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バネ仕掛けの英雄(ピエロ) ACT3

この作品は作者が舞氏のHP、「ARCADIA」と自分のHP「たわごと御殿」に掲載しているものを再度投稿したものです。

 屋上で吉野と出会ってから二十分経った後、俺は閑静な住宅街に立つマンションの壁をよじ登っていた。

 ここにたどり着くまでにあった騒動についてはあまり思い出したくない。

 俺は警官をやっていた頃、犯人を追跡する地道な走査ほどストレスの溜まる仕事はないと思っていた。

 しかし今日、自分が追われる立場になって始めてわかった。

 七回生まれ変わっても、逃亡者にだけはなるもんじゃないなぁ、全く。

 

 目的の部屋は二十メートル以上の高みにあった

 しかし、幸いな事に俺は『強化人類(イクステンデット)』の中でも特に優れた登攀能力の持ち主だ。

 このくらいの高さは何でもない。

 

 手足のバネをそれぞれ二回ずつ弾ませる。

 たったそれだけで目指す窓はもう目の前だ。

 窓枠に指を引っ掛けてぶら下がる。

 オレンジ色の明かりが漏れる窓ガラスを拳で二回叩く。

 返事はない。

 今度はもう少し力を篭めて叩いた。

 やはり結果は同じだった。

 

 冷たい窓ガラスにぴったりと顔を寄せて、耳を済ませる。

 何の物音も聞こえない。

 電気が付いているから、留守中という事はないだろ。

 叩く力が足りなかったのか?

 しかし、これ以上力を篭めると窓ガラスを割ってしまいそうだ。

 

 ベランダのほうに回って同じ事を繰り返して見ようかと迷い始めた矢先の事だった。

 部屋の中から足音が近づいてきた。

 カーテンを引く音がその後に続き……。

 

 かくして俺は湿布とバンソウコーに塗れた相棒の顔と三時間ぶりの再会を果たす事に成功した。

 にっこり笑って手を振って見た。

 物凄い目つきで睨み返されてしまった。

 フレンドリィな雰囲気を演出しようとしただけなのに!!

 

 こりゃ本気でやばいな。

 苦虫を噛み潰したようなしかめっ面がトレードマークの我が相棒であるが、今夜の彼は何時になくたくさん苦虫を召し上がってらっしゃるようだ。

 渾身のパンチをいただく事ぐらいは覚悟していた。

 だけど、この分だと最悪の場合拳じゃなくていきなり鉛弾が飛んできそうだ。

 

 俺は不満ではちきれそうな相棒の爆発に備えて身構えた。

 しかし、相棒は俺から目を逸らして溜息をつくと、何も言わずに窓の鍵を開けてくれた。

 靴を脱いで窓から相棒の部屋の中に入った。

 

 動物的な曲線を描く前衛的なデザインのデスクと椅子、蛍光灯。

 その上に乗ったタワータイプのパソコンと付属のヘッドフォン。

 音楽を聴くためのオーディオセット。

 相棒の趣味であるレトロな映画のDVDがズラリと並んだ壁のラック。

 無駄と個性を徹底的に排除した機能的なインテリア。

 俺の犬小屋とは大違い。

 

 こうして、あいつの自室を隅々まで見るってのは久しぶりだな。

 でも、こんな風にあっさり部屋の中に入れてくれたって事は、実はあまり怒ってないのか?

 試しに笑顔で挨拶してみた。

 

「よ、よお、相棒。久しぶりだな。げ、げんきぃ?」

「――何をしに来た、『元』相棒。要件があるなら、手に身近に済ませろ。俺はこれから仲間に通報するのに忙しいんだ」

 

 やっぱりめちゃくちゃ怒ってますよ、この人。

 俺は躊躇なくその場で土下座した。

 これで大怪我させた事を許してもらえるなら、男のプライドなんて安いもんだ。

 

「悪い! あん時はその場の勢いで馬鹿な事をやっちまった! 心の底から反省してるんだ。頼む、許してくれ!」

 

 オレンジ色の蛍光灯を反射して神々しく輝く相棒の禿げ頭を伏し拝みつつ、ちらりと視線を投げかける。

 

 ……ドライアイスのように冷たい瞳と目が合ってしまった。

 

「……それで、あの餓鬼の姿は見えないが、今どこで何をしている?」

「ああ、あいつなら依頼の通り処分したよ。死体をきっちり始末した。もうお前に面倒をかける事もない」

「面倒ならもう十分すぎるほどかけられたんだがな……」

 

 そして、相棒の声はまるで液体窒素のようだ。

 耳にいれるだけで脳みそまで霜焼けにかかりそうだ。

 こりゃ、予想通り生半可な謝罪では許してもらえそうもない。

 俺はここまで背負ってきたバッグを下ろし、その中に入っていたものを取り出して、相棒の足元に並べた。

 

「もちろん、手ぶらで戻ってきたわけじゃないぜ。ほら、お前が好きなウィスキーを買っておいたぜ。その傷の治療代も全部俺が負担するし、これからしばらく外食する時は俺が全部金を払うからさぁ……今回だきゃ、勘弁してくれ! 頼む!」

 

 相棒は俺が床に置いたウィスキーを一瓶手に取り、そのラベルしげしげと眺めながら言った。

 

「スコッチにアイリッシュ、おまけにサントリーの角瓶か。とりあえず、ウィスキーと名のつくものを適当に選んだのが丸見えの品揃えだな」

「ぎくっ……さ、さすが、通の『喜劇役者(コメディアン)』さん! よく分かってらっしゃる!」

「お世辞を言うな。俺がすきなのはバーボンのワイル・ドターキーなのだが……しかし、酒に罪はないからな。これはもらっておくぞ」

 

 気のせいか、声と視線に先ほどまでの棘はない。

 どうやら、贈り物のお陰で少しは機嫌を直してもらったようだ。

 土下座を解いて立ち上がり、笑ってまだしかめっ面の相棒の肩を叩いた。

 

「へへへ、悪かったな。あれは本当に気の迷いってやつだったんだよ。俺が『可愛い子』に弱いのは良く知っているだろ?」

「だからって、ロリコンに走るのはどうかと思うぞ。俺を死ぬほど投げ飛ばすのもな……」

 

 ごくりと唾を飲み込む音が、自分でも驚くほど大きく部屋の中に響き渡った。

 一瞬、相棒にも今の音が聞こえたじゃないかと思った。

 でも、あいつは俺の動揺など気付きもせずに、ウィスキーを注ぐための切子ガラスのコップを食器棚から取り出していた。

 

「俺はいいよ。お前が馬鹿なのは昔から知っているからな。でも、他のやつらはそう簡単には納得してくれないぞ。特に『地震(アースクェイク)』は。あいつは怒りのあまり本当に頭から湯気を吹き上げていたぞ」

「俺は本当の事を言っただけなのにな。まあ、良いさ。明日の事は明日考えよう。今日はこいつらを使って仲直りの酒盛りだ。俺はとことん飲むぜ。そうすれば明日二日酔いのお陰で『地震(アースクェイク)』の奴に殴られてもあんまり痛い思いをせずに済むだろう」

 

 相棒は酒の肴を取りに行ってくるといって、冷蔵庫のほうに向かった。

 俺はウィスキーの蓋を取り、ガラスのコップの中に琥珀色の液体を注ぎこんだ。

 世の中には二種類の『強化人類(イクステンデット)』がいる。

 内臓や脳が変異してアルコールで酔っ払わなくなった奴とどうでない奴だ。

 俺は運がいいことに後者だった。

 これから行うやり取りは素面のままじゃとてもやっていられない。

 

「なあ、相棒よ。実は俺はあの餓鬼何言っているのか気になって、あいつの言葉を話せる奴を探して、ちょっと翻訳してもらったんだよ」

 

 ウィスキーに満たされたグラスを目線の高さまで持ち上げる。

 ガラスの表面に映る相棒の肩がかすかに震えたように見えた。

 

「お前に……タガログ語ができる知り合いがいるとは知らなかった」

「そこは蛇の道は蛇ってやつさ。俺がアフリカ系アメリカ人と日本人の混血だってのは知ってるだろ? 探せばツテは有るんだよ。で、さっきの続きなんだが、試しに翻訳してもらったら、あの餓鬼とんでもない事を話し始めやがったのさ。あの餓鬼がどうやってこの国へきたと思う。なんとなぁ……」

 

 ウィスキーを口の中に流し込むふりをして振り返る。

 相棒は冷蔵庫の隣りにある棚から何かを取り出す動作の途中で凍り付いていた。

 

「なぁ……相棒。一つ聞きたいんだが、お前が右手に持っているものはなんだ? 酒の肴に見えない上に、俺の口に合いそうもないぞ?」

 

喜劇役者(コメディアン)』は右手に持った消音機つきの銃をゆっくりと掲げて見せた。

 そして、引き金に指がかかっていないところを俺に見せると、銃を棚の上に置いた。

 

「懐に入れっぱなしだったんでな。酒を飲む前にしまっておこうと思ったのさ。首がまだ酷く痛むんだ。酔っ払った時に銃を持っているとお前を撃ちそうになる」

「そりゃ、済まない事をしたな。ところで、もう一つ質問をしても良いかな?」

 

 コップの中のウィスキーを一息で飲み干した。

 くそ、アルコールは四十度を越しているはずなのに、なぜかちっとも酔う事ができない。

 

「……さっき、お前は俺の事をロリコンと呼んだよな。別に良いよ。俺は怒っちゃいない。でも、なんでそう思った? 俺たちが見つけたあの餓鬼は吹けば飛びそうなほどやせ細っている上に、髪の毛をとても短く切っていたよな。どう見ても、女の子には見えなかったはずだ。普通ショタコンとか少年愛とかそういう台詞が出てくるんじゃないか? 相棒、お前は何故あの子が女の子だって事を知っていたんだ?」

 

喜劇役者(コメディアン)』は何も答えなかった。

 俺の方を振り返ろうとすらしなかった。

 屈強で大きな体は開きっぱなしの冷蔵庫の灯りに照らされ、まるで巨大な亡霊のように黒々とお前の前に聳え立っている。

 

「思えば、今回の依頼を持ってきたのはお前だった。ミオを、あの子を殺す事に以上に執着していたのもお前だった。それからな、相棒。ごめんよ。俺は幾つかお前に嘘をついていた。俺はあの子を殺しちゃいない。あの子どの国の出身者で、なんの言葉を喋っていたのかも知らなかった。お前が俺に教えてくれるまではな!」

 

 空になったグラスを近くにあるデスクの上に置いた。

 軽く置いたはずなのに、ガラスとアルミが接触する音は雷鳴のように部屋の中に響き渡った。

 俯いた『喜劇役者(コメディアン)』の顔は深くかげと闇の中に溶け込んでいる。

 何かを言おうとしたのか、それとも怒りに歯を軋らせたのか、一瞬その真っ黒な顔の中で白い何かが光ったような気がした。

 

「何故だ、相棒。何故仲間を売り払うような真似をした。俺が見てきたお前は全部偽者だったのか? それともお前が俺の知らない内に変わってしまったのか。せめて、それだけは答えてくれよ」

 

 この時、俺がだいたい三種類のリアクションを予想していた。

 即ち―――

 図星を指されて逆上するか、

 冷静さを取り戻して舌先三寸で俺を丸め込もうとするか、

 それとも自分で棚の上に置いた銃に飛びかかろうとするか、だ。

 その何れにも対応できるような心構えを作ってあった。

 しかし、俺の予想は全て的を外した。

 

 一拍の時を置いて――『喜劇役者(コメディアン)』が爆発した。

 人間とは思えないほど凄まじい声が小さな部屋を震わせる。

喜劇役者(コメディアン)』は笑っていた。

 俺は二年近く渡る付き合いの中で、始めてあいつが大声で笑うのを耳にした。

 そして、あいつの顔―――

 

喜劇役者(コメディアン)』の顔と手が沸騰するように変形をしていた。

 フルフェイス症候群!!

 仮装系能力者が限界を超えたストレスを感じた時に、変身前の姿に戻ろうとする生理現象。

 なんてことだ。

 俺が今まで見てきた相棒の顔までも偽者だったっていうのかっ?

 

 予想外をはるかに超えるリアクションに気をとられたのは不味かった。

 驚愕は一瞬の隙を生み出し、その僅かな時間に『喜劇役者(コメディアン)』が燕のようなスピードで動いた。

 俺に指一本動かす暇も与えずに、冷蔵庫の中に隠して合った黒いプラスチックと金属の塊を取り出し、俺に突きつけた。

 

 遊底は引かれ、

 弾薬は薬室の中、

 そして銃口は真っ直ぐ俺の方を向いている。

喜劇役者(コメディアン)』が俺を撃つためには引き金にかけた指をちょっと動かすだけでいい。

 

 対する俺はまだグラスをデスクの上に置いた時の姿勢のまま。

 残念ながら、この体勢からあいつを一発でノックアウトする方法は皆無だ。

 

「――チェックメイト、と言ったところか? 『バネ足(スプリング・ヒールド)』?」

「冷蔵庫の中にもう一丁隠してあったのか。随分と用心深いじゃないか。それ、お前のその顔……」

「ああ、そのとおりだ。俺は半分この国の人間じゃない。お前とちょうど正反対で、日本人の父親とフィリピン人の母親の間で生まれたんだ」

 

喜劇役者(コメディアン)』ゆっくりと褐色の指で同じ色の頬を撫でた。

 

「さっきの質問にも答えてやろう。何故か、と聞いたな『元』相棒。その答えは需要と供給だよ。俺の取引相手はタガログ語と日本語が堪能で、『強化人類(イクステンデット)』の内情に詳しい人材が欲しかった。俺は『党』よりも支払いの良い雇い主が欲しかった。重要と供給、資本主義経済の基本中の基本だ」

「それだけか? たったそれだけの理由で自分と同じ国の仲間たちを奴隷商人どもに売り渡したのか?」

 

喜劇役者(コメディアン)』の顔に浮んでいたにやけ笑いが一瞬で消えた。

 代わりに火を噴きそうな怒気が俺の顔にたたきつけられた。

 

「仲間だとっ? 俺は一度もあの国の人間どもを仲間だと思ったの事はない! 国にいた頃、やつらは俺を日本人扱いした。だから、俺はお袋に頼み、借金までしてこの国にやってきたのに……。親父は俺を決して自分の息子だと認めなかったし、日本人どもは俺をよそ者扱いした。そして、EX=Geneに感染した後はもう誰も俺を人間扱いしなかった!!」

 

 怒りは一瞬で燃え尽き、次に『喜劇役者(コメディアン)』の顔に表れたのは泣き顔とも笑い顔ともつかぬ何ともいえない表情だった。

 あいつは父親に縋りつく小さな子供のような目で俺を見た。

 

「だけど、お前は別だ。お前だけは仲間だと思っていた。残念だ、『バネ足(スプリング・ヒールド)』。俺の言うとおり、目を逸らしていれば、俺たちは今でも相棒だったのに……」

 

 急に既視感に襲われた。

 今の状況は俺が手足を撃ちぬかれたあの時に良く似ている。

 信頼していた上司が、

 信頼していた相棒が、

 銃を掲げ、

 銃を掲げ、

 俺に向かって引き金を引こうとしている。

 

 しかし、あの時と違う点が二つある。

 一つは、『喜劇役者(コメディアン)』は決して俺の手足を狙おうとはしない事。

 もう一つは……。

 

「俺も残念だよ、『喜劇役者(コメディアン)』。お前が裏切り者だとは信じたくなかった」

 

 緊張と力が静かに全身に浸透していく。

 この距離なら、『喜劇役者(コメディアン)』は絶対に的を外さないだろう。

 相棒の射撃能では俺が一番良く知っている。

 だから、タイミングは一瞬で、チャンスは一度っきりだ。

 賭けるものは自分の命。

 そして、この賭けに勝った時、俺が手に入れるものは……考えたくもないな。

 

「だけど、奴隷商人どもと取引を始めたのはお前だし、俺を裏切って口封じに殺そうとしているのもお前だ。ふざけるな、バカヤロウ。俺をてめえの弱さの言い訳に利用するな!!」

 

 再び吹き上げた憤怒が『喜劇役者(コメディアン)』の顔をケダモノじみたものに変えた。

 銃を持つ腕が瘧にかかったように震える。

 あいつの集中力は余すところなく俺の方を向いている。

 だから―――

 

「今だっ! やっちまえ、吉野!!」

 

 天井を突き破って、四本の蜘蛛の足に似た触手が飛び出した。

 二本が錐のように鋭い爪で『喜劇役者(コメディアン)』の手首と肩を貫き、もう二本が拳銃の射線を完全に塞いだ。

 

 精密にして正確、そして何よりも速くて強い。

 流石は元天才ピアニスト。

 残酷な神は吉野から指を奪い取ったが、悪魔EX=Geneは彼女の忍耐と努力に応えて強力な武器を与えたのだ。

 

喜劇役者(コメディアン)』がとっさに引き金を引いたが、発射した弾は全てチタン合金よりも硬い触手に弾かれ自分の体に突き刺さった。

喜劇役者(コメディアン)』が苦痛の悲鳴を上げる。

 その声に重なって、一階上にいる吉野のくぐもった悲鳴も聞こえた。

 

 蜘蛛の触手は火であぶれたように天井の穴へ引っ込んでしまった。

 まあ、今まで荒事とは無縁な生活を送ってきた女の子にしちゃ上出来なほうだ。

喜劇役者(コメディアン)』は左手の銃を右手に持ち替えて、俺の方に狙いをつけようとした。

 しかし、吉野が稼いでくれた時間を使って俺は既に戦闘態勢を整えていた。

 

 目には見えないが、『喜劇役者(コメディアン)』が驚きに息を飲む気配が伝わった。

 無理もない。

 伸ばした腕を上半身に巻き付けた俺の姿は見て気持ちの良いものじゃないだろう。

 しかし、この構えには幾つもの長所が存在する。

 その最たるものはやはり、

 

 ―――隙がないって事だろう。

 

喜劇役者(コメディアン)』が俺に向かって引き金を引いた。

 そいつはでっかいミステイクだぜ、『元』相棒。

 拳銃弾ごときじゃ筋骨を強化されたフィジカルの皮膚だって破れない。

 俺に怪我をさせたければ、象打ち用のライフルでも用意するんだったな。

 

 さらに何発か打ち込んで、自分の行為が完全に無駄だと悟ったのだろう。

喜劇役者(コメディアン)』が銃撃をやめて逃げ出そうとした。

 またミスを犯したな。

 銃を打ちながら逃げれば、宝くじに当選するぐらいの確率で俺たちから逃げ切れたかもしれないのに……。

 

 体に巻き付けた腕を一気に開放した。

 小さいがよく整理された部屋の中を長さ五メートルの鞭が荒れ狂う。

 二本の鞭はデスクと棚をひっくり返し、

 パソコンのディスプレイを叩き割り、

 吉野から借りた金で買ったウィスキーをガラスの破片とかき混ぜ床にばらまいて、

 ……俺の相棒だった男をめちゃくちゃに打ちのめした。

 

 これが警官辞めた時との一番大きな違いだ。

 俺は変わった。

 命懸けの戦いを経て、強く、したたかになったのだ。

 

 散乱する家具の残骸を踏み越えて、ボロ衣のように床に横たわる『元』相棒のとなりにしゃがみ込む。

 襟首を掴んで上半身を起こさせる。

喜劇役者(コメディアン)』の体の上に乗っていた色んな破片が床の上にこぼれ落ち、あいつは咳とともに血と歯のかけらを吐き出した。

 その顔に残る狂ったような笑顔の残滓。

 

「む、無駄だ。シ、証拠なんてどこにも、ない」

「そうとは限らないさ。探せば何か見つかるだろ。それに実を言うと、今までのやり取りは全部連れに記録させていたんだ。お前と違って俺は日頃の行いが良いんでな。こんな時でも手を貸してくれる友達がいる」

 

喜劇役者(コメディアン)』は一瞬呆然と言葉を失った後、また低い声で笑い出した。

 俺の打撃で変形し、歪んだその笑顔はどこか泣いているようにも見えた。

 

「してやられたぜ、畜生。やたらと俺を挑発していた理由はそういう事か、どおりで、助けが入るタイミングが良過ぎると思ったぜ。このペテン師め……」

「演技派だと言ってもらいたいな。最後に残念だって言ったのは演技じゃなくて本音だったけどな」

「ありがたい話だ……だけど、『バネ足(スプリング・ヒールド)』、俺から聞き出したその話を一体誰に報告するつもりだ?」

 

 哀れみの籠った『喜劇役者(コメディアン)』の視線。

 俺の中が心の中が不安でざわめく。

 嫌な予感がした。

 

「今のどういう意味だ……」「俺一人でこんな大それた事ができると思ったか? 『冥府送り(カロン)』や『華神(フローラ)』みたいな超感覚能力者の目をかいくぐれたのは何故だと思う?」

「まさか……まだ他に内通者が? 幹部会に裏切り者がいるのかっ!?」

 

 腫れた唇を固く閉ざす『喜劇役者(コメディアン)』。

 だが、その沈黙が何よりも能弁に今の悪夢みたいな話が事実である事を裏づいていた。

 

「そうか。そういう事か。分かったよ。最後に笑えない冗談をありがとう。さようなら、『元』相棒。これで本当にお別れだ」

 

 俺は別れの言葉と一緒に拳を振るい、二年間に渡る俺たちの友情に終止符を打った。

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 気絶させた『喜劇役者(コメディアン)』に簡単な止血を施した後、俺はベランダの窓を開けて吉野たちをリビングの中へ招き入れた。

 ミオは多分初めて目にするシックな内装の部屋に興味津津だった。

 吉野は始めて人を刺した記憶を反芻しているのか、真っ青な顔で小刻みに震えていた。

 何も言わずにウェットティッシュで触手の先に付いた血痕を吹いてやった。

 吉野が今にも泣きそうな顔でこっちを見上げたので、小さな頭を鷲掴みにしてぐしぐしかき回してやった。

 

「『バネ足(スプリング・ヒールド)』さん、すみません。私……」

「何情けない顔をしてるんだ。初陣にしちゃ良くやったじゃないか。それよりもとんでもない事に巻き込んじまったようだな」

「はい、盗聴器で全部聞いていました。幹部会の中に人身売買組織の後ろ盾になっている人がいるんですよね? 一体誰だか分かりますか?」

「ああ……『喜劇役者(コメディアン)』の奴は最後まで実名を明かさなかったが、最後の台詞を聞けば大体誰かの事か見当はつくさ」

 

強化人類(イクステンデット)』の自治組織『党』。

 最高意思決定機関である『幹部会』は五人の異能者達で構成されている。

 本来俺たちを守るはずのリーダー達の中に、俺たちの信頼を裏切った奴がいるってわけだ。

 

 まず、『コメディアン』も言った通り、『幹部会』の実質的代表者である『冥府送り(カロン)』と『華神(フローラ)』は容疑者から外して良いだろう。

冥府送り(カロン)』は冷酷無比だが、人身売買に手を出すほど馬鹿ではない。

華神(フローラ)』も、性格は最悪だが、自分の奴隷を他人に渡すような奴じゃない。

 

 残りの三人の一人、『博士(ドットーレ)』は変異細胞研究の世界的な権威だ。

 頭にマッドが着くお医者さんだが、悪党揃いの幹部会の中では一番の良識者だろう。

 EX=Geneについてまだ何も分からなかった頃、ほとんどの医師が感染を恐れて発症者達を自分の病院に入れる事すら許さなかった。

 その中にあってあの人はただ一人、発症した自分の体を実験材料に使って患者たちの治療を続けてきた。

博士(ドットーレ)』が人身売買に携わっているとは考えにくいし、考えたくもない。

 

 かと言って『護国寺のお婆』が容疑者だという可能性はもっと低い。

 あの妖怪皮剥ぎババアは筋金入りの外国人嫌いだ。

 もし、自分の国に子供を売り会する外国の奴隷商人がいると知れば、やつらの皮を剥がすために自ら出向く事も躊躇しないだろう。

 

 と言うわけで、消去法で容疑者は一人に絞られた。

 幹部会の最後のメンバー、その名は、その名も……。

 

「ええっと誰だっけ?」

「駄目じゃないですか。自分の上司の名前を忘れるなんて!」

「思い出せないものはしょうがないだろ。じゃあ、吉野はあいつの名前が分かるのか?」

「それはもちろん……」

 

 吉野の得意げな声は尻すぼみになって喉の奥に消えた。

 眉毛をへの字に曲げて三十秒悩み、顎を梅干しにしてさらに三十秒。

 合わせて六十秒の苦闘のすえに吉野はついに八本ある手の内の二本を上げて降参した。

 

「ごめんなさい。思い出せませんでした」

 

 ……まあ、そうだろうな。

 吉野があいつ――名前を思い出せないから『黒幕』――の名前を思い出せないのも無理はない。

 要するに影が薄いのだ、あいつは。

 決して無個性な奴じゃないのだが、他の幹部会のキャラが濃すぎるために一緒に並べてしまうとどうしても印象が薄れてしまう。

 

 はあ、分かったぞ。

『黒幕』が人身売買っていう愚行に手を染めた動機が見えて来たぜ。

 あいつには『華神(フローラ)』や『華神(フローラ)』みたいな天賦の才はない。

冥府送り(カロン)』のような強固な政治的基盤を持っているわけじゃないし、『護国寺のオババ』のような圧倒的な財力があるわけでもない。

 

 幹部会に名を連ねている以上、才能の持ち主である事は間違いだろう。

 しかし、他の化け物のようなメンバーの前には末席の屈辱に甘んじるしかなかったのだ。

 そんな時、人が取る道は二つしかない。

 自分の立場と才能を受け入れて最善を尽くすか、

 他の化け物たちに並ぼうとして無理な背伸びを繰り返すか、だ。

 

『黒幕』は後者を選んだ。

 そして、この道を選んだ奴らは大抵背伸びをするために自分よりももっと弱い立場の人間を踏み台にしようとする。

 なんて事はない。

 俺が警官をやっていた時に腐るほど目にしてきた有り触れた事件と同じなのだ。

 その鼻が曲がりそうな腐敗臭も全く同じだ。

 EX=Geneで強化されるのは体ハードだけ、中身ソフトに関しちゃ俺たちは旧人類から一歩も進化しちゃいなかったってわけだ。

 

 それまで黙って俺の推理を聞いていた吉野が突然眼を輝かせて言った。

 

「でも、名前がわからなくても、誰が容疑者なのかはわかったんですよね? じゃあ、その事を『砂男(サンドマン)』さんに報告して、一緒に合流しましょうよ」

 

 こっちに背を向け急いで駆け出そうとする吉野。

 だが、俺は手を伸ばして、彼女の襟首を掴んで引きとめた。

 

「水を差すようで悪いが、今回の事は師匠には報告しない。あの人と合流する事もしない」

「えっ? なんでですか!」

 

 吉野は襟首を掴まれたまま振り返って、不満そうな声で言った。

 俺は今から自分が口にする言葉に躊躇いを感じながら、口を開いた。

 

「師匠が裏切り者の一味だって言う可能性があるからさ」

「え? 『砂男(サンドマン)』さんがっ! 何を根拠にそんな事を!?」

「……追っ手の中に『飛陰(シャドウファックス)』がいた。頭のネジが抜けて配線が吹っ飛んだような殺人鬼だが、あいつは俺の妹弟子なんだ。そして、あいつの頭を抑えて言う事を聞かせる事ができるのは師匠だけなんだ。もし、師匠が敵側だったら、お手上げだ。師匠は強いぜ、吉野。俺たち三人が束になっても叶わない程にな。その上、『飛陰(シャドウファックス)』がいたら、戦う前に俺たち全員の首が飛ぶ事になる」

「そ、そんなのただの推測じゃないですかっ!? 状況証拠にもならないですよ!」

 

 状況証拠か。

 逮捕と自首の違いも分からなかったって言うのに、よくそんな難しい言葉を知っていたもんだ。

 しかし、吉野が言っている事は正しい。

 俺も頭じゃ分かっているのだ。

 師匠が裏切り者だと言う事を裏付ける確たる根拠は一つもない。

 しかし――

 

「二年間背中とタマを預けた相棒が俺を裏切った。馬鹿げた事だって分かっちゃいるけどよ。俺はもうお前たち以外誰も信用する気になれないんだ」

「それじゃ、『バネ足(スプリング・ヒールド)』さんはこれからどうするつもりなんですか?」

 

 いくぶんトーンの落ちた吉野の声。

 元気な彼女が落ち込むのを見るのはつらい。

 俺は視線を逸らしながら言った。

 

「この国を出て、親父の親戚のいる合衆国あたりに行こうかと思っている」

「そんなっ! ここまで来て……黒幕を見つけて、証拠まで手に入れたのに逃げるって言うんですか!?」

 

 吉野が大声で叫んだ。

 可愛い顔が怒りと失望のせいで、真っ赤に染まっている。

 俺はあえて突き放すように言った。

 

「もう俺たちの手じゃどうにもならないところまで来ちまったから、ケツをまくるのさ。現実は刑事ドラマと違うんだぜ、吉野。相手のアジトに乗り込んでバンバン銃を打てば良いってもんじゃない。俺たちがこの事件のホシをあげるためには手に入れた証拠を他の幹部会のメンバーに渡さなくちゃ行けない。街の中にうようよいる追っ手や刺客どもを躱してな。そんなのは無理だろ? ここにたどり着くのだって並大抵の苦労じゃなかったんだぜ」

「他に方法はないんですか? ネットを使って証拠を公開するとか?」

 

 か細い蜘蛛の糸に縋るような声で吉野が言った。

 俺はその希望の糸を断ち切った。

 

「最高機密扱いの情報を不特定多数の人間が見ているネットに流せるかい。それにあの『黒幕』だって黙っちゃいないだろう。俺は奴の名前は覚えていないが、能力はよく覚えている。奴はEX=Sensitiveで、変異器官は皮膚。特に電磁波を感知する能力が群を抜いて優れている。ネットの上で奴に対抗しようとするのは、蜘蛛の巣の中でチョウチョが巣の主に喧嘩を売るのと同じぐらい無謀だ」

 

 とうとう吉野は唇を噛んでうつむき、押し黙ってしまった。

 俺は元気づけるように彼女の肩を叩いて言った。

 

「『黒幕』を倒すのは無理かもしれないが、国外に逃げる事はそれほど難しくないはずだ。合衆国には故郷から逃げて来たお尋ね者の『強化人類(イクステンデット)』が一杯いるって話だ。身を隠すには絶好の場所さ。それにあの国は多民族国家だからミオもあまり目立たずに済むしな。な、ミオ良いだろ? 俺と一緒にアメリカ行こうぜ……お、おい、ミオどうしたんだよっ!?」

 

 ミオは頭を撫でようと伸ばした俺の手を避けていきなりこちらの袖に噛み付いた。

 まるで口を放したら、俺がそのまま合衆国に行ってしまうと思っているみたい顔を真っ赤にして歯を食いしばっている。

 

 ミオは目を瞑って、必死に頭を横に振っていた。

 二人が決めたノーの合図だ。

 それも俺があの子に人を殺した事があるかと聞いた時以来の激しい否定の意思表示だった。

 

 俺があの子の意図を読み取れずに戸惑っていると……

 

 何か空気を焼き焦がすようなスピードで俺の頬を掠めて、フローリングしてある床に勢い良く突き刺さった。

 吉野の触手だった。

 凄い破壊力だった。

 あと数センチずれていたら、俺の顔が半分になっていたかもしれない。

 

 ミオがびっくりして口を離した。

 俺もびっくりして悲鳴を上げて仰け反った。

 

「ちょ、な、何をするんだ、お前! 危ないじゃねえかっ!!」

「良いんです、そんな小さな事は! それより『バネ足(スプリング・ヒールド)』さんは、茶化さずに最後に私の話を聞いてください!」

 

 小さくねえよ!

 後五センチで俺の顔がなくなっていたかもしれないんだぞ!

 しかし、俺は抗議の言葉をあえて飲み込んだ。

 うっかり口にすべりならば、半分どころか顔が全部なくなりそうな剣呑な雰囲気が吉野から漂っていたからだ。

 

「『バネ足(スプリング・ヒールド)』さんの分からず屋! 何でこんな簡単なことに気付かないんですか! いいですか? ミオちゃんは何時でも郊外や山の中に逃げ込む事ができたんですよ。それなのに何故この子が街から逃げ出さなかったと思うんです!」

「そりゃ……お、お前……」

 

 俺は返事に窮した。

 吉野の言っている事は最もだ。

 ミオにとって人目の多い都会よりも郊外や山の中のほうが危険は少ないはずだ。

 なのに、あの子はあえて危険を冒して街に留まる事を選んだ。

 それはつまり……

 

「分かりませんか、『バネ足(スプリング・ヒールド)』さん? 私、時間の空いている時に少しだけあの子と話した事があるから分かりますよ。ミオちゃんには友達がいたんですよ。あの子は友達を助けるために脱走して……大人の人が助けてくれるのを期待して街の中に隠れていたんです!!」

 

 吉野の言葉が鉛の詰まった拳のように俺の鳩尾に突き刺さった。

 

「ミオ……そうなのか?」

 

 ミオが泣くとも笑うともつかぬ複雑な表情で頷いた。

 俺の瞼の裏に始めてあの子に出会った時の情景が浮かび上がった。

 傷だらけの体を不恰好な腕と爪で隠すように立ち尽くす幼い子供。

 

 ミオは決して俺たちを傷つけようとしなかった。

 爪を向こうとすらしなかった。

 そして、俺には聞きなれない異国の言葉で何かを言っていた。

 何を言っていたんだ?

 

 助けを求めていたんだと思う。

 しかも、友達を守って欲しいと哀願していたのだ!

 

 胃袋の中に沈んだ鉛が一気に量をふやした。

 一体この感情をどうやって表現していいのか迷っていると……

 

「こんな小さな子供が仲間を守るために、一人で脱走したんです。言葉も通じない異国の土地で諦めずに必死に助けを求めたんです」

 

 吉野が八本の触手を振るって前進した。

 フローリングを施された床が薄い氷のようにひび割れ、木材が煙のように吹き上がる。

 俺は額を冷や汗が伝わるのを感じながら後退した。

 

「『バネ足(スプリング・ヒールド)』さん、さっき逃げるって言いましたよね? じゃあ、逃げて何か解決しますか? ミオちゃんの仲間たち、子供たちが助かりますか?」

 

 吉野が前進する。

 食事用の机は真っ二つ、椅子はたちまち鉋屑に変わる。

 俺の背中はもう汗でぐっしょりだ。

 

「私たちが逃げれば、誰が子供たちを助けるって言うんですか? このまま、あいつ等を放置していたら、第二、第三のミオちゃんが生み出される事が何故分からないんですかっ!?」

 

 吉野が前進する。

 ソファーは一瞬でずたずた。

 花瓶はひっくり返り、食器棚はもう跡形もない。

 あ、濡れた背中に何かが当たった、この感触は……

 

「それに忘れては困りますが、日本には私の家族もいるんですよ! お兄ちゃんやお母さんがこの国にいるんです。このままじゃ、『黒幕』に操られた何も知らない子供たちが何の罪もない街の人を襲う事は時間の問題です。『バネ足(スプリング・ヒールド)』さんはそれで良いんですか? ―――私は嫌です! 絶対に嫌だ!」

「分かった……分かったからっ! お前の言うとおりもう少し頑張って見るから、少し落ち着け!」

 

 壁際に追い詰められた俺は慌てて吉野を宥めにかかった。

 もう、この部屋で壊せるものはない。

 順番から言って、次は俺がやばい!

 

 それが功を奏したのか、吉野はようやく足を止めた。

 大きな目に涙を浮かべたかと思うと、急に大声で泣き出した。

 はあ、どうやら興奮の度合いが限界を超してしまったようだな。

 膨大な感情を脳が処理し切れなくて、泣くと言う動作に振り分けたようだ。

 潤んだ目で俺を見上げながら、吉野が言った。

 

「『バネ足(スプリング・ヒールド)』ざん……」

「良いから、先ずは落ち着け。泣くの止めて、鼻水を吹きな。可愛い顔が台無しだろ?」

 

 興奮の波が峠を過ぎたのか、吉野は落ち着いて俺の言うとおりにした。

 八本の足で器用にティッシュを受け取り、鼻をかむ。

 それを見たミオは爪の生えた腕で器用に吉野の体に攀じ登り、野生の動物がそうするようにぺろぺろと彼女の涙を舐めた。

 

 うわあ、可愛いな。

 駄目だと思いつつも、荒んだ心がどんどん和んでいく。

 

 まるで姉妹のように仲むつまじい二人の様子を見ながら、俺は溜息をついた。

 そうだ。

 こう言う子供たちなんだよな、この子たちは。

 生真面目で、まっすぐで、何よりも俺が遠い昔に諦めた『明日』って言うものを信じている。

 

 いつもの俺だったら、あの子達の事を鼻で笑ったかもしれない。

 ああ、しかし、なんてこったぁっ!

 ミオを助けて以来、俺のテンションは二年前、正義を信じていたお巡りさんの時代に戻りかけている。

 あの子たちが信じている『希望』ってものを俺も信じかけているのだ。

 

 しかし、俺も大人だ。

『希望』を語る前に、まず冷静に自分たちの状況を分析しなけりゃならん。

 この場合、問題なのは……。

 

「……しかし、もう少し頑張るのはいいが、俺たちだけでこの仕事を完遂する事は不可能だ。助っ人がいるぜ」

「頑張って探して、説得すればきっと誰か助けてくれますよ」

 

 ミオを抱きながら、吉野がそう言った。

 やれやれ、泣いた子がもう笑っているよ。

 この子をもう一度泣かさないためにも、真面目に助っ人の候補者を頭の中に並べて見るか。

 

 じっくり話し合えば、『覇王(タイラント)』は味方になってくれるかもしれない。

 しかし、あいつは温厚すぎて、今回の件じゃあまり役に立ちそうにない。

 

 相方の『雷撃(サンダーストライク)』は、もし俺たちが『覇王(タイラント)』を危険な道に引きずり込もうとしている事が分かったら、敵よりお先に俺たちを撃ちかねない。

 

地震(アースクウェイク)』とはこの前、派手なお別れをしたばかりだ。

 あそこまで曲がってしまった臍は一日や二日では元に戻らないだろう。

 

 こうしてみると、俺たち『強化人類(イクステンデット)』って本当に人はいるけど、人材は少ないんだな。

 しかも……。

 

「……俺たちが今いる逆境を跳ね返すため、普通の助っ人じゃ駄目だ。そいつは他の『強化人類(イクステンデット)』がびびるほど強い能力者で、幹部会にコネを持ち、なおかつ正義感が強くで、俺たちの話を聞いて信じてくれるようなお人よしでなくちゃいけない。一体、どう言うヒーロー番組の主人公だそれは……」

「『(タートル)』さんだったら、最後以外全部の条件に当てはまるんですが……」

「でも、『(タートル)』はこの街にはいない。いくらあいつだって、東南アジアから今すぐに戻ってくるのは無理だ。他に俺たちの助けになりそうなのは……」

 

 その瞬間、俺たちのいる部屋の電灯が突然点滅した。

 背中を氷でできた手で撫でられたような悪寒が走る。

 ミオが悲鳴を上げて、吉野に抱きつく。

 吉野はミオを抱き返しながら、青い顔で俺を見詰めた。

 

「な、なんですか、今のは?」

「ああ、吉野は経験した事がなかったんだけっか? これは電磁波使いの能力者が興奮したときに起きる現象だよ。しかも、顔も見えない距離からこれほど強力な電磁波を放つのは、俺が知る限り―――」

 

 その時、アイディアが電灯のように真っ暗な頭の中を照らし出した。

 自分の額を掌で打った時。

 実際、自分の顔を思いっきり殴ってやりたかった。

 今日の俺はどうかしている。

 こんな簡単なことが思いつかなかったなんてっ!

 

「ど、どうしたんですか、『バネ足(スプリング・ヒールド)』さん? いくら焦っているからって、自傷行為は良くないですよ!」

「違う。いたんだよ、吉野。『強化人類(イクステンデット)』どころか政府が手出しを控えるほど強力で、幹部会にぶっといコネを二つも持ち、正義感が強くて、おまけに馬鹿みたいにお人よしな奴が!」

「え? 誰ですか、その人?」

 

 俺が口に出して答える前に、吉野の携帯電話が鳴った。

 吉野が蜘蛛の足で器用に外套の裏にあるホルダーの中にから携帯を取り出し、耳に当てた。

 その途端、彼女の顔に怪訝な表情が浮んだ。

 

「え? 『バネ足(スプリング・ヒールド)』さんって人を探しているんですか? で、でも私はその人じゃないですよ?」

 

 俺は手を差し出し、携帯を催促した。

 

「良いから、こっちに渡してくれ。お前にかけてきたって事は、向こうはもう俺たちが一緒にいる事が分かっているんだ。それにな……俺には誰が電話をかけてきたのか、大体見当がついてるんだ」

 

 吉野は躊躇いつつも、俺に言われたとおりにした。

 彼女から携帯を受け取って、耳に押し当てる。

 情けない話だが、本当に思っていたとおりの声が電話の向こうから聞こえてきた時、ちょっぴり泣きそうになったよ。

 

 でも、今子供たちに泣きっ面を見せるわけにはいかない。

 俺は精一杯のから元気を集めて笑っていった。

 

「やあ、『切り裂き屋(リッパー)』。実は俺もそろそろお前に連絡しようかと思っていたところなんだよ」


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