射手座の矢 ACT5
この作品は作者が舞氏のHP、「ARCADIA」と自分のHP「たわごと御殿」に掲載しているものを再度投稿したものです。
主は言われた。
「カインよ。お前は、何ということをしたのか。
お前の弟アベルの血が土の中からわたしに向かって叫んでいる。
今、お前は呪われる者となった。
お前が流した弟の血を、口を開けて飲み込んだ土よりもなお、呪われる。
土を耕しても、土はもはやお前のために作物を産み出すことはない。
お前は地上をさまよい、さすらう者となる。」
(旧約聖書、創世紀四章)
◆ ◆ ◆
運転していたピックアップトラックの前輪が、突然撃ち抜かれた時もアレクサンドル・T・ボルジャーノンは少しも取り乱す事はなかった。
それどころか、ハンドルとシートを通して伝わる微かな振動から弾道を推測し、着弾の衝撃と銃声の時間差から敵の銃の初速を計る余裕すらあった。
そして、神と狙撃手のみが知る天啓により襲撃者が自分の後方千四百ヤード(約千三百メートル)の距離にいる事を悟った。
誰が、何故、自分の命を狙っているのか?
そんな質問など頭に浮かびすらしない。
あまりに多くを殺し、あまりに多くの人間が彼を殺そうとした。
そのため、ボルジャーノンはもはや命を狙われる事に何の感慨も頂いていなかった。
疑わしきは殺す。
怪しい奴も殺す。
目の前に立ち塞がるものはとにかく殺す。
動機など相手が死体になってから調べれば良い。
それが数多の死線をくぐり抜けて来たマン・ハンターの哲学であった。
緊急ブレーキを引き、勢いよくハンドルを右に回す。
敵に対して腹を見せるようにトラックを急停車させた。
助手席に置いてあったプラスチックのケースを掴んで左のドアから飛び出し、トラックの影に隠れる。
これで敵の銃弾に対する盾ができた。
並のライフルや弾丸では頑丈な車体を貫通して彼に致命傷を与える事はできない。
地球上でそれを可能にする銃はたった一つ。
そして、その銃は今ボルジャーノン自身の手にあった!
プラスチックケースを開け、中に入っている武器を取り出し、組み立てる。
それは、恐ろしく醜いライフルだった。
そして、醜悪な外観の中に不思議な魅力を内包した銃だった。
バレルは長く、太く、銃身と言うよりは水道管のように見える。
巨大な銃身の上を血管か神経のようなケーブルがうねうねと這い回り、その先にはビア樽に良く似た小型高性能発電機が接続されていた。
銃の名は対強人用狙撃銃『AT-EXF-02』。
化学装薬と電磁バレルを併用し、十二・七ミリ弾を超々音速で発射する複合レールガン。
五十口径ライフルですら重傷を与える事が難しいミドルクラス以上の『強化人類』を倒すために開発された狙撃銃でありながら、それ自身極東に住むある『強化人類』をモデルに作られたという複雑な来歴を持つ武器であった。
だが、そんな長たらしい能書きなどボルジャーノンにとってはどうでも良い事だった。
彼がこの武器を選んだ理由はたった二つ。
こいつが地球上にあるどんな銃よりも遠くまで弾を飛ばし、おおよそあらゆる物質を貫通できるからだ。
木の後ろに隠れたら木を穿ち。
岩の後ろに隠れたら岩を砕き。
防弾ジャケットを着たボディガードが立ち塞がったならばもろとも一発両断!
この醜悪なライフルから身を隠せる場所などありはしない。
高性能スコープで襲撃者の姿を捉えた時、ボルジャーノンは目を見張った。
敵は姿を隠そうとすらしなかった。
両の足で荒涼たる大地に立ち、彼の銃口の前に堂々と全身を晒している。
ボルジャーノンの左目の端が三ミリつり上がり、右の口の端が二ミリ歪む。
それが鮫の心を持って生まれた男が示せる最大限の怒りと賞賛、喜びと欲望の証しであった。
果たし合いがお望みか、カウボーイ?
ならば胸を張って地獄に墜ちろっ!
無骨な指が驚くべき優しさと繊細さをもって怪銃の引き金を絞る。
瞬間、落雷のような反動がボルジャーノンの肩で弾けた。
必中の牙が音速を遥かに超える速度で放たれたのだ。
しかし、血に飢えた弾丸が獲物の血や臓物を味わう事はなかった。
引き金を引いた瞬間、スコープの中の人影が大きく横へ跳躍した。
弾丸は誰もいない空間を貫き、空しく地平線の彼方に姿を消した。
ボルジャーノンが微かに顔をしかめる。
初弾で仕留められない獲物は久し振りだ。
獲物のあまりに軽やかな動きに一瞬信じがたい考えが頭を過ぎる。
まさか……奴は弾丸を予測して避けたのか?
如何に超々音速を誇る弾丸といえども、千四百ヤードの距離を超えて標的に到達するためには最低でも一秒弱の時間を要する。
その間に銃口の向きから弾道を、ボルジャーノンの指の動きから発射のタイミングを割り出して弾丸を避ける事は物理的には不可能じゃない。
不可能ではないが、そんな芸当ができる人間はいない。
超人的な身体能力や洞察力が必要なのはもちろんの事。
狙撃銃の弾を避けるためには何よりも―――
馬鹿な、奴が俺の銃の射程距離と初速を知っているわけがない!!
長距離狙撃用の複合レールガンは今回の大仕事の要。
故に彼はその存在の隠匿に全力を尽くして来た。
この銃のスペックを知る者は複合レールガンの開発者とボルジャーノン本人以外存在しない。
……存在しないはずだった。
一瞬生まれた疑念を拭い去るために、弾倉に残っていた弾を次々に発射。
そして、ボルジャーノンは生まれて始めてその鋭敏な感覚を疑う光景を目にする事になる。
襲撃者の脚が、野生の鹿のような力強さで大地を蹴った。
恐るべき精密さと速さで飛来する死の化身の隙間を髪一重の差ですり抜ける。
猛烈な速さで動きながら、その上半身は完璧な立射の姿勢を保ち、一ミリのずれもなく銃口を彼方にいるボルジャーノンの正中線に向けている。
もはや認めざるおえない。
この敵は彼の射撃のタイミングと銃の性能を知り尽くしている!
その事実以上にボルジャーノンを打ちのめしたのは襲撃者の武器であった。
襲撃者が接近した今ならはっきりと見て取る事ができる。
奴の手の中にあるライフルの芸術的なまでに洗練されたフォルムを。
そして、その美を全き物にしている真紅の銃床をっ!
ライフルマンたちにとって神話にも等しい一つの逸話が脳裏に蘇る。
かつてガンスミスの老舗、ウェイトリィー社は創立六十六年の記念として贈呈用の特製ライフルを一シリーズ作製した。
その銃床にはアーカム市の郊外に生えていた真紅の老木が使われたという。
血のように赤い銃床を持ち、ライフル界の至宝と呼ばれた十三丁の芸術品たち。
今、目にしているのは恐らく十三番目に作られたという長距離狙撃ライフル。
『ウェイトリィー・六十六スペシャル・シリアルコード十三』
通称『ディアボロ・サーティン』
そして、その魔銃の最後の所有者こそ三つの戦争を通して、千人以上の人間を射殺したという伝説の男―――
「そうか、わかったぞ……」
迫り来る死神に向かって、厳かとも言える表情で呟いた。
「お前はあの殺戮者―――」
ボルジャーノンがその名前を最後まで口にする事はできなかった。
声よりも速く飛来した三百八口径ホローポイント弾が彼の舌と言葉を砕き、脊髄と命を乾いた地面に振りまいた。
襲撃者はスコープのレンズ越しに獲物の死を見守った。
そして、ボルジャーノンの唇がある名前を形作ろうとするのを見た時、笑いながら首を横に振った。
「いや、それは違うな、お若いの。その男は死んだ。今、ここいるのは名前と過去を捨てた唯一人の怪物―――
―――『射手座』だ」
ボルジャーノンが車体の後ろに崩れ落ちたの認めると、『射手座』は構えていた銃を下ろし、大股でピックアップトラックのほうへ駆け寄った。
FBIの尾行は完全に撒いたという自信があるし、ここに至る分岐路には『工事中につき通行禁止』と書いた立て札まで立てておいた。
しかし、油断は禁物だ。
FBIの子犬たちは何でも嗅ぎ付けるし、どこにでも現れる。
FBI捜査官が今の隠れ家に姿を現した時は、正体がばれる恐れがないと分かりつつも少なからず驚かされた。
そして、世間話を通じて彼らの責任者の名前を聞き出した時には、二度びっくりさせられた。
あの鼻たれアームストロング二等兵がFBI捜査官を顎でこき使う立場になろうとは!!
自分の前に立った時、緊張のあまり失禁しそうになっていた少年の顔を思い出して、『射手座』はにやりと笑った。
アームストロングと始めて出会った時、彼はまだ合衆国の英雄と呼ばれていた。
あれからなんと多くの時が流れすぎた事だろう。
『射手座』の脚はその年齢から想像できないほど力強い。
あっという間にピックアップトラックから十歩の距離まで辿りついた。
そこでライフルを一端肩に担ぎ、代わりにベルトに差したコルトガバメントを引き抜く。
この距離ではライフルよりも拳銃のほうが扱いやすい。
銃の安全装置を外し、遊ていを引いて弾丸を薬室に送り込んだ後、慎重にトラックの後ろに回り込んだ。
ボルジャーノンは自分の血で出来た池の中に横たわっていた。
顔色は既に青黒く染まり始め、白濁した眼球が無念そうに青空を見上げている。
『射手座』は念のために心臓に二発弾丸を打ち込んでおいた。
少々残酷だと思ったが、無駄な行為だとは思わなかった。
『強化人類』の中には死んだはずなのに、時間を置くと生き返ってくるような輩が存在する。
ちょうど『射手座』自身がそうだったように……。
心臓にホローポイント弾を打ち込んでも、ほとんど出血がない。
どうやらこの相手はこの上なく完璧に死んでいるようだ。
満足げに頷くと『射手座』はボルジャーノンの傍らに膝をつき、彼の巨大なライフルを手に取った。
ボルジャーノンの武器は『射手座』ですら見た事がないような異形だった。
しかし、使い方なら先ほどボルジャーノンが実地で教えてくれたばかりだ。
表面についた指紋を見れば、前の使い手が如何なる手順でこの銃を組み立て、使用したのか予測するのは難しい事ではない。
それにどんな形したものであれ、ボルジャーノンのライフルも銃である事に変わりはない。
『射手座』は一世紀近い時間、こうした美しい武器に触れ、この地上で誰よりも彼らの扱い方を熟知していた。
程なく奇怪なライフルが彼の手の中で息を吹き替えした。
不気味なモーター音を響かせ、新しい使い手を得た喜びにうち震える。
大まかな動作を把握すると、『射手座』は発電機のスイッチを切り、ケーブルを引き抜いた。
滑らかな手つきでライフルを分解し、ケースの中に納めて行く。
作業のかたわら、まるで世間話でもするかのように隣りに横たわる死体に話しかけた。
「悪いな、お若いの。私の『ディアブロ』ではあの子の相手は荷が重過ぎるのでな。お前さんの獲物を頂く事にしたのだ。それに、私は十年以上のブランクがあるロートルでね。リハビリに付き合ってくれる相手が欲しかったというのもある。そして……おう、あったわい!」
銃をケースの中に詰め込んだ後、車の中を掻き回し、一束の紙を取り出した。
ページをめくってざっと目を通す。
それはニューオリンズの街と演説会場付近の地図だった。
至る所にロシア語で書いたメモがあり、狙撃拠点に相応しい建物には蛍光ペンでマークが記されていた。
『射手座』の獲物は明日、ニューオリンズに姿を表す予定だ。
今からでは拠点作りをするのがやっと、狙撃のために街の計測をしている暇はほとんどない。
しかし、これだけ詳細な資料があれば何とかなりそうだ。
必要なものを全てケースの中に詰め込むと、『射手座』は現れた時と同じように迅速に姿を消そうとした。
だが立ち去る寸前、彼は急に足を止め、
「ところで、こんな話をご存知かね、お若いの? 賢者ケイロンは弓矢に長けたケンタウロスの一員であった。しかし、彼は同族と愛弟子ハーキュリーの争いに巻き込まれ、ハーキュリーの毒矢に倒れ、命を失った。稀代の英雄、ハーキュリーもまた同じ毒矢のために世を去った。これが何を意味するのか、お分かりかな?」
ボルジャーノンは何も言わなかった。
口の奥から覗く血に染まった真赤な深淵が彼の返答だった。
『射手座』は笑って言った。
「 ―――つまり、矢に生きるものは矢に死すのだよ 」