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蝿の女王  作者: 黒塔真実
第三章、『亡霊は死なない』
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14、恋と憧れと嘘

「この庭園は完成までに約40年間の年月がかかったんだ」


 ――数十分後。

 アリスはアルベールに手を取られ、メイン宮殿の裏庭を歩きながら説明を受けていた。

 カミュは今ごろ噴水を見るのが好きというメロディと、宮殿の正面側にある一番近い泉へと向かっているはずだ。


 サシャからアリスの趣味が植物の写生と刺繍だと聞いていたらしいアルベールは、前庭にも整備された美しい花壇があるにも関わらず、春の花が一番咲き誇っているのはこの王族のプライベート・スペースである『王妃の庭』だと言って、あえてカミュ達の行く方向と建物を挟んだ逆側に足を向けたのだ。

 たしかに色取りどりの春の花が競い合うように咲き乱れ、早咲きの薔薇が特に美しい庭ではあったが、現在のアリスは庭を鑑賞しているような心境ではない。

 頭の中は結婚話やカミュのことでいっぱいで、今もどうやってアルベールに話を切りだそうかと悩みあぐねいていた。

 

(いきなり話を遮って、さっきの発言は本気なのか問いただすのも、険悪な流れになりそうだし……)


 結婚回避と親密になるという、二つの矛盾した課題を抱えているアリスは、なるべくアルベールの自分への印象が悪くなる言動は避けたかった。


(はぁっ……先にカミュ様と話すことが出来ていたら、助言をもらえていたのに……)


 未練たらしく思いながら、アリスは先ほどの順番決めのコイン・トスで、アルベールを示す『表側』が出た時の、カミュの引き吊った表情を思いだす。

 それは聖剣使いにして人の子の王たる仮面を与えられた、幸運に取りつかれた神の寵児であるアルベールと、悪の組織のトップ4であり(のち)に破滅する不運なカミュの、二人の運命の違いを象徴するかのような結果だった。


「この庭は王妃の寝室の窓からちょうど見下ろせる位置にある。

 あそこにある東屋が特に母が気に入っている場所なんだ」


 アルベールは庭の小道を歩いて解説しながら、チラリと、離れてつき従う背後のサシャや従者を振り返ると、唐突に話題を変えた。


「ところで、客間では、いきなり結婚の話をして君を驚かせてすまなかったね、アリス」


「……!?」


 唐突な謝罪にアリスが少し目を見張って見ると、アルベールは整った顔を崩して苦笑していた。

 

「実は、あんな風に言ったのは、サシャに意地悪を言ってやりたくなったからなんだ。まさか、カミュまであんな反応をするとは思わなかったけどね。

 ――君の気持ちを無視して結婚話を進めるつもりは無いから、安心して欲しい」


(サシャを楽し気に見ていたのはそういうことだったのね)


 サンローゼ教会の墓の話でも感じたが、つくづくこの王太子は冗談がきつい性格らしい。

 なんにしても、園遊会で両親紹介うんぬんが冗談で良かったと、アリスは心からほっとしつつ、疑問を投げかける。


「……なぜ、サシャに意地悪を言いたくなったのですか?」


 アルベールは黒髪を靡かせて立ち止まり、まるで眩しいものを見るように真っ青な瞳を細め、アリスに微笑みかけた。


「夜会で出会った時、君の美しく澄んだ瞳に胸を打たれ、生まれて初めて女性に心惹かれたからだ」


 不意打ちの告白に、とくんと大きく、アリスの胸が高鳴る。


「ようやく運命の相手と巡り会えたと思ったのに、先日サシャに『君には決まった相手がいるようだ』と熱い気持ちに水をさされてね。

 しかもその口ぶりから、その相手がサシャ当人らしいときては、意地悪の一つや二つも言いたくなる」


 『らしい』ということは、サシャは約束通り、相手の名前を確定させていないのだろう。

 アルベールのコバルトブルーの瞳が、夜会の時のように探るようにまっすぐアリスの瞳を見据えて、確認するように言う。


「アリス、君は、サシャが好きなの?」


 ついに核心に触れる質問をされ、アリスの鼓動は急速に早まって、呼吸が苦しくなる。


 ここでサシャが好きだと同意すれば後戻りできなくなる。

 アルベールとの結婚を無事に回避出来ても、抱き合うほど『親密』な関係になることは難しくなるだろう。


 アリスは慎重を重ねて、失礼を承知で質問返しをした。


「もしも、そうだと答えたら、殿下はどうされますか?」


 アルベールはふっと笑った。


「どうするもなにも、サシャは僕にとって最も信頼できる大切な臣下だ――相思相愛の女性を奪うことなど出来ない。

 二人の心が固く結ばれてるようなら、大人しく君を諦めて、二人の結婚の後押しをさせて貰うよ。

 ――間違っても嫉妬でサシャを冷遇などしないから、安心して、君の気持ちを聞かせて欲しい」


 出来た人間というか、アルベールは人の気持ちを尊重すると言ったサシャの言葉は本当だったらしい。

 アリスはさらに気になる部分を尋ねる。


「……後押しとは?」


「サシャは現在、君の後見人で、家族として一緒に住んでいる状態だ。 

 結婚するなら形式的に、一度、侯爵家を出て、外から嫁ぐ方が、体面がいいだろう。

 二人が想い合っているなら、母に君の後見と世話役を頼み、今月中にでも君に宮廷入りしてもらい、女官として一定期間勤めたのち、王宮から侯爵家へ嫁げるように僕が取りはかろう」


 ずいぶん臣下思いなうえに面倒見のいいことだ。

 アリスにとってはありがた迷惑そのものだったが。


(つまり肯定すれば、即サシャとの結婚準備入り……)


 妹ではなく、サシャの妻になるコースまっしぐらだ。


(恐ろしすぎる……)


 この際、王太子への礼儀より保身優先で、いちいちアリスは石橋を叩いて渡るように質問した。


「私がまだサシャとの結婚までは考えられないとしたら?」


「それなら僕にもつけ入る余地があるということだから、君を諦めることは出来ない」


(だったらこのまま通すのも有りってことか。アルベールとほどほどに親密になるために、サシャが好きだけどまだ憧れ程度で、結婚するほど深い感情ではないということにして、隙をみせると――)


「正直なところ、僕にはどうも、サシャの言動には願望が入っているように聞こえて、信じられなくてね。

 それで、こうして君に直に確認してみようと思った次第さ。

 という訳で、アリス、そろそろ君の気持ちを聞かせてくれないか?」


 さすが勘の鋭いアルベール、サシャの嘘に勘づいているらしい。


 たぶんアルベールには100%の嘘は通用しないのだろう――真実を折り混ぜた現実味(リアルティ)のある嘘をつかなければいけない――

 アリスは瞼を閉じて思案する。


(サシャを好きなフリをするのも、自分に好意を示す二人の男性の間で揺れ動く女を演じるのもぞっとする。

 ボロが出る以上に、サシャがその気になったら洒落にならない。

 やはりここは、昨日考えた『別に好きな人がいる』路線で行こう)


 意を決して瞳を開き、アルベールに向き直った。


「アルベール様……私にとって、幼い頃、初めて会った日からずっとサシャは憧れの人でした。

 きっとそんな私の想いが伝わっていたからこそ、サシャはあなた様にそのように告げたのでしょう」


 今となっては認めたくないが、アリスにとっての初恋相手がサシャであることは、紛れもない真実だった。


「では、やはり、サシャと君は……」


「いいえ、殿下。私は最近まで知らなかったのです。憧れではなく本物の恋する気持ちを――

 知ってしまった今では、もう、サシャとの結婚は考えられません」


「――どういうことだ?」


「私は先日ある方に出会って恋をしてしまいました……」


 アリスはその嘘が真実に聞こえるように、あえて、『その人物』に、人工呼吸されたり、ベッドの上で抱きしめられたことを思いだした。

 するとたちまち羞恥心で脈拍が上がってきて、頬が上気してくる。

 演技ではなく、本当に赤くなっているアリスを見て、アルベールの端正な顔が引き締まり、真剣な表情になる。


「サシャ以外を好きになったということだね?」


「はい……サシャはまだそのことを知りません……」


「――相手の男性も君のことが好きなのか?」


 ここからが大事である。


「いいえ……残念ながら……そのお方には、先日、きっぱりと『私と結婚することは有り得ない』と振られてしまいました。

 ですが、私は、どうしても、いまだに諦めきれないのです……!」


 肝心なのはこの振られているけど諦めきれないという部分だ。


(どうせ遠からず、アルベールは『神の涙』の使い手として目覚めたメロディに惹かれるようになるから、そうなるまでの間だけ婚約関係に発展することを防げればいい。

 適度に親密になるためには、アルベールの好意を受け入れつつ、『今は』心情的に、全面的には気持ちを受け入れられないと、別の男性への想いを口実にすればいい)


 自分が立てたにしては完璧な作戦だと、内心、満足して頷くアリスに、とうとうアルベールが具体的に訊いてきた。


「アリス、その君が恋した相手の名前を聞いてもいいか?」


「……出来れば、それだけはお許し下さい……殿下」


「相手に迷惑がかかることを心配しているのか? アリス、僕は決して、狭量な人間ではないつもりだ」


「分かっております……ただ、殿下はそうでも……サシャに知られればどうなることか……」


 ここも現実的に聞こえるように、アリスはシモンに対するサシャの酷い仕打ちを思いだしながら言った。


「サシャには絶対に言わないと誓う。お願いだから僕を信用して誰なのか教えてくれないか? アリス」


 がばっと両腕を掴んで詰め寄るアルベールに、アリスは瞳を伏せ、少しの間、沈黙した。


 昨日のうちに作戦を練っていたアリスは、アルベールに具体的な想い人の名前を訊かれた場合の答えも考え済だった。

 周囲にいる数少ない独身男性の中で、シモンやサシャとは違い、言っても『取り返しがつく』唯一の人物の名前を用意してあったのだ。

 アリスは心の中で勝手に名前をだすことを謝りつつ、自分の想い人役の名前をはっきり口にする。


「はい、殿下、私がお慕いしている方のお名前は――キール・デュラン様です」




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