5、飼い犬の憂鬱 ⑤
例によって侯爵家の礼拝堂にこもるフリをして、クィーンがNo.9の間に移動すると、なぜかグレイとニードルが休憩コーナーで待ち構えていた。
「やあ、クィーン、今から迷宮へ行くんだろ?」
いきなりグレイにそう言われてクィーンはぎょっとした。
(グレイ様の監視用の人魂は、陽の光が差さない場所では目視できるはず……。
昨日のカーマイン様やシンシアとの会話中、周囲に燐火が漂っている気配は無かった。
それなのになぜ知ってるの?)
そんなクィーンの疑問は、次のグレイの台詞で解消する。
「今朝方No.6から、本日君を『迷宮』に案内する予定だと、挨拶メッセージが届いてね。
彼と私は一応友好関係を保っているので、気を使って送ってくれたらしい」
(……それはまた、『骸骨紳士』という異名に相応しく、ご丁寧な……)
クィーンは気まずい思いで謝罪した。
「先に私からお知らせせずにすみません……」
「いいんだ。どうせNo.2の指示なのだろう?
とにかく君も大幹部なのだから、外部施設を訪問する際は側近を連れて行くべきだろう。
というわけでNo.6に許可は取ってあるので、ニードルを連れて行くように」
グレイの指示にニードルがかしこまった調子で続ける。
「お供させて頂きます」
できれば一人で行きたかったものの、こうなってしまっては仕方がない。
ソードを連れて行けと言われるよりはマシだと思い、クィーンは神妙に頷く。
「……では、そのように……」
「――私も迷宮に興味があるのでぜひ同行したいところだが、あいにく今日はNo.2と会う約束をしていてね。
今夜の一日の終わりにでも感想を聞かせに来てくれるか? クィーン」
「かしこまりました……」
(グレイ様が聞きたいのは迷宮のことではなく、そこを見学する理由。つまりカーマイン様からの指令内容だろう)
そう察してクィーンは憂鬱になりつつも、時間が差し迫っているのでそのままグレイと別れ、待ち合わせ場所のNo.6の間へと向かった。
廊下を並んで歩く間、重たい空気を感じ取ったのか、ニードルはいっさい無駄話せず、目的の扉が近づくとクィーンの前に出てノックした。
「失礼します。本日約束しているNo.9です」
ほどなく扉を開けてくれたのは、手首から先がない骨の手だった。
既視感のある乳白色で覆われた室内を見渡すと、奥にある骨椅子にゆったり腰掛けている本体が見える。
No.6はアニメと同じでカッチリとした黒の燕尾服、蝶ネクタイとシルクハット、ステッキを身につけた骸骨だった。
「待っていたよNo.9。大幹部会議には同席したものの、姿を見るのも言葉を交わすのもこれが初めてだね。
どうか私のことは『グル』と呼びたまえ」
大幹部会議の会場は暗く、それぞれの席は闇に包まれているので、隣の者の顔すら見えないのだ。
「では、私のことはクィーン、側近のNo.19のことはニードルとお呼びください」
「分かった、クィーンにニードルだね。お互い忙しい身だ。さっそく迷宮に移動しよう」
No.6は立ち上がると、手首に吸い込まれるように戻った骨の右手を差し出してくる。
クィーンは一瞬ためらったのち、上から手を重ねてみた。
幸いなことに硬質で冷たい感触のおかげか、特に男性に触れているという嫌悪感は沸かなかった。
No.6――グル――に伴われて外界への扉をくぐると、そこは本部の人間界側にある拠点施設『迷宮』だった。
鏡面のような黒色の石壁や天井、床に、一行の姿が映り込んでいる。
「迷宮は十層からなる他の拠点と違って二層しかなく、名前の通り迷宮状に展開している施設だ。中央へ行くほど上位者の区域になっている。
ただ、迷宮と呼ばれているのは上階部分で、現在地下は『監獄』と呼ばれている」
その言い回しがクィーンには引っかかった。
「……現在は……ですか?」
「ああ、ゴールド様が治めていた頃は、単純に地下迷宮と呼ばれていた」
「No.4が……」
「彼女が第二支部に移動する際に迷宮を託した前No.8は、不幸なことに二年ほど前に亡くなってしまった。それでその空席に座った『ベノム』が管理者となったのだ。以来、地下は世にもおぞましい『監獄』と化した……。
上の『迷宮』部分は、建物の構造は違えども、施設の構成は『螺旋』や『塔』と大差ないだろう。
地下のみが本部特有の場所と言える」
(そうなると、No.8の情報入手のために特に見るべきなのは、就任後に変化したという地下ね……)
「でしたら、地下を中心に見せて頂けますか?」
静かに依頼すると、グルは興味深そうにクィーンの顔を見返してきた。
「もちろんいいとも。……それにしても君はモリーに聞いていた人物像とは全く異なっているようだ。話し方にも表情にもいっさい媚びたところがない。とても女性の武器を使って昇進したようには見えないな」
「……」
とんでもない風評被害だ。
「クィーンは戦闘力が極めて高く、ストイックなお方です。男性に媚びるような人ではないし、その必要もありません」
と、クィーンのすぐ背後を歩いていたニードルがすかさずフォローを入れた。
「聖剣使いと対等にやりあったという噂が真実ならそうなのだろうな。
クィーン。君がその気になれば、順位戦ですぐに四天王に登りつめることも可能なのではないか?」
問われたクィーンは、ここで一つNo.6に意見を訊いてみたくなった。
「No.6は同じ結社員を倒して順位を上げることについてはどう思われますか?」
「その問いの答えは地下施設を見てからでも遅くないだろう。さて、ようやく下に降りる階段が見えてきた」
長い階段を下った先の地下通路は、上階に比べて暗く、じめじめしてかび臭かった。
壁も床も天井も切り出したままで無加工な、ごつごつした岩肌になっている。
降りて数十メートルほど進むと錆びた鉄扉があり、グルが押し開くとそこはだだっ広い空間だった。
「ここは……?」
左右を見ると凶悪な刃物や武器が壁にびっしり陳列されており、床のあちこちに拷問器具らしき物も置かれている。
天井からは無数の鎖が垂れ下がり、そのうちのいくつかには黒ずんだ何かが吊るされていた。
中央に大きな台が設置された、軽く傾斜した床に溝が張り巡らされた大部屋は、ソードとの初任務時に異端審問施設で見た場所とそっくりだ。
「拷問場だ」
グルの返事に、クィーンの後ろで息を飲む気配がした。
「名目上は本部には催眠系の能力を持つ者がいないので、自白させるために必要ということでベノムが作った部屋だ」
「ここまで本格的な設備が必要なのですか?」
質問したニードルの声はわずかに震えていた。
クィーンの知る限り、第二支部にも第三支部にも拷問専用の部屋はない。
第二支部には吸血した者の意志を操るカーマインが、第三支部には脳の情報を読み取ることができるヘイゼルがいるからだ。
「少なくともゴールド様がいた頃はなかった」
苦い声で答え、グルは正面の大扉へ向かって足を進めていく。
次に出たのは、天井近くに半透明な白く太い糸が網状に張り巡らされた異様な部屋だった。
ところどころに引っかかっている繭状の物体が気になり、下を通りかかる際にクィーンが確認してみると、糸でぐるぐる巻きにされてミイラ化した人間だった。
「ここは?」
「一応、人体実験室となっている。No.8は神経毒を操るのでね。実際は見ての通り、餌場に近い……」
アニメに出てきたNo.8は男性でありながら美容に気を使い、若さを保つために人の精気を吸っていた。
表情には出さなかったものの、内心クィーンはぞっとしてしまう。
グルはそこで足を止め、改まったように彼女に向き直った。
眼窩の奥には赤い炎がチロチロと灯っている。
「さて、先程の問いに答えよう。
それは私怨のあるNo.2の派閥に属する君の案内を、今回引き受けた理由の一つと同じだ。
所属ではなく、私はあくまでも個人としての相手を見て判断したい。
結局、教会でも結社でも、どこの組織でも変わらない。力を持った者の多くはそれゆえに奢り、腐敗してゆく。
必要なのは腐った部位を取り除く自浄システムだ。
要は排除すべき人物かどうかの問題。
順位戦についても同様だ」
「排除ですか?」
「私とてこの迷宮の管理者の交代をNo.1に願い出て、ずいぶんとねばったものだ。しかし、私が任されているシーカ教の布教と運営に集中しろと毎回却下され続けてきた」
アニメでもNo.6は骨を祀るシーカ教の教祖として登場していた。
「かくなるうえはベノムをこの手で倒すしかないと思い詰めていた矢先に、No.6に昇格させられた。順位戦での挑戦を阻止する意図での昇順としか思えない。
そこで、君の案内を今回引き受けた二つ目の理由だ」
言わずとも内容は察せられた。
カーマインはそんなグルの気持ちを知っているからこそ、ここにクィーンを寄越したのだ。
「私に順位戦でNo.8に戦いを挑めと言うのですね?」
「その通りだ、クィーン。君しかいない」
力を込めて言ったあと、長い後裾を靡かせ、グルは再び歩きだす。
「この先の牢屋にいるのは、拷問、あるいは、被検体となる予定の人々。いずれもNo.8が個人的な感情で選んで連れてきた罪なき者達だ」
「個人的な感情で? そんなことが許されるのですか?」
ニードルが真剣な声で尋ねると、グルは当然のように即答した。
「女嫌いで嫉妬深いベノムにとって、美しい女性は存在するだけでも許せないのだ。あらゆる苦しみを与えて殺さずにはいられないらしい」
グルの発言が事実であると示すように、次の扉が開かれると同時に、複数の女性のすすり泣く声が聞こえてくる。
中へ入っていくと、両脇に並ぶ鉄格子の向こうには若い女性の姿が並んでいた。
「こんな非道なことが行われているなんて……。
この人達を逃がすわけにはいかないのですか?」
非難の言葉に振り返って見ると、ニードルの菫色の瞳は怒りで燃え、頬はカッと紅潮していた。
「No.1がベノムの暴虐を容認している以上は、囚人を逃した者が責任を問われる。
私も別に順位など下がっても気にしないが、手塩にかけてきた教団の責任者の地位を追われるのは困るからね」
(つくつぐこの場にソードがいなくて良かった)
それでも女性への暴力を許さない主義のソードなら、我慢できずに牢屋を壊して回ったかもしれない。
クィーンの中でもここまで監獄を見た時点で、すでにNo.8を殺すことは決定していた。
たぶんそうなることを見越してカーマインは迷宮見学を勧めたのだろう。
(しかし、どこの組織も変わらない……所属ではなく個人か……。
さすが教祖なだけあって、グルの言葉はいちいち真理をついている……)
感心しつつ視線を巡らせていたクィーンの瞳と足が、その時、ぴたっ、と停止する。
通りかかった牢屋内に人形を抱いて眠る、幼い金髪の少女の姿が見えたからだ。
「……子供、まで人体実験に……?」
慌てて目をそらしたものの、動揺で喉がひきつる。
「体重別の実験のため……と言っているが、美しい者は幼くても許せないのだろう」
「……っ……」
クィーンはニードルに動揺を悟られないように、必死に乱れた呼吸を整えた。
「初めて顔色が変わったね、クィーン。何に反応するかでその人物の人となりが分かるものだ」
「……そんなことより、グル。この子は、いつ殺されるの……?」
「うむ。大幹部会議の進行役であるベノムは、今時期は読み上げ用の報告書を纏めるので忙しい。毎回拷問にはゆっくり時間をかけるので、大幹部会議終了後だろうね」
と、会話している声に反応して、寝ている少女が身じろぎした。
拍子に、小さな腕から人形が滑り落ちる。
「きゃっ!」
直後、床に顔面と胴体を打ちつけた人形が、かん高い悲鳴をあげて起き上がる。
そのおさげ髪と地味な茶色のワンピースに、クィーンは見覚えがあった。
たしかモリーの操る人形の一つ。
いつも肩に乗せているマリーと違い、人に見られた瞬間モリーのドレスの裾の中に隠れるので、数回、チラッとしか見たことがない人形だ。
初めてよく見る機会だと思ったクィーンは、素早く腕を伸ばして人形を捕まえた。




