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蝿の女王  作者: 黒塔真実
第三章、『亡霊は死なない』
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31、瞳の魔力

 アリスは前世いじめを受けていた記憶から、このように大勢に囲まれて詰め寄られる状況が極端に苦手だった。

 かつての習性から、今も脳みそがストレスを回避しようとして急速にぼんやりしてくる。


(駄目だ……しっかりしないと……!)


 アリスは唇を強く噛み締めて拳を握り、遠ざかりそうな意識を必死に繋ぎとめ、懸命に考えた。 


(カミュ様への釈明は、園遊会が終わったあと話し合いをする予定があるから、焦らなくてもその時に充分出来る。

 サシャのお説経はこの時点ですでに回避できないからもう諦めた方がいい。

 シモンについては、親友のキールがなんとか頑張って弁解するだろう……)


 たとえキールが言うように万が一シモンとの友情に悪い影響を与えたとしても、アニメとメロディの覚醒時期が一致しているならば、遅くとも数週間でネタ晴らし出来るから、その後にお詫びをかねてフォローしよう。

 ただしメロディがアニメと違って危機的状況に遭わない関係で、覚醒が遅れる可能性もあったが、そこは今はあえて考えないようにした。


(とにかく、今この場で、一番優先すべきはどう考えても、アルベールだわ……!)


 神の涙の入手に近づくためには、ここで取るべき行動は一つ。

 キールに気持ちを拒否された傷心を言いわけにして、アルベールとの距離を一気に縮めるのだ。

 心を決めたアリスの耳に、


「人目のない場所にアリスを連れ込んで、一体どうするつもりだったんだ、デュラン卿?

 返答によってはただでは済まされないぞ――!」


 強い怒りを滲ませたサシャの声が響き、非難されたキールがむっとしたように叫ぶ。


「おいおい、勝手に誤解して人聞きの悪いことを言わないでくれ! 

 お茶会の時にも言ったように、俺は子供には一切興味がない!

 アリスに手を出すつもりなんて微塵もないし、やましいことなど何一つしていない!

 単に個人的な話があって、二人きりで落ち着いて話せる場所に移動していただけだ!」


「ふん、よく言う! やましいことがないなら、人前で堂々と話せばいいだろう!」


「お願いサシャ! 止めて……!」


 演技ではなく本当に気が遠くなりかけていたアリスが、血の気の引いた唇で悲痛な叫びをあげるのを聞き、サシャは驚いたようにサファイア色の瞳を向ける。


「アリス……!」


「キール様は、私に恥をかかせないように、人目につかないところへ移動して下さっただけなのよ……!」


「恥を?」


 問いかけたのはシモンだった。


(苦しい言いわけを重ねるより、ここは速やかに退散すべきだわ……)


 素早く決断したアリスは「ええ」と頷きながら、ふらふらとした足取りで、アルベールの元へと歩み寄り、すっと手を伸ばし、力なく懇願する。


「……アルベール殿下……気分が悪いので、もうここから移動したいです……」


 実際に気分が悪いアリスが、すがるように見上げると、


「ああ……アリス、行こう」


 予想通りフェミニストのアルベールは同意して、しっかりアリスの手を掴んで握りこむ。


 ――しかし、アリスの精神状態は悪化する一方――


 いくらカーマインの命令を遵守するためとはいえ、サシャに後から説教されるのを承知で、好意を寄せているカミュとシモンに背を向け、天敵であるアルベールと一緒にこの場を立ち去らねばいけないのだから。


(ごめんなさいカミュ様、キール、シモン……)


 罪悪感から、三人の表情(かお)をまともに見ることができない――


 だが、真に最悪な状況はそこからだった――アルベールはそのまま、アリスの手を引いて身体を引き寄せると、逃れる間もなくいきなり横抱きにしたのだ。


「――!?」


 そしてアリスが驚いて思考停止している間に歩き出し、低木の間を抜けて会場に出た二人は、近くにいた招待客の視線を一斉に浴びる。


(って、嘘でしょう!?)


 恐れていた事態に直面したアリスの頭から、さーっと血の気が引いていく。

 これではアルベールと噂になることは必至。


 激しい動揺に、アルベールと密着していることも手伝い、心臓が早鐘を打ち、全身が汗ばんでくる。


「大丈夫か? アリス、顔がかなり真っ青だし汗をかいている。

 宮殿まで行って屋内で休もうか?」


「――!?」


 息がかかる顔の近さでアルベールに問われ、アリスは気を動転させながらも、必死に思考を巡らす。

 もしも休憩がてら密室でアルベールと二人きりになることが出来れば、神の涙を入手する最大の好機(チャンス)が得られる――


(だけどその反面、婚前の貴族令嬢である私がこうして公然と男性に抱きかかえられて退場したのち、二人きりで密室で過ごしたとなれば、評判を落とさないためには相手と婚約しなければならない……)


 自分の評判などどうでもいいが、アルベールに婚約の口実を与えるわけにいかない。


「野外で大丈夫です、殿下! 座って休めばすぐに気分が良くなりますから。

 普段も庭で長時間写生などして過ごすことが多く、私は殿下が思うほど虚弱ではありません」


 焦って主張するアリスに、アルベールは意外とあっさりと頷く。


「そうか、分かったよ、アリス。

 せめて落ちついて休める、人気のない静かな場所へ移動しようか……」


 キールではないがアルベールと一緒にいるのを極力他人に見られたくないアリスにとっては、願ってもない提案だった。


「はい、殿下」


 アリスが二つ返事で答えるのと、歩き出したアルベールが急に足を止めたのは、ほぼ同時だった。


「――? アルベール様? どうかされたんですか?」


 問いながら、すぐ上のアルベールの端正な顔を見ると、斜め上空を振り仰ぎ、睨むように一点を凝視している。

 不思議に思って視線の先をたどったアリスは、目を凝らさないと見過ごすような、小さな黒い渦を虚空に発見する。

 ――が、次の瞬間、それは弾けるように霧散した――


「――!?」


 アルベールは心配かけまいとしてか、何ごともなかったように視線を下ろし、


「何でもないよ」


 誤魔化すように微笑みかけたが、アニメ知識があり、かつ結社の大幹部であるアリスには分かった。


(一瞬しか見えなかったけれど、今のはたしかに『魔王の眼』だった……!?)



 『魔王の眼』とはその呼び名の通り、魔王が飛ばす監視のための『眼』であり、おもに昼間より瘴気が濃くなり闇に紛れることができる夜に、人間界と隣接する異界から染み出すように現れる。


 これは蝿姿のアリスにも言えることだが、物質世界であるこの人間界では、肉体を纏わない霊体は物理攻撃は受けなくても、脆く不安定な面がある。

 特に相反する属性の力による攻撃には弱く、今もアルベールは昼間なのもあり、聖なる気を放って簡単に『魔王の眼』を破壊したのだろう。

 同じ意味で魔族の中では最強のグレイも、神や天使およびその使いである聖なる武器使いの前では、一番の特性能力である幽体化は逆に不利になる。

 かつて魔王の前身でもある神の使いたる天使が地上に舞い降りる際も、必ず霊体を守るための鎧がわりに肉体を纏ったという。


 闇属性の魔力は最も瘴気が濃い魔界でより力が増幅され、逆に神や天使や聖なる武器使いが操る神聖の力は聖属性なので天界で最も効力を発揮し、人間界で両者はほぼ同等の条件になる。


 魔界と人間界の間にある異界(リンボ)は人間界より瘴気が濃く、魔族にとって魔界の次に魔力が強くなる安全な場所だった。

 霊体を守る肉体を失った魔王の本体が、つねに異界にひきこもり地上に出てこないのも同じ理由だ。


(魔王の眼は魔王様の一部――破壊されればその分、魔力が減る――)


 アルベールはカミュと同じように感知能力が高いので、ろくに監視する間もなく気づかれることが分かりきっているのに――

 そのリスクを負ってでも魔王には、今日、()()()()()があったのだ――


(アニメの園遊会では魔王の眼は出現していなかった――筋書きが変わったのは間違いなく、私が仮面の騎士の正体がアルベールだと暴露したせいだ)


 アリスは続けて考えた――魔王は仮面の騎士よりも、自分にとって最大の脅威である短剣『神の涙』の使い手である聖乙女に強く関心を寄せている。


(この園遊会には国中の貴族が招かれ、社交会デビュー済みの令嬢もたくさん参加している。

 もしもカーマイン様が言っていたように、慈悲の仮面の王と神の涙の使い手が必ず惹かれ合うという性質があるなら、確実に魔王様もそれを知っているはず。

 魔王様はアルベールの周囲にそれらしき娘がいないか、確認しに来たのかもしれない)


 事実この園遊会にはメロディも参加しているはず。

 とはいえ今のところ、覚醒もしていないアルベールと惹かれ合ってもいないメロディを、神の涙の使い手だと見破る根拠はないが……。


 むしろ結社員でなければ、こうしてアルベールに抱きかかえられているアリスこそが、最も疑わしく映ったことだろう。

 自ら魔力を分け与えて眷族とした魔王は、当然、アリスがクィーンであることを知っているから、間違われる心配はなかったが。



 ――物思いに耽っているうちに、アルベールに抱きかかえられたアリスは、会場を囲んでいる衛兵の間を通り、人気のない庭の一角にたどりついていた。

 蔦を絡ませたパーゴラの下にあるベンチに到着すると、アルベールがゆっくりと彼女を下ろして座らせる。


 密着状態から開放され、やっとまともに呼吸がつけるとほっとしかけたアリスの肩を、隣に座ったアルベールの腕が抱き寄せ、言いわけするように語り始めた。


「――大げさに探し回ってすまなかった……。会場の警備はしっかりしているつもりだったが、君の姿が見えなかったので、つい何かあったのかと焦ってしまって……」


 再びバクバクと高鳴る心臓の上を押さえ、アリスはかぶりを振る。


「……こちらこそ、殿下にご心配をおかけして申し訳ありません……」


 さらにアルベールは痛みに満ちた声で謝罪する。


「僕がデュラン卿を呼び出したせいで、何か言われていたようだね。

 辛い思いをさせて申しわけなかった、アリス……」


 正直、キールに言われたことなどどうでもいいが、アルベールに抱かれて去った後の、カミュやシモンの胸中を思うと、アリスの気分はズーンと落ち込んでくる。


「平気です……キール様の気持ちはとっくに分かっていましたから……」


 心を奮い起こして言ったアリスにたいし、アルベールは大きく溜息をつく。


「――本当に、僕は最低だ……。

 早く恋の決着をつけたくて焦り、君の傷口に塩を塗りつけるような事態を招いたうえ……サシャにも……」


「サシャにも?」


 アリスは俯くアルベールの横顔を見る。


「ああ、アリス、僕はせっかちなうえにすぐ悪ノリするという、自覚があってもなかなか直せない欠点があってね。いつもやってしまった後に決まって後悔する……。

 先日も他に言いようがあるのに、つい横暴君主の真似事をしてみたくなって、暗にサシャに君を差し出せと迫るようなことを言い、追い詰めてしまった。

 サシャは苦悩のあまり、ここ二日ばかりで見るからにやつれ、端で見ていても痛ましく、さすがの僕も罪悪感をおぼえたよ……」


(悪ノリか……)


 そういえばこの前のお茶会でも、わざとサシャが焦るようなことを言って面白がっていた。

 自覚があっても悪い癖は直せるものではないというのは、いつまでたっても逃避癖が抜けないアリスにもよく分かる。


「……でも、おかげで私は助かりました」


 口実だとしてもアルベールの前で婚約予定を口に出したが最後、引っ込みがつかなくなったサシャは、本当にアリスと婚約すると言いだす可能性があった。


「だったら、それだけは良かった……」


 ふわりとアルベールが浮べた柔らかな笑顔に、アリスは一瞬惹き込まれそうになり、ローズの仇であることを思い出してはっとする。


「――とにかくアリス、この前も言ったが、サシャは僕にとっては一番信用できる大切な臣下だ。

 このままではしのびないので、先日言ったことは嘘だと、早く撤回してあげたい気持ちはあるが、そうすると、君が自分を好きだと勘違いしているサシャが、今度こそ婚約予定を口に出すだろう。

 そこで僕がサシャの誤解を解いてもいいが、出来れば事実は本人である君の口から伝えるべきだと思う――」


 アリスは重い口調で答える。


「実は、勘違いだと、すでに私の口からはっきりと訂正したのですが……言い方が悪かったせいか、サシャにうまく伝わらなくて……」


 アルベールはチラリと、護衛するために離れた位置で二人を見守るサシャを一瞥する。


「そうか――人は物事を、自分が見たいように見るというからね……。

 ――しかし、アリス……君は本当に、サシャのことをもう何とも思っていないのか?」


「え?」


「いや、初恋というものは、特別なものだと言うし、サシャはあの通り、魅力的な男性だからね」


 アリスはびっくりしてアルベールを見つめてから、慌てて否定する。


「止めて下さい、殿下……本当にサシャのことは、もう何とも思っていません……!

 少年時代と違って大人になったサシャは高圧的で、私の一番苦手なタイプですから」


「高圧的か……庇うわけではないが、サシャは責任感の強い男だ。爵位を継ぎ、家長となり、君を後見人として保護しなければいけないという、強い使命感と責任感がそうさせているのだろう」


 サシャのかわりに弁明するアルベールの言葉に、アリスは強く反発をおぼえた。


「殿下のおっしゃる通りだとしても、私は絶対に、サシャの性格を好きになれそうにありません」


 恨みを込めて力説するアリスの瞳を、心まで見透かすようなアルベールの真っ青な瞳がまっすぐに見つめる。


「――気のせいかな、そう言う君はまるでサシャを好きではないと、自分自身に言い聞かせているようだ」


「――!?」


 思わぬ指摘に、なぜかギクリとして言葉を失うアリスに、アルベールがふっと微笑みかける。


「すまない――なんとなくそう思っただけだ――忘れてくれ。

 いずれにしても、僕達が運命の相手であり、最後に君が選ぶ相手は必ずこの僕であると確信している。

 ――デュラン卿のことも、すぐにこの僕が忘れさせてみせる――」


 自信満々に言いきったアルベールが両手を伸ばし、頬と顎に触れられたアリスは、ビクッと肩を跳ね上げる。


「あ……」


「現に君はすでに僕に惹かれ始めている――こうして触れるたびに君の肌が熱を帯びるのは、決して僕の気のせいではないはずだ――」


(――私が――アルベールに惹かれ始めている?)


 片頬をアルベールの大きな手で包まれ、もう一方の手で顎を掴まれ――顔を固定された状態で指摘されたアリスは――ますます体温が急上昇し、胸が苦しいほど鼓動が高鳴り、呼吸が苦しくなる。

 追い討ちをかけるようにアルベールが顔を寄せてきて――アリスは激しくうろたえながらも、吸い込まれそうな青い恒星のような瞳から目が離せず、全身が金縛りにあったように動けなくなった――


(――キスされる――!?)



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