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蝿の女王  作者: 黒塔真実
第一章、『物語の始まり』
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6、不機嫌な後見人

 今日はアリスは朝からずっと、新しい配下達のことを想像してそわそわしていたが、もうすぐそれも終わりだった。

 これから実際に会って話し、直接どんな人物達か知ることができる。

 大幹部に昇格した時よりもあきらかに心が弾んでいることに気がつき、アリスは自分がどれほど孤独だったかを思い知る。


 思えば修道院を離れ侯爵家に来てからのこの半年間、サシャやメロディ、侯爵夫人や侍女のポレットなど、アリスはいつも人自体には囲まれていた。

 けれど所詮彼らは自分とは違う世界の住人。一緒にいると逆に孤独を深めるようだった。


 アルベールとカミュに会ったときの感覚の違いもそうだ。

 向こう側とこちら側、どちらに属している人間であるかを、意識せずともアリスは敏感に察知してしまう。

 そういう意味では反射的に避けたキールやシモンとも、接してみれば同じ側に属する親近感は得られたかもしれない。

 アリスは修道院時代の仲間、特にずっと任務の時にコンビを組んでいたテレーズや、同室だったシンシアのことを懐かしく思った。

 自分と同じ世界に住み、同じ痛み、欠落、絶望を持つ、同志達のことを……。



「アリス……」


 不意にサシャに名前を呼ばれ、アリスの思考は中断された。

 自分が彼に横抱きにされ、馬車へと運ばれている途中であることを思い出す。


「……なに? サシャ」


 返事をして目を開くと、鼻先が触れるほど近くにサシャの美しい顔があり、アリスは呼吸が一瞬止まりそうになった。

 濡れたように光る瞳がじっと彼女の口元を注視している。


「――唇が切れている……転んだ時に、切ったのか?」


 指摘され、唇を指先でなぞって初めて気がつく。

 アルベールと話している途中、無意識に唇を噛みしめすぎてしまったらしい。


「……うん、たぶん、そうだと思うわ」


「……」


 サシャは苦痛に耐えるような表情をしてから、無言になり、回されてきた馬車へ目を向けた。




 帰りの馬車内の空気は、行きの甘さと大違いの重苦しさだった。

 今夜のアリスのそそっかしさに呆れているのか、向かいの席の側灯に照らされたサシャの顔はいかにも不機嫌そうだ。


(夜会へ私を連れて行ったことを後悔しているのかしら?)


 転んだり、足を痛めたり、今夜の自分は間違いなくメロディよりもサシャに迷惑をかけた自信がある。

 これに懲りてもう二度と夜会に出ろと言わなくなるといいな、と、アリスは密かに期待した。

 とにもかくにも色々あったが、予定より早く帰れたのはツイている。


 おかげで配下との待ち合わせまで、時間的にまだかなり余裕がある。


 組織では一日の終わりの一刻は特別な時間だった。

 呼び出しや集合や会議など、組織でのイベントの開始が、その一日がきっかり終わる時間に設定されることが多いからだ。


 今夜、新しい側近達と待ち合わせしているのも、今日の終わりの時間である。

 だから日付が変わる前に夜会が終わることは知っていたが、馬車での移動時間があるので、早めに帰らせて貰いたいとは思っていた。


(早めにアジトに行って先に待ってよう。

 心の準備もあるし、二人が予定より早く来るかもしれないから)


 そんな事を考え、アリスが口元に笑みを浮かべていると、サシャの射るような眼差しが飛んできた。

 今夜のことを思い出し笑いしていると勘違いしたらしい。


「アリス……分かっていると思うが、君はアルベール殿下とは結婚できない」


 いきなり何を言うのかと思えば、酷く飛躍した的はずれな指摘だった。


「え?」


 けげんな顔でアリスはサシャを見た。


「予定では今夜はアルベール殿下とメロディを引き合わせ、最初のダンスを二人で踊って貰う予定だった。

 ところが殿下は君を気に入り、君もダンスに誘われてえらく感激していたようだね」


「……」


 つっこみたくてたまらないが、どこからつっこんでいいのか分からなかった。

 サシャは美しい眉根を寄せ、さらに苛々した口調で続ける。


「君も知ってのとおり、王家の二人の王子は年が近い。

 第ニ王子のカミュ様のご生母は教皇の妹で名家の出だから、世継ぎの立場を脅かされないためにも、アルベール殿下には強い後ろ盾になる家系との婚姻が望ましい。宰相の娘のメロディと婚約するのが一番なのだ」


 つまりサシャは今夜、メロディとアルベールの仲を取り持つ予定だったのだ。


(それを私が邪魔したと怒っている?)


 自分が悪かったなどとは微塵も思えないし、言いがかりも甚だしかったが、アリスは面倒くさいので謝っておくことにした。


「……ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったの……。

 アルベール殿下と結婚だなんて大それたこと、夢にも思ったことはないわ……」


「たとえ君が望まなくても、アルベール殿下が君を妻に望むかもしれない。今後はくれぐれもそのような状態にならないように気をつけて欲しい」


 これまた納得できない話だったが、話が長引くのを嫌ったアリスは素直に「……分かったわ」と頷いた。

 1言い返せば10返ってくるサシャだと知っていたからだ。


 彼との会話は毎度この調子だった。

 サシャはまだまだ言い足りないようだった。


「それとカミュ殿下も君が結婚できるような相手ではない。

 先刻は彼の腕に抱かれてずいぶんうっとりしていたみたいだが……」


 「うっとり」という部分を強調した嫌味な言い方だった。


(うっとりなんかしてないんだけど……。

 なんだかサシャの言いようだと、今夜の私は二人の王子に色目を使ったみたいじゃない)


 アリスは心から不満に思ったが、顔には出さないように静かに俯き続けた。

 サシャの長い話を一刻でも早く終わらせるためには、黙って聞いているのが一番だ。


「たとえ君がカミュ殿下を好きになり、よしんば両想いになったとしても、第二王妃が絶対に結婚など認めないことを憶えておくように……。

 血筋、家柄、親の立場と権力、全て揃った令嬢ではないと、相手としてまず認められないのだから」


(この話、まだ続くの……?)


 うんざりを通りこしてアリスは呆れ果てていた。



 驚くべきことに屋敷へ到着したあとも、サシャのお小言は終わらなかった。


「アリス、いいか、君が社交界にデビューしたということの意味は、結婚適齢期に入ったことの宣言なのだ」


 いわく、だから振る舞いには厳重に注意して、無駄に相手に気をもたせないこと。

 仮に結婚の申し込みがあり、その相手をアリスが気に入ったとしても、自分の眼鏡にかなわない男性との婚姻は決して認めないこと。

 結婚相手は身分や資産などの条件だけではなく、人間性を見て判断することなどを、飽きることなくくどくどと説明した。


『だから私は結婚したくないし、修道院に帰りたいと何度も言ってるでしょうが。

 いい加減、根本的なことを理解しろ。

 長々と的外れなことを言うな。

 他人のことよりその説教くさくてしつこくて面倒くさい性格をなんとかしろ。

 宮廷ではモテモテみたいだけど、みんな見た目に騒いでいるだけ。

 私は勿論、性格を知っている愛しのメロディは絶対にあなたなんか好きにならないんだから。

 今からサシャの未来の結婚相手がかわいそうで堪らないわ』


 なんていう文句はもちろん口に出さず、サシャから解放されたのち、自室に戻ってから日記に書き連ねた。


「ふーっ」


 ガーッと思ったことを一気に書き終わると、いくぶん気分がすっきりしたアリスだった。


(まったく、社交の集まりなんかには出るもんじゃない。

 ろくな目に合わなかったうえ、長ったらしい説経までされて……。

 今後はなるべく仮病を使おう。

 今日が仲間に会える日でなければ、とんだ厄日と呼ぶべき日になっていたところだわ)


 アリスはつくづく考えると、頭から不愉快な思考を追い出し、気を取り直すように書き物机の引き出しを開けた。


 そうして二重底の下から『No.9の鍵』を取り出す。


 組織のアジトは異空間の厳重に結界で守られているところにあり、組織員とて気軽に行き来できるような場所ではない。

 『鍵』を持っている上位幹部以外は、基本的に呼ばれたときしか行くことができないのだ。


 その鍵も開けられる扉が限定されていて、数日前『拝謁の間』にて昇格を告げられた際に渡された『No.9の鍵』では、文字通り、外界からはNo.9用の個室にしか移動できない。

 せっかく早く屋敷へ帰ってこれたのに、結局その分サシャの説教に捕まり、すでに約束の時間近くになっていた。

 少しでも先に行ってアジトで部下を待っていよう。

 アリスは自室に鍵をかけ、注意深く窓辺に寄ってカーテンの隙間が開いてないか確認してから、クィーン姿に変身することにした。



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