39、戦いのあとで
No.9の間へ出ると、待ちかまえていたように近くにニードルがいて、ほっとしたような笑顔をクィーンに向けてきた。
「お帰りなさい! クィーン」
「ただいま、ニードル」
つられて緊張をゆるめながら挨拶を返す瞳が、ふと部屋の中央に憮然として立つソードの姿を捉える。
「ソード! 怪我は大丈夫なの?」
反射的に床を蹴って飛んで尋ねるクィーンに、ソードはそっぽを向いたままぶっきらぼうに答えた。
「……ああ、なんともない」
しかし近くに降りたって見れば、黒いコートはあちこちが裂け、長髪や中衣や胴体に巻かれた鎖など、いたるところに血がこびりついている悲惨な状態――
全然大丈夫そうではない様子にクィーンが不安をおぼえていると、後ろからニードルの説明する声が聞こえてくる。
「見た目は酷いですが、傷口はすべて僕が縫ったので出血は止まっています。
深い傷を負った左腕のみ、後でドクターに診て貰う予定です」
「そう……」
ひとまず安堵の溜め息をついてから、クィーンは不満いっぱいのソードの顔を見上げた。
「……悪いけどソード、私はあなたの戦いを邪魔したことも、無理矢理連れ帰らせたことも謝る気はないわよ」
一言断りを入れ、遅まきながら橋の上でソードがした『どうして戦いを邪魔するのか』という質問への返事をする。
「あのまま仮面の騎士とやり合っていてもあなたは犬死にしただけ――武器の強度以前に、聖剣使いの相手をするには、あなたは――いいえ、私達は――てんで実力が足りないのよ……!」
言い切ったクィーンの両瞳から涙が溢れて頬を伝い、ソードがハッとしたように瞳を向ける。
「分かってソード、私だってあなたと同じ、悔しいのよ!
親友のローズを殺され、挙句そのことを馬鹿にされても何もできない――自分の力の足りなさが、弱さが!
――素早さと回避しか能のない私が、仮面の騎士相手には武器をかすらせるどころか、聖剣を避けきることもできなかった!
強力な魔剣を手にしながら、結局、親友の仇を目の前にして、尻尾を巻いて逃げ帰るしかなかったのよ!」
血を吐くようにクィーンは言って、屈辱に身を震わせた。
「クィーン……」
そこですっと手を伸ばし、クィーンはソードの右手を掴んで硬く握り締めた。
「けれど決してこのままにはしておかないわ……必ず力をつけて、この雪辱を果たしてみせる!
ソード、あなたも今は私と一緒に堪えて、力をつけるべき時よ」
自身にも言い聞かせるように言うと、クィーンはソードから、音もなくNo.9の間に入室してきたグレイへと視線を移す。
「――それと先日あなたは私に言っていたわね、今まで自分が手にかけてきた者達の魂に賭けて、強敵を前にしても自分は逃げ出すことなどできないのだと。
でも私は全力でその言葉を否定するわ!
ルール違反者を粛清してきたあなただからこそ、絶対に結社のルールを軽んじる真似をしてはいけないと!」
ソードだけではなく、クィーンは今回、規則破りをしようとしたグレイにたいしても訴えていた。
(私がもっと毅然とした態度で、事前にソードを思い止まらせていれば、こんな風に傷だらけにならなかった!)
その後悔の念が、クィーンの口調をきつくさせる。
「お願いだからいい加減、あなたは私より下の立場だということを自覚して、上の者の命令に従うという組織の規則に従ってちょうだい!
――どうしてもこの私の言うことを無視して、仮面の騎士と一対一で戦いたいなら、先に対等な立場である大幹部になることね。
それまでは仮面の騎士に会ったら即退却する! もしもこの命令を守れないと言うなら、あなたとシャドウの持ち場を入れ替え、一生『洞穴』勤務にして貰うわ!」
ソードは硬く拳を握り、射抜くような鉛色の瞳でクィーンを見下ろした。
「クィーン。あんたの言うことも分かるが、こうして苦労して上げていった順位も一気に下げられ、一体俺はいつになったら大幹部になってそれが可能になるっていうんだ?
なあ、教えてくれよ? 力をつけたところで全て無駄じゃないのか――!?」
クィーンは強い思いをこめてソードの精悍な顔を見上げる。
「いいえ無駄じゃない――ううん、私が決して無駄にさせない!
あなたが命令を守ると約束するなら、私が責任を持って、大幹部としての権限をすべて行使してでも、あなたの順位を引き上げてみせる!」
きっぱり告げたあと、クィーンは素早くグレイへと向き直り、床に跪いた。
「――そこでさっそくグレイ様! 私はこの時点からの話し合いを『緊急幹部会議』と認定して頂き、ぜひとも要望させて頂きたいことがあります!」
「――えっ!?」
クィーンの言動にソードが鉛色の長髪を翻し、驚いたように振り返る。
――話し合いの内容を正式な決定事項とするには、幹部会議を経る必要がある。
支部を構成する幹部と大幹部が過半数以上いれば、いつでもどこでもトップの一存で緊急幹部会議が開けることを、第二支部でカーマインの右腕を務めていたクィーンは知っていた。
グレイは「立ってくれ、クィーン」と低く呟き、銀糸の髪と灰色の衣の裾を靡かせながらすーっと近くまで移動してきた。
「いいだろう……大幹部である君の要求だ――特別にこの場で緊急幹部会議の開催を認めよう」
「ありがとうございます。グレイ様。
その前にまずは今回の戦いで、あなた様に多大なご心配をおかけしたことを深くお詫びいたします。
ソードを退却させたあとも、仮面の騎士との戦いを続行して、申し訳ありませんでした」
クィーンは床に頭をこすりつけんばかりに頭を低く下げてから、すっくと立ち上がる。
グレイは深く溜め息をついた。
「……全くだ。君の戦いを見ている間は生きた心地がしなかった。
私は君がソードのサポートをしたいというから出撃を認めたのだ。
なのになぜ勝手な行動をした?」
「……それは……」
クィーンは一呼吸置いてから、グレイの顔をしっかり見据えて決然と言い放つ。
「魔剣を得たあとの己の力量はかるのと、何より、あなたに私の実力を示すために、必要な戦いだったからです!
結果、現在の自分に不足しているものを知ることができ、仮面の騎士相手でも私は簡単に殺されないことを証明できたと思っています!」
「――だが、先ほど君は自分でも、一番の取り柄さえも仮面の騎士相手には通用しなかったと告白していたではないか。
あのまま戦っていたなら君は十中八九、体力の限界の訪れとともに殺されていただろう」
「はい、おっしゃる通りです」
元々プライド皆無のクィーンはあっさり肯定した。
「だったら、私が君を仮面の騎士の担当に戻さないことも納得してくれるね?」
本日の戦闘結果からグレイにこう言われることはクィーンも予測済みだった。
そのうえで直前までは『しばらくは撤退役に徹する』という条件付で、仮面の騎士の担当に戻して貰うよう交渉するつもりだったが。
話の流れを見守るように近くに立っているニードルとソードの顔に目を止め、ここに来て疑問を抱く。
(それだと私もグレイ様と同じ。配下を信じていないということになるのでは……?)
思い起こせば今日の戦いで優れた能力を見せたのはクィーンだけではない。
それにいつだかローズが指摘したように、大幹部である自分が毎回幹部に付き添って任務に出るのもおかしな話なのだ。
(私はここ数日グレイ様に信じて欲しいとしきりに訴え続けてきた。でもその前に私こそが配下を信じるべきだったのでは?)
アニメでも最終回近くまで生き延びていた、結社の幹部の中でも最高クラスの戦闘力と優秀さを有する二人の実力を。
――クィーンは覚悟を決めると、大きく頷く。
「――はい、それも納得します」
思わぬ答えに、グレイがけげんそうに青白い瞳を細める。
「……本心か?」
「はい、あなたも聞いていた通り、私は今回の戦いではっきりと自分の力不足を実感しました。
ですので今後はソードのサポート役は全面的にニードルに任せ、私は彼が抜けた分の支部の仕事をする傍ら、戦闘訓練に励もうと思います!」
「――つまり二人を組ませれば、君や私の出る幕はないと?」
グレイの問いに、クィーンは、自信をもって答える。
「はい、私は今日の戦いで改めて二人の実力を知ることができました。
特にソードは私が駆けつけるまで、他の魔族が全員即死させられていた仮面の騎士の攻撃を、見事急所を避けて凌ぎ続けていました。
これは大幹部といえども、簡単にできることではありません。
そしてニードルは力づくであるにもかかわらず、鮮やかかつ速やかにソードを撤退させてみせた。
この二人がコンビを組めば、仮面の騎士と出会っても戦いさえしなければ、100%、死なずにアジトへ戻ってこれると断言できます!」
確信をこめたクィーンの言葉に、グレイは長い指を自身の顎に絡めて考え込むような仕草をしたあと頷く。
「たしかにニードルの動きと技は私の想像を越えていた。
正直いままでドクターの助手をさせていたので、あれほど素早い身のこなしができるとは知らなかった」
ニードルだけではなく他人への興味が希薄なグレイは、多くの支部員の実力を把握していなさそうだとクィーンは思った。
「つけ加えるとニードルの足は私より速く、手先の素早さも、仕事の抜かりのなさも上です。
こと撤退のサポート役ならば、私より適任であることは疑いようもありません。
――ただしこれを実現させるには、ソードに命令を遵守することを納得して貰う必要があります――私がさせて頂きたいのはそのための要望です!」
「……分かった。聞こう」
「では申し上げます。私からの要望は1点のみ――支部内での順位を調整し、第三支部の全幹部の中でソードを最高順位にすることだけです。
強さ重視のこの結社にあって大幹部候補である筆頭幹部は、本来ならその支部の幹部内で最も戦闘力のある者が据えられる位置。
戦闘向きではないヘイゼルよりソードこそが相応しいかと。
もしもこの私の要望が叶わない場合は残念ですが……第三支部は貴重な戦力を失うことになるでしょう」
「どういうことだ?」
「このまま第三支部にいてもソードが冷遇され続けるなら、私は彼を第二支部に異動させてでも、相応しい順位に引き上げたいと思います」
自分の派閥の人数を増やしたがっているカーマインの下なら、きっとソードは大幹部候補に推薦してもらえるだろう。
そこまで黙って聞いていたソードが、驚愕の表情を浮かべて会話に口を挟める。
「クィーン、本気なのか?」
「ええ、安心してソード。私は冗談は言わない主義なの。
それにNo.2であるカーマイン様もあなたの実力を高く買っているわ。
あの方は厳しいけれど公正な方だから、そう遠くないうちにきっとあなたを大幹部に引き上げてくれるはずよ。
ただし結社員の所属は居住地が適用されるから、引越しをする必要があるけどね」
「――大幹部になれるなら、引越しぐらいやすいものさ。
分かったよ。そういうことなら、仮面の騎士の相手は大幹部になるまで我慢すると約束しよう……一生、洞穴勤務は嫌だしな」
「つまり私が君の要望を拒めば、ソードを第二支部に引き抜くということか?」
「はい、同時にその場合は私もソードのサポート役から引くわけにはいきません。
いずれにしても全てはあなたの返答しだいです」
今まで上の者にはつねに従順を旨としてきた、事なかれ主義のクィーンらしからぬ、挑戦的かつはっきりした物言いだった。
グレイは無言でクィーンの顔をしばし凝視したあと、ふっと口元をゆるめて、
「そう言われれば受け入れるしかないだろう――まるで脅しだな、クィーン」
苦笑まじりに頷くと、言葉を続ける。
「だが今日もそうだが、今までNo.22は勝手な行動を重ねてきた。そのことを思えば、いくら高い実力を見せたからといっても、即、最高順位に昇格させるわけにはいかない。
当座はNo.22から空番である16番位に順位を上げ、しばらく様子を見て態度を改めたと確信できたなら、その時点で筆頭幹部に引き上げるということでも良いか?」
何よりもクィーンに甘いのと、今回自分自身が結社の規則を破ろうとしていた手前もあって、グレイはここまで譲歩したのだろう。
「はい、ありがとうございます! 充分です!」
即、お礼を言いながら、クィーンが再び床に跪くのに合わせて、ソードとニードルも両脇に並び、低く腰を落とす。
「ありがとうございます。No.3――絶対にあなたとクィーンの期待を裏切らないと約束する」
珍しく神妙なソードの台詞に続き、ニードルも宣言する。
「お任せ下さい。これからは僕が責任を持ってソードのサポート役を勤めさせて頂きます」
――かくしてソードは無事にクィーンの側近に戻り、グレイも第三支部を立て直すまでは出撃しないことを約束して、緊急幹部会議は無事に終了した――
ソードとニードルをNo.9の間から下がらせ、グレイと二人きりになると、クィーンは改めて謝罪する。
「……今日は本当に勝手なことばかりして、重ね重ね申し訳ありませんでした」
「ああ、おかげで随分寿命が縮まった気がするよ……戦いの途中、何度、飛び出しかけたか分からない。
特に仮面の騎士の聖剣が光りだした時はかなり焦ったよ……」
「私もグレイ様がいつ出てくるかと思って、気が気じゃありませんでした」
「……とにかく、君が無事で良かった……」
優しい声音で言ってから、グレイはクィーンに向き直って両腕を広げる。
その抱擁を、いつかのようにクィーンが拒むことはなかった――
翌日、クィーンは安息日なのに、気分が悪いことを理由に教会行きを断り、念のため精神体を自室に残した状態で、本体側で機密室にて第三支部の構成員の名簿を見ていた。




