13、もう一人の自分
本来のアニメの筋であれば、春の園遊会ではメロディがアルベールと寄り添い合って国王夫妻に挨拶し、周囲公認の仲になるはずだった。
その流れで正式な婚約話になり、それが元でロード公爵は陥れられるのだ。
――ところがすべては変わってしまった――
(どうしよう……公式の場でアルベールに『特別な相手』だなんて発言されたら、もう取り返しがつかなくなる)
宰相の娘で公爵令嬢の娘であるメロディと違い、とんとん拍子に婚約成立にとはいかないまでも、先ほどの養女の話といい、アルベールがその気ならどうにでもなるだろう。
(アルベールは本気なの……!?)
メロディと違い神の涙の使い手でもなく、たった一度、夜会で会っただけ。
しかも早々に引き上げたのでダンスどころかロクに会話すらしなかったアリスと、早くも結婚を考えているだなんてどうにも信じがたい。
実はからかっただけだと言われた方が、一目見ただけで運命を感じただなんて戯言よりよほど納得出きる。
疑いの眼差しで観察してみると、時折、アリスの反対隣に座るサシャの顔を見る、アルベールの表情が異様に楽し気に見えた。
(……この顔……アルベールは面白がっている?)
けれど彼女の立場では人前で王太子を問い詰めたり、厚意を否定するようなマネなど許されない。
二人きりになってからアルベールの真意をたしかめ、もしも本気のようなら、少なくとも三日後の園遊会までに結婚する意志を変えさせなければ……。
ただしその場合は、すでにサシャからアリスに想い人がいることを聞かされたうえでの気持ちなのだから、説得は一筋縄ではいかず、かなり難しいだろう。
アリスは問題や憂鬱ごとにぶつかると、決まって脳みそがをストレスを回避しようとして、頭がぼーっとしてくる。
事態の深刻さに応じて、そこに偏頭痛が加わり、いよいよ思考がまとまらなくなってくるがいつものパターンだ。
今も考えている間にだんだん頭が重くなっていき、とうとうズキズキと波打ちだすのを感じていた。
頭の痛みにこめかみを押さえたアリスの耳に、硬質のカミュの声が響く。
「兄さん、先日の夜会の時も思ったが、少々強引過ぎやしないか? アリスが横で困っているじゃないか。
本人の意志も確認しないで、勝手に結婚話をするのはどうかと思うな」
(カミュ様……)
夜会の時と違って完全に味方をしてくれる気なのだと、アリスは感動する思いでカミュの完璧に整った横顔を見た。
改めて今この場に『自分側』の人間がいることが嬉しくて、心強かった。
「もちろん、僕もアリスの気持ちを無視するつもりなんてない。
具体的な話は、アリスの心の準備が出来てからにしようと思っている」
わざと論点をズラしたようなアルベールの回答に、カミュの口調が苛ついてくる。
「私が言っているのはそういうところだ。結婚の同意も得ていないのに、具体的な話も何もないでしょう。
女性が全員王太子妃になりたいわけじゃないんだ。アリスがあなたと結婚したくないと思っている可能性は考えないのですか?」
「カミュ、僕は楽天家なんだ。もしも現時点で、アリスが王太子妃になるのは気が進まないとしても、僕の愛と真心できっと変えていけると思っている」
その『現時点』で相手の気持ちを無視しておいて、どの口が言うのだろう?
(ソードじゃないけど、このふざけた口を今すぐ力づくで塞いでやりたい)
カミュもアリスと同じように感じたらしく、「愛と真心ね」と、いかにも皮肉っぽく呟いてから、つっこみ始める。
「私にはどうも、相手の中身もろくに知らないのに、愛だの恋だという台詞を言う人間が信じられないな。
運命の相手だと兄上はおっしゃいますが、要するに一目でアリスの外見を気に入っただけのことですよね?
なるほど、たしかにアリスは私から見ても今まで見たことがないぐらい美しい女性ですが――将来この国の王妃になる女性を、見た目だけで即、決めるのはいかがなものでしょうか?
少なくとももっと内面や人間性を知ってから、初めて愛を語れ、結婚も考えることが出来るのではないですか?」
キールばりに厳しくかつ真摯なカミュの台詞に、アリスの心は掴まれるようだった。
カミュの言う通り、結婚したいと言っていても結局シモンやアルベールなどは、アリスの容姿を気に入っただけで彼女の内面など何も知らないのだ。
出会った当初からシンシアにさえしたことがない、心の深い部分まで話すことが出来て共感し合えた、グレイとはわけが違う。
(……私の内側を知っていてもなお、好意を寄せてくれているのは、グレイ様だけ……)
他の人間がどうこうではなく、彼だけが特別なのだ。
初めて正面からグレイと見つめ合った時に感じた、言葉にせずともお互いの心が通じ合うような強い共感と惹きつけられる思い。
自分の瞳を覗き込んだような不思議な『同一感』は今でも忘れられない。
(まるで初めて自分に近い存在に、もう一人の自分に会ったような……)
過去を振り返りながらそう思った刹那――
『……どこかに……いればいいのに……』
頭の中に、ふうっと、少女の呟きが聞こえてくる。
――その切ない響きに、前世の頃、寂しさに耐え切れなくなるたびにいつもしていた妄想が、突如、呼び覚まされる――
生まれた時からずっと周囲の人間には痛めつけられる一方で、一度も他人と心を通わせたことがない少女は――誰にも自分の気持ちなど分からないし、分かるわけがないと、『他人に絶望』しながら――孤独で、寂しくてたまらなくて、奇跡を望むように求めていた。
(もしも私とそっくりな、もう一人の自分のような存在がいれば、お互い分かり合えるのに。
この世界のどこかにいて、いつか、出会えたらいいのに……)
その『誰か』に出会ったら、抱きしめて言ってあげるのだ。
(大丈夫、あなたは一人じゃない。私がいるから、もう寂しくないよ)と――
それから、ずっと傍にいてあげて、誰にも出来なかった話をたくさんし合う。
するとお互いの孤独は癒され、二度と寂しくなくなるのだ。
夢みるように願いながらも分かっていた。
世界中の底を浚っても、そんな存在は絶対にいない、自分は死ぬまで一人ぼっちなのだと――そして実際、その通りになった――
いわばグレイとの出会いは、叶いようもない孤独な少女の夢が、実現した瞬間だったのだ。
アリスは記憶を遡り、グレイに出会った時に感じた強烈に惹かれる思いの正体に、今やっとたどりつく。
――求めていた相手と、ついに、巡り合えたからだったのだと――
(グレイ様に話を聞いてもらって、気持ちを分かってもらえた時に感じた、あの泣きそうな感覚は……前世の自分のものだったんだ……)
こうして、かつての願いが現実になり、せっかく求めていた相手と出会えたというのに……。
今生のアリスは前世のように『もう一人の自分』のような相手がいればいいと妄想することが無くなっていた。
なぜなら生まれ変わったアリスには、幼い彼女の言うことをいつも真剣に優しく聞いてくれた父が、何も聞かずにありのままのアリスを受け止めてくれたシンシアが、正面からアリスに向き合いぶつかって来てくれたテレーズがいたからだ。
分かり合えなくても、アリスのことを分かろうとしてくれる人達がいた――おかげで『他人に絶望』なんてしていなかったのだ。
だから今の今まで、どんなにグレイが得がたく、かけがえのない存在であるか、本当の意味では見えていなかった。
――回想している間も会話は進み、何を言われても動揺知らずのアルベールが、余裕たっぷりの表情で言う。
「カミュ、今日のお前はいつになく手厳しいな。
だが、弟であるお前が、率直に意見を言ってくれることについては素直に嬉しいよ」
そこで、ともすれば険悪になりそうな兄弟の会話を中断させるように、しばらく絶句していたサシャがようやく口を開く。
「アルベール殿下、カミュ殿下のおっしゃるように、お互いのことを知り合うためにも、そろそろ予定していた庭園見学に出て、アリスと二人、一緒に庭を散策しながら会話してはいかがでしょうか?」
アルベールは即座に頷く。
「そうだな、少し早いが、今日は時間も限られているし、もう庭へ出ようか」
当のアリスはアルベールと親交を深めるより、今はグレイへの想いが溢れて止まらず、早く会話したくてたまらなかった。
(グレイ様に今すぐこの気持ちを伝えたい! まずは心配をかけたことや、冷たい態度を取ったことを謝って、それから、どんなに私にとってグレイ様が大切な存在かを伝えて、出撃を思い止まるように訴えるんだ)
隣にいるのに今すぐ話が出来ないことがもどかしい。
早るアリスの心が伝わったように、カミュがアルベールに言った。
「兄上、私もメロディとだけではなく、アリスとも話しをしたいです」
弟の要望に、軽く目を見張ったものの、アルベールは柔軟な対応をする。
「……そうか、では、後で案内を交代しようか」
話はそれでおさまるかと思いきや、今日のカミュはあくまでもアリスに対して積極的な姿勢だった。
「私が、先にアリスを庭へ案内をしては駄目でしょうか?」
「カミュが?」一瞬考えこむように黙ってから「……では、アリスに、どちらと先に庭を歩くか決めてもらおうか?」
アルベールが提案すると、場にいる全員の視線がアリスに集中する。
選択をゆだねられ緊張するアリスの内側で、カミュを選びたいと叫ぶ感情を、理性が必死に押しとどめる。
カーマインの命令、自分の使命や目的、メロディとの約束、結婚のフラグを折る等、他のあらゆる点において、今、優先すべきはアルベールとの会話だと分かっていた。
躊躇するアリスの様子に、アルベールが近侍を呼んで小声で話しかけ、何かを受け取ると、改めてカミュへと向き直る。
「では、順番はこれで決めようか」
言いながら広げた手の平には銀貨が乗っていた。
「表が出たら僕が、裏が出たらカミュが先にアリスの庭の案内をするのでどうだろう?」
兄の提案にカミュも乗った。
「いいでしょう。ただし、私にやらせてもらえますか?」
「あぁ、もちろんだ」
アルベールの了解を得たカミュは、さっそく銀貨を受け取って高く空中に放り上げる。
そしてくるくると回転しながら落下してきたところを、バシッ、と素早く手の甲と逆の手の平で挟みこんだ。




