S1-4
前回のあらすじ:葉月視点
運命的な出会いをはたし、修介さんからの再びのダンスの誘いについに折れる早希。
ただ、そのダンス中に突然の告白を受け、転倒してしまった早希は……
あの後、パーティー会場を飛び出したらしい。
手を掴まれて我に返った時、私はパーティー会場からほど近い外灯と月明りだけの薄暗い公園にいた。衣服は乱れ、靴も片方がいつの間にかなくなっている。おまけに涙が溢れて止まらない。
そんな私の手をしっかりと握りしめてくれてくれた相手。振り返るとぼんやりとした視界に映ったのは葉月のだった。もう片方の手には私の落とした靴を持ち、何も言わずに優しく抱きしめてくれる。私はそんな彼女の胸に涙が枯れるまで泣き続け……なかった。
「ごめんね!私、こんな事になるなんて……。ごめんね! ごめんね! ごめんね……」
そう言いながら葉月が泣きをはじめたのだ。驚きに顔を上げようとするもきつく抱きしめてきて身動きがとれない。……というか葉月の胸のせいで息もできない。
「……ぶはっ!! は、はなして!」
生きたいという本能で悲しみも吹き飛び、空気なんて読んでいる余裕もなかった。
腕を叩きながらの必死の訴えかけ、葉月は不服そうに頬を膨らませながらもしぶしぶはなれてくれた。
「と、とりあえず座ろう」
話はそれからと近くにあったベンチに一緒に座り、葉月から靴を受け取って履きなおす。けれども、落ち着けば今度は泣いていた恥ずかしさもあって、言葉が続かない。
……私、なにやってるんだろ。
今思えば飛び出す必要もなかった。照れ笑いで誤魔化して呆れた笑い堪えていれば葉月を悲しませる事もなかったのに。
気まずい空気に途方に暮れていると、葉月が珍しく甘えるように手の指を絡めて私の肩に寄りかかってきた。いつもなら他愛のない話で場を和ませる葉月の彼女らしくない行動。
ただ、それと同時に葉月の温もりを感じ、時折微かな指先の動きを伝えあうだけで心が満たされていく不思議な感覚が伝わってきた。……この高揚感にも似た胸の高鳴る感覚。そういえばそれを私はどこかで?
なぜか、彼の事が思い浮かんだ……?
「……今、他の男の事を考えていたでしょ?」
葉月の思わぬ一言に私はなぜかドキリとして、慌てて首を横に振る。
「か、考えてないし! 全然考えてないし!」
「全然、ねぇ……」
「……」
葉月はこういうとき鋭い。
顔が赤くなるのを感じていると、葉月は呆れたと言いたげにため息をついた。
「今、ここに居るのは私なんだけどなぁ」
私を心配して追いかけてくれたのは葉月だけなのだ。それなのに傍にいる無二の親友よりも他の人を考えていれば、呆れて文句のひとつを言いたくなるが気持ちはよくわかる。
「……ごめんなさい」
素直に謝ると、葉月は再びため息をついた。
「別にいいけどさぁ。……彼の事、そんなに気になるの?」
気になる。その言葉の意味ではそうなのかもしれない。ただ、葉月が意図するのはきっと『好き』かどうか。恋愛初心者な私に『気になる』がどういう状態なのかなんてわかるはずがなかった。
「……わからない。でも、彼が近くにいると落ち着かなかったかな。それに胸が騒めきみたいなのものあって、なんか焦ってしまいそうで、悔しくて、腹立たしいような。まるで……」
なぜか息苦しくなって、その先の言葉がでない。
私はその感情が何か知らない。もし、百歩譲ってそれが恋と言われればそうなのかもしれないし、変と言われればそのとおりだと思う。もしかしたらそういう病気の可能性だって……
私にこの気持ちを確かめる術はなく、経験も時間も足りなかった。ただ未知の感情に『わからない』という答えが繰り返され、苛立ちで余計に胸が苦しくなる。
それなのに言葉に詰まる私に対して葉月はニコリとほほ笑む。
「そっかぁ」
葉月はそれ以上なにも言わなかった。甘えるように私の膝へと頭をのせ、先ほどの話などなかったかのように寝転ぶと頭を撫でるようにねだる。私が応えてあげると心地さそうにしはじめ、そんな葉月を見ていると胸が苦しくなるのが和らいでいくのを感じた。
「葉月がロミオだったらよかったのに……」
葉月がロミオだったら、きっと今もパーティー会場の一人として何も起こらずただ楽しんで終わっていたのに。男子はきっと羨みながら私を睨みつけるだろう。でも、私は女子だからと華麗にスルーして良い思い出話にもなっただろう。
でも、現実はそうならなかった。
思わずため息をつくと、彼から渡されたジュリエットのカードを取り出して眺める。
ジュリエットはロミオと出会い、二人は一目で恋に落ちたらしい。対して今の私はどうなのか。
誘いを断ったうえに、逃げられなくってからのダンス中に不意打ちの告白を受けて転倒。挙句にシンデレラもびっくりな逃走劇。ロミオとジュリエットと呼ぶにはあまりにひどい物語ではないか。
心の中で自嘲してふと気づく。
「……そういえば彼のカードがロミオか確かめてなかったなぁ」
これで違ったら笑い話になっちゃうねと苦笑いすると、不意に太ももをさするような違和感を感じた。
「……葉月、何をしてるのかなぁ?」
「また、あんな奴の事を考えていたんでしょ? その罰だよ」
なぜわかった……て、そりゃジュリエットのカードを眺めていたらわかるよね。
私はため息をつき、カードをしまうと再び葉月の髪を撫でながら夜空を見上げる。今日は偶然にも満月らしく、遠くから光る小さな丸が私たちのために照らしているかのようだった。
「……葉月、ごめんね。一緒に踊れなくなっちゃって」
私の呟きに反応して、葉月も仰向けになって夜空を見上げた。
「私は早希がいればそれで満足だよ。それよりもこうして二人きりできれいな夜空を見る時間を作れた事に感謝しなくちゃ」
「言うほどきれい?」
「もう、わかってないなぁ。こういうのはムードが大事なのに……」
今も太ももさすりながら言うセリフじゃないよね。とツッコミを入れようとしたところで葉月が起き上がった。
「そうだ!どうせならここで踊っちゃおう!
「え?こんな場所で?」
私は周囲を見渡す。
周囲を木で囲まれた外灯だけの薄暗く小さな夜の公園。そんな場所に好き好んで近寄る人はいなだろう。けれども踊るにしても、音色もなければ足元も暗くて危ない。
それなのに葉月は名案だといいたげに微笑む。
「こんな場所だからでしょ。この明るさなら人が通ったところで誰かなんてわからないし、うまい下手も関係ない。それに音楽ならここにあるよ」
そういうと葉月は手早くスマートフォンを操作し、会場で聴こえいてたような音色が流れ始めた。
「さあ、一緒に踊ろう。私達だけの秘密の思い出として」
「秘密の……?」
葉月は私の手を引っ張ると、そのまま勢いに任せて踊りだす。
そのダンスは彼と違って強引で、ブンブンと振り回しながら時には足を踏みそうになったりして踊る他人にはとても見せられそうにないダンス。ただ、そんな呆れてしまいそうなダンスなはずなのに、自然に笑顔がこぼれ、心から湧き上がるような楽しい気分になれた。
ずっとこうして二人で踊りたい。そんな事を願ってしまいそうなダンスほどすぐに終わってしまうもので、やがて音色が終わりを迎えて一曲を踊り終えると葉月がほほ笑む。
「そろそろかな」
「そろそろ?」
葉月は頷き視線を私の後ろに向ける。それにつられながら葉月が目を向けた先を見る。そこには月夜に現れた現代のかぐや姫と言ってもいい美しい女性と、そんな彼女を凛とした姿でエスコートする凛とした男性の姿。沙耶さんと彼だった。
私は胸の鼓動が速くなるのを感じながら葉月に尋ねる。
「どうして二人がここに?」
「それはねぇ」
葉月は笑顔でスマートフォンを指さす。
「さっき一緒に踊ろうと音楽を流す前に沙耶さんに連絡したの」
「どうやって?」
「早希が修介さんにエスコートされている間に沙耶さんと連絡先を交換してたんだよねぇ」
あまりにも準備がよすぎる葉月に驚きに言葉を失っていると、彼女はニヤリと笑みを浮かべて言葉を続ける。
「あ、それでね早希。私は沙耶さんとなんとなくそれっぽい大事な用事があるの。だから少しの間だけ修介さんをよろしくね」
「なにそのとってつける気もない用事!」
せめてそれっぽい内容をつけて! と私の叫ぼうとしたところで葉月に口元を人差し指で添えられてしまった。
黙る私にいい子いい子と頭をポンポンし、抱きしめたかと思うと少ししゃがんで私の首元へ葉月の唇が触れた。
「……葉月?」
私は驚きに名前を呟くと、葉月はゆっくりと離れて再び微笑む。
「これは秘密のおまじない」
そういうと葉月は沙耶さんの元へと駆け出して行き、沙耶さんと再びパーティー会場の方へと行ってしまった。
……そして、後に残ったのは私と彼。
ダンスで転び、飛び出してしまった後という事もあって気まずい空気に何を言っていいかわからずにいると、彼と目が合う。
「とりあえず座ろうか」
「そ、そうだね」
そう言って彼が指さしたのは先ほどまで葉月と座っていたベンチ。しかも、そこには葉月の忘れ物らしいスマートフォンも置かれていた。これを理由に後で様子を見に戻ってくるつもりなんじゃ……
そんな葉月に呆れてしまいそうになりながらも彼の言葉にうなずき一緒にベンチに座る。ただ、座ったところでこの空気がどうにかなるはずもなく、無言の時間がただただ流れ続ける。それだというのに胸の騒めきが治まる事はなく、どうしていいのかもわからない。そんな長い長い沈黙が続いた後に彼がポツリと呟いた。
「……俺、早希にフられてしまった」
思いもよらない、というか明らかに本人を前に言う事ではない言葉に私は思わずむせる。
「どうした? 何かあったのか?」
「それ、本人を前にして言う事!? それに私はまだフってない!」
「そうだったのか? なら、返事を聞かせてくれないか」
やられた! 彼が返事を聞きたくて誘導していたと今さら気づいたところで手遅れだった。
はい? いいえ? 気持ちの整理すらついてないのに答えられるはずがない。堪えきれず、視線を逸らすと彼からため息の声が聞こえた。
「まぁいいさ。パーティーが帰る時までに返事をくれ」
急かされない言葉に安堵の息をついた直後だった。パーティー会場のあった建物の方から騒めき聞こえはじめる。時間を確認するとパーティーは終わる時間となっていた。
「……時間だ。答えをくれ」
「早すぎない!?」
私の切実な訴えに彼はため息をつくとカードを取り出した。
「これは俺のカードだ。君は、早希はこれがロミオのカードだったら好きになってくれるか?」
「それは違う! 私はただ……」
「わかっている。だから俺は、早希の気持ちが知りたいんだ。ダメならきっぱりと諦める。だから、俺の問いに正直に答えて欲しい」
「私は……」
答えることが出来なかった。ここで彼にいいよと言えば、彼がロミオで私がジュリエットだからいいよといったと認めてしまうような気がしたから。それがなぜいけない事かはわからない。
でも、私にはそんな作られたストーリーのような運命的な偶然じゃなく、もっとたしかな何かが欲しかった。そんな作り物で簡単に消えてしまいそうな一瞬ではなく、葉月のようにもっとたしかな何かが……
そんな私に彼はため息をつき、再び尋ねる。
「じゃあ、質問を変える。早希は俺の事が嫌いか?」
その問いに、私は彼の顔を見る。
薄暗い中から見えた彼の真剣な表情はしっかりと私だけを見ていた。そんな彼の姿に胸の騒めきが強くなっていくのを感じながらも答える事ができた言葉。
「……嫌い、じゃない、と、思う」
卑怯な答えだとはわかっていた。ただ、それでも私にとっては精一杯の勇気で出せた言葉で、苦しさのあまり手を胸に当てる。
彼はそんな私を見てニコリと微笑んだ。
「早希の考えは理解した」
彼のその一言に安堵して、視線を落としながら瞼を閉じた瞬間だった。
不意に私の唇に何かが触れたのは。それが彼とキスしたのだと気づいたのは彼の顔がはなれてからで、呆然としていた私は我に返ると顔が熱くなるのを感じた。
「な、な、ななな何するの!」
「何って、キスしただけだろ」
だけって! いや、そのとおりだけどそうじゃないでしょ! 手が触れたくらいの感覚で言わないで欲しい……じゃなくて!
「どういうつもりかといってるの!」
「好きだからに決まっているだろ」
なにこの超に加えてドがつくストレートな言葉。
けれども言葉に胸を締め付けられるような感覚と共に、これ以上ないほどに顔に血が上がっていくような感じがして。
もしかして、私も……?
なぜかそう思ってしまった事を理性が必死に飲み込み無言で睨む。そんな私に彼はため息をついた。
「君の親友はよくて、俺はダメのか?」
「葉月とキスはしていない!」
「じゃあ、その首の痕は?」
そう言われて首に手をやり思い出す。葉月は『おまじない』と言ったけれど、それは彼に嫉妬させるためにしたらしい。なぜ、こんなにも彼が返事を迫り、こんな事までしてきたのか。意味がようやくわかったけれども今は葉月に怒っている場合じゃない。
「これは葉月がいきなり! ……そう、これは親友だからいいの!」
「俺は早希の友達の兄だぞ」
「それ、友達の友達くらいに無関係だよね!」
「だから何だ。早希が好きな気持ちは負けてない」
「だからって唇はダメでしょ」
「じゃあ、首ならいいのか」
「そういう意味じゃないの!」
あまりにも身勝手で強引な言葉だった。それなのに胸が高鳴り嫌な気持ちもしない。それどころか怒っているはずなのになぜか嬉しいような感覚が湧き上がっていく。それって、つまり……
「じゃあ、その意味をたしかめてみよう」
そう言って再び顔をゆっくりと近づける。逃げようと思えばいつでも逃げられた。断る事もできたはずなのに、それなのに私は望むかのように目を閉じて……
「はい、そこまで! 体験版はここで終了だよ!」
「お兄様、無理矢理はいけませんわ」
含みある満面の笑みの葉月と沙耶さんによって助けられてしまった。
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