表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蝿の女王  作者: 黒塔真実
第四章、『神へと至る道』
94/113

4、飼い犬の憂鬱 ④ シンシア

「アリス、早かったわね」


 かつて二人で使っていた修道院の相部屋に出ると、ベッドを椅子代わりにしてシンシアが待っていた。

 蝋燭の灯りに浮かぶ柔らかな笑顔を見ただけで、アリスの胸はじんわりと温かくなる。


「こんな時間にごめんなさいね、シンシア」

「ううん、ちょうど起きていたし、約束を守ってくれて嬉しいわ」


 最後に会った時に、これからは『困ったら相談する』と二人で誓い合ったのだ。


 アリスも空いてるベッドに座り、膝がくっつく距離でシンシアと向かい合う。

 壁時計を見るとすでに時刻は午前三時を回っていた。


「時間がないから、さっそく本題に入っていい?」

「ええ、もちろんよ」


 シンシアに断りを入れると、アリスは現在の自分の状況を、なるべく順を追って説明していった。

 その間、シンシアはいっさい言葉を遮ることはなく、黙って真剣に耳を傾ける。

 そうして一通り聞き終えると、指輪型のブラック・ローズを嵌めたアリスの手を取り、おもむろに口を開く。


「本来なら、こういう発言はテレーズの役目なんだけど……。

 今はしゃべれないから、代わりに私がはっきりと言うわね」


 前置きするシンシアに、アリスはこっくりと頷く。


「こんな言い方するのなんだけど、これは本来なら悩む必要すらない問題よ」

「え?」

「だってアリスの悩みの原因はNo.2の命令なわけでしょう?

 たしかに階級が重んじられる結社では、基本的に上の階級の者の命令には逆らえない。

 でも所属する支部は選ぶことができる。

 あなたは自分の国に戻ったのだから、第三支部に正式に異動すればNo.2の命令を聞かなくて良くなる。

 所属関係なしに干渉できる権限を持つのは魔王様のみ。

 あなたが第三支部所属になった時点でNo.2は命令も罰を与える権利も失うのよ」

「……第三支部に正式異動……」


 言われてみればその通りだった。

 第三支部に正式異動すれば、カーマインに命令されていることがすべて無効になる。

 つまり現在の悩みの大半は解決するのだ。


「No.3はあなたの人格を無視した仕事を強要する人ではないでしょう?」


 シンシアの言うことはもっともだが、アリスにはどうしても抵抗感がある。


「……それは、そうだけど……シンシア。私はずっとこれまでカーマイン様の下でやってきて、大幹部にまで引き上げて貰ったのよ?」


 とまどうアリスにシンシアは穏やかに反論する。


「そうかしら? 結社では並外れた能力がない者は、絶対にシングルNo.になれないと聞くわ。

 それにテレーズは私によく言っていた。アリスならNo.1になるのも夢ではないと。

 その言葉を信じるなら、あなたは実力で今の順位にのし上がったはずよ」


 テレーズがアリスを買いかぶっていた話はシャドウからも聞いていた。


「……だけど、カーマイン様の後押しがなければ無理だったわ」


「それもどうかしら? むしろ話を聞いた私の印象では、第三支部にいたほうがもっと早くに昇格できていたとすら思える」


 たしかにグレイと自分は相性がいいので、アニメのように重用されていた可能性は高い。


「あと、アリスがNo.2の元を離れることを躊躇する理由も、今まで世話になってきた恩義だけではない気がするわ」


(……他の理由……)


 シンシアに指摘にされてすぐに思いついたのは、先刻モリーに言われた「飼い犬」という言葉だった。


 自分で考えて動くのが苦手なアリスは、基本的に今まで決められた規則や与えられた指示に盲目的に従ってきた。

 まさにプライドも自主性もない「飼い犬」「木偶」という呼び名に相応しい生き方をしてきたのだ。

 だから無意識に、ある程度の裁量を与えてくれるグレイより、有無を言わさぬ命令をするカーマインの下にいることを好んでいるのかもしれない。


 アリスは瞳を伏せて重く呟いた。


「……どちらにしても……すぐに決断できそうにないわ……」


「だけど、それ以外の道はいずれも困難かリスクを伴なうわよ?」


 シンシアはそこでいったん溜め息を挟める。


「異動が嫌な場合、とりあえず私がすぐに思い浮かぶ選択肢は二つね……」


「二つ?」


「まず一つ目は四天王になること。

 いかに支部のトップといえども、同じ階級の者には命令できない」


 それはカーマインが同じ支部にいるNo.4に命令できない理由でもあった。


「あなたの戦闘能力なら可能だとテレーズも言っているわ」


「でも、同じ結社員を殺してまで上にいきたいかと問われれば疑問だわ。

 今回だって正直、何も知らないNo.8と戦えと言われてとまどうばかりよ……」


「そういえば今日、その判断材料に『迷宮』見学に行くと言っていたわね」


「ええ、親睦をかねて、No.6に案内して貰う予定よ」


 そこでシンシアは思い切ったように言う。


「実は私、第二支部に来る前は本部にいたので、少しだけ『迷宮』には詳しいの」


 シンシアの出身国は知らないものの、各支部の監査役もかねている本部は居住地関係なく所属できる。

 特別な能力を持った者が引き抜かれやすいので、霊感の強いシンシアがいたことも納得できた。


「だったらNo.8のことも知ってる?」


「知っている、と言いたいところだけど、残念ながら私がいた頃のNo.8はすでに故人らしいわ」


 結社では順位の入れ替わりがあるので話が複雑だった。

 ただ、ドクターは10番が定位置らしいので、現No.8は11番以下からか、いったんNo.9になってから今の順位に上がったはずだ。


「当事のNo.9はどんな人物だったか分かる?」


「骨好きのNo.9『グル』のことなら知っているわ」


 あきらかにシンシアが言ってるのは、アリスの前にNo.9だった、個室に骨家具を残していったNo.6のことだ。

 彼についても興味はあったものの、もう時間的に余裕がないし、今日会えば人物像は分かるので飛ばすことにした。


「……とにかくNo.8がどんな人物にしろ、戦うのは気が進まないわ……。

 かといって功績で順位を上げて四天王になるには時間がかかる……。

 しかも頭が痛いことに王宮の情報はカーマイン様に筒抜けで、表面上は命令に従っているフリをしなければならない……。

 おかげでアルベールは会うごとに増長して積極的になっている始末。

 いよいよ婚約が成立しそうになった時の歯止め役に考えていたソードは、今日の言動を思えば使うのが危険だし……」


 いくら言い含めたとしても、いつだかのオーレリーの首を跳ねたソードの衝動的な行動を思うと安心できなかった。


(もしも王太子妃になるどころか、他の相手との結婚が決まった、なんてことになった場合、カーマイン様の怒りは想像を絶する……)


 思わずアリスがぞっとしていると、シンシアが気を取り直したように言う。


「それならいっそ二つ目の、罰を受ける覚悟でNo.2にはっきり『できない』と断る選択肢のほうがいいかもしれないわね」


 思いがけないシンシアの案にアリスは一瞬息を飲む。


「まっ、待ってシンシア。そんなことを言ったら確実に強制指導コースだわ。

 以前カーマイン様は私に、苦手なことでもできるようになれ、できない場合は自分が仕込むとはっきり警告していたもの」


 つまりこの場合のお仕置きは折檻ではなく夜伽確定だった。


「だけど、実際にできないでしょう? 

 なぜなら苦手とか苦手ではないという次元ではなく、それはアリスにとって何よりも耐えがたい行為だから。

 私にはそんな命令をするNo.2が悪いとすら思えるわ」


「――!?」


 シンシアの言うように、前世のトラウマと母親への嫌悪感から、アリスには男性を誘惑することへの乗り越えがたい拒絶感がある。

 加えてアルベールはローズの仇。

 身体を許すぐらいなら、いっそシンシアの言うように命令を拒否して、カーマインの夜伽を勤めるほうがずっとマシだった。 


「だけど、カーマイン様がそんな命令をするのは、私が聖剣使いに勝てるほど強くないからよ。

 実力不足で他に手段もないくせに『できない』なんて――」


 少なくともテレーズ――ローズなら――カーマインの命令ならば迷わず実行していただろう。


 そう思った瞬間、アリスの脳裏にモリーの言っていた『特別な任務』という言葉が蘇る。


(もしもカーマイン様が私にしたように、ローズにも誰かへの誘惑任務を課していたのだとしたら?)


 そこまで考えてから慌てて頭の中で打ち消す。


(いいえ、カーマイン様はローズが自分に恋していることを知っていた。

 他の男と寝ろだなんて、そんな残酷な命令をするとは思いたくない……)


 急に絶句したアリスにシンシアが「どうしたの?」と声をかけてくる。

 我に返ったアリスは、最初に「嘘だと思うけど」と断わりを入れたうえで、モリーに言われた台詞を伝えた。

 するとシンシアは沈んだ表情と声で問いかける。


「……アリスはもしもその話が本当だとしたら、テレーズを見る目が変わってしまうの?」

「まさか!」


 アリスは即座に否定する。


「だったら、それが嘘か事実かなんて関係ないわ。

 テレーズは話せることなら何でも私達に打ち明けてくれていた。話さなかったことがあるとしたら、それは隠しておきたかったからよ。

 人には大切な相手だからこそ、知られたくないことがある。

 他ならぬ人に言えない秘密が多い私には分かるの」


「秘密?」


 シンシアは静かに頷く。


「ええ、もしかしたらアリスは真実の私を知れば嫌いになるかもしれない」

「そんなことないわ!」

「分かってる。私もテレーズも心の奥ではそう信じているの。でもあなたが信頼を寄せてくれればくれるほど、よけい告白するのが怖くなる」


 シンシアの言葉に、アリスはニードルのまっすぐな眼差しと、胸の痛みを思い出す。


「……私は……相手が話したくないことを、無理に聞き出したりしないわ……」

「そうね。アリスはそういう人だから、私もずっと一緒にいても楽だった」

「それはシンシアだって同じでしょう?」

「いいえ、アリスと違って性格的な面なら、元々の私はむしろ知りたがりだった。

 単に今はそうなっている理由があるだけ」

「理由?」

「ええ……。さっき言ったように人に話せないことが多いのと、昔、大きな過ちを犯したせい。大切な人が隠していたことを無理矢理暴いて、酷く後悔したことがあるの……」

「シンシアが?」


 出会ってから一度もアリスを詮索したことがない、今のシンシアからは考えられないことだった。


「かつての私は愛を口実にすれば、何でもしていいと思っていた子供だった……」


 羽毛のようなシンシアの睫毛が小刻みに震える。


「隠していた真実の姿を私に見られた時の、あの人の悲しそうな顔が今でも忘れられない」


 『真実の姿』という言葉から、シンシアは生まれつきの盲目ではなく、目が見えていた頃の話をしているのだと分かる。


「シンシア……」

「アリス、この世には知らないほうがいいこともある。その反面、人には決して逃れられない真実がある。

 私はどちらにしろ、あの人の正体を知ることになっていた。私がいまだに悔いているのは、大切な人の気持ちを優先できず、待てなかったことよ」


 そう告げたシンシアの表情にも声にも深い悲しみが満ちていた。

 アリスは力を込めて約束した。


「二人が知られたくないと思っている事柄を、私から勝手に探ったりしないと誓うわ。

 それでも信じて、シンシア。たとえどんな事実が分かったとしても、私の二人への気持ちは変わらないと」


「私もよ、アリス。何があっても二人が大好きよ」


 しっかりとお互いの手を握り合ったあと、シンシアはまた明るい表情に戻る。


「ごめんなさいね。時間がないのによけいな話をしてしまって……。

 話し込んでいる間に、もうすっかり朝方になってしまったわね」


 窓から朝の光とともにと小鳥のさえずり声が聞こえてくる。


「そうね、もっと話していたいけど時間切れみたい。そろそろ帰らなくちゃ……。」


 アリスは立ち上がった。


「シンシア、今日はありがとう。おかげでだいぶ頭が整理できたわ」


 特に王太子妃になりたくない場合の選択肢が一気にシンプルになった。

 カーマインの元を離れるか、同じ階級になるか、罰を受け入れるかの三択だ。


「それなら良かったわ。アリス、どんな選択をするにしても、決して無理はしないでね。

 誰かにとって平気なことでも、自分にとって耐えがたいなら、拒否することは甘えでも何でもないわ。

 きっと無理して実行すれば人格を壊し、取り返しがつかないことになる……。

 グルもよく『自分の美学に反することは心を殺すことだ』と言っていたわ」


「No.6が?」


「今はNo.6なのね……。

 とにかく結局、後悔しない選択をするために大切なことは自身の心に従うことよ。

 だから迷った時は、問題から目を逸らさず自分自身に問い続けるの。

 そうすれば時間はかかっても、必ず答えは見えてくるわ」


 シンシアの言うことは思考停止と現実逃避癖のあるアリスには、一番難しいことのように思えた。


「分かったわ、そうしてみる」


 それでも感謝の気持ちを込めて同意したアリスは、シンシアに別れを告げ、No.9の間を経由して侯爵家へと戻った。

 帰宅した時はすでに起床時間間際だったので、朝食後は『迷宮見学』に備えて、自室で刺繍するフリをして仮眠しながら過ごす。


 そうしているうちに、いよいよNo.6と待ち合わせしている正午が訪れた――



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ