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蝿の女王  作者: 黒塔真実
第三章、『亡霊は死なない』
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37、守りたかったもの

 クィーンはいったん虹色の空間に手をかざして立ち止まると、忘れず背後のニードルに大切な指示を下す。


「ニードル、外界へ出たらすぐに隙を作るから、あなたは扉を維持したまま最速で『糸巻き』を放ってソードを捕らえ、私に構わず撤退して」


 『糸巻き』とは、アニメでニードルが強制的にソードを連れ帰る時に、いつも使っていた捕獲技だ。


「了解です。クィーン」


 前回と違って、信頼関係があるニードルから速やかな返事を得ると、クィーンは大急ぎで外界への扉の中に飛び入った。



 そうして夜闇に沈む橋の中央に躍り出たクィーンは、すぐさま行動に移る。


 まずは軽やかに跳ね上がって片腕を繰り出し、10メートルぐらい離れた位置で剣を交わす仮面の騎士とソードを的にして、上からフライ・ソードを連投した。

 合わせて後ろからニードルが放ったらしい大針と巨大針が、クィーンの脇をすり抜けていく。


 鋭く気配を察知したらしい仮面の騎士は、即座に黄金色に光る髪とマントを舞い上げて横に飛びのいた。


「――っ!?」


 同じく満身創痍で血まみれのソードもフライ・ソードをぎょっと見て、すんでで大剣を盾がわりにして弾く。

 そのタイミングを逃さず、ニードルは頭に繋がった状態の髪を通してある複数の針を操り、ソードの周囲を高速旋回させてから一気に引き絞った。


 とたんに生成色の髪束がソードの右腕と両足を芯に巻きつき――技名通り『糸巻き』状に拘束する。


「なっ!? 離せっ!? ニードル」


 ソードが仲間二人を見て状況を把握した時には、すでに素巻きにされて地面に転がされ、引きずられている状態――

 さすがにこの展開には仮面の騎士も驚いたようで、欄干の上でたっぷり5秒ほど固まって眺めてから、我に返ったように叫んで飛んでくる。


「逃がすか、悪魔!」


「おっと、あなたの相手は私よ、聖剣使い!」


 宣言しながら、クィーンが扉と仲間を背にして剣を構えたとき――絶妙の間で手元から、ブワッ、と大量の漆黒の花弁が噴出して仮面の騎士を襲う。

 ブラック・ローズが自らの意志で目くらましの術を放ったのだ。


 みる間に上半身を黒い渦に飲み込まれた仮面の騎士は、舌打ちしながらバク転して、後方へ着地した。


 その隙に素早く背後を確認してみれば、どうやら先にニードルはアジト側に移動したらしく、虹色の空間からは生成り色の髪だけ伸び、ソードを中へと引きこんでいく段階だった。

 さすがニードルは仕事が早いうえ、外界への扉の維持も完璧だと、クィーンは感心する。


「くそっ、クィーン! 俺の気持ちが分かっていながら、どうしてだよ!」 


 悔しげなソードの抗議の声にはあえて答えず、前方に視線を戻すと――身から黄金の光を放って漆黒の花弁を霧散させながら、聖剣を構えて突進してくる仮面の騎士が見えた。


「どけっ! クィーン」 

「――!?」


 絶対に異界への扉が閉じるまでここをどけるわけにいかない。

 その一心でクィーンは仮面の騎士が振り下ろした聖剣を、真正面からブラック・ローズで受け止める。


 ガキィイイン。


 二つの剣が激しくぶつかり合い――刹那――盛大な金属音と火花が散る。


「くっ――!?」


 しかし武器の強度は上がっても腕力はそのまま――

 合わせた剣から伝わる凄まじい聖剣の威力に、押され負けることを悟ったクィーンは、自ら腕を下げて後ろに飛ぶ。


「はぁっ」


 そして当然くるはずの次の攻撃へと備え、異界への扉に聖剣が投じられることも想定して、身構えたが――なぜか仮面の騎士は動きを止め、クィーンの背後を睨みながら舌打ちしていた。


「くそっ――!」


 その様子から、振り返らずとも異界への扉が閉じたことを察したクィーンは、大きく安堵する。

 仲間を逃がすという今回の目的を無事に達成したのだ。


『わずかでも君の形勢が不利と感じた場合――ただちに私も出ていく!』 


 あとは出撃前のグレイの発言を踏まえ、一刻も早くアジトへ帰還するべきだ――

 そう思う反面、このまま戻っただけでは、グレイが抱く根本的な不安や恐怖は少しも解消されないのではないかという、強い疑念がクィーンの中にはあった。


 グレイだけではなく、カーマインにしてもそうだ。

 クィーンに色じかけしろと言っているのは、今の実力では仮面の騎士相手に正攻法で戦っても勝てないと思われているから。

 隙でもつかないと、神の涙の入手もアルベールを殺すことも叶わないと判断されている。


 もちろん、すべての原因はこれまでや前回のふがいない戦いぶりにあったことは分かっている。

 ――この現状を変えていくには少しずつでもいいから、クィーンが変わったことと実力を証明していかなければならないのだ。


 緊張して考えながら、剣の柄を握り直したクィーンの瞳に、ふと、しきりに揺れているブラック・ローズの剣先が映る。


(何、これ?)


 意識したとたんに気がつく――震えているのは握っている手の方で、足もガクガク笑っている状態だと。

 しかも異様に息があがり、胸が痛いほど激しく鼓動が高鳴っている。


 向かい合う仮面の騎士もクィーンの異変に気づいたらしく、愉快そうな口調で冷やかしてきた。


「どうしたクィーン。ずいぶん震えているじゃないか? 俺が怖いのか?」


 指摘されたクィーンは、初めて自分が恐怖を感じていることを認識して、驚く。

 これまでの戦いの場面では、つねに恐いもの知らずだった彼女なのに、一体、今回に限ってどうしてしまったのか――理由は考えるまでもなく明白な気がした。


 最愛のミシェルを失って以来、ずっとクィーンはグレイにも言ったように『心が死に囚われている』生きながらにして死んでいる亡霊のようだった。


 ――亡霊は死なない――なぜならもう死んでいるのだから――死を恐れるわけもない――


 つまりこうして死神である『アルベール』を前にして恐怖を感じるのは、ずっと死んでいた心が、奇跡的に生き返った証拠なのだ。

 自覚してクィーンは胸を熱くさせながら、心の声でローズに語りかける。


(ローズ――知らなかったわ。命を賭けるということがこんなにも怖いことだったなんて。

 お願い、どうか、臆病者の私に、あなたの勇気と力を貸して!)


 答えるように握っているブラック・ローズの柄が熱を帯び――急速に身体の震えが引いてゆく。

 クィーンは口角をニッと上げてローズばりの強がりを言う。


「これは、武者震いよ!」


 仮面の騎士は「ふん」と鼻で笑い。


「まったく、どいつもこいつも口だけはイキがる。

 今さっき強制退場していったソードも絶対に今宵、俺を倒すと、生意気な口を叩いていたな。

 もう一人たりとも仲間を殺させないとか、格好つけたことをぬかして!」


(……仲間を殺させない……!?)


 その時、クィーンは初めてソードが自分と同じ想いだったことを知る。

 続けて仮面の騎士がせせら笑うように言う。


「貴様らのような悪魔の口から、仲間だのなんだの言う言葉が飛び出すのが、いたく意外に感じられてね。

 思わず攻撃をするのも忘れて、感心して聞き入ってしまったよ。虫けらにも友情があるのかとね。

 それさえなければ、貴様ら仲間が現れる前に、あいつを殺し終わっていたものを、非常に残念でたまらない」


 聞き捨てならない台詞に、クィーンは噛み付くように怒りを込めて言い返す。


「――ソードは虫けらなんかではないわ!」


 前世の頃、どれほど蛆虫と呼ばれても、一度も怒って言い返したことない彼女なのに――どうしても黙っていられなかった。


 自分が馬鹿にされるのは我慢できる。

 だけど、誇り高い仲間を侮辱するのは許せない。


 仮面の騎士はたった今、無駄話のせいでソードを取り逃がしたと後悔していたくせに、軽口を止めなかった。

 むしろクィーンを益々煽るように言う。


「――そうそう虫けら仲間といえば、前回貴様らを取り逃がした時に、聖剣にべっとりと血がついていたんだが。

 今回、姿を現さない、もう一人の女悪魔はどうした? 

 ひょっとして死んだのか?」


「――!?」


 このわざとらしい口調は、間違いなく分かっていながら訊いているのだ。

 悪趣味な質問、極まりない。


「答えられないところを見ると、図星か?

 だとしたら、またこの地上にはびこる害虫を一匹、駆除したことになるな」


 ソードのみならずローズまでも害虫扱いされ、クィーンは目の前が怒りで真っ赤に染まるようだった。

 憤怒の感情が胸に燃えさかり、抑えきれず口から吐き出される。


「――殺してやる!」


「殺す? 殺すだって? あはははは!」


 仮面の騎士は喜色にまみれた声で問い、喉をのけぞらせて笑う。


「無理じゃないか? 悪魔の剣とは酷く脆いものじゃないか。

 ソードの持っていた見た目だけ立派な大剣もすぐに刃こぼれした。

 お前のその剣は前回よりはマシそうだが、どうせ同じようにそのうちポッキリと折れるのだろう?」


 仮面の騎士に大げさなほどあざ笑われ、怒りと屈辱に震えながら、クィーンは――遠い昔、初めて父に剣を習った日のことを思い出す。

 力を手に入れたいと思ったのは、大切なものを守りたかったからではなかったか?


『私の妹分はNo.1にもなれる』


 次いで脳裏に先日シャドウから聞いたローズが自慢していたという言葉と、カーマインが先日言っていた『誰よりも強くなれる』という言葉が浮かんでくる。

 

 こうして恵まれた能力を与えられながら――ローズを殺され、仲間を侮辱され、とことん馬鹿にされて……一体、今まで自分は何をしてきたというのか?

 クィーンよりも戦闘力が劣っていながら、いつだってローズは守ってくれようとしていたのに。


 ずっと、ずっと、前世の頃から、自分の不運さと無力さを呪ってきた。

 だけど、失いたくないなら、何かを守りたいなら、運命に抗い、戦わなくてはいけない。

 そろそろ呪うだけの人生は終わりにしなければいけないのだ。


 クィーンは決意を固めるように剣の柄をしっかり握り直し、内心でグレイに謝る。


(ごめんなさい、グレイ様。少しだけ見ていて)


 それからクィーンは仮面の騎士をキッと睨み上げ、「いいえ、この剣は決して折れない」低く唸るように言うと、


「――それに、ローズならここにいるわ――!!」


 怒りの叫びをあげ、腰を回転させながら一気に右足を踏み込み、ブラック・ローズで渾身の斬撃を放った。


 次の刹那、鋭い一閃をギリギリでかわした仮面の騎士の黄金色の髪が、一房空を舞う。



 勢いに押されたように数歩後じさり、聖剣を構えなおしつつ、仮面の騎士は感嘆するような声をあげた。


「驚いたな!、この俺がとっさに手が出ないとは――今のはなかなか厳しい攻撃だったぞ、クィーン。

 髪の毛といえども、俺を斬ったのは貴様が初めてだ。その旨、忘れず、墓碑銘に刻んでやろう」


「次は髪の毛じゃなくて、肉を切り刻んでやるわ!」


 言ったそばから有言実行するように繰り出したブラック・ローズの攻撃は、しかし聖剣によって即座に受け流される。


「面白い、ぜひやって貰おうじゃないか!」


 愉悦の滲んだ声で言って仮面の騎士は橋の上を蹴り、すかさず連続して聖剣で斬りかかってくる。


 腕力差があるので鍔ぜりあいは避けなくてはいけない。

 異界への扉を守るために止むをえず正面から受け止めた、最初の一撃のダメージがいまだにクィーンの手に残っている。


 幸い、力では仮面の騎士や男魔族に敵わなくても、女魔族であり蝿の能力を持つクィーンは、身の軽さ、柔軟さ、素早さでは上回っている。

 すべての攻撃をアクロバティックな動きで避けたうえに、合間にブラック・ローズを繰り出すことが可能だった。


 魔剣ブラック・ローズは細身のロングソードで、剣の長さはほぼ聖剣と同じで、打ち合っていても刃こぼれ一つする様子もなく、今回は強度とリーチ差を気にせず戦うことができた。



 ――そうして橋の上を移動しながら、二人は激しい接戦を繰り広げ――息つく暇もない剣の応酬の最中――なぜか、仮面の騎士は突如、高笑いした。

 

「あはは、楽しいじゃないか、クィーン! 前回も思ったが、貴様は他の虫けらとはわけが違う!

 戦っていると、思わず胸が高鳴り、全身の血が熱くなって騒ぐ感覚に、あやうく恋していると錯覚してしまいそうだ!!」


 クィーンは自身も同じ状態であることに気がつき、ぞっとして叫ぶ。


「気持ち悪いことを言わないで!!」


「気持ち悪いとは随分な言いようだな!!

 安心しろ、貴様のような害虫は恋愛対象外だし、俺にはすでに惚れた女がいる!!」


 愉快そうに叫び、仮面の騎士はクィーンの攻撃を聖剣で切り上げて防ぐついでに、得意のバク転で後方へ下がった。

 合わせてクィーンも後ろへ飛びのき、離れた位置で二人剣を構え、橋の上で対峙して睨み合う。


 クィーンは、ここに来て早くも激しく乱れる呼吸に、第三支部に来てからの訓練と戦闘不足による体力の低下を自覚する。

 たいする仮面の騎士は、珍しく真剣な口調で語りかけてきた。


「クィーン、ここからはお前の強さに敬意を払って、俺も本気を出すことにしよう――」


 それは、逆に言うとここまでは本気を出していなかったという、驚くべき事実を告げる発言だったが――

 薄々そのことに気がついていたクィーンは、それほどまでには動揺しなかった。


 なぜなら、前回も今回も仮面の騎士は、アニメで観たような必殺技の類を一切出していなかったからだ。

 たぶんあまりに強すぎる彼は、今までどの敵にたいしても、半分も実力を出す必要がなかったのだろう。


 一方クィーンの方も、聖乙女騎士団から修道院に派遣されていた教官以上に強い、もっというと自分より遥かに腕の立つ剣士と会うのは、仮面の騎士が初めてだった。


 性格は別として、一切の無駄も隙もない流れるようなアルベールの剣技は、賞賛と尊敬に値する。

 たぶん天才というのはこういう人間のことを言うのだろう。


 正直、ここまでの戦闘は剣の技量で劣っている部分を俊敏さでカバーしてきたものの、これに聖剣技が加わると相当厳しい。


 仮面の騎士――アルベールの手元で黄金色に輝き始める聖剣を見つめ、クィーンはゴクリと唾を飲み下した――



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