踏んだり蹴ったりの犬井②
散々な1日だった。
出版社から駅に向かう犬井の足取りは重かった。
つくづくヤクザとは縁のある男だと思っている。
犬井洋治、道を歩けばヤクザに当たる、か。
ヤクザに絡まれるなら、だれも負けない。
という自信がある。
磁石みたいにヤクザをひきよせてしまう己が情けないが、これが宿命なのだ。
どう努力しても、決められた宿命を変える事は出来ない。
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その日は家に帰っても、何もする気がなかった。
犬井は今日は執筆するのはやめる事にした。
ボケーとしていると、ケータイが鳴った。
別れた女房の佐和子からだった。
「犬井だけど・・・」
犬井はケータイを取った。
佐和子とは離婚して三年が経つが、今でも一ヶ月に1回ぐらいの割合で会っている。
別にケンカが原因で、別れたのではない。
お互い愛し合っていたのに、佐和子の方が別れようと切り出してきたのだ。
理由は仕事が忙しくて、一緒にいる時間がないから結婚していても、無意味だからとの事だった。
犬井はそんな事はない、と反論したが佐和子の意思が岩のように固かった。
「もしもし洋治?あたしよ、佐和子。元気してるぅ?」
「元気どころじゃないよ、最悪だ」
「病気になった?」
「病気じゃない。俺は道を歩けばヤクザにからまれるんだ。
それより何か用か?」
「また会いたいって思って。あたし、横浜から実家に帰るって決めたの。
だから戻る前にあなたと一回、会ってみたくて」
「おいおい、じゃあデザイナーの仕事はどうするんだ?」
「山形に帰っても服のデザインは続けます。
あんたの方はどう?物語のデザインは順調?」
「まあ、ようやく一段落がついた所だ。
神社の巫女さんの話を書いてたんだけど。
ついこの前終わったばかりだしな。
本になったら買ってくれよな。
税込みで1423円の予定だ」
「面白そうねえ。タイトルは何て言うの?」
「『妖艶』だよ」
「タイトルだけで読みたくなりそう。
あんたってタイトルつけるの、上手いんだから」
「タイトルは作品の氏名だからな。
意味不明のタイトルとかはつけたりせんよ」
「例えば?」
「限りなく透明なイエローとかな。
何の事やら、さっぱり分からん」
「あたし、20日には荷物まとめるから。
18日の日曜日はどう?」
「2週間後やな、よし分かった。その日は予定開けとくよ。
二人で公園でも散歩してみないか」
「うん、楽しみに待ってる。じゃあ、バイバイ」
佐和子が電話を切った。
離婚した女が山形県まで帰るとは、何とも悲しい限りだ。
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三日後。
早朝、犬井は歩いていた。
朝飯はいつも自宅マンションの近くにある、すき家で取っている。
今朝も牛丼の大盛りを注文して腹一杯になった犬井は、マンションに帰ろうとしていた。
途中、犬を散歩させている老人にすれ違った。
老人のペットの秋田犬が、いきなりけたたましく吠え始めた。
「ワンワンワン!」
犬に好かれる方ではない犬井は、足早に帰ろうとした。
犬は老人のつかんでいるリード線を引っ張ると、老人の手から外れてしまった。
リード線を引きずり、犬は犬井の足に噛みついた。
「うげえ!」
犬井は声にならない悲鳴を上げた。
噛む力は、物凄く強い。
このクソ犬は、俺に恨みを持っているのは確かだ。
前世では敵だったのかも知れない。
「放せ、この畜生が!」
犬井は犬の上アゴと下アゴをつかんで、開かせようとした。
しかし噛む力は、さっきよりも強くなった。
「この悪魔犬が!」
犬井は犬の頭に、空手チョップをお見舞いした。
犬はキャイ~ンと泣くと、老人の元に戻った。
犬井は痛さに負けて、アスファルトの上に尻餅をついた。
ズボンの裾をまくり上げると、出血している。
「俺の足がぁぁぁ!」
わめく犬井の前に、飼い主の老人が近づいてきた。
「あんたのペットは頭がおかしいよ!
お陰で足を食いちぎられる所だったぜ!」
犬井は苦痛に、顔を歪めた。
「貴様、わしのシロに何ちゅう暴言さらすんや?!」
「暴言だと?!俺はあんたの犬に歯形が残る程、噛みつかれたんだぞ!
狂犬病にでもなったら、どう責任取ってくれる?!」
興奮している犬井は、老人の背後から三人の男が歩み寄ってきたのを見た。
三人共、黒のスーツを着ている。
「何だよ、あんたらは?!関係ねえだろ!?」
「関係あるんだよ、このクソガキ。このお方が誰だか知らないのか?!」
黒スーツの一人が、しゃべった。
「知らんね。犬を散歩させている爺さんだろ」
「貴様、このお方をどなたと心得とるんじゃあ!
関東青龍会会長、新藤精吉様じゃあ!」
「関東青龍会?!ヤクザなのか?!」
犬井は寒気を感じた。
「この若造に礼儀を教えてやれ」
老人が黒スーツの男三人に命令した。
「合点です」
三人の黒スーツの男たちは、犬井に寄ってたかって殴る蹴るの暴行を働いた。
すぐに犬井はアスファルトの上に倒れ、動けなくなった。
「会長、このガキどうします?」
若手の一人が聞いた。
「うちの組事務所で、一から礼儀を叩き込んでやれ」
「はい」
黒スーツの男たちは、気絶した犬井の体を担ぎ上げた。




