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現実になった悪夢

東京・青山にある文新社一階の談話室では、犬井と担当編集者の岩木と対談していた。

「本当の話なんだよ。絶対に俺の幻想なんかじゃない。確かに死体があったんだ」

岩木は信じていません、という顔を犬井に向けた。

「でも、死体が消えてしまったんじゃねえ・・・。警察の調べでは、第三者が侵入した形跡さえもないんだろ?」

「ああ、そうだ」

「それじゃダメだ。証拠ってものがないとねえ。

誰も信じてくれやしないよ」

「俺がウソをつく人間に見えるか?」

「見えないが、もうこれ以上その話をするのはやめた方がいい。

頭が変だと思われるぞ」

「なあ、文新社のサイトに俺の小説をけなしてる奴の書き込みがあるかどうか、調べてみてくれ。

俺の小説に恨みがある奴が、やった犯人なんだ」

「しつこいな!そんな事をする必要はないよ!」

岩木は怒った。

「そんな事で頭を悩ます暇があったら、次の新作小説の原稿の続きを持ってきてくれよ。今度はどんな展開なんだ?」

「犯人が第二の殺人を実行するんだ」

「だったらそのアイディアを今からでもまとめろ。

それが今、君がすべき事なんだ。僕は忙しいんだ。これで失礼するよ」

岩木は立ち上がると、談話室を出ようとした。

「せっかく来てくれたんだから、コーヒーはちゃんと飲んで行ってくれよな」

テーブルに置かれてあるコーヒーを見て岩木は、犬井の肩をポンと叩いた。

岩木は帰ったが、犬井はしばらく立ち上がれなかった。


     ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


犬井がマンションに帰ったのは、夜の10時だった。

インターネットカフェで、ずっと自分のブログを見ていて遅くなったのだ。

コメントを開いても、どこにも誹謗中傷の書き込みは無かった。

犯人はこの手の嫌がらせには、まだ手を染めてないようだ。

今度も部屋に死体があるかも知れない。

犬井は緊張してドアを開けた。

部屋の中は真っ暗だったが、誰かいるのが見えた。

首吊り死体だ。

犬井は慌てず騒がず、電気のスイッチを押した。

部屋が明るくなると、天井からロープで吊った首吊り死体が鮮明に見えた。

前回は全裸だったが、今回は服を着ている女の死体だった。

顔をよく見て見ると、この前の三分割された死体のと同じ顔だった。

「たまげたな、こりゃ。体をバラバラにされたのに、もう元通りになってるのか」

犬井はマネキンかどうか、触って確かめた。

皮膚の感触からして、またしても本物だ。

縫い合わせたような形跡もない。

「お前は何者なんだ、あ~ん?」

犬井は女の死体に尋ねた。

首を吊っているのが、偽装工作に見えたからだ。

「今度はだまされないぞ。どこかよそに行ってくれ」

犬井は女の死体を無視すると、寝室へ行き、ベッドに入った。

警察なんか、呼ぶつもりはない。

朝、目が覚めたら死体は消えてしまっているだろう。


   ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―


不快な朝が訪れた。

犬井はベッドから抜け出し、書斎に行った。

女の死体がまだあるかどうか、確かめるためだ。

犬井の予想通り、部屋には女の死体は無かった。

犬井は安堵のため息をついた。

警察なんかに電話しなくて良かった。

何しろ、死体の方が勝手に消えてくれるのだから。

犬井はいつも通り、朝飯にはトースト、サラダ、ゆで卵、コーヒーを用意した。

新聞を広げながら、トーストをかじる。

奇妙な事が、連続して起こった。

二度ある事は、三度あるに決まってる。

しかし、もう絶対に驚いたりなんかしない。

あの女は死んだフリをしていたが、本当は生きていたのだ。

何故ああまでして、俺をからかってくるのだろうか。

俺の小説が気に入らない奴に決まっている。

今度死体の真似をしてきたら、本当に首を絞めてやろうか。

犬井は廊下から、ヒタヒタという足音を聞いた。

その足音は、台所に向かってきている。

犬井は持っていた新聞を、テーブルの上に置いた。 

台所に現れたのは、昨日の首吊り死体の女だった。

「あわあわあわ・・・」

犬井は喉を詰まらせた。

首を吊っていた女の首筋には、ちゃんとロープで絞めた跡があった。

女は怒った顔のまま、犬井に近づいた。

「何が望みなんだ、金ならいくらでもくれてやる・・・」

女はいきなり、犬井の顔面にパンチを浴びせた。

「うげっ」

犬井の頭は後ろにのけ反った。

鼻血がポタポタと、寝巻きの上に落ちる。

犬井がもう一度、女の顔をよく見ると、女は犬井の頬に往復ビンタを食らわせた。

「待て、落ち着け、話せば分かる・・・、冷静になれ!」

犬井は女を静めようとした。

この女は人間じゃない。

改造人間か、異星人か、何かの実験の失敗で産まれたのか、とにかく人間の女ではない事は確かだ。

「何か言えよ!黙っていても分からないじゃないか!」

女は無視して犬井を殴ろうとした。

だが犬井は飛んできた女の拳を、つかんで止めた。

「何か俺に恨みがあるようだな。俺の小説に文句があるんだろ?どこが気に入らないのか、具体的に言ってくれよ、具体的に」

「全部、気に入らねえ」

女が初めて口を開いた。

「そうじゃなくて具体的に言ってくれないと、こっちもどう直せばいいか分からないんだ!」

「気に入らねえから、お前を殺す」

「それだけで殺すのかよ?!じゃあ殺す前に一番気に入らない箇所を教えてくれよ。それぐらい言ってくれてもいいだろ?」

「あたしが死ぬ所が一番気に入らない」

「は?!」

「山本祐子が死ぬ所が一番気に入らないって言っとるんじゃ、ボケ!」

女は明らかに怒っている。

「山本祐子?!それはまだ出版してもいない、現在執筆中の新作じゃないか!

貴様、勝手に部屋に入って原稿読んだな!」

「読んでねえ」

「読んでもいないのに分かるのか?!」

「あたしが山本祐子だからよ」

「え?!」

「山本祐子だって何度言ったら分かるんじゃ、ボケ!」

女は再び、犬井にパンチを浴びせた。

犬井の鼻から落ちる鼻血で、パジャマは真っ赤に染まってしまった。

「何を言ってるのか、さっぱり分からん!」

「あんた、作者のクセにバカなのね。山本祐子ってのはね、あんたの下らない小説の哀れな主人公よ」

「山本祐子が実在したとでも?!」

「違う。あんたの小説の中から抜け出してきたの」

「お前は頭がおかしい!」

「おかしいのはお前だ!」

山本祐子がパンチを浴びせた。

「痛えっ」

「口のきき方には気をつけな」

犬井は不可解な顔で、山本祐子を見つめた。

彼女はデタラメを言ってるのか、それとも真実なのか?

真実なら信じられない!

彼女は俺が創作したキャラクターなのに、産みの親を殴るなんて。

「殺してやるから覚悟しな」

祐子は台所にある包丁をつかんだ。

犬井は全身から、血の気が失せた。

俺は自分が創作したキャラクターに、殺されようとしている!

「やめろ!何故、自分の創造したキャラクターに殺されなきゃならんのだ!?

俺がいなきゃお前だって存在してないのに!」

犬井は台所を逃げ回った。

祐子が追いかける。

「待て、ケダモノ!」

「勘違いするな!お前は虚構のヒロインなんだ!

実際に殺された分けじゃない!」

犬井はつまずいて、床に倒れた。

祐子が包丁を握って、犬井の腹を刺そうとしゃがんだ。

「やめろ!」

犬井は咄嗟(とっさ)に、真剣白刃取りで包丁をつかんだ。

この女は本気で、俺を殺そうとしている。 犬井は力を振り絞って、女から包丁を奪い返した。

今度は自分が包丁を握った。

「やめろと言ってるだろうが!あの話はフィクションなんだ!

お前はフィクションを現実だと思ってるんだ!」

祐子は犬井の話に、耳を傾けようともしない。

「てめえは殺す。女を(もてあそ)ぶのが好きなサディストが・・・」

「どう言ったら理解してくれるんだ?!」

犬井はどう出るべきか、悩んだ。

逃げるか?

それともこのまま女と対決するか?

作者を殺そうとする不届きなキャラクターは、殺すべきかも知れない。

誤って殺してしまっても、正当防衛だ。

犬井は部屋にあった花瓶をつかむと、それで祐子の頭に直撃した。

現実に現れた小説のヒロイン、山本祐子はカーペットの上に倒れた。

ピクリとも動かない。

「おい、これからどうすりゃいいんだよ?」

犬井はしばらく気絶した祐子を眺めて、途方に暮れた。

小説の中から出てきた女なら、殺しても捨てても犯罪ではない。

ゴミを捨てるのと同じ事だ。

犬井は決心すると、祐子の体をカーペットでくるんだ。







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