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蝿の女王  作者: 黒塔真実
第四章、『神へと至る道』
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8、飼い犬の憂鬱 ⑧

 視界に映ったのは冷たく見下す金色の瞳と、神経質に椅子の肘掛けをノックし続ける人差し指――

 カーマインは気だるそうに艷やかな赤銅色の長髪をかき上げ、赤い唇から吐息を漏らすと、おもむろに口を開いた。


「モリーを第二支部に呼び戻して欲しいというお前の頼みは、No.8が防衛戦に出すことを見越してであろう。

 そのうえで尋ねるが、クィーン。

 まさか、私がお前の願いを聞かない場合は、モリーを殺したくないので、今回の順位戦を見送るとか言わぬよな?」


 少女の命の期限を思えばその選択肢はないものの、クィーンは恐る恐るカーマインに質問返しをする。


「もしそう言ったらどうしますか?」


 とたんカーマインは不愉快そうに眉間と鼻にシワを寄せ、苛立ちもあらわに吐き捨てる。


「ふん、そんな甘いことを抜かした瞬間、即刻お前を縛り上げ、考えが変わるまで何日でもこの部屋の天井から吊るしてやるわ!

 だいたいその前に、異動届けは大幹部会議の一週間前に提出せねばならぬ決まりがあると、お前も知っておろうがっ!」

 

 カーマインに叱責されても珍しくクィーンは食い下がる。


「……たしかにそれは知っていますが、カーマイン様ならなんとかできるかと……」


 現にクィーンを自分の下に留めるため、すでに居住地で所属が決まるという原則を曲げている。

 No.2としての権力を使えば可能だと思うからこそ、カーマインの配下想いの面に賭けた。


「モリーは第二支部にいた頃、あなたをとても慕っておりました。

 本部へ異動したのも、私がローズに続いて彼女の順位を抜き、あなたの側近になったタイミング。

 今までの、そして数日前に会ったときのモリーの言動から判断するに、ローズや私が美貌ゆえにあなた様に優遇されたという、勘違いによる不満が原因のようです。

 だからカーマイン様の口からそれは誤解だと説明すれば、必ずや第二支部に戻ってくるかと――」

 

 しかし、クィーンの主張はあっさりと却下される。


「たとえ可能であろうと断わる。

 あいつは自分の意志で出て行き、私は去る者は追わない主義だ。

 それでも助けたいのなら、この私の手を煩わせず、自分の力でなんとかするのだな。

 ――とはいえ、お前はモリーが第二支部にいた頃、ローズとともにつねに侮辱されておったではないか。

 果たしてそのような者の命を救ってやる価値があるのか?」


 狡猾なモリーはカーマインのいないところでしか二人をいびらなかったのに、しっかりと把握されていたらしい。


「それは――」


 クィーンはそこで正直にメリー人形とのやり取りと、彼女を助けたい自分の気持ちを告白した。

 事情を理解したカーマインは、いかにも疲れたように額に手を当てて俯き、溜め息混じりに言う。


「まったく……! 珍しく私に意見をしたかと思えば、仕様もないことを……。

 お前にしてもNo.3にしても、私情に振り回されすぎている!

 クィーン。お前が大幹部になった直後、私が送ったメッセージを覚えているか?」


「はい。もちろん覚えております」


 忘れもしない、それは『苦手なものを克服してこそ成長はある』というものだった。

 カーマインは白皙の面を上げると、クィーンをまっすぐ見下ろし、言い聞かせるように語りかける。


「良いかクィーン。何かを真に望むなら、苦手だとか嫌だとか言ってはいられないし、他人に配慮している余裕もない。

 確実に願いを叶えるためには、他の全てを犠牲にする覚悟が必要なのだ。

 たとえばローズはお前の命を守るために、自分を捨てて何でもしてみせた」

 

 『何でもしてみせた』という言い回しに、クィーンの心臓がどくっと一拍高鳴る。


「……ローズが……私の命を……守るために……?」


「そうだ。お前が修道院を去ってすぐ、居場所を教えて欲しいとローズがやってきた。

 当然のように私は結社の規則を持ち出し、きっぱりと断った。

 しかしローズは自分が傍にいないとお前が死んでしまう、何でもするから教えて欲しいと必死に詰め寄ってきた」


「……」


「ならば、と、私は特別に教える交換条件として、ある過酷な任務を提案した。

 するとローズは『自分がそばに行くまでお前が死なないように取り計らう』という条件付でそれを引き受けたのだ。そしてまさに捨て身の働きによって見事達成した」


 その瞬間、クィーンの中でカーマインの口にした『過酷な任務』と、先日モリーが言っていた『特別な任務』が直線で繋がる。


「……そんな……!?」


(では、私のせいで……ローズは……)


「分かるか? ローズは他の全てを投げ打ってでも、お前の命を守ることを選んだのだ。

 お前もこの際、親友を見習って、自分にとって一番大切で優先すべきものは何か、よくよく考えてみることだな」


「……っ……!?」


 クィーンはショックのあまりそれ以上何も言えなくなってしまう。


「さてと、クィーン。私も忙しい身だ。他に話がないのならもう行くぞ」


 呆然とする彼女に冷たく言い放ち、カーマインが立ち上がる。

 そうして下界の扉の前まで歩いて行ってから、何かを思い出したように足を止めた。


「そうそう、クィーン。大事なことを言い忘れておった。

 数日前にモリーに会ったとのことだが、どうせいつものように嘲られたのであろう?

 しかし、お前も今や大幹部の立場。決していかなる者にも見くびられてはならぬ。

 ここらできっちり、今では階級差があることを、モリーの身にブラック・ローズで刻みつけてやれ」

 

 去り際告げられたカーマインの忠言は、クィーンの耳に届いても、ローズのことでいっぱいの頭には響かなかった――





 翌日、五日ぶりのアルベールとの逢引は、あいにくの雨模様だった。

 カーマインに言われたことを考え、とうとう一睡もできないまま王宮を訪れたアリスは、王太子専用の客間『青の間』に通される。

 すすめられるままにソファに腰を下ろすと、すかさずアルベールが隣に座ってきた。

 寝不足のせいで、対面するロー・テーブルの上に並ぶ、色とりどりの菓子類とティーセットが異様にぼやけて見える。


「悪いが、サシャも他の者も部屋から下がってくれるか?」


 入室して早々、アルベールは部屋の入り口で控える従者達に退出を促した。

 言われた刹那、サシャは美しい顔を凍りつかせ、サファイア色の瞳を数瞬揺らしたあと、


「おおせの通りに」

 

 苦しそうな声で同意した。


「扉は閉めていってくれ」


 追加の指示を下し、全員が出て行くのを確認してから、改めてアルベールはアリスに向き直る。


「これで二人きりだね、アリス」


 甘い声で言われて肩を抱かれたアリスは身を固くした。


「……はい、アルベール殿下……」


 さっとその耳元に唇を寄せ、アルベールがいたずらっぽく囁きかける。


「約束通り、キスをする心の準備はしてくれた?」


「……」


 アリスにしてみれば一方的に言われただけで、約束したつもりなんて毛頭ない。

 当然ながら心の準備もしていないので、ここは迷わず拒否する場面なのに――


「黙っているってことは、承諾と受け取っていいかな?」


 アルベールにそう訊かれても、返答に詰まって否定できなかった。



 思えばこれまでもずっと葛藤はあった。


 だけど『目的のために手段を選ばなくなったらお仕舞いだ』というニードルの言葉や、傷だらけになっても格上の聖剣使いの前に立ち塞がり続けたソードの勇姿。

 そして『母のようにならない』という前世からの魂の誓いを再確認することにより、アリスは『自分の命より大切なものがある』とはっきり認識するに至った。

 だからこそそれを守りたくて、実力でアルベールに勝てるようになろうと決意したのだ。


 ところが、カーマインの口からローズの話を聞かされ、再びアリスの心は大きく揺れ動いていた。

 おかげでアルベールに抱き寄せられ、顎を指で絡め取られても、ただ震えて固まるだけで身動きすらできなかった。


「……あっ……」


 くいっと顔を持ち上げられると、目前に吸い込まれそうな真っ青な瞳が迫っている。


「震えているね、アリス。

 ……大丈夫、怖がらないで……」


 言われて初めてアリスは自分が震えていることに気がつく。


(……そうだ。私は怖いんだ……)


 こうして触れられるだけで心臓が高鳴り、心を裏切って身体が熱くなることが――

 アニメのアリスや母達のように恋に囚われ、自身を制御できなくなって破滅することが――


(……カミュ様には強くなろうと言った癖に……我ながら情けない。

 私が最も鍛えるべきは、戦闘力よりも心かもしれない……)


 自己嫌悪に陥いるアリスの脳裏に蘇ってきたのは、


『ローズは他の全てを投げ打ってでも、お前の命を守ることを選んだ』


 という昨日のカーマインの言葉。


(……私もミシェルの復活のために、拒絶感や恐怖を乗り越え、己の信条さえも捨て去るべきではないのか?)


 なんて、今までとは真逆の方向へアリスの思考が大きく動き――いよいよアルベールが麗しい顔を傾け、唇を重ねようとしてきたとき――


 ドンドン――と、強めに扉をノックする音が響き――二人の口づけを阻む。

 アルベールが弾かれたように顔を向け「誰だ?」と問うと、すぐに馴染みのある声が返ってくる。


「私です。兄上」

 

(――カミュ様――)


 驚くと同時にアリスは緊張の糸がぷっつりと切れて脱力した。

 アルベールはふーっと長い溜め息をついたのち、応対するために立ち上がって歩み寄る。


「カミュか、珍しいな。いったい何のようだ?」


 予想通り、開かれた扉の向こうには、純白のローブと氷の美貌を纏ったカミュの姿があった。

 

「アリスが来ているそうですね」カミュは無遠慮に室内を覗き込むと、素早く兄の脇をすり抜け押し入ってきた。「私もぜひご一緒させて頂きます。ずっとアリスとはもう一度会って話しをしたかった」 


「……カミュ、お前は……」


 面食らった様子の兄を振り返り、カミュはきっと非難がましい瞳を向ける。


「それに、婚前の令嬢と密室に二人きりだなんて、関心しませんからね」


 温室デートの時はいつも見える位置に従者達がいたが、今日は完全に二人きりだった。

 アルベールは戸惑いの表情をおさめ、真剣な眼差しを弟に向ける。


「近いうちにアリスと婚約する予定なので問題ない」

「ですが兄上、アリスはまだ求婚を受け入れておりませんよね?」


 立ったまま睨み合って会話する二人を眺めながら、自然にアリスは理解する。


(カミュ様は私が昨日『それでもどうしても嫌だ』と、自分の気持ちを伝えたから、こうして駆けつけて下さったのだ。

 同じ階級の自分が妨害するぶんには、カーマイン様からの罰は受けないから――)


 そこまで考えてアリスははっとした。


(――階級差に罰……! ひょっとして、カーマイン様が昨日去り際に言っていたのは――)


 てっきり防衛戦の話をしていると思って聞き流したが、かつては自分に尽くした元部下のモリーを殺せという意味であんなことを言うのはおかしいのだ。

 今更ながらにそう気がつき、瞬間的にカーマインの真意を悟ったアリスは、思わず「あっ」と声が出そうになって、口を押さえる。


(――いけない、こうしてはいられない――)


 残された時間を思って焦った心境になるアリスの顔を、いつの間にか隣に座っていたカミュが横から気遣うように眺める。


「大丈夫か、アリス? 気分が悪いなら、今日はもう帰ったほうがいいのではないか?」


 アリスは渡りに船とばかりに答える。


「……はい、カミュ様……。昨夜よく眠れなかったせいで……どうやら貧血気味のようです。

 アルベール殿下が許して下さるなら……もう今日はお暇させて頂きたいと思います……」



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