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蝿の女王  作者: 黒塔真実
第四章、『神へと至る道』
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3、飼い犬の憂鬱 ③ ソード

 ローテーブルと椅子が置かれた休憩コーナーに移動し、温かいハーブティーを一口飲むと、クィーンの心はほっと弛んだ。


 腰を下ろしているのは、壊れたソードのカウチのかわりにニードルによって追加された、クィーン専用の椅子。

 ベージュに金糸模様の入ったベルベット地でクッションが効き、深い座面と高めの背もたれでなかなか座り心地が良い。


 ――と、寛ぎながら向いの席で酒瓶片手に長い脚を組んでいるソードを眺めたクィーンは、はたと思い出す。


(そうだ。ソードが居たんだわ。

 すっかり追い詰められた気分になっていたけど、私にはアルベールとの婚約を回避する最終手段があった……)


 アリスの「想い人」役に、配下の一人を選んだ理由の一つは、立場的に命令できる相手だからだ。

 必要があればソード=キールに心変わりした演技をさせて、婚約確定をまぬがれるつもりだった。

 もちろんそのためにはクィーンがアリスだと明かさなくてはいけないが、背に腹は変えられない。


(アルベールと結婚するぐらいなら、ソードに自分の正体を知られたほうがマシだ。

 片想いが両想いになったフリをしても、サシャが絶対に私との仲を認めない相手だから、しばらくは引っ張れるはず。

 なんだったら、今のうちから前もって、ソードに事情を説明して備えておいてもいいかも)


 なんて考えながら、ティーカップを傾けていたクィーンは、


「思ったけど俺達、結婚しようか、クィーン」


「ぶはっ……!?」


 突然ソードに求婚され、盛大にお茶を噴きだすハメになった。


 ニードルが慌てて立ち上がり、「大丈夫ですか?」と咳込むクィーンの背中を撫でさする。


「いっ、いきなりっ……なんでそんな話になるの?」


 思わず動揺で声が裏返る。

 答えるソードは身を乗り出すようにテーブルに両手をつき、精悍な顔をぐいっとクィーンに寄せてきた。


「いや、クィーンってもう30なんだろ? 女には出産可能年齢があると思ってさ。

 それに俺は嫡男なうえに一人息子なんで、一応跡継ぎを作る義務がある。

 実はさいきん母親が早く身を固めろと口煩くてな。今日もしつこく結婚の素晴らしさを説かれたもんで、ふと思ったんだ。

 愛するクィーンとなら、今すぐでも結婚したいなと」


 ニードルに手渡されたハンカチで口元を拭いながら、クィーンは心からお願いする。


「……頼むから……笑えない冗談は止めてちょうだい」


「いや、冗談じゃなくて、本気で言っているんだ。クィーンにとっても悪くない話なんで真面目に考えてくれよ。

 噂ではお互い活動しやすいってことで、結社員同士の結婚はかなり多いらしいじゃないか。

 自慢するわけじゃないが、俺は人間姿もすこぶるいい男だ。おまけに家も王国屈指の富豪で、我ながら結婚相手としては最高物件だ」


(どうやらこの感じだと、ニードルは私とグレイ様の親密な仲や、ブルーとの交際宣言をソードに言ってないようね……)


 クィーンは溜め息混じりに言う。


「条件なんて関係ないわ。私は結婚自体する気がないと、前にはっきり言ったはずよ」


「もちろんその発言は憶えている。

 だけどクィーン、よく考えて欲しい。俺はいずれ大幹部に上がる予定だし、同じ階級同士の結婚って物凄く都合が良くないか?」


 いつになく真剣なソードの顔を静かに見返しながら、内心クィーンは愕然としていた。


(こ、これは……もしかしたら、私がアリスだとバラした場合、面倒になるパターン……!?)


 周囲にいる独身男性で、アリスに好意がなく、万が一にも結婚に発展しない人物。

 その基準を元に人選し、考えた「婚約回避作戦」なのに――

 もしも本人が結婚に乗り気な場合は180度話が違ってくる。


 なにしろ最近は割と物分りが良くなったとはいえ、元々ソードは命令無視が得意な配下。

 しかも極めて強引な男だ。


 たとえサシャという防波堤があっても、強行手段を取られたらお仕舞いになる。

 淑女としての名誉を守るために、結婚しないわけにいかなくなるのだ。


(本当にソードと結婚することになったら最悪だわ)


 いくらアルベールとの結婚を回避するためと言っても、可能な限り避けたい事態だ。

 ここはソードの気持ちを正しく見極めたうえで、慎重に正体をバラすか検討しなければならない。


 深刻に考えたクィーンは「ソード、質問していい?」と、さっそく探りを入れることにした。


「おう、何でも訊いてくれ」


「たとえばよ? 初顔合わせ時の私の自己申告年齢があなた達に舐められないための嘘。あなたが思っているより私がずっと若かったとしても、結婚したいと思う?」


 クィーンの問いにソードは即答する。


「愚問だな。俺が最終的に惚れたのはクィーン自身だ」


「……私……自身……?」


「ああ、そうだよ。もちろん見た目の美しさや戦う時の凛々しい姿にもシビれたが、それにも増してクィーンの性格が大好きだ。普段はクールなのに、意外と脆く可愛い面があるところや、言動は素っ気なくても、芯は仲間思いで熱いところとかな。

 俺はそんなクィーンの内面を好きになったんだ。

 たとえ幼児でも老婆でも人間姿が醜かったとしても、この想いは決して変わらない」


(……つまり、実年齢を言っても無駄なわけね……)


 あとの頼りはニードル=シモンへの友情だけだ。


「決してって、私がどんな立場でも?」


(あなたの親友の想い人でも?)


「ああ、そうだ。たとえ親の仇や血の繫がった妹であろうと、あんたにどんな事情があっても、乗り越えてみせるほどにだ。

 ちなみに同年代の従兄弟が二人いるから、子供が産めなくても大丈夫だ。

 だから安心してこの胸に飛び込んできて欲しい」


「……!?」


 自信満々にソードに言い切られ、安心するどころか却って追い込まれた気持ちになるクィーンだった。


 そんな当人の心境も知らず、ソードは満足したような表情で立ち上がり、


「返事は急がないからゆっくり考えておいてくれ。

 ――さてと、俺は明日早い時間に用事があるので、もう帰って寝ないと」


 クィーンが呆然としている間にさっさと外界の扉へ歩み寄り、ノブを掴んで最後に振り返る。


「じゃあ、クィーン、また明日な」


「――って、待って、ソード!」


 考えるまでもなくその気はないと、全力で断りたかったのに――制止の声虚しく、ソードは開いた扉の中へ飛び込んでいった。

 とたんに静かになった室内で、クィーンは黙ってずっと二人の会話を聞いていた、ニードルへと視線を移す。


「……ニードル……。ソードに言っていなかったの? ブルーやグレイ様との私のやり取りを」


 記憶ではニードルの前でブルーと「個人的にお付き合いしている」、グレイに「愛している」と告白したおぼえがある。


「ええ、言ってません。なにせこの前ソード本人に『干渉するな』と言われましたからね。

 それに色々あって、あなたの人間性も分かりましたので……」


「……人間性……?」


 聞き返しながらクィーンはとりあえず気を落ち着かせようと、冷めかけたお茶の入ったティーカップに口をつける。


「はい、そうです。あなたは僕の愛する人にとても似ている」


「……っ!?」


 今度はお茶を吹き出さずになんとか飲み込んだものの、僅かに気管に入ってしまった。


「大丈夫ですか?」


「……だ、大丈夫」


 ハンカチで口元を抑えて返事をする。

 気を取り直したようにニードルが言葉を続ける。


「失礼な言い方かもしれませんが、僕が今想いを寄せている女性も口下手で不器用。控え目過ぎて冷たく見えるような女性なんです。

 ところが親友のためなら、か弱い女性でありながら、いかつい大男にも向かっていく。

 あなたも彼女と同じように、仮面の騎士の前で身を呈して僕を庇ってくれた。 

 そして出撃しようとしたグレイ様を説得し、命がけでソードの危機に駆けつけた。

 いつかはソードのことで勝手に気を揉んだこともありましたが、今は全然心配していません。

 これまでの行動を見てきて、あなたは仲間思いで決して人の心を弄ぶような人ではないと分かりましたから。

 グレイ様とのことにしてもそうです。あきらかに二人の言動には温度差があり、あなたはいつも彼に気を使っている。

 僕の見立てだと、あなたのグレイ様への『愛』は人としてのもの。グレイ様のあなたへの想いは恋愛感情なのではないですか?」


(まさかそこまで私達の関係を見抜くとは……ニードルの観察眼は鋭すぎる……。

 これは私の事も、似ているんじゃなく、アリス本人だと見破る日も近いわね……)


「とにかくクィーン。あなたのことを信じていますので、もうよけいな口出しはしません」


「……ニードル……」


 きっぱり断言されて、澄み切った菫色の瞳をまっすぐ向けられたクィーンは、思わずズキッと胸が痛む。


(……止めて、ニードル。そんな瞳で見ないで……。

 私はあなたが思うような人間ではない……。自分の都合であなた達を騙し、友情にヒビを入れるような行為をしているのよ……)


 今まで受けてきた侮蔑や嘲笑より、この信頼の眼差しや言葉のほうが、ずっと胸に刺さる。

 いたたまれなくなったクィーンは、カップを置いて椅子から腰を上げた。


「ご馳走さま」


 正直言って今夜は精神的なダメージが重なってもう限界に近い。

 このまま帰って寝たいところだが、まだ少しやり残した仕事があった。


「では僕は、お先に失礼させて頂きます」

「ええ、ニードル、また明日ね」


 ティーセットを片付け、ニードルも外界への扉へと消えていく。


 No.9の間に一人残されたクィーンは、角にある仕事机に向かうと、重い溜め息をついた。

 仕事の早いニードルは任務終了後すぐに報告書を書くので、今日のぶんもきっちり机の上に置いてあった。

 しかし手に取っても目を通しても、いまいち内容が頭に入ってこない。

 アルベールとの婚約のカウントダウン、病んでいくカミュへの危機感。カーマインの命令に順位戦。ソードのプロポーズなどなど。

 ますます複雑になる状況に、今のクィーンの頭はぐちゃぐちゃだった。


 以前のクィーンなら、間違いなくそこで思考を放棄していただろう。

 実際いくら考えても、何をどうすれば一番いいのか答えは出そうにない。


 けれど現在のクィーンは違っていた。

 ローズを失い、シンシアに心を救われ、何よりも友人の大切さと存在の有り難さを思い知っていたからだ。


 一人で思い悩んでも拉致があかないときは、他人に相談すればいい。


 そう思い立ったクィーンは、報告書をいったん置き、机の一番上の引き出しを開く。

 中に入れてあったのは未使用の、魔力で飛ばせるメッセージ・カードだった。


『相談したいことがあるので、時間の都合を教えて下さい。どこにでも会いに行きます』


 カードを一枚取りだし、さっそくメッセージを書き込んで、今ではたった一人になった友人宛に飛ばす。

 それだけで少し心が軽くなって、若干頭もすっきりした。


 目の前にカードが現れたのは、それから数十分後。

 ちょうど報告書を読み終わったクィーンは、机上に落ちる前に素早く指で挟み取った。

 真夜中にもかかわらず早い返事に驚きながら中を開くと、性格を表すような綺麗な文字が目に入る。


『アリスへ、今夜は修道院の自室にいるので今からでもどうぞ』


 シンシアからの返信を読んだ一瞬後、クィーンは椅子から飛び上がり、外界への扉へ向かって駆け出していた。


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