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蝿の女王  作者: 黒塔真実
第三章、『亡霊は死なない』
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15、報いの時

「キール・デュラン卿」


 反芻するように呟くアルベールの声と重なり、ざわっと、周囲の木々の枝葉が一斉に鳴った。

 強い風が吹いているわけでもないのに唐突に感じられ――思わず上方をふり仰ぐ。

 ――しかしそこにはただ青い空が広がるのみ――

 アリスが視線を落とすと、何もない空中を凝視するアルベールが見えた。


「一瞬、何か居たような気配がしたが、気のせいか……」


(気配? 組織の誰かが監視を飛ばしていた?)


 アニメではクィーンの蝶を始め、カーマインのコウモリ、No.1のカラスなどの偵察に、勘の鋭いアルベールが小刀を投げつけるシーンがある。

 けれど今見上げた先には何もいなかった。

 昼間限定になるが、目視出来ない『監視』を放てるのは、アリスの知る限りグレイだけだ。

 

(グレイ様が見ていた?)


 アリスと違い――グレイ――カミュならば、メロディと二人で会話して歩く片手間に、意識の一部を飛ばすことぐらい余裕だろう。

 アルベールがアリスの手を取り、再び歩み始めながら、話題を戻す。


「そうか、アリスの想い人はキール・デュラン卿なのか……彼とは何度か挨拶がてら会話したことがあるが、非常に存在感のある、人を惹きつける魅力のある男性だね」


 サシャと違ってアルベールは、恋敵の良い部分も素直に認める潔い性格らしい。


 会話のためにごくゆっくりとアルベールと並んで歩きつつ、アリスは繋いでいる手から血が騒ぐようだった。

 なぜか、アルベールと触れ合うたびに電気が走るような感覚がして、最初はいつかおさまると思っていたが、上がった体温と一緒で一向に波が引かない。

 きっとローズを殺された怒りのせいだと、アリスは自分に言い聞かせる。 


「……でも、おかしいな。彼は美女には目がない人物だと思っていたが、君みたいな美しい女性を振るなんて……」


「キール様には私は子供過ぎたようです」

 

「僕には君は、年より大人びて見えるけどね。

 ただデュラン家は王国屈指の富豪で、跡継ぎの彼はこの国の独身女性の多くから熱い視線を浴びている。

 まだ年若く、物凄くモテるから、当分一人の女性に的を絞る気にならないのかもしれないね」


 デュラン子爵家の金持ち設定はアニメにも出てきたことがある。

 エピソードに絡んで、貿易が得意なキールの父親、デュラン子爵が出てくる回があるのだ。

 他人の家族にたいしてどうこう言いたく無いが、金勘定が趣味な、いかにも強欲な俗物という印象の人物だった。


「君の魅力がどうこうではなく、時期的な理由だろう。

 この国の貴族男性は20代半ばから30代前後で結婚することが多いから、数年後に会っていれば、きっと君の好意を受け入れていたはずだ」


 アルベールは優しい口調でアリスを慰めるように言った。

 別の男性を好きだと告白した女性相手に、なんともお優しい王太子殿下だ。


「数年でしたら、待ちたいわ」


 キールを好きなことを口実にして、行き遅れたくてたまらないアリスだった。


「数年待ったら、君は結婚適齢期を過ぎてしまうよ。

 貴族階級の女性は男性と違い、16歳前後で社交デューした後、20歳になる前に嫁ぐのが相場だ。

 こういう縁というのは巡り合わせだからね。

 ちょうど王太子であるこの僕は、国の将来の安定のために、出来るだけ早く妃を娶って世継ぎをもうけることを望まれている。

 こうして君の社交デューと妃選びの時期がぴったり重なったことに、何か運命的なものを感じないか?」


 アルベールは問いながら、表情豊かな青い瞳を細め、アリスの顔を覗き込んでくる。


(運命の相手がメロディだと知っているのに、そんなこと思うわけがないじゃない)


 アリスは内心呟きつつも、目を伏せて返事する。


「私にはよく分かりません……殿下。

 サシャに連れ戻されるまで、私は修道院で生涯神に仕える予定だったので、男性と結婚すること自体考えたことがなかったんです」


「サシャに憧れていたのに、結婚したいと思ったことはないの?」


「……つりあう相手ではありませんから……」


 アリスは偽る必要のないことは、すべてありのまま答えるつもりだった。

 無用な嘘をついて、勘の鋭い彼に不審感を抱かれたくない。


「もしかして君は、今も結婚するより、修道院へ戻って、生涯、神に仕えたいと思っている?」


 鋭いアルベールの質問にアリスの胸に痛みが走る。


 幸せな時期というのは、いつも過ぎ去ってから分かる。

 両親が生きていた幼い頃。

 小さなミシェルと過ごした日々。

 テレーズやシンシアと三人一緒だった修道院。

 

 すべてもう戻れない。


 シンシアに会うのやローズがいない修道院に戻るのが辛いと言う以前に、カーマインに「神の涙がフランシス王国にある今は戻って来てもらっては困る」と言われているアリスには、自分の意思で帰る時期を決めることは出来ない。

 たとえ可能であっても、大切なグレイや仲間たち、壊滅しそうな第三支部を見捨てて、今は戻る気にはなれなかったが。


「――そう願う気持ちは捨てきれませんが、今は、愛する方の傍にいたいという想いが一番です……」

 

 しばし二人の間に沈黙が満ちたあと、アルベールが切り出した。


「明日、馬に乗って、庭園の外れにある、神と天使の噴水がある泉まで行こうか?」


 馬で行かないといけない距離とは、庭園とはどれほど広いのだろう。

 アリスは、アニメの中のメロディとアルベールのデート・シーンがダイジェストに流れる場面で、二人が馬に相乗りして林や池を巡っている一コマがあったのを思いだす。

 当時はどこかに遠乗りに出かけている様子なのだと思って見ていたが、してみるとあれは庭園内を馬で案内されているシーンだったのだ。 


(一緒に馬に乗れば身体を密着することになる!

 アルベールが身につけているはずの神の涙を探ることが出来るわ)


 これは絶好の機会だ。

 断わる理由はない。


「サシャが許してくれたら……」


 立場的に、サシャがアルベールに逆らえないことを分かっているからこその、アリスの返しだった。


「だったら、決定だ」


 アルベールは光が弾けるように笑い、握っていたアリスの手を引いて、もう一方の手を掴み、踊るようにその場で回り始めた。

 子供っぽく喜びを表現するアルベールに巻き込まれ、回転するアリスの視界に、棒立ちでこちらを見据えるサシャと、遠くからメロディと歩いて来るカミュの姿が映った。


 アルベールにも二人の姿が見えたらしく、近くまできたところで、足を止めて向き直る。


「カミュ、メロディ!」


 上機嫌なアルベールに比べ、カミュの顔は表情が冷たく、別れた時より血の気が薄く、紙のように白かった。


「楽しそうですね。兄上」


「まあな、カミュ――もう噴水を見てきたのか? 早いじゃないか」


「ええ、泉より、ここまで来る距離の方が遠かったぐらいです」


 嫌味ったらしくカミュは言ったが、アルベールは明るい表情を崩さず、「こちらからもお前達のいる方向へと向かうつもりだったんだが、少しのんびりし過ぎたみたいだ」と、アリスの手を離し、メロディの近くへと移動する。


「――さてと、メロディ、庭園は噴水だらけでね、ここを少し行ったところにも泉がある。

 円水盤が幾重にも重なった噴水を見たくないか?」


「はい、ぜひ見たいです。アルベール殿下!」


 答えるメロディは満面の笑顔だった。

 本来の正カップルなだけあり、お似合いというか、二人は波長が合いそうだ。


「では、アリス、カミュ、行ってくるよ」


「また後でね、カミュ様、アリス」


 挨拶して歩いていく二人の後に続いて、アルベールの側近であるサシャも去っていく。

 遠ざかっていく一行を見送るアリスの腰に、カミュの腕が回された。


「疲れただろう? そこの東屋で休もうか?」


「はい、カミュ様」


(そうだ。やっとカミュ様と会話することが出来るんだわ)


 アリスは嬉しく思って、促されるままに並んで歩きだす。

 王妃の庭を見渡せる位置にある東屋の近くには小池があり、開花時期前の蓮の葉がいっぱい浮いていた。


 ベンチに腰かけたアリスは、注意深く周囲に視線を走らせる。

 隣に寄り添って座りながら、カミュが静かに言う。


「大丈夫、近くには誰もいない。

 自慢ではないが、私は他人の気配にだけは鋭くてね。生者だけではなく、死者が近くにいても分かるほどだ」


「そうですか……」


 カミュの言っていることを疑うわけではないが、アリスは念のため小声で話しかける。


「私、ずっとカミュ様とお話がしたくてたまりませんでした……」


「――用件は大体想像がつくよ」


 カミュは右手首を押さえながら、暗い表情で言った。


「腕をどうかされたんですか?」


 アリスが訊くと、カミュは袖をまくって右腕を見せた。

 手首から肘近くまでの白い肌に、斑点のように赤いじんましんが点々と浮かんでいるのが見える。


「……っ!? どうしたんですか!?」


「何もない平地で、なぜかメロディが転びかけて、支える時に、手首を掴まれたんだ」


 これを見ると男性に触れられても鳥肌が立つ程度のアリスは、全然甘い気がした。

 カミュは完全なる女性アレルギーなのだ。


「大丈夫ですか?」


「あぁ、大丈夫だ、そのうちおさまる……女性に触られるといつもこうなるんだ……君以外のね……。

 これほど拒否反応が出たのは、メロディのように生き生きと明るく元気な女性が、特に苦手なせいらしい……」


 『君以外』という部分を強調するように言って、カミュは腕をしまうと、アリスの肩を抱いて身をぴったりと寄せてきた。

 距離が離れているとはいえ、衛兵や従者が見ているのに、女性とこんなにくっついても大丈夫なのだろうか?

 疑問に思ったが、一昨日のように彼を拒否して傷つけたくない。

 アリスは気を取り直し、予定通り、謝罪から話を始めようと、口を開きかけたが――


「ところで君に好きな相手がいるとは知らなかったよ」


 一瞬早く、カミュが発言した。

 やはり先刻アルベールが気がついた気配は、彼が飛ばした監視の目だったのだ。

 アリスは言葉を飲み込み、言い訳し始める。


「……ま、待って下さい……カミュ様っ……。

 あれは、結婚を回避するための方便で、私には好きな相手などおりません……」


「そうかな、頬を染める君の表情はとても演技には見えなかったし、まったく気のない相手の名前が出るものだろうか?

 大体、方便なら、なぜ私の名前を言わないのだ」


 なんだか責められているようだった。


「それは……あなたとは人間姿では、たった一度、短時間しか会っていないし、第二王子であるあなたの名前を出すなんて、恐れ多くて……とても……」


「同じように一度しか会っていなくても、好意丸出しの人間がいたようだが?

 君が他の者より都合がいいはずの、私の名前を言わなかったのは、嘘でも私を恋愛対象に見たくなかったからではないか?」


 無意識の部分を厳しく言い当てられ、アリスはギクリと身を固くする。 


「そんなっ……こと……」


 カミュは長い前髪を掻きあげて額に手を当て「あぁ、苦しいものだな」と深い溜め息をつき、ぎゅっと目を瞑った。


「カミュ様……?」


「すまなかった……アリス……君を責めるつもりなどなかったんだ……。

 どうも今日の私は冷静とはほど遠いらしい……先ほども、監視している最中なのに、感情を波立たせて、兄に気配を気づかれてしまった……」


 辛そうなカミュに向かって、アリスは大きくかぶりを振った。


「いいえ、謝るのは私の方です。カミュ様に嫌な思いばかりさせて、申し訳ありません……。

 今日だって、いつだってカミュ様は私のことを一番に考えて下さっているのに……私は自分のことだけでせいいっぱいで……あなたの気持ちを考える余裕もなくて……。

 ローズのことでも、あなたに八つ当たりするような態度を取ってすみませんでした……どうか私を許して下さい……」


「アリス……」


 続けて、アリスは説得に入った。


「カミュ様に出会った時、私は生まれて初めて自分に近しい、心が通じ合える相手に出会えたんだと感動しました。

 私にとって、カミュ様は、たった一人だけの、お互いのことが分かり合える、特別で大切な存在なんです――だから、絶対に失いたくないし、死の危険に晒したくない……。

 幽体化出来るあなたは魔族の中では最強ですが、聖なる武器は魂をも斬る。

 仮面の騎士相手なら攻撃を見切って避けられる私の方が断然有利――ですから――」


 懇願の言葉は途中で遮られた。


「アリス、止めてくれ――私だって辛いんだ。

 君だって、守りたいというローズの説得に耳を貸さず、いくら必死に訴えられても頑なに応じなかっただろう?」


「……それはっ……!?」


「同じように私も、君が何と言おうと引くつもりはないんだ――どう言っても無駄なのは、君が一番分かっているはずだ、アリス」


 カミュの指摘にアリスは愕然として全身から血の気が引く思いだった。

 まさにローズにした仕打ちが、今自分の元へと跳ね返ってきたのだ。

 最後までローズの願いや想いを拒否し続けたアリスには、カミュに言い返す資格がない。


「――私の出撃に関しては、大幹部会議を通すように魔王様に言われたので、そこで採決を仰ぐことになる。

 君には出来れば『賛成票』を投じて欲しいと思っている」


 肩を抱かれて、顔を寄せ合い、身体は恋人同士のように近いのに、今のカミュは果てしなく遠く感じる。

 以前より暗さが増したようなカミュの瞳に、どう言えば言葉が届くのかと、途方にくれ、壊れたままの涙腺から、熱い涙がにじみ出した。

 

「カミュ様っ……」


 泣きながらなおも気持ちを訴えようとする、アリスの唇に、カミュの繊細な指が当てられる。


「しっ――アリス、誰か来る」


「……えっ?」


 カミュが視線を走らせた方向に、メロディとは違う赤茶色のドレスの裾を広げ、急いで歩いてくる人影が見えた。

 アリスの肩を抱く手に力が篭り、密着しているカミュの身体から、強い緊張が伝わってくる。

 まっすぐ、東屋の近くまでやってきた女性は息を切らしていた。


「カミュ! ここにいたのね」

 

「ダニエラ姉さん」


 現れたのはアニメにも出てきた、カミュの姉でアルベールより一歳上の、今は公爵夫人となっているこの国の第一王女ダニエラだった。

 両親と同じブルネットの髪に、茶色の瞳、くすんだような肌色。

 目の覚めるような美形であるアルベールと、完璧な美貌のカミュと比べると、かなり見劣りする凡庸な顔立ちをしている。

 

「珍しくカミュが女性と逢引しているという話を聞いたので見に来たのよ。

 あなたが噂に聞くロード公爵令嬢かしら?」


 アリスは蒼ざめ強張った隣のカミュの顔を見てから、ダニエラに挨拶した。


「いいえ、王女殿下、私は、アリス・レニエと申します……」


「レニエ……? 知らないわね。

 だけどその見た目の美しさから察すると、先日の夜会で、カミュがアルベールと取り合っていたという噂の、ノアイユ侯爵の親戚だというご令嬢かしら?」


(そんな噂が立っていたのか)


「はい、私は現在、親戚のノアイユ家でお世話になっております」

 

「ノアイユ侯爵家は美貌の家系で有名ですものね。弟と並んで見劣りしない女性を初めて見たわ。

 見た目だけなら、あなたはカミュと、とってもお似合いね」


 底意地の悪そうな言い方だった。


「姉上、もう挨拶が済んだからいいでしょう。邪魔をしないでくれますか?」


 動揺にか、カミュの声は低く、かすれていた。


「どうして? 弟が親しくする女性と私も仲良くなりたいわ。冷たいこと言わないで、三人でお話しましょうよ。

 ねぇ、アリス、あなた、カミュと出会ったばかりでしょう? 

 私が色々この子のことを教えてあげましょうか?

 もう、小鳥が好きな話は聞いたかしら?」


「止めてくれ!」


 珍しくカミュは声を荒げ、アリスの腰を抱えるようにして一緒に立ち上がる。


 小鳥という言葉でアリスは、アニメの回想シーンで、カミュが幼少期に小鳥を握りつぶす場面があったことを思いだした。

 その光景を見た姉のダニエラが悲鳴を上げ、駆けつけた母親である第二王妃のドレスの裾につかまり、「この子は悪魔だわ!」と弟を指差し叫ぶのだ。

 優しいカミュのイメージから、アリスが今まですっかり忘れていたそのエピソードを、ダニエラはあてこすって言っているのだろう。


「行こう、アリス」

 

「あら、逃げるのカミュ?」


 挑発するように言って、ダニエラは歩きだしたカミュとアリスの後をしつこく追いかけてきた。

 

 

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