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蝿の女王  作者: 黒塔真実
第三章、『亡霊は死なない』
68/113

20、叶わぬ初恋

『今夜の一日の終わりにNo.2の間に報告に来い』


 差出人無しでも、内容でカーマインからの呼び出しだと分かる。


 なんとなく、大幹部会議当日までカーマインに会う機会がないと思っていたアリスは、大いに焦って動揺する。


(まずいわ……まだカーマイン様の命令にたいして、何一つ成果をあげてないのに――)


 このままの状態でカーマインに報告すれば、間違いなく怒られ、下手したら宣言通り実地の指導で身体を無理矢理大人の女にされてしまう!? 

 想像しただけで、ぞっとして全身に鳥肌が立ってくる。


(これは、今日の一日の終わりまでに、なんとかしてカミュ様の気を変えなくては――)


 手中で一瞬で燃え立ち灰になるカードを見つめ、アリスは思いつめたように考えると、休憩は取り止めて、急ぎ行動に移ることにした。


 まずは呼び鈴を鳴らしてポレットを部屋に呼びだし、夕食までベッドで休む旨と、単に疲れて眠るだけなので、くれぐれも医者を呼ばないようにと、心配性のサシャへの伝言を言づけておいた。

 あとは、身体を置いていくので扉や窓は施錠せず、ベッドに横たわって目を閉じ、離宮へと蝿型の意識を高速で飛ばしていく。


(カミュ様はどこにいらっしゃるのかしら?)


 庭園の上空を飛び離宮へ到着すると、巨大な建物を見下ろしてアリスは悩む。

 ぼんやりではあるがアニメの回想シーンで、少年時代のカミュが、塔の高みから庭園を見下ろすカットがあったことをおぼえている。

 変わっていなければ尖塔のどれかにカミュの部屋があるはずだ。

 

 そう思って端から順繰り巡っていった結果、それらしき立派な調度が置かれた部屋は見つけたものの、残念ながら室内は無人だった。

 アリスはさらにいくつもの壁を通り抜けて離宮内部を探索していき、やっと三階にある書斎にて、壮年の男性と向かいあって座るカミュの姿を発見した。

 

 ――入室と同時に気配を察知したらしい、カミュの銀灰色の瞳がさっと蝿のアリスに向けられる。


「どうかしたのか? カミュ」


 不思議そうに尋ねたのは肩口ほどの長さの褐色の髪を後ろへと撫でつけた、中年ながらもなかなかの伊達男ぶりの、クリスタ聖教の教皇の腹心にして枢機卿であるラザル・バジーリだ。

 アリスは第二支部にいた頃の任務に伴ない、関係者の一人として彼に関する資料を見たことがあるが、聖職者でありながら愛人2人に隠し子が5人いるという、教会上層部にあっても信心からはほど遠い世俗にまみれた人物だ。

 おかげで先日王国を訪れた敬虔深いカッシーニ大司教と違い、こうしてフランシス王国を訪れていても結社にマークされることもない。


「いえ、何でもありません、バジーリ司教」カミュは表情を変えることなく、蝿のアリスが天井に止まるのを見届けると、視線を正面に戻して会話を再開させた。「それでこれから王国ではどのように過ごされる予定なのですか?」


「うむ、こちらの離宮で過ごしたあとは、複数の教会施設を視察して帰国しようと思っている」


「父上と謁見は?」 


「はは、私から申し出てか? 向こうから申し入れて来るなら別に拒まないがね。

今回は君の様子を見にやってきただけなので、オルガ様はともかくとして、他の王族に会う必要性はまったく感じないな」


 口ぶりから、国王の存在を軽んじている現在の教会の姿勢が充分伝わってくる。


「あなたと母上はおさななじみなのでしたね」


「まあね。我がバジーリ家とフォルギエリ家は同じ東モルキア帝国の高位貴族で、親戚関係なので付き合いは深く、幼き頃より君の母上や伯父上と会う機会が頻繁にあった。

 ところが今や一緒に遊んだジュリオ様は教皇になられ、オルガ様はこの国の王妃となっているのだから、誠に時の流れというものには驚かされる」


 感慨深そうに語るバジーリ枢機卿に、カミュは思いだしたように言った。


「今夜、母が開くサロンには、この国の代表的な聖職者や、教会と関係が深い貴族達が複数集まるので、ぜひあなたにも参加して頂き、箔づけして貰いたいです」


「もちろんだとも、親戚でおさななじみの君の母君が開くサロンならば、顔を出さないわけにもいかないだろう。

 ――それにこう言ってはなんだが、オルガ様やその取り巻き達は君を軽んじている節がある。

 出席して、教皇様がどれほど甥である君に期待をかけているか、せいぜい熱弁をふるってこようじゃないか。

 なにしろ君は将来、枢機卿に名を連ね、この国の大司教となる存在だからね」


 上から聞いていたアリスは驚いた。


(つまりカミュ様は王位を得なければ、聖職者に、この国の大司教になるってこと……!?)


 そうなれば王国内において魔王を信仰する結社のトップが、神に仕える教会のトップも兼ねることになる。


 アニメではカミュがそれらの地位につく前に、黄昏の門番(けっしゃ)が崩壊してしまったので、知る機会もなかった事実だ。

 会話の内容からカミュとバジーリ枢機卿は二年ぶりの再会であり、その後もお互いの国の情報交換や教会勢力の現状など色々と話題は尽きないようで、数時間経っても会談が終わる気配はなかった。

 カミュは熱心に話し込みながらも、時折思いだしたように天井に止まっている蝿のアリスに向かって視線を投げかけてきたが、話し合いを早めに切り上げる様子はない。


(これは出直した方が良さそうね)


 待ち疲れたアリスがふと部屋の時計を見やれば、いつの間にか夕方になっていて、サシャが帰宅していてもおかしくない時分だった。

 夕食のためにアリスがいったん戻ろうかと思いかけていた時、


「なぜ……こんなことになってしまったのだろう……?」


 唐突に、近くからサシャの重く深刻な声が耳に響いてきた。

 またもや先日に引き続き、寝ている室内に無断で入ってきたのだと気がついて、憤りを感じたアリスは即行で意識を侯爵家の本体へ戻す。


(あれほど、止めてって言っておいたのに!)


「あの晩……私が素直に君に口づけしていれば、何もかもが変わっていたのだろうか?」


 サシャはベッドの傍らからアリスを見下ろしているようで、すぐ斜め上から呟きが降ってくる。

 

(あの晩……口づけ?)


 疑問に思いながらもカッと目を見開いたアリスの視界に、至近距離に迫るサシャのアップ顔が映る。


「……きゃっ! 嫌っ!」


 アリスは思わず悲鳴を上げて、思い切り両手を突きだした。

 反射神経が異様に発達したサシャは、顔面をぶたれる直前に素早く身を引き、焦って彼女の両腕を捉える。


「どうした、アリス、落ちつくんだ――!?」


「止めてっ、離して、変態っ!」


「変態っ……!? 誤解だ、アリス……! 私は寝ている女性を襲うような人間じゃない!!」


「いいから、離して!!」


 逆上して叫ぶアリスの剣幕に驚いたように、サシャがパッと両手を離す。

 今度という今度は我慢の限界だった。

 アリスは飛び起きがてら自由になった腕を振り回し、サシャの右頬を力任せに平手打ちする。

 バチーンという盛大な音が室内に響き、ぶたれた白皙の頬が見る間に赤く染まった。


「……っ」


「勝手に寝ている時に部屋に入って来ないでって、この前も言ったでしょう!」


「……すまない……アリス……」


 腫れていく頬を押さえることもなく、サシャはいつになく打ちのめされた表情で、がっくりと床に膝をつき、下から見上げるように謝罪した。


「もう二度としない……」

 

 弱りきった彼の様子にアリスの溜飲は一気に下がる。


「約束よ……」


 一言呟き、大きな溜め息をつくと、気を取り直したように質問した。


「それで一体、何の用? まさか、夕食を知らせに来たってわけでもないでしょう?」


「……ああ、君に報告したいことがあってね……。

 実は今日、帰りがけに、二人きりで話がしたいと殿下に呼びだされて……そこではっきり釘を差されたんだ」


「釘を?」


「具体的に言うと、殿下はこうおっしゃった。『臣下ならば、それがどんなに大切な持ち物であっても、主君が望んでいるものならば即座に差しだすべきだ』とね――」


「アルベール様が……!?」


 意外に思って息を飲むアリスに、サシャは頷きかけ、断言した。


「私達が想い合っているという前提で、あきらかに君のことをさして言っているのだ……」


 果たしてアルベールがそんな横暴なことを言うだろうか? 今までの言動から判断すると、言葉通りにサシャにアリスを譲れと言っているとはどうしても思えない。

 まず、間違いなく、今日のアリスの相談から、サシャが架空の婚約話をするのを封じるために先制したのだ。


「こうなってしまっては、もう君と婚約予定だなんて話は口に出せない……まさか、あの殿下があんなことをおっしゃるなんて……!

 つくづくあの日、君を夜会へ連れていくべきではなかった……!?」


 うめくように言い、サシャは白金の髪を掻き毟るように頭を抱えてうずくまった。

 これほど辛そうなサシャを見るのは初めてで、さすがのアリスも同情を禁じえない。

 

「……サシャ……」


「……もっと君の類稀なる美しさの危険さを、事前に認知しておくべきだった……。

 あの夜会以来、君への問い合わせ、縁談話が引きも切らず……。

 これ以上殺到しては困るから、あれから君を人がたくさん集まるような社交の場に一切出さなかったのだ……!

 園遊会の参加も出来れば断わりたかった……」


(知らなかった……)


 単に独占欲かなんかだと思っていた。

 サシャは苦しみに満ちた述懐を続ける。


「考えてみれば、君は、祖父の妹でいまだに伝説として王国で語り継がれている、絶世の美女クラリス・ノアイユ――先代のレニエ子爵夫人の生き写しなのだから、この周囲の反応は当然予想できることだったのだ……!」


 クラリスというのはアリスの祖母の名で、レニエ子爵家の地所の屋敷に飾られている肖像画の中の彼女は、今のアリスをそっくり鏡に映したような容姿だった。息子であるシャルル・レニエがクラリスの生き写しで、孫娘のアリスがさらにその容姿を引き継いだのだ。


「当事、彼女を巡って多くの男性が争い合い、数人が決闘などで命を落としたそうだ。同じ悲劇を繰り返さないために、私は君を人前に出すべきではなかった……」


(決闘……死人……)


 その話自体は初耳ではあるが、アニメのアリスが周囲の男性をことごとく骨抜きにする『魔性の女性』だったのは、祖母譲りだったのだと初めて知ることができた。

 アリスは男性にこぞって崇拝されるほどの美貌の持ち主だったからこそ、よけいにサシャやアルベールが自分にまったく見向きしないことが許せなかったのだ。


 最も現在のアリスには、男性を虜にする祖母譲りの美しさなど災難でしかなかったが。

 アリスは話を聞いているうちに、だんだんと苛立ちを感じて、吐きださずにはいられなかった。


「その事実を知っていながら、なぜ私を修道院から連れ戻したの? どうして、頼んでも帰してくれなかったの?」


 無用な騒動など起こさず、心穏やかに生きられた方が幸せではないか?


「それは、以前話したように、すべて君の幸せを思ってのことだ。美しい君に灰色の修道院生活など似合わないし、女性としての幸福を知って欲しかった。

 夜会に連れて行ったのだって、君を年頃の娘らしく着飾らせてあげたかったのと、華やかな世界を体験させてあげたかったからだ……。

 ――だけど、私はそこで間違えてしまった――夜会に連れて行ったこともそうだが――あの時、私を選んだ君が、腕の中で口づけをねだって目をつぶったのに、あえて気づかないフリをした……」


「――!?」


 また振り出しに――最初にしていた訳の分からない話に戻ったみたいだ。

 アリスは頭をフル回転させて、サシャが何のことを言っているのか必死に考えた。

 夜会の夜、サシャの腕の中で目をつぶったといえば――思い当たる場面は一つしかない。


(――ひょっとして馬車へ運ばれている途中、サシャに横抱きにされている現実から逃れたくて、目を瞑った時のことを言っているのっ?)


「――君が幼い頃から私を慕っていたことは、いつも向けられる視線とはにかむ表情から、とっくの昔に気がついていた……。

 だけど、アリス、分かって欲しいんだ……あの夜会の晩まで、私は自分の感情を自覚していなかった。

 単に、妹のように君を可愛く思っているだけだと思い込んでいた。

 それが間違いだと気がついたのは、玄関ホールでドレスを纏った君を出迎えた時だ。

 すっかり大人になって輝かんばかりに美しくなった君の姿を見て衝撃を受け――初めて異性として意識していることに気がついた――」


 呆然としている間に、勘違いからあっという間に愛の告白の流れになり、アリスはそれ以上聞いているのが耐えられなくなって、両手で耳を塞いで叫んだ。


「止めてっ! そんな話っ、聞きたくないわ……!?」


「君が目を閉じた時だって、心の中では酷く葛藤していた――後見人として君に良い縁談相手を見つけなければいけないと思う一方、その相手が私でもいいのではないかと……。

 今さらながらあの時、口づけしなかったことをとても後悔している……こんなことになる前に……もっと早く私が自分の気持ちを認めて、君を受け入れていれば良かったのだ!」


「何言ってるのよっ! 勝手に誤解しないで!」


「アリス……私は君を――」


「止めて、聞きたくないって言ってるでしょう!」


 アリスはヒステリックに叫ぶとベッドの上から枕を掴んで振り上げ、上からサシャの頭に何度も叩きつけて発言の続きを封じた。

 いつかのようにかつての自分へと心が引き戻されそうで、怖くて、絶対にサシャの口から愛の告白など聞きたくない。

 大体、今さら投げ捨てた初恋が実ったところで何になるというのだ?


「アリス……!?」


「幼い頃がどうだって、今の私はあなたに恋なんてしていないわ!

 別に受け入れて貰わなくて結構よ! あなたの気持ちだって死んでも聞きたくない!!」


 激しく叩きつけ過ぎたせいで枕から羽毛が飛び出して空を舞う。

 サシャは抵抗せず殴られ続け、アリスの瞳からはなぜだか熱い涙が吹き出して、止まらなくなった――


 やがてアリスは殴り疲れたようにぐったりと両腕を下ろし、枕を床に落とすと、ぜいぜいと肩で息をして、押し殺した声で言った。


「出て行って……。

 ……今日はもう……疲れたので休むわ……」


「……夕食を食べなければ……体力が回復しない……」


「部屋で食べるわ……今日はあなたの顔を、もう見たくないの……お願いだから出て行って……」


「……分かった……アリス」


 サシャは力なく呟き、踵を返すと、ぐちゃぐちゃの乱れた髪のままで、よろめくように部屋の出口へと向かって歩いて行った。

 アリスは退出を告げる扉の閉まる音を聞いた後、激情に震える自身の身体を抱きしめる。


 ――決して叶わぬ初恋、それはアニメのアリスも、今のアリスも同じではないか――




『アリス、ミシェルの世話は乳母に任せて、君もメロディと一緒に庭で遊んだらどうだ?

 庭のテーブルにはおいしいお菓子も用意してあるよ?』


 まだミシェルが生きていた頃。

 発熱しては寝込んでばかりの幼い妹に付きっきりだったアリスを、つねにサシャは気にかけてくれていた。


 ミシェルが亡くなった後だって、嘆き悲しむアリスを、毎日、慰めようと懸命に努力していたのだ。

 忘れもしないある晩のこと――何日も一人で部屋に閉じこもっているアリスを心配して、屋敷の鍵を使って室内に強引に押しいってきたこともあった。


『アリス、こんな暗い部屋で一人で泣いていてはいけない……お願いだ……泣くならどうかこの胸で……!

 君の悲しみに寄り添わせて欲しいんだ……!』


 驚き部屋の隅に逃げるアリスに手を差し出し、サシャは懇願するように言った。

 あの日の彼の瞳には涙が滲んでいた。


 本当はあの時、差し出してくるその手を取りたいと、胸で慰めを受けたいと思う気持ちもあったのだ……!?

 だけどこの先の自分の運命を知っていればこそ――頑なに跳ね除け、拒否するしかなかった。

 

 アリスはミシェルの復活を願い、地獄に落ちる覚悟をした瞬間より、サシャへの想いは完全に捨てさると決めたのだ。

 初めて会った時から、サシャはアリスにとって、はるか遠い天上に住まう、まばゆい光の世界の住人。

 どんなに焦がれようとも、今も昔も、天上は絶望的に遠く、自分にお似合いなのは暗闇の底なのだから――

 けれど悲しくないし光の世界など望まない。今の自分にはミシェルの復活という一筋の光と、同じ闇の中に住まう仲間がいればいい。


「カミュ様……」


 一番大切な同士であるグレイの正体の名を呼び、暗い瞳に決意を滲ませると、アリスは涙を拭って、時を惜しむようにポレットを呼び、早めの夕食を部屋で済ませた。

 そしていつものように手早く段取りを終え、再びベッドに横になって意識を離宮へ飛ばす。

 今夜、カーマインに呼び出されている以上、もう後がない――絶対に、今度こそカミュを説得するのだと、強く心に決めて――




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