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蝿の女王  作者: 黒塔真実
第三章、『亡霊は死なない』
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26、ケイの想い

 近くの床に舞い降りると、ブルーはクィーンの前で片膝をつき、さっと下から100本以上の薔薇が束ねられた豪華な花束を差し出す――


「遅くなったお詫びにこの薔薇を受け取って欲しい、マイスウィート!」


(マ、マイスウィート!?)


 ノリについていけずにクィーンは一瞬、絶句した。


 アニメでもクィーンはブルーと絡む場面があり、軽く口説かれてはいたものの『ハニー』や『スウィート』なんて呼ばれず、ついでに『姉』とか『母より美しい』、ましてや『正妃』なんてことも言われていなかった。


 ブルーの態度が違う理由は間違いなく、アニメのクィーンがアリスの時以上に濃いフルメイクをしていたせいだと思われる。

 加えてアニメのブルーはクィーンの体形を『もう少し痩せたら完璧』みたいに評していた記憶があるので、現在の彼女の方が細身なせいもあるだろう。


 ――頭の痛い状況に軽いめまいをおぼえつつ、クィーンは手を伸ばして薔薇の花束を受け取った。


「……ありがとう、ブルー」


 その様子を傍らで見ていたグレイが意外そうな声をあげる。


「二人が知り合いだなんて知らなかったよ」 


「あっ、No.3もいたんだ」


 そこで初めて室内に第三者がいることに気がついたブルーが立って、挨拶がてらに気安くクィーンの肩を抱いてきた。


「俺達はただの知り合いじゃなく特別な関係なんだ――ねえ、ハニー?」


「……えっと……」


 否定したくても大幹部会議の採決前に、少しでもブルーの気分を害するわけにはいかない。

 クィーンが困って口ごもっていると、横からニードルが核心に触れてくる。


「つまりお二人は恋人同士ということですか?」


「――!?」


 控えめな性格の彼が、よもやそんなぶしつけな質問をしてこようとは……!?

 クィーンはぎょっとしてニードルの顔を見たあと、


「……どうかしら?」


 必死に取り繕い、肯定も否定もせず流そうとした――が、ブルーが甘く整った顔に不敵な笑みを浮かべ、よけいな口を挟めてくる。


「ふふ、クィーンと俺は恋人よりもっと発展した、婚約予定の間柄だ」


 グレイの美しい顔がピクッと引きつる。


「そうなのか? クィーン?」


 答えを求めるような三人の視線を受け、クィーンは針のむしろの上に立たされている心地になった。


(――予定なんて有るわけがない……)


 だがここで一番優先すべきは、ブルーの機嫌を取って無事に反対票を得ることだ。

 クィーンは苦渋の思いで口を開く。


「はい、ブルーとは……個人的に親しくおつき合いしています……」


 グレイの顔を見るのがしのびなく、うつむくクィーンにブルーの手が伸ばされ、顎を指で挟まれクイッと顔を上向きにされる。


「何だったら、クィーン、俺達がどれぐらい親しいか、No.3に見せてあげようか?」


「えっ!?」


(――二人の前でキスしろと言っているの――!?)


 そんな最悪の公開イベントなど冗談じゃない。

 クィーンの全身から嫌な汗を噴出してくる。


「そ、そういうことは二人きりでしたいわ! ブルー」


 力をこめて提案すると、ブルーは薄く笑って、クィーンにだけ聞こえるように耳元に唇を寄せ、意地悪く釘を刺す。


「二人きりはいいけど、後払いを許すほど俺は甘くないよ?」


(……!?)


 つまり反対票を得たければ、大幹部会議前に口づけを済まさなければいけないのだ。

 時間も迫り、追い詰められた気持ちになったクィーンはとっさに叫ぶ。


「グレイ様、後からブルーと大幹部会議に向かいますから、先に『無明の間』に行ってて下さい!

 ニードル! ブルーと二人きりになりたいから席を外してくれる?」


「分かりました」


 やや不満げな声で頷いてからニードルは扉へと向かい、一度、振り返ってクィーンを見たのち、廊下へと出て行った。

 合わせたようにグレイの姿もその場からかき消え、無言で室内から出て行ったのかと思いきや――クィーンの顎に触れるブルーの手が、ガッ、と掴み下ろされ――すぐ近くから凍るような声が響く。


「クィーンに触るな、No.5」


 グレイが瞬間移動で飛んできたのだ。


「……No.3にそんなことを言う権利があるのかな?」


 挑戦的に尋ねるブルーを無視して、グレイはクィーンに説得口調で語りかける。


「私はつき合いこそ短いが、君のことを誰よりも理解していると自惚れている。

 先刻からの君の様子を見ていて、なぜNo.5に近づいたかの見当もついた――だからこの部屋を一人で去るわけに絶対にいかない。

 君も私と一緒に来るんだ、クィーン」


「……グレイ様……!?」


 すべてグレイはお見通しのようだ。

 けれどクィーンもここで決して引き下がるわけにはいかない。


「分かっているなら尚さら出て行って下さい、グレイ様!」


 悲鳴のような声をあげて懇願する――


「出て行くなら君も一緒だ、クィーン」


 しかしグレイは頑として譲らなかった。

 ゴクリ、クィーンはツバを飲み込み、考える。

 もうこうなったら、グレイの目の前で実行するしかない。


 『苦手なことを克服してこそ、成長はある』


 カーマインのメッセージ通り、今こそ、この込み上げてくる『もの』を飲み下して乗り越えるのだ。


 ――ずっと前世の母のような、目的のために『女の武器』を使う女にだけはなり下がりたくなかった。


(ニードルが言ったように、色じかけすることは私の――ううん――ケイ――の信念に反する行為なのだから……)


 つねに菌とか蛆虫とか呼ばれ、誰にも呼ばれなかった少女の名前を、久しぶりにクィーンは心中で呟く。

 母が誰の娘を産んだのか忘れないように、相手の名前のイニシャルを取ってつけたという、カタカナのケイという名前を持つ私生児の少女。

 ――その心が――生まれ変わって16年経った現在も消せない。


(――だけど、私はもう愛を知らず孤独に死んだ少女ではない)


 この胸には愛する家族の記憶があり、何を捨てても取り戻したい愛すべき存在と、守りたい『仲間』がいる。


(信念だって、グレイ様を失わないためなら捨ててみせる)


 そのためならば別に軽蔑されようが嫌われようが構わない。


 ついに心の準備を終えたクィーンは決然とブルーに向き直り、両肩に手をかけて爪先立ちしながら自ら顔を近づけていく――

 近くに迫るブルーの瞳に驚きの色が広がる。


「クィーン……?」


 ――スッっと、そこでクィーンの唇を押さえて遮ったのは――グレイではなくブルーの指だった。


 息を飲み「……なぜ?」と問いかけるクィーンに、ブルーが長い睫毛を伏せて答える。


「俺は泣いている女とキスする趣味はない」


「……っ!?」


 言われてようやくクィーンは、自分の両目からぼうだと流れ落ちている涙に気がついた。

 まるで『ケイ』の魂が号泣しているかのように――

 生まれ落ちた瞬間から死ぬまで、母や周囲の人間から踏みつけにされるだけの存在。

 自尊心を持つことなど許されなかった彼女なのに――母のような人間にはならない――それだけが唯一の、ケイにとって『譲れないもの』だった。

 たった一つだけ最期まで持っていた、そのプライドを失うことに耐えられず、心が悲鳴をあげて大量の涙を流しているのだ。


「興ざめだね。クィーン」


 青い瞳を細めて皮肉気に口元を歪ませ、ブルーは呟くと、クィーンから身を離してくるりと背を向けた。


「待って、ブルー!」


 花束が足元に落ち――ブルーを止めようと伸ばしたクィーンの手を、グレイが掴んで制止する。


「もう止すんだ、クィーン」


 青い翼を広げながら、ブルーは振り返らず時計を指差した。


「ほら見て――もう大幹部会議開始15分前だ。

 うちの派閥は会議前に、必ずNo.1の席に挨拶に寄らなきゃ行けない決まりがあってね――悪いけど、俺は先に行くよクィーン」


 言い終えると同時にブルーは飛び立ち――その姿が廊下へと消えていくのを呆然自失の(てい)で見送ったクィーンの全身から一気に力が抜け、足元から崩れかける。


「クィーン……!」


 慌ててグレイが彼女の身体を両腕で抱いて支え――痛みに満ちた表情で見下ろし、指摘する。


「大丈夫か? 蕁麻疹が出ている……」


 抵抗感を抑えるどころか、今までより強い反応が肌に出ていたらしい。

 そんなザマでは、ブルーが口づけをする気を無くすのも当然だ。

 自分に失望し過ぎるあまり、クィーンは脱力して口もきけなくなる。


「さあ、私達も行こう、クィーン」


 グレイは、立つことも出来ないクィーンの胴と膝の下に腕を回し、優しく身体を横抱きにしてから、床から浮かび上がった。


 会議が行われる無明の間は大幹部の個室より下の階、黄昏城(アジト)の地下に位置し、向かう経路は4つある。

 No.9の間の近くにも下に降りる階段があり、グレイはそこに向かって、風のように空中を飛んで移動していった。


 クィーンが出撃に反対していることが分かっていながら、グレイは大幹部会議に連れて行ってくれる気なのだ。


 クィーンの瞳から別の意味での熱い涙が込み上げて流れる。


「……グレイ様……私は……」


「何も言わなくていい」


 凛火のような瞳を切なげに揺らし、グレイは腕の中で震えるクィーンの身体をぎゅっと強く抱きしめた――



 ――階段を下ると、そこはもう漆黒の闇に沈んだ、だだっ広い地下の空間――


 その名が示すように、普段は一点の光もささぬ『無明』の場所には、大幹部会議がある晩のみ、中央にほのかな明かりが灯される。


 部屋の中心部には円形の台があり、見下ろすように周囲に9個の椅子が置かれていた。

 椅子が10個ではなく9個なのは、一人が『進行役』として中央のサークルにある席に座らねばいけないからだ。

 他の椅子に比べてNo.1の椅子だけ一段高くなっており、幹部会議と同じ要領で、その椅子を基点に左右に番号順で座っていくのだろう。


 周囲の席まで光が届かないのは、登場回まで大幹部の姿を明らかにしたくないという、アニメ的な演出上の都合かもしれない。

 魔族は夜目がきくので闇の中でも物が見え、つまずかずに歩ける。 

 グレイはNo.1の対角上にある末席に、クィーンを抱いて向かう。


 本来なら派閥のトップであるNo.2の席に挨拶に寄るべきだが、生憎今のクィーンにそんな気力はない。

 グレイがいたわるようにゆっくりとクィーンを椅子に下ろすと、先に隣の席に座っていたドクターが話しかけてくる。


「グレイ様、No.9はどうかしたんですか?」


「少し気分が悪いみたいだ……」


 短く説明したグレイは、今日の打ち合わせのためにかドクターのそばに行き、クィーンには聞き取れない小声で言葉をかわし合った。


「――では、私は自分の席に座るので、後はよろしく頼むドクター」


 ドクターとの会話の締めくくりに大きめの声で言うと、グレイはクィーンの元へ戻り、


「クィーン、君の傍にいてあげたいのはやまやまだが、私の席は残念ながらここから離れている……会議が終わったらまた迎えに来るから、それまで待っていてくれ……」


 済まなそうに告げ、向かい側へと浮遊して移動していく。

 ――会議後クィーンには別の迎えが来るかもしれないのに……。


「大丈夫か、クィーン?」


 最悪の結末を想像していたクィーンに、隣席のドクターが心配そうに尋ねてくる。


「……ええ、大丈夫……」


 言葉とは裏腹に、大幹部会議が始まる前から逃げ出してしまいたい心境だった。

 頭から血の気が引き、遠のきそうな意識をしっかり保つように、クィーンは自身に言い聞かせる。


(ブルーを抜かしても5人は反対する見込みなんだから、グレイ様の出撃許可はこの会議では通らない。

 それに動向の分からないNo.4が反対して棄却される可能性も充分ある……)


 ――ただしどちらにしても、ブルーがグレイの出撃に賛成した場合、クィーンは今夜カーマインの『夜伽』を勤めなくてはいけない。


 それを思えばなぜ最後に、駄目元でもグレイに『カーマインの罰』のことを告げて、泣きつかなかったのかと。

 とことん要領の悪い自分を嘆いても時すでに遅し――

 正面に位置するNo.1の席に集まっていたNo.4、No.5、No.7、No.8が、散っていく様子が瞳に映り、クィーンは悟る――


 ――とうとう運命の大幹部会議の開始の時刻がやってきたのだ――



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