみた狙撃手の正体を知らないうちは死んでも死にきれないと思った。

 

 今なら分かる。

 あいつは自分のレールガンに対抗するためにボルジャーノンの銃を奪った。

 しかし、どうやってボルジャーノンと彼の銃の事を知ったのだろう?

 この国で、『雷撃(サンダーストライク)』とボルジャーノンの事を知っていた人間は三種類しかいない。

 シークレットサービスと『蛇神(ヴリドラ)』と『雷撃(サンダーストライク)』自身だ。

 

雷撃(サンダーストライク)』はここにいて。

蛇神(ヴリドラ)』も、ボルジャーノンも既に死んだ。

 ならば、敵はシークレットサービスの中にいるのか?

 

 ……違う。

 愕然としながら、彼女は悟った。

 選択肢は三つじゃなくて四つだ!

 もう一人容疑者がいたのだ!

 

 膨大な思考を捌きながら、新しい弾丸を発射する。

 しかも、今度は二連射だ。

 とても二マイル先の精密狙撃などできる状態じゃないが、問題はない。

 

 彼女が狙ったのは遠方の敵でも、その敵が撃った弾でもない。

 自分自身の弾丸だった!!

 発射時の初速を自由に変えられる生体レールガンの真骨頂!

 最初に発射した弾丸を、次の弾丸が追いつき、食いつき、そして破壊する!

 

雷撃(サンダーストライク)』の前方の空間に放射状に金属の破片がばら撒かれた。

 狙撃とは、距離が遠くなればなるほど、些細な空気抵抗や障害物の影響を受ける。

雷撃(サンダーストライク)』がばら撒いた弾丸の破片は分厚い鋼の板に匹敵する防壁となって彼女の身を守った。

 

 敵の弾は破片の壁にぶつかり、大きくベクトルを狂わされた。

 弾は彼女の正中線に命中する代わりに、耳もとに恨みがましい唸り声を残しながら、背後の空に姿を消した。

 機転を利かせたおかげで、辛うじて生き延びる事に成功した。

 ほっと息をつきかけたその瞬間―――。

 

 突然、右の視界が真っ黒に染まった。

 一瞬、顔を半分吹き飛ばされたのかと思った。

 弾丸が外れても、なお凄まじい威力を持つ衝撃波が『雷撃(サンダーストライク)』の横顔を打ちのめしたのだ。

 振動波が激しく脳を揺さぶり、彼女の右半身の感覚を一時的に奪い去った。

 

 右半身の感覚がない状態で安定した狙撃は絶対に不可能。

 このままでは敵の弾丸を一方的に受けて―――アウト。

 変異した左手で体を庇えば、弾丸一発だけ延命する事は可能だ。

 しかし、弾を受ければその衝撃で床に倒れ、反撃できないまま―――やはりアウト。

 

 完全な王手(チェックメイト)だった。

 どうしようもない行き詰まりだった。

 だが、極限状態にあって『雷撃(サンダーストライク)』の頭脳もまた限界まで活動していた。

 走馬灯のように記憶がフラッシュバックする。

 

 山奥にぽつんと立つ山荘。

 暖かな明りと温かなもてなし。

 握手を求めるために差し出された手。

 その手は……。

 ああ、その手はっ!!

 

 記憶のカサブタが剥がれ、心が目に見えない血を流した。

 声にならない声で彼女は絶叫した。

 

 

 彼は知っていた!

 私が左利きだと言う事を知っていたんだっ!!!

 

 

 その瞬間、『雷撃(サンダーストライク)』は右腕を支える優しい老いた手の感触を感じ―――

 

 

 

 ―――そして、一発の弾丸が容赦なく彼女を床に打ち倒した。


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