蛇蝎の如く〜史上最悪の暗殺者は、魔王の母に惚れました〜
彼が目を開けると、そこは牢獄の廊下だった。
長く続く石畳の廊下と、左右に連なる鉄格子が不気味に並んでいる。
人の気配がない牢獄の先に、ぼんやりとした明かりが見えた。
空気は乾いていて、不気味な景色ではあるが不衛生ではないようだった。
「ーーー転移魔法ってのは、便利なもんだな」
彼はニヤリと笑い、明かりへ向けて石畳を進み始めた。
足音は立てないように気をつける。
彼は暗殺者だった。
依頼を受けて、この奥にいる人物を殺しに来たのだ。
明かりが灯っている場所にたどり着くと、正面に他よりも広い牢屋があった。
太い鉄格子と、簡素なベッドが中に見える。
真ん中に置かれた水差しの置いてあるテーブルと、イス。
そのイスに、ターゲットは腰掛けていた。
艶やかに長い黒髪と、真っ白な肌を保つ美少女だ。
「よう、気分はどうだ?」
声をかけると、彼女は驚いた顔でこちらを見た。
気配も足音もなしでは、素人の彼女が気づかなかったのも無理はない。
そもそも、そんな悪戯をすることが目的だったのだから。
「お前も大変だな。魔王の母親になる素質……そんなもの、望んではいなかっただろう?」
目の前の少女は驚きが醒めたのか、彼の言葉を聞いて表情を消した。
白く簡素なワンピースのスカートの上に両手を置き、こちらから顔を逸らして壁に向ける。
そうしてずっと、ここに来てから壁を眺めているのだろう。
ぼんやりと、ではなく、明確な拒絶の意思をもって。
「お前、喋れないんだろう?」
さらに声をかけると、肩がピクリと跳ねる。
どうやら、こちらを意識していないわけではないようだった。
心持ち顔が青ざめ、指先に力がこもってスカートにシワが寄っている。
「怯えてるのか? 不幸だよな、お前」
彼は床に腰を落とし、立てた膝に片手を乗せた。
声は、かすかに牢獄に反響しては消えていく。
「言葉が話せないことを理由に、親に捨てられたんだってな。そして孤児院で育ってみれば、あまりにも美しく育ったがゆえに、孤児院の奴にゲスな貴族に売られた」
それは、資料として渡された彼女の情報だ。
だが、彼女は貴族の手には渡らなかった。
「お前は監視されていたんだ。その素質によって、貴族に買われるよりも前から。そして確証を得た組織に、横から身柄を奪われた」
魔王を崇拝し、かつて封印された魔王の魂を復活させようと暗躍している者たちに。
邪悪な存在を復活させるための苗床として。
「まるで観劇のような話だ。舞台を客席から眺めている分には、さぞ面白い話でもあるだろうな」
少女は、喋り続ける彼の方を向かない。
それでも彼女は聞いていないわけではなく、指に力が明確にこもり、肩が震えていた。
「しかし正義の味方は現れない……」
確証を得るまでの間、組織に依頼されて少女を監視していたのは、彼自身だった。
「身柄を輸送される途中に、襲撃を受けただろう。奴らが正義の味方で、お前を殺すために現れた」
襲撃して来た連中は、勇者を擁する正義の味方……だが、そいつらは彼女を救いにきたわけではなかった。
魔王の復活を阻止するため、正義の名の下に少女を斬り殺すために現れた。
だが、勇者側は失敗した。
「お前の馬車を逃がすために、俺が邪魔をしたからだ。お陰でお前は今、牢屋の中にはいるが生きている」
少女は、ようやくこちらを見た。
その目は冷たく、彼を射る。
ゾクゾクするほどの鬼気迫る美しさだ。
魔王の母親、そう呼ばれるに相応しい表情だ。
だが、彼は知っている。
少女が本当に魅力的なのは、子どもと戯れたり、草木を愛でたりする時に見せる微笑みを浮かべた時なのだと。
「スノウ」
少女の名を呼ぶが、表情は変わらない。
彼は下手な芝居を打つのをやめて、ぐるっと首を回してからニヤッと笑ってみせた。
「俺は暗殺者だ。しかしお前を勇者どもの手から守った。でも、なぜかお前を殺すためにここに存在してる。言ってる意味、わかるか?」
膝に置いた手を伸ばし、手のひらを上に向ける。
軽く笑みを浮かべて小首を傾げてみせると、スノウの目に戸惑いが浮かんだ。
「裏切り者ってやつだよ。魔王側からお前の護衛依頼を受け、その後に勇者側から暗殺依頼を受けた。どっちも前金は貰ってる」
黙ってこちらを見つめる彼女に、指を二本立てて見せる。
「なぁ、俺はどっちの依頼を遂行すると思う?」
普通に考えれば、殺すためだと思うだろうが。
彼は立ち上がり、つま先でトントン、と地面を叩いた。
「正解は、どっちもやらねー、だよ」
彼は無造作に牢屋に近づくと、腰のロングダガーを握って一閃した。
キン、と金属を断つ音とともに、格子が三本斬れる。
それを無造作に足で蹴り倒してから、ダガーを仕舞って彼女に顔を近づける。
黒い瞳が、彼自身の顔を映している。
左頬に朱い桜花のタトゥを入れた、我ながら平凡すぎる幼な顔を。
「俺は、お前を逃しにきた」
手を差し出しながら告げるが、スノウは動かない。
「俺はな、スノウ。お前に惚れたんだ。だから、魔王の生贄にもさせないし、勇者どもに殺させもしない」
最初は依頼だった。
影の護衛という、面倒だが割のいい依頼。
だが、護衛対象の少女は、あまりにも彼の好みだった。
顔立ちや立ち振る舞い、日頃の行動から見える、優しさと芯の強さ。
この少女の瞳に、自分を映したいと、思った。
気づけば惹かれていた自分を、我ながら滑稽だと思う。
世界を二分する組織のどちらもが欲する少女、それでも口説きたいと思ってしまった。
このまま拐えば、どちらも彼の敵になる。
「だが、強要はしない。お前を殺そうとした連中への報復に、魔王の復活を望むなら、このまま去る。勇者どもに殺されてやるなら、奴らの元へ届けよう」
差し出した手と彼の顔を見比べるスノウに、彼は片目を閉じた。
「元の生活には戻してやれねーが、それでもお前の意思を最大限に尊重する。……まぁ本音を言えば、一緒に来て欲しかったりするんだけど」
我ながら信用出来ねーなぁ、と思いながら、差し出した手を引っ込めはしない。
彼女を助けようと思った気持ちに、嘘はないのだ。
一年半。
それだけの間、彼はずっと彼女を見続けてきた。
本当はたった3ヶ月の契約だった依頼。
「辛い状況には、十分耐えただろ? 自分にはどうしようもない理由で捨てられて、小間使いみたいにただで働かされて、あげくの果てには正義も敵だ。……もう、頑張らなくていい」
契約を延長した時から、ずっと思っていた。
このまま孤児院を出で、平穏な生活をスノウが続けるのなら、それでいいと。
だが、スノウを狙う連中の手が伸びるなら、その時は彼女を助けようと。
その為に、魔王側と契約を続けた。
同時に勇者側に、彼女を狙う連中のアジトを……つまりは今いるこの場所を突き止めるために、暗殺の話を持って行った。
ーーーわざと襲撃に失敗し、魔王側を油断させてから一網打尽にするために。
「俺の名は【蛇蝎のオウカ】。口にする言葉は毒の味だ。呑めば死ぬかもしれん。……それでも」
オウカと名乗る彼は、牙を剥くように彼女に笑いかけた。
「ーーー蛇蝎の如く忌み嫌われても、我儘な自由に、生きようぜ」