6、飼い犬の憂鬱 ⑥ メリー
「ひゃっ、クィーン……!」
悲鳴をあげる人形をまじまじと見てみると、錆色の髪といい、尖った顎に細い目といい、モリーの人間時の姿によく似ている。
「やあメリー、久しぶりだね」
グルが横から挨拶した。
「メリー?」
名前まで人間の時と同じなのかとクィーンは驚く。
捕まえられたメリー人形はいかにも怯えた様子で震え上がっていた。
「……ごめんなさい、クィーン……お願いだから……私を壊さないで……」
(今、ごめんなさいって謝った?)
「……なんで、私があなたを壊すの?」
「だ、だって……会うたびにあなたを侮辱ばかりしているし、私を恨んでいるでしょう?」
(人形とはいえ、こんな素直な口調で話すメリーは初めて見るかも)
「別に」
短く答え、クィーンはさっと周囲に視線を走らせた。
人形を操っている本人がどこかで眺めているはずだ。
「そんなことよりそろそろ茶番は止して、姿を現したらどう? モリー」
「えっ? モリーは、ここにはいないわ」
メリーの台詞にグルが補足した。
「メリーは日中、いつも一人で囚人の世話をしているんだ。
ベノムは重度の夜型なので昼間はおらず、モリー達は上の迷宮の管理で忙しい」
マリー人形と同じぐらいの背丈60センチほどの身体は、鉄格子の間を通れるので牢屋の管理には良さそうだ。
「一人って、あなたモリーに操られているんじゃないの?」
てっきり『人形使い』という異名から、クィーンはつねにモリーが人形を操作しているものだと思い込んでいた。
メリー人形は返事をする前に、チラッと少女を振り返り、声をひそめる。
「……ここで話しているとテオドラが起きてしまうわ。今、やっと寝ついたばかりなの……」
クィーンは無言で頷き、メリー人形を持ったまま素早く移動する。
まっすぐ進んだ突き当たりの重い扉を開くと、そこは細長い通路だった。
適当な位置で立ち止まって見下ろしたところで、再びメリー人形が口を開く。
「人間のときはモリーやマリーと一つの身体を共有していて、私は表に出られない状態なの。
でも魔族に変化したあとはこうして別々になるから、一人で自由に動き回れるわ……」
(つまり、多重人格ってこと?)
そう思って意識してみれば、メリーはモリーやマリーの中間というか、特に高くもなく低くもない声だった
(だけど、一人の人間の中に、ここまで違う人格が同居しているなんて、有り得るの?)
激しく疑問に思うクィーンの耳に、沈んだグルの声が聞こえてくる。
「実はメリー。君に謝らないといけない……。
私は今クィーンに、ベノム相手に順位戦を挑んで貰うよう、頼んでいるところなのだ」
「ベノム様に?
そうなったら、テオドラは? テオドラは助かるの?」
すがるように見上げるメリー人形にたいし、力強くグルは頷き返す。
「クィーンは強いから間違いなくベノムに勝てるだろう。そのあとは私が責任をもって、ここの囚人たちを引き受けよう。
ただし、その場合、ベノムは自分の前に、戦いの場に側近のモリーを出すだろう。
通常、防衛戦に出せる側近は一人なので強いほうを出すが、ベノムはもう一方の側近であるアドニスを溺愛している。絶対に戦わせはしないだろう」
アドニスはいかにもアニメらしく、名前そのままの美少年風キャラだった記憶がある。
「……そうでなくても、ベノム様は女嫌いだから、モリーを疎ましく思っているものね……」
すべてを悟ったように目を伏せるメリーに、愚問だと分かっていてもクィーンは訊かずにはいられなかった。
「モリーが死ぬとあなたはどうなるの?」
「……もちろん、モリーの異能の力で作られた人形の私も消えるわ……。
だけど、構わないの……クィーンも知っているでしょう?
嫌われ者の私は、いなくなったほうがいい存在だから……」
(……嫌われ者……)
暗い表情で呟くメリー人形の姿が、一瞬、クィーンの中で前世の自分と重なって見える。
「そんなことはないよ。メリー、君はいい子だ」
「……ありがとう……グル。だけど、本当にいいの……。
もう、友達が死ぬのは見たくないから……」
「友達?」
「ええ、クィーン。さっきのテオドラは、ここで出来た私の二人目の友達なの……。
大人や大きい子供はみんな私を見て怖がるから……」
たしかに人形が動いているのは不気味だろう。
「……あの子が助かるなら、私はどうなったっていい。だからお願い、クィーン。あなたの手でベノム様を倒して……!」
小さな手でしがみついて懇願するメリー人形に、クィーンはしっかりと頷き返す。
「分かったわ」
瞬間、そばかすまみれの顔に笑顔を広がり「ありがとう」と、お礼を言った直後――さっとメリーの瞳が牢屋の方角へと向けられる。
「テオドラがうなされている。急いでそばに行かなくちゃ」
クィーンの耳には何も聞こえなかったものの、彼女をそっと床におろしてあげる。
気を利かせたニードルが鉄扉を開いた。
「そうそう、クィーン。人間に戻ったとき、二人は私の記憶を読めないから、今の会話はモリーやマリーには知られないわ。
――それでは、よろしくね――」
最後にペコリとお辞儀をすると、メリー人形は大急ぎで牢屋へ向かって走っていった。
その後、ホルマリン漬けの検体や、剥製が飾られている不気味な展示室。獲物を狩って楽しむためだけに作られた狩猟用迷路など、クィーン達は次々胸糞の悪くなる施設へと案内された。
「No.1はなぜNo.8にこのような暴虐を許しているのですか?」
見学を終えた帰りの道すがら、ニードルが憤然と質問する。
溜め息混じりにグルが答える。
「現No.1は仕事以外の面では究極の放任主義だ。
しかも、ベノムは彼にとって、一番忠誠心の厚い臣下でもある」
たしかに派閥にいる他のメンバーは、No.4を始め、息子であるNo.5や妻であるNo.7など、あまりNo.1に忠実ではなさそうだ。
ニードルは怒りにか、豊かで長い生成り色の髪をうねらせる。
「だけど、ここまでの無法が許されるなんて……!」
「すべてはトップが変わったせいだ。
前No.1であるファースト様の時代なら、醜悪極まりないNo.8のような者は即刻排除されていた。
なにしろ今のNo.1には、ファースト様のような美学がない……」
会話しながらNo.6の間に出ると、グルはだんまりしているクィーンを振り返った。
「君も残念なことだと思わないか、クィーン?」
しかし、特に前No.1についての知識も無く、自分の生き方に美意識もないクィーンは「そうですね……」と曖昧に頷くことしかできなかった。
No.6の間を退出すると、早々にクィーンはニードルと別れ、いったん侯爵家へと帰宅した。
晩になってから出直し、出勤した機密室にいたのはヘイゼルのみだった。
クィーンはグレイを待ちつつも、机の上に溜まった書類を消化することにした。
一枚一枚内容をしっかり読んだうえで、本来なら第三支部トップしか使用できない承認印を押してゆく。
そうしている間に、グレイが現れないまま、約束の『一日の終わりの刻』が訪れた。
仕事を切り上げたクィーンは、No.3の間に移動しても無人だったので、外界への扉をくぐる。
燭台の黄色い灯りが揺れる室内に出ると、
「待っていたよ」
白いガウン姿のカミュが、待ちかねていたように椅子から立ち上がった。
と、変化を解いて近づいた次の瞬間、アリスの身体はカミュの両腕に捉えられていた。
そうして抱き寄せられるままに、再び椅子に座るカミュの膝の上に向かい合った状態で乗せられる。
「……しばらくこうして、君の温もりを確かめさせてほしい……」
せっぱつまったような声で言ったカミュは身を震わせていた。
密着する身体の感触と伝わる熱に、アリスの鼓動も自然に高鳴り、問う声が上ずってしまう。
「寒いんですか?」
「いいや、アリス。そうじゃない。
嫌な想像を巡らし、怖くなってしまっただけだ。
こうして君を腕に抱いていれば、きっと不安もおさまってゆく」
「嫌な想像……ですか?」
「ああ……順位戦に出た君が、No.8と戦って、傷つくというものだ」
「――!?」
クィーンは内心大きく動揺した。
「でも安心して欲しいアリス。今日No.2に会って、きちんと言質を取っておいたからね」
「言質?」
「元々、今日No.2に会いに行ったのは、君の兄への接近任務についての話しをするためだった。
ところが君が迷宮見学へ行くと知り、No.6とNo.8の不仲を知っていた私は、非常に悪い予感がしてね……。
結社の規則では本人の意志によってしか、順位戦への挑戦は認められない。
もしも君に順位戦に出るように強要しているのなら、規則違反だとNo.2に詰め寄った」
アリスはごくりと唾を飲み下し、カミュの銀灰色の瞳を見下ろし尋ねる。
「それで、カーマイン様はなんと……?」
「順位戦については提案しただけで、あくまでも出場を決めるのは君の自由な意志。決して無理強いはしないと確約してくれた
ただし、君は必ず戦うことを選ぶだろうという、自信たっぷりの予言つきだったがね。
……おかげで私は待っている間、嫌な考えが浮かんで、不安になってしまった……。
君の性格的に、順位戦など望むわけがないのにね? アリス」
当然のような口調でカミュに同意を求められ、アリスの鼓動は大きく跳ね上がった。
(……やはりカミュ様は、私が順位戦に出ることを認めないつもりなんだ……。
とはいえ嘘をついても到底通じるとは思えない。
なんとかうまく話して、順位戦への出場を納得して貰わないと……)
アリスは慎重に言葉を選んで切り出した。
「私もずっと、カーマイン様に順位戦を命じられることを恐れていました」
「そうだろう?」
カミュの表情がほっとしたように緩んだところで、アリスは思い切って質問する。
「ところでカミュ様はNo.8がどういう人物か知っていらっしゃいますか?」
「……いや、良くは知らない。男性なのに女性みたいなねっとりとした目つきでいつも私を見てくるのが、どうにも苦手でね……」
アリスは今日迷宮で見てきた光景を、ありのままカミュに報告した。
「――そうか。やはり印象通りの、ぞっとする人物のようだね。
かといって所属外の私達が、干渉するような問題でもない」
「たしかにそうですね」と一度肯定してから、アリスは話を核心へ近づけていく。
「カミュ様は私がNo.8に負けるとお思いですか?」
不穏な質問に、カミュの白皙の顔に緊張が走る。
「いいや、私も君の実力は知っているし、負けるとは思っていない……。
だが相手は腐っても大幹部だ。万が一のことを考えると……」
アリスはカミュの両肩をぎゅっと掴み、力を込めて訴えた。
「いいえ、万が一のことなど起こりません。私は大切なあなたや親友、仲間を悲しませると分かっているのに死んだりはしない。
信じて下さい、カミュ様」
その口ぶりに、とうとうアリスの言わんとしていることを悟ったらしいカミュは、必死に抵抗するようにかぶりを振る。
「私だって君の想いや実力は信じている。だからといって、むざむざ君が危険な橋を渡ろうとするのを見逃すわけにはいかない。
なぜなら君は私の全てで命そのものだから……!
お願いだ、アリス。順位戦になど出ないと、今ここではっきり私に誓ってくれ……!」




