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バネ仕掛けの英雄(ピエロ) ACT2

この作品は作者が舞氏のHP、「ARCADIA」と自分のHP「たわごと御殿」に掲載しているものを再度投稿したものです

 時々、俺は自分が救いようのない馬鹿に思える時がある。

 上司を脅して両手足を打ち抜かれた時もそうだが、俺はしばしばその場の勢いだけでとんでもないことをしでかし、その後必ず手痛いしっぺ返しを食らう事がある。

 今回もそうだった。

 俺以外の『始末屋イレイザー』には素人が多い。

 そいつらは警察として教育を受けた事はない。

 連絡の義務が徹底されているわけでもない。

 その事を失念して相棒を投げ飛ばした結果、俺は『標的』を追いかけて工業墓地へやってきた全ての『始末屋イレイザー』を敵に回す羽目になった。

 

 ◆  ◆  ◆

 

『地震アースクェイク』に見つかったのは、工業墓地の出口まで後二、三ブロックと言うところだった。

 

「止まれ! 止まらんと撃つぞ!」

 

 建物の影から飛び出したちびデブが叫んだ途端、俺の足下が爆発した。

 この嘘つきめ!

『地震アースクェイク』はまさに豆戦車と言う言葉がぴったりな体型をしている。

 背が低くて、小太りで、肩から指先までカブト虫みたいな装甲に覆われている。

 

『地震アースクェイク』の武器、肩の装甲にある吸気孔から吸い込んだ空気を強力な筋肉で震わせて打ち出す超振動波。

 俺の走った跡が目に見えない拳で打ち据えられたように爆発する。

 

『地震アースクェイク』の能力の攻撃範囲は広いが、命中率は低い。

 しかし、例え外れても振動波は俺たちの耳と三半規管を痛め付けるし、爆発で飛び散る破片も厄介だ。

 何よりここのままじゃ首都圏にいる人間全員が俺たちここにいる事を知らせているようなものだ。

 

 なるべく、仲間とは戦いたくなかったが、このちびデブはここで黙らせるしかないようだ。

 大きくジャンプして『地震アースクェイク』の振動波を避けた。

 空中で身をひるがえし、あいつに向かって大声で叫ぶ。

 

「おおい、そこのミニピザ! しっつこく追いかけ回しやがって! そんなに俺のスリムな尻が羨ましいか!」

「て、てめえ! 俺の体脂肪率を知っているのか! 適当な事を言ってるんじゃねえぞ!」

 

『地震アースクェイク』の弱点その一、挑発に弱い。

 特に身長と体重をすごく気にしているから、それ関係の単語を投げ付ければあっさり火が付く。

 せっかくだから点ったばかり種火にハイオクガソリンを注いでやる事にした。

 

「ははは、お前の体脂肪率計るのに機械なんかいらねえ。目玉があれば十分さ。豚と人間を見間違える奴はいないだろ?」

 

『地震アースクェイク』の返事はケダモノの雄叫びに近かった。

 怒りで顔が首まで真っ赤に染まり、今まで交互に撃っていた両腕の振動砲を俺に一斉にぶっ放した。

 

 しかし、その攻撃をすでに読んでいた俺は腕を五倍近く伸ばして遠くにある鉄骨を掴んでいた。

 伸ばした腕を縮め、その勢いで振動波の射線から脱出する。

 

『地震アースクェイク』の弱点その二、振動砲は一回撃つと充填のため一瞬撃てなくなる。

 両腕を交互に撃つ事でその弱点はカバーできるが、今あいつは頭に血が昇ったせいで弾をニ発とも撃ち尽くしてしまった。

 

 もちろん再充填のチャンスをやるほど俺はお人好しじゃない。

 発射後の硬直で動けなくなったあいつのメタボリックな横腹に自慢のバネ足を二発揃えて叩き込んでやった。

 

「てめえ『バネ足スプリング・ヒールド』、この卑怯もんぐぅううわああああぁぁぁぁっ!!」

 

 空高く飛んでいく『地震アースクェイク』。まあ、あいつもヘビー級『強化人類イクステンデット』の端くれ、あの程度じゃ(以下略)。

 

 ようやく五月蠅い豆戦車を片付けて一息つこうとした時だった。

 ミオがいきなり俺の首に巻き付けた腕を引っ張った。

 釣られて頭を下げた瞬間、

 

 ―――飛、蛇ヒュッ、ジャっ!!

 

 俺の耳から三センチほどの空間を黒いネジクギのようなものが超音速で通り過ぎた。

 近くにある鉄骨に突き刺さり、スズメバチの羽音に似た不気味な振動音をあげる。

 

 すぐその場から跳んで逃げた。

 まもなく、さらに数発のネジクギが俺がさっきまで立っていた場所を串刺しにした。

 

 くそ、『雷撃サンダーストライク』まで来ているのか!

 

『雷撃サンダーストライク』は俗に電磁波系と呼ばれる能力者の一人で、自分の体で精製した弾丸を電磁加速して打ち出すレールガンの使い手だ。

 面の攻撃力こそ『地震アースクェイク』に一歩譲るが、その射程距離も威力も桁違い。

 俺は以前、『雷撃サンダーストライク』の打った弾が、防弾処理済の車のドアを打ち抜き、その中にいた人間を三人まとめて串刺しにした後に反対側のドアから突き抜けるのを見たことがある。

 

 その『雷撃サンダーストライク』のレールガンがなぜか今日は調子が悪かった。

 威力は何時もの半分もなかったし、命中率に関して言えば子供を一人抱えている俺にかすりもしない。

 俺の知る限り、『雷撃サンダーストライク』は『地震アースクェイク』と違って無駄弾を撃つ奴じゃない。

 

 狙撃主は当たるはずの弾を外す時の理由なんて限られている。

 特にこの場合、公式の答えは一つしかない。

 ははん、あいつめ。威嚇射撃で俺をどこかへ誘い込むつもりか?

 

 廃工場の窓から外に飛び出し、屋根の上に這い登る。

 わざと『雷撃サンダーストライク』の誘いに乗る振りをしながら、自分の首に巻きついたミオの腕を引っ張った。

 

「ちょっと、離してもらえるかい? おお、ありがと。それと、今から少しの間だけ恐い思いをしてもらうことになるけど、我慢できるか?」

 

 ミオは真剣な顔で俺の話を聞いた後に、こくんっと力強く頷いた。

 

「よし、良い子だ。それじゃあ舌をかまないように気をつけろよ」

 

 俺は肉の薄いミオの尻に手を回すと、向かい側の建物の屋根目掛けて放り投げた。

 続いて俺自身もミオの後を追いかけて、天高く跳び上がる。

 

 ごうごうと耳元で鳴る風の音。

 眼下には屋根から道路へ、道路から又工場の壁へと滑るように地面を移動する俺の影見える。

 その影が向かい側の屋根の上に辿りついた時、

 

『覇王タイラント』が屋根を突き破って姿を表したっ!

 

 二百人を超えるという日本の異能者の中で五本指に入る馬鹿力。

 ティラノザウルスの頭のように形に変異した右腕が俺をその顎で捕らえようと空中を走る。

 しかし、戦車をも噛み砕くといわれる大顎が捕らえたのは空気だけだった。

 

「あ、あれぇ?」

 

 俺はまだ『覇王タイラント』の右腕の1メートル上を漂っていた。

 奴はミオを降ろした事で俺の飛距離と滞空時間が圧倒的に伸びていた事に気付かなかったようだ。

 

『覇王タイラント』の右腕の鼻面――良い表現じゃないとわかって入るんだが、他に表現のしようがない――に手をつき、振り子のように下半身を振って自慢の長い足をティラノザウルスの首に巻きつかせた。

 その動作で俺の意図を悟ったのだろう。

『覇王タイラント』のモヒカン&タトゥー&ピアスだらけの前衛芸術みたいな顔をさっと青ざめた。

 

「ちょ、ちょっと待って『バネ足スプリング・ヒールド』くんっ!!」

「悪いがダンナ、他に待たせてる子がいるんでね!」

 

 大きく後ろへ仰け反り、両手で鉄骨を掴み、足で挟んだ相手を投げ飛ばす。

 一般にフランケンシュタイナーと呼ばれるプロレス技。

 しかし、両足が強力なバネになっている俺が使うこの技は普通の奴等とは一味違う。

 

『覇王タイラント』を投げ飛ばす時に、タイミングよく手足を伸ばす。

 パチンコの玉みたいに空を飛んでいく恐竜モドキ。

 それを見て、遠くの建物からタカアシガニのような腕をしたパンクなねえちゃんが飛び出した。

 白と黄色に塗り分けられたカミナリヘア。

 今まで姿を隠していた狙撃主、つまり『雷撃サンダーストライク』だ。

 

 甲羅に覆われた不器用な左腕で『覇王タイラント』の体を受け止めようとする。

 そして、失敗。

 二人とも吹っ飛び、一緒に近くにあったプレハブ小屋の中に突っ込み、もろとも下敷きになる。

 

 あれほど見事に下敷きになったら、『覇王タイラント』でも脱出にはちょっと時間がかかるだろう。

 俺は両腕を広げ、計算通り落ちてくるミオの小さな体を受け止めた。

 

「な? 言ったとおり少しだけの間だったろ?」

 

 ミオは返事代わりに俺に抱きつき、すべすべの頬を擦りつけた。

 息を殺して周囲の様子をうかがう。

 新手が襲い掛かってくる気配はない。

 どうやら、ここでの戦闘は一段落したようだ。

 さて次はどうしようか?と思っていると、意外な場所から答えがやってきた。

 

「そうだな。運動の次は腹ごしらえと決まっているよな」

 

 俺はぐーぐー可愛い声で鳴くミオのお腹を叩いて笑った。

 

 

 ◆  ◆  ◆

 

 

 俺たちは駅前にあるマクドナルドで遅いランチを取った。

 テイクアウトを取って、狭いビルの隙間で息を潜めているミオのところへ持って帰る。

 できればこんな汚らしいところじゃなくて、エアコンの効いた店内で食べたかったが、布を巻けば誤魔化せる俺の手足と違って、ミオの両手と鉤爪は流石に隠しようがない。

 それにあんなにやつれた子供を人目のつくところに連れて行くと、俺が幼児虐待で通報される恐れがあった。

 

「……ごめんな。俺が昼にデラックス幕の内を食べていなけりゃ、こんなジャンキーなものを食べずに済んだのに」

 

 ミオは俺の言葉等聞こえていないかのように一心不乱にチーズハンバーガーに取り組んでいた。

 よっぽど腹が減っていたのか、それとも……あまり考えたくない事だが、ダンボールみたいに味気ないハンバーガーより上手いものを食べた事がないのか。

 

「おいおい、落ち着けよ。ハンバーガーは逃げないぞ。もうちょっとゆっくり食べないと――ほうら、喉に詰まった。さあ、このウーロン茶を飲んで」

 

 差し出されたドリンクのストローを咥え、赤ん坊みたいに唇をすぼめて飲むミオ。

 一息で飲み尽くすと今度はMサイズのフライトポテトに猛然と襲い掛かった。

 そして予想違わず、熱々のポテトに小さく悲鳴を上げる。

 

 うーん、まるで小動物に餌をやっているみたいで実に面白かわゆい。

 見ているだけでこっちの頬が自然に緩んでくる。

 しかし、笑ってばかりもいられない。

 今の俺はちょっと、いやかなり危険な立場に立たされていた。

 

 工業墓地モルグ・ファクトリーで俺は自分の相棒も含めて、四人の『始末屋イレイザー』を退けた。

 だけど、彼らの本来の実力はあんなものじゃない。

 俺が今、怪我一つなくポテトを齧っていられるのは、彼らがかなり手加減をしてくれたお陰だ。

 

 さっきまで彼らは俺をちょっと脅すか軽く痛めつけて、考えを改めさせる積もりで攻撃を仕掛けてきた。

 でも、俺は自分が本気であると仲間たちに告げてしまった。

 次からは彼らもその本来のスペックを発揮して襲い掛かってくるだろう。

 それにもっと危険な奴がやってくる可能性もある。

『強化人類イクステンデット』の中には純粋に人殺しや拷問が好きで、『始末屋イレイザー』に志願した奴等もいるのだ。

 

 不安にざわめく俺の心とは裏腹に、辺りは静まり返ってきた。

 耳が痛いほどの静寂にうんざりしながら、ドリンクの氷を噛み砕く。

 氷屑が口の中でシャーベットに変わる音が意外に大きく響き渡り――

 

 おい、ちょっとおかしいぞ。

 いくら中心部から外れているからって、こんなに街が静かな事って有りえるのか?

 雑踏の息づかいはおろか車が走っている音すら聞こえない。

 顔を上げるとミオがポテトを食べるの止めていた。

 もともと大きな瞳は緊張した猫科の動物のように散大し、小さな耳はどんな物音も聞き逃さないようにぴーんと立っている。

 厳しい国で育った分、この子のほうが俺たちのような都会育ちの人間よりも勘が発達しているのかもしれない……。

 

「もう、食べ終わったみたいだな……」

 

 極力、不自然に見えないように口元のドリンクを下に降ろし、

 

「それじゃあ、次はどこへ逃げようか」

 

 呼吸は規則正しく、手首から無駄な力を抜いて、

 

「なっ――――!!!」

 

 ドリンクの中身を周囲にばら撒いたっ!

 目の前180度の範囲に降り注ぐ氷水。

 その大半は乾いたアスファルトの地面を濡らした、一部は真っ黒な建物の影に飲み込まれた。

 突然、闇から切り取ったようなぼんやりした人影がその位置から飛び出し、俺に向かって突進してきた。

 

 不味い!

 思ったよりも近すぎる。

 このままじゃ、反撃もできずに―――

 

 鋼の鐘を激しく撃ち鳴らしたような音とともに空間に火花が走る。

 見下ろすと何時の間にかミオがこっちの前に回り込み、あの鉤爪を構えて俺を庇っていた。

 ぱらぱらと地面に零れ落ちるナイフの残骸と思しき金属の破片。

 背中が冷や汗にずぶ濡れになった。

 

「お、おう、ありがとうよミオ。命拾いしたぜ」

 

 襲撃に失敗した人影は滑るような隙のない動きで後退。

 俺たちから五メートルほど離れた場所で足を止めた。

 人影の頭に当たる部分が二つに裂けて、その中から白い日本人形のような顔が現れた。

 

 背筋が寒くなるほどの美女だが、血を塗ったみたいに赤い唇と能面みたいに表情のない顔が酷く不気味だ。

 そいつは頭が真横になるまで顔を傾けると、

 

「くひぃっ!」

 

 真赤な唇が耳まで裂けたような笑顔を浮かべた後、闇にまぎれてあっという間に姿を消した。

 くそっ!

『飛陰シャドウファックス』め!!

 あのナチュラル・ボーンキラーでシリアルキラーな女でも獲物をしとめ損ねるという事があるらしいな。

 

 ……んなわけないか。

 今の多分、あいつなり手加減した警告だったのだろう。

 受け損ねれば路上に腸をぶちまけるような手加減だったが。

 

 だが、最後見せた笑顔。

 あの笑い方はこっちを完全に獲物だと認識した証しだ。

 次は間違いなく本気で殺しに掛かってくる。

 急いでこの場を離れなければ!

 

「ミオ!!」

 

 口に出して言う前に、あの子は既に俺の腕の中に飛び込んできた。

 まだもぎゅもぎゅ、ポテトを咀嚼しているのがちょっと不憫だ。

 

「次はもうちょっとゆっくり味わって食べられるところで食事しような」

 

 ミオの耳元に囁きかけながら、俺は天高く跳躍した。

 壁から壁へとジャンプを繰り返してビルの屋上に跳び上がる。

 

 あの姿も音も消すステルス能力は厄介だが、『飛陰シャドウファックス』の移動能力は普通の人間と変わらない。

 こうして屋根伝いに逃げている間はあの女の事を気にしなくても良い。

 もうすぐ市街地に入るはずだから、『地震アースクェイク』たちのような目立つ外見をしたやつらも心配する必要はないだろ。

 

 今、恐いのはあの最強の『亀タートル』のような俺と同等かそれ以上の機動力の持ち主だ。

 頭の中でやばそうな奴等の名前をリストアップして見る。

 

 一番やばいのはやっぱり『亀タートル』本人だ。

 あいつは俺よりもはるかに速くて強いから、出会ったらもう諦めるしかない。

 で、その次にやばそうなのが―――

 

「『バネ足スプリング・ヒールド』さん、待っていましたよ」

 

 澄んだ鈴の音のような声が耳に飛び込んだ。

 顔を上げると、まるで絵本に出てくる魔法使いのようなマントを着た女の子が俺たちの前に立ちふさがっていた。

 首から上は十六歳の可憐な少女だが、マントの膨らみはたっぷり成人男性が二人入れるほどのボリュームがある。

 

「なんてこったぁ、吉野。お前まで俺を追いかけに来たのか?」

 

 吉野は『強化人類イクステンデット』だが、『始末屋イレイザー』じゃない。

 未だに渾名ではなく本名を名乗っている変わり者の女子高校生だ。

 しかし、彼女の潜在能力はそこらでたむろしているチンピラ異能者の比じゃないし、何より

 

 ―――俺よりも速い。

 

「なあ、ここは見逃しちゃくれないか? たまに一緒にビルの屋上を散歩している仲じゃないか」

「だめです! 例えお散歩仲間と言えど、いいえ知り合いだからこそ『バネ足スプリング・ヒールド』さんの人倫にもとる行為、とても見逃す事はできません!」

 

 キラッ!と白い歯を輝かせて、びしっとポーズ。

 一体何の番組を見て覚えたんだか……。

 

 悪い子じゃないんだけどな。

 生真面目で、正義感が強くて、とにかく頑固なんだよな、この子。

 腕力じゃ敵いそうもないが、こりゃ口で説得するのも難しそうだ。

 

「さあ、どうせ私からは逃げられないんですから、無駄な抵抗はやめておとなしく縛についてください!」

「もし、嫌だって言ったらどうする? 無理やり押し通るって言ってたら?」

 

 俺の首に抱き付いているミオの二の腕をこっそり叩きながら聞いてみた。

 すると吉野の奴、待ってましたとばかり顔を輝かせて、

 

「ならば不本意ですが、力づくで『バネ足』さんに自首してもらう事にします!」

「いや、強制したら自首じゃないだろ。それはどっちかと言うと逮捕だ」

 

 だが、吉野はもう俺の親切な突っ込みなんか聞いちゃいなかった。

 芝居掛かった動作でマントの裾をはねあげる。

 その下から露わになったのは――俺の好みから言えばちょっとスレンダーだが――健康的な普通の女の子の胸、腰、足。

 そして……

 

 先端に鋭い爪が着いた蜘蛛のような巨大な触手。

 この四対八本の腕を精密かつ強力に動かす事によって、吉野は関東圏の異能者の中でもトップスリーに入るスピードをはじき出す。

 普段の俺でも追いつくのがやっと。

 推定重量三十キロ弱の重りを抱えたまま逃げ切るのは……、

 まあ、無理だろうな。

 

「いっきますよ、『バネ足スプリング・ヒールド』さん! お覚悟!」

 

 今度は時代劇ときたか。

 吉野が腰を落とし、八本の腕が弓の弦のように絞られる。

 黒い瞳が強い生気を帯びて輝く。

 その子供じみた言動はともかく彼女が本気なのは間違いない。

 しかし、小さな体が巨大な力とともに矢の如く飛び出そうとした瞬間、

 

「ほい、吉野パス」

 

 俺は手に抱いたミオを高く放物線を描くように吉野目掛けて放り投げた。

 

「うわあああ、何すんですかこの人わああああああああああ!!!」

 

 俺のことなんぞすっかり忘れて、慌ててミオを受け止めようとする吉野。

 その隙だらけの一瞬を利用して、俺は―――

 

 まずジャンプして無防備な吉野の背中に足を踏み降ろし、

 次に手を伸ばして落ちてくるミオをキャッチ、

 最後に仰け反って大いに勝ち誇る!

 

「ははは、俺の勝ち―――」

「ずるいずるいずるい、『バネ足スプリング・ヒールド』さん、それはずるっこです!!」

 

 足の下でじだじだもがきながら、怒りと抗議の声を上げる吉野。

 俺はにやっと笑って言ってやった。

 

「おう、俺は大人だからな。酒も、煙草も、ズルもありなのさ。ところで吉野、お前さっきこの子を助けようとしたよな? こいつが殺人事件の容疑者として追いかけられている事を知ってるのか? それでもこの子を他の『始末屋イレイザー』たちに渡せるのか?」

 

 吉野の返事はだんまり。

 拗ねて頬を膨らませてぷいっと横を向いた。

 おおう、可愛いじゃねえか。これで吉野が後五歳年上で、胸がCカップ以上だったら口説いてたかもな。

 

 もう襲いかかってくる気はなさそうだったので、俺は足をあげて吉野を開放してやる事にした。

 万が一逆ギレした場合に備え、ちょっと後ろに下がって様子を見る。

 

「さっ、これでわかったろ? お前は強いが、まだ子供なんだ。冷酷になれないし、戦いの駆け引きもわかってない。今日はもう家に帰れ、俺は今自分のデンジャラスなライフを満喫している途中なんだからさ」

 

 吉野はコンクリートの床から体を引きはがすと、いじけた顔で座り込んだ。

 

「いやです。そんな話をますます放っておけないじゃないですか。それに私、『砂男サンド・マン』さんから伝言を預かっているんです。それを伝えるまで帰りませんよ」

「師匠が俺宛ての伝言を? お前さんに? 何でまたそんな事を?」

「ほら、『バネ足スプリング・ヒールド』さん追跡を避けるために携帯捨てちゃったでしょ?  私以外に『バネ足スプリング・ヒールド』さんに追いついて伝言を渡せる人いないじゃないですか?」

「他にも適任者がいるだろ。例えば、『亀タートル』とか……あ、いや、あいつに来て欲しいわけじゃないぞ! 頼むから、あいつに連絡なんかするなよ!」

 

 一瞬、『亀タートル』が例の黒い装甲服を着て、背後から追いかけてくる姿を想像した……。

 

 うお、怖え! 

 洒落にならねえ!

 あいつに追いかけて回されるぐらいなら今すぐあの廃工場に戻って始末屋イレイザーたちと死ぬまで殴り合いをしていたほうよっぽどマシだ!

 

 俺が『亀タートル』に植え付けられたトラウマーに震え上がっていると、

 

「連絡したくたってできませんよ。『亀タートル』さんは今お仕事で東南アジアに行ってるそうです。なんでも最後の無線連絡が国籍不明の攻撃ヘリに襲われている最中に途絶えて、現在行方不明中だとか」

 

 吉野がとっても耳よりな情報を教えてくれた。

 ……南の海まで行って何をやっているんだか、あの人間核弾頭は。

 

 まあ、良いか。

『亀タートル』が攻撃ヘリごときにやられるわけがないし、今あいつが日本にいないのは大いに有り難い。

 それに『亀タートル』のインパクトで忘れていたが、俺にはもっと差し迫った問題があったのだ。

 

「はあ、師匠の伝言かぁ。聞きたくねえな。 内容、大体想像できるからなぁ」

「『バネ足スプリング・ヒールド』さんが私におとなしく掴まっていれば、聞かずに済んだんですけどね。じゃ、いきますよ。よく聞いてくださいね」

 

 軽い咳払いの後、吉野は幼い顔と声で精一杯、威厳に満ちた師匠の言葉を再現した。

 

『ジェイコブ、私はお前と言う男を少しは理解しているつもりだ。お前が何を考えて今回のような行動を取ったのかも良くわかる。だから、一時間の猶予をやろう。その間に自分が何をすべきで何をすべきでないのか良く考えろ。一時間経ったら―――

 

 

 ―――私がお前を追跡する』

 

 

 くらっと視界が傾いた。

 わかっていたはずなのに、やはりショックは大きかった。

『亀タートル』の存在は俺をすくみ上がらせるが、師匠の名前は俺から戦う気力を奪い取る。

 

 なんでここまで話がでかくなるんだ?

 俺一人掴えたいなら、二、三人いれば十分なはずなのに。

 どうして次から次に追っ手が増える上に、元スペツナズの師匠まで出てくるんだ?

 

「俺に人間狩りの方法と格闘術を教えてくれたのが師匠だ。あの人からはとても逃げ切れない。ああ、俺の余命は残り一時間か……」

「それは間違いですね」

「えっ?」

「私と追いかけっこをしている時間を計算し忘れていますよ。正確的には五十分です」

 

 一瞬心に抱いた希望まで丁寧に砕かれたよ―――

 

 流石の俺も地面にへたり込んだ。

 財布の中身はもう空っぽに近い。

 友人と知人は全員、敵に回した。

 その上、俺が一番尊敬する人までが間もなく追っ手に加わる。

 まさにお先真っ暗、俺たちの明日がどこにも見えねえ……。

 

 ふと視線を感じて顔を上げた。

 そして、何時の間にか立ち上がって真剣な表情でこっちを見下ろしている吉野と目が合った。

 

「もういいじゃないですか、『バネ足スプリング・ヒールド』さん。逃げられないってわかっているのなら、自首しちゃいましょうよ。今ならきっと皆さん許してくれますよ」

「俺もそう思うよ……」

 

 そう、今なら土下座して平謝りすればまだ許してもらえるはずだ。

 ケジメとして歯が半分なくなるぐらい殴られるかもしれないが、残り一、二時間の人生を殺し屋達に追い掛け回されるよりはマシかもしれない。

 

 首を回して、俺にしがみ付いているミオを見る。

 あの子は何も言わずに涙に潤んだ瞳で俺を見上げていた。

 言葉が通じなくても、俺を心配している事だけは痛いほど伝わってくる。

 ミオの二の腕を軽く叩く。

 何時の間にか二人の間で決まった、腕を外してくれと言う合図だ。

 俺はあの子を抱き上げて、吉野に差し出した。

 

「吉野、ちょっと頼みがある」

「はい、何でしょ?」

「この子――ミオと言うんだが――を連れて、一時間ぐらい全速力でこの街を走り回ってくれ」

 

 驚愕が凄まじい勢いで吉野とミオの顔を駆け抜ける。

 ほう、人間ってやつは驚く時、皆兄弟みたいな顔になるんだな。

 

「な、それってどういう―――はっ、まさか『バネ足スプリング・ヒールド』さん、この子のためにおとりになるつもりですか? 止めてください! そんなの無駄死にも同然じゃないですか!」

「死ぬと決まったわけじゃないし、無駄死にかどうかは人それぞれの価値観さ。この程度の逆境で降ろすぐらいなら、俺は最初からその子を背負ったりはしない」

「貴方はそれでいいかもしれませんが、私は困ります! この子をどうしたらいいんですかっ?」

 

 涙顔で抗議しながらも、ちゃんとミオを受け取る吉野。

 蜘蛛のような触手が食い込んで痛くないように抱き方に工夫までしている。

 本当に優しくていい子だ。

 将来、きっといい母親になるだろう。

 そんな彼女の善意につけ込んでいるような気がして、流石に胸が少し痛んだ。

 

「一時間が経っても俺が受け取りにこなかったら、何とかしてくれ。子供がいなくてそれなりに裕福な老夫婦に預けるとかさ。師匠にその子を頼むってのもいいかもしれないな。確かあの人は子供がいなかったはずだし、弟子の末期の頼みだったら聞いてくれる可能性も高い」

「何、一人で意地になっているんですか! そんな風に視界を狭めたら、解決できる問題も解決できなくちゃいますよ! ほら、ミオちゃんもこのわからず屋なおじさんに言ってください! ネガティブな考えをいくら重ねたってネガティブな結果しか出ないんだから、もっとポジティブに考えましょって」

 

 吉野は最後の望みをミオに託したようだが、あの子は今にも泣き出しそうな顔で俺たちの顔を交互に見比べるだけだった。

 俺は手のひらを振って、

 

「ああ、止せ。止せ。その子、日本語はわかるみたいだけど、喋れないんだ。多分、ヒアリングだけで言葉を覚えたんだろうな」

「え? ミオちゃん、日本語喋れないんですか? それじゃあ、この子どうやってこの国へ来たんですか?」

「そりゃ、お前さん。こんなに小さい子だから、きっと親が―――」

 

 自分で言った言葉に脳みそをハンマーで殴られたような衝撃を受けた。

 あほか、俺は!

 ミオを助けるつもりで頭を回転させていたはずなのにこんな簡単な事を見落としていたなんて!!

 

 この子は日本語が喋れない。

 当然、一人では日本へ来る事はできない。

 普通なら、親がこの子を連れてきたと考えるべきなんだろうが……。

 親が自分の子供をこんな風にやつれるまで放っておくか?

 二年と半年の間眠っていた俺の『警察魂』がむくりと頭をもたげ始めた。

 

「吉野、ミオに聞きたい事がある。ちょっとその子を返してくれないか?」

 

 言われたとおり、ミオを屋上の床に下ろす。

 あの子は汚れて傷だらけの素足を必死に動かして俺のほうへ走りよってきた。

 俺は膝をつき、ミオと視線を合わせ、あの子の両肩に手を置いて聞いた。

 

「ミオ、今から幾つか聞きたいことがある。もし、答えがはい、イエスなら首を縦に、いいえ、ノーだったら横に振ってくれ。わかったかい?」

 

 ミオが首を縦に振った。

 やっぱり、飲み込みの良い子だ。

 

「よし、じゃあ教えてくれ。君はお母さんやお父さんと一緒にこの国へきたのか?」

 

 ミオが横に振った。

 ノーの合図。

 俺の予想通りの答えだ。

 

「それじゃあ、誰か知らない人たちが君をこの国へ連れてきたのか?」

 

 今度の返事はイエスだ。

 舌で唇を舐めて湿らせる。

 いよいよ、次から正念場だ。

 俺はミオの瞳をじっと見つめて言った。

 

「君はそいつらのところから逃げ出したんだね? そいつらはどんなやつらだった。悪いやつらだったか?」

 

 幼い顔を過ぎる恐怖の表情。

 ミオの大きな眼が涙に満たされる。

 合図をしてもらうまでもない。

 返事は―――イエスだ!

 

「そいつらのところには君みたいな子が――。つまり、俺たちみたいな普通の人間とちょっと違う人たちがいたか?」

 

 ミオが何度も頷いた。

 その反応に一瞬戸惑ったが、すぐにあの子が何言いたいのかわかった。

 たくさんのイエス、つまり―――

 

「『強化人類イクステンデット』の子供が何人もいるのか。なんてこった、こりゃまさか……」

「何か知っているんですか?」

「ああ、異能者を扱う人身売買組織だ。きっと大人の『強化人類イクステンデット』は危険から、変異したばかりの子供を取引していたんだろう。『強化人類イクステンデット』の密入国の元凶にもなっている。噂には聞いていたが、よもや俺がその尻尾を掴む事になるとはな……ミオ、君が逃げてきたところには普通の子供たちもいたか?」

 

 またしても、たくさんのイエスが返ってきた。

 普通の人間も扱っているとなると、こりゃ相当でかい組織だな。

 異能者とは言え、俺や吉野だけじゃ相手しれきれないかもしれん。

 

 喉を鳴らして唾を飲み込む。

 次の問いは最後にして最も重要な質問だ。

 この問いの返答によって、俺がミオを助けた事の是非がわかるだろう。

 俺は意を決して口を開いた。

 

「ミオ、君は……その悪いやつらから逃げる時に、誰か殺したかい?」

 

 その問いを耳にして、ミオがついに泣き出した。

 小さな体から驚くほど多くの涙を流しながら、俺に抱きついた。

 頬と肩に思いっきり首を動かしているミオの動きが感じられる。

 全身全霊を篭めた否定ノーだ!

 

 ミオの小さな、本当に小さな肩を抱く。

 片手であの子の背中を撫でて宥め、もう片手で何か言いたげな顔で俺たちのほうを見ている吉野に沈黙を促した。

 

「待ってくれ。今、考えをまとめているんだ」

 

 俺のテンションは既に勤勉な警察官だった頃のそれに戻っている。

 脳裏に蘇るのは、先輩だった老巡査部長の教え。

 汚職に手を染めた例の上司に僻地に飛ばされるまでの間、あの人は警察学校を卒業したばかりの俺に捜査のイロハを叩き込んでくれた。

 

 まずは確かな事実だけを時系列順に並べる。

 足りない部分は自分の推理で補う。

 そして、一連の出来事の中から一定のパターンを導き出すのだ。

 

 確かな事実――-

 

 ミオは外見や言葉からわかるとおり、この国の人間じゃない。

 両親ではない大人たちが非合法な手段であの子をこの国に連れこんだのだ。

 そして、そいつらのところには異能者や普通の人間の子供たちがたくさんいた。

 

 ―――背後に人身売買を行う非合法組織がいる可能性あり。

 ―――『強化人類イクステンデット』の子供を扱っている以上、かなりの資金と組織力の持ち主だと思われる

 

 ミオは最近、自分の能力を使ってやつらのアジトから脱出した。

 商品の脱出を知ったやつらは、犯してもいない殺人の罪をミオに着せ、『強化人類イクステンデット』の自治組織の手で彼女を始末しようとした。

 

 なんてこったぁ!

 ミオは日本語が喋れない!

 俺がミオを助けていなかったら、あの子は助けを求めに行った同胞の手で殺されていたかもしれないのだ。

 俺の脳の半分は怒りで煮え返り、もう半分は冷静に事実だけを導き出していく。

 

 ―――今回の行動から推測するに『組織』は俺たちに関して相当詳細な情報をもっている事は間違いない

 ―――『強化人類イクステンデット』に詳しい人間、もしくは異能者がやつらに協力している可能性がある

 ―――つまり…・・・俺たちの中に内通者がいるかもしれないって事か!

 

 ……もちろん、ミオが保身のために嘘をついている可能性は否定できない。

 だが、あの子を助けた時から、俺の頭の中でずっと引っ掛かっていた事がある。

 

 そもそも、俺がミオを助ける事になった切っ掛けはなんだったか……

 

 まだ低い鳴声をもらすミオを優しく自分の体から引き剥がし、吉野のほうに目を向けた。

 

「大体の背景はわかったよ。だが、まだパズルを完成させるためにはまだ足りないピースがある。悪いけど、しばらくこの子を預かってくれないか?」

「私はいいですけど、ミオちゃんがなんと言うか……」

「大丈夫さ。な、ミオは男の子だもんな。ちょっと俺と離れても、我慢できるよな?」

 

 なるべく優しい声でミオに言い聞かせる。

 それを見た吉野が怒ったような低い声で言った。

 

「『バネ足スプリング・ヒールド』さん、見損ないました。そんな失礼な事を言う人だとは思いませんでしたよ」

「なんで? あ、そうか『男だから』って部分か? 俺は別に男女差別のつもりで言ったんじゃなくて、ちょっとミオのやつを勇気付けてやろうと」

 

 吉野が鋭い爪を横に振って、俺の言葉を遮った。

 その顔には怒りを通り越して呆れに近い表情を浮んでいる。

 はて?

 俺、今何か不味い事言ったか?

 

「まさかとは思いましたが、本気で気付いてなかったんですね。良いですか、『バネ足スプリング・ヒールド』さん。ミオちゃんは――」

 

 

 続く彼女の言葉に俺は目玉が飛び出すほど驚く羽目になった。


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