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蝿の女王  作者: 黒塔真実
第三章、『亡霊は死なない』
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12、王宮デートの始まり

 たかが指にキスされただけなのに、まるで熱源にでも触れたようだった。

 握られた手を振りほどきたい衝動を必死に堪えて、燃えるような身体と頬の熱さ、高鳴る鼓動をアリスは意識する。

 

(なんで、私はアルベール相手にこんな反応をしているの――?)


 熱いときめきは、すぐに込み上げてきた苛立ちと憎しみによって上書きされ、恨みと怒りを押し隠し、アリスは口を開く。


「……アルベール殿下。またお会い出来て光栄です」


 静かなアリスの声に、対照的なほがらかな声が続く。


「ごきげんよう、アルベール殿下。今日はお招きいただき、ありがとうございます」


 ドレスの端を両手で掴んで腰を落とし、花のように笑って挨拶する隣のメロディを見て、アリスは目が覚めるようだった。


(私も今日はよけいなことを考えず、せいぜいアルベールに愛想良くしなければ)


 無表情を顔に張りつかせていた己を反省して、


「待ちきれなくて表まで出迎えに来てしまったよ」


 青い澄んだ瞳を細め、いたずらっぽく笑って言うアルベールに、さっそくアリスは笑い返そうとしたが――


(……あれ?)


 なぜか本人の意志を裏切り、顔の筋肉がまったく言うことをきかず、こわばったまま動かない。

 心の準備は充分してきたし、作り笑いをするのには慣れているはずなのに――

 やはり、親友を失ったばかりでまだ生々しい傷口が疼いている状態で、アルベールに会うのは早過ぎたのか――


(なんて弱気になっては駄目だ。目の前にいるのは死神。笑いたくなくても笑わないと!?)


 おくびたりとも態度に出せば破滅の入口となる。正体を見破られ破滅したアニメのアリスの二の舞を演じてはいけない。

 分かっているのに、そういくら心に言い聞かせても『ローズを殺した相手』を前にして表情が凍りつき、どうしても笑うことが出来ないのだ。

 焦って、血の気が引いていくアリスの耳に、その時、力づけるような声が聞こえてきた。


「アリス!」


 反射的に顔を向けると、宮殿前の階段を降りてくる神秘的な白髪の美貌の少年――カミュの姿が見えた。


(グレイ様……!)


 瞬間、アリスは大きな安堵感をおぼえ、たちまち緊張がほどけてゆく。

 カミュはつけ加えるように「メロディ」と呼びながら、早足でこちらに歩み寄ってくる。


「カミュ殿下!」


 名前を呼ぶメロディの表情がぱっと明るくなって頬が色づいた。


「ようこそ二人とも、夜会ぶりだね。会えて嬉しいよ」


 クィーンとして昨夜会ったばかりのアリスも、カミュに会えて嬉しくてたまらなかった。

 今日のカミュは薄っすらと青みがかった白地の、水のように清廉な光沢のある裾の長い(ローブ)を着ており、魔族姿の時の禍々しさとは正反対の、メロディが先日表現したように天から舞い降りた『聖天使』そのものに見えた。


 アルベールが意外そうな表情を浮べて言う。


「まさかカミュが、外まで迎えにくるとは思わなかったな」


「私も二人に会うのを楽しみにしていたんですよ。兄上」


 銀灰の瞳を細め、カミュが美しく上品な口元を綻ばす。

 おかげでアリスもカミュにつられるように、ようやく微笑を浮べることができた。


「まずは皆で宮殿の中でお茶を飲みながら話そう」


 アルベールが移動を促し、アリスの手を握ったまま歩き始める。

 当然この流れなら、カミュはメロディと並んで一緒に歩くかと思われたが。


「そうだね、行こう」


 同意したカミュは、なんとアルベールとは反対側の、アリスの隣に並んで歩きだしたのだ。

 この行動にはアリスも内心驚いてしまう。

 幸い天然のメロディが、カミュのさらに隣に並んでくれたのと、宮殿の廊下が四人並んでも余裕の幅だったので気まずくならなかったものの。


(先ほどの声のかけ方といい、カミュ様はアルベールにローズを殺された私の気持ちを思いやって、心配してくれている?)


 何にしても味方であるカミュの登場にアリスは救われ、心の冷静さと余裕を取り戻すことが出来た。

 正直アリスは、神の涙のことより、グレイの出撃のことが気になって仕方ない。

 しかし、その説得は王宮デートが終わってから。

 今は油断ならないアルベールの相手に集中せねばならない。


 ――現時点では、見たところ神の涙を所持しているはずのアルベールとメロディが近くにいても、特にこれといった変化はない。


 よくよく考えてみればそれも当然のことで、王宮デートだけではなく、旅に出る直前のメロディとの逢引時もアルベールは『神の涙』を身に帯びていたはずなのに、ずっと『無反応状態』だった。

 ――アニメでの『神の涙』覚醒シーンは、両親亡き後に送られた聖クラレンス教国の修道院からメロディが脱走した後。

 生き倒れたところを拾ってくれた親切な旅の一座の少年が、メロディを庇ってクィーンの鞭に打たれ、瀕死の重傷になる。

 その絶対絶命のタイミングで『神の涙』が飛んできて、メロディの手中におさまり、一斉に光を放つ。

 そうして光が止んだ時にはすでに仮面の騎士が目の前に立っていて、『神の涙』の歌に導かれてやってきたとメロディに語る。


(ひょっとして、メロディが危機に陥らないと、神の涙は歌わない?)


 歌うというのは一種の表現で、聖具が持ち主に共振して震え、音を奏でることである。

 とにかくアニメの時系列と照らし合わせても、まだ『神の涙』が反応する時期ではないらしい。


 アリスがそう考えて結論づけている間に、一行は通称『王者の回廊』と呼ばれる、歴代の王の肖像画が飾られている、幅広で長い通路にさしかかった。

 見やすさのためか肖像画は片側のみに展示され、『奥へいくほど新しい時代の王の絵になっている』と歩調をゆるめてアルベールが説明する。


 アリスは特に二人の王子の父親である、一番端にある現フランシス王の絵を興味深く眺めた。

 王国で一番多いブルネットの髪と、アルベールと同色のコバルトブルーの瞳をした、厳つい顔つきの王だった。

 やや面差しが似ていても印象はかなり違い、父王から感じる獅子のような傲然さはアルベールからは感じられず、かわりに柔らかさの中に鷹のような鋭さがある。

 一方、カミュは瞳も髪色も顔立ちも、まるで父にも兄にも似ておらず、一切共通点がない。アニメの記憶によると彼は母親の兄である伯父の教皇とうり双つの設定なのだ。


 

 王者の回廊を抜け、さらに廊下を移動する途中、アリスが気になってなんとなく背後を振り返ると、氷のように硬い表情でつき従っているサシャの姿が見えた。



「この部屋は僕専用の客間だ」


 屋内とは思えない長い距離を歩いて辿りついた扉を開いてアルベールが言う。

 いわゆる王太子専用の大客間というものらしい。

 壁や天井等が青系統の色で統一された室内には、大きな戦場の絵や風景の絵が飾られていた。


 中央にある金色の丸テーブルの上には女性が好みそうなお菓子や食器が並べられ、お茶の準備は万端のようだ。

 給仕の者がメロディを案内しているのを見て、同じように席をすすめられるのかと思いアリスが待っていると、


「アリス、君の席はここだ」


 いつの間にやらテーブルの傍に立っていたアルベールが椅子を引いていた。


(え? 王子自ら?)


 自分の高待遇に疑問を感じつつ、アリスが席につくと、アルベールも椅子を寄せ気味にして隣に着席する。

 カミュはといえば片手を上げ、アニメで見たことがあるアルベールの近侍らしい青年がすすめる席を断り、アリスの反対側の隣席に座る。

 ――4人が席についたあと、アルベールが壁際に控えて立っていたサシャに声をかける。


「サシャも座ってくれ」


「――では、お言葉に甘えてご一緒させて頂きます」


 サシャは無駄な遠慮の言葉など口にせず、速やかにアルベールの隣の席に座った。

 メロディの侍女は隣の控えの間に通されたので、席の並びは、サシャ、アルベール、アリス、カミュ、メロディの順となる。


 アリスは隣のカミュを意識しながら、マラン伯爵家のお茶会の時のように、いつも異界の(アジト)で顔を合わせている仲間と、こうして隣合ってお茶の席を囲むことに不思議な感覚をおぼえる。

 しかもキールやシモンと違い、カミュとはお互い仲間同士だと知りあっているのだ。

 そう思ってみればこの場に『自分側』の人間がいることが心強く、横に座ってくれたことも、アリスを傍で守ろうとするカミュの意志の現れのようで嬉しかった。


 紅茶が注がれたカップを手に取り、アルベールがアリスとメロディを交互に見ながら話しかける。


「会うのは夜会ぶりだけど、二人の近況はサシャやロード公爵から頻繁に聞いていたよ」


 今までの人生で基本、サシャや父からはお小言しか言われて来なかったメロディが、恥じらいに頬を染めて言う。


「まぁ、どんなお話ですの?」


「メロディはあちこちの集まりに出て忙しくしていたそうだね」


 メロディはほっとしたように笑う。


「はい、殿下、社交会デビューしたての私を、色んな方がお誘い下さって、舞踏会や園遊会などに忙しく出ておりました」


 話の流れでアルベールは思いだすように尋ねる。


「園遊会といえば、宮廷の春の園遊会の招待状は二人に届いているだろうか?」


「えぇ、届いております。三日後ですものね。とても楽しみですわ」


 メロディは喜々として答えたが、招待ごとに関してはサシャが管理しており、アリスの預かり知らぬことだった。


(春の園遊会か、もうそんな時期なのね)


 アニメでロード公爵が陥れられたのが、園遊会直後だったことをアリスは思いだす。

 アリスのかわりにサシャが言いにくそうに返事する。


「アリスは社交の場にあまり出ておりませんので、両陛下がおいでになるような場はまだ早いかと……」


 しかし、そのような断り文句が通用するアルベールではない。


「サシャ、アリスは社交の場に出ていないというより、お前が出さないようにしているように見えるが?

 聞けばせっかく社交界デビューしたのに、アリスはメロディと違い、ほとんど屋敷に閉じこもっている状態だそうじゃないか。

 いずれにしても、そんな理由で季節ごとの園遊会に出ないなどとは考えられない!

 両親にアリスを紹介する都合もあるので、必ず出席するように」


 さすがのサシャも王太子の命令には逆らえないらしく、神妙に頷く。


「……分かりました、アルベール様」


(両親に紹介?)


 園遊会に参加するのはいいとして、アルベールの台詞のそこの部分がアリスは非常に気になる。

 同じ疑問をカミュも抱いたらしい。


「兄上は園遊会でアリスを個人的に両親に紹介するおつもりなのですか?」


 弟の質問にアルベールは迷いなく答える。


「あぁ、そのつもりだ、カミュ。アリスは僕にとって一番大切な女性だからね」


「――!?」


(い、一番大切な女性!?)


「私の記憶が正しければ、アリスと兄上が会うのはこれで2回目のはずですが?」


「その通りだ」


「一番大切な女性と呼ぶにはまだ早過ぎませんか?」


「そうかな、カミュ。僕に言わせれば、運命の相手を見分けるのはたった一度会えば充分だ。

 僕はアリスに初めて会った時、いまだかつて他の女性に感じたことのない強烈に惹かれるものを感じた。

 以来、頭の中をしめるのはアリスのことばかり。

 両親にも、園遊会の場できっちりと、僕にとって特別な女性であることをお伝えするつもりだ」


(運命……? 特別な女性?)


 話の飛躍ぶりと突然の告白展開に頭がついていかず、アリスは混乱して固まる。

 サシャも完全にフリーズ状態で、メロディも「きゃあっ」などと言って自分が言われたように恥ずかしがっている。

 カミュが緊張をはらんだ声で問いかける。


「公式の場でそのような発言をすれば、結婚する意志があると取られると思いますが?」


「そこは、そう取られても問題ないと思っているから、心配無用だ」


(――えっ? アルベールは、私と結婚したいと思っている?)


 そんなのはサシャの話と違うというか、『殿下に君に特別な相手がいることは匂わせておいた』と言っていたのに、抑止力にはならなかったのだろうか?


(なんで? 夜会でダンスをしなかったのに、結婚相手までもがチェンジするなんて、そんな馬鹿なこと……)


 持っていたティーカップをガチャンと音を立てて戻し、サシャが焦った声をあげる。


「殿下、アリスは内気な性格なので、王太子妃の勤めなどはとても……それに身分の釣り合いが取れません……私含めて周りが反対します!」


「身分? 侯爵家の親戚筋なのに?」


 アルベールは不思議そうに問い返し、サシャが乱れた呼吸で返事する。


「たしかに私と父親同士が従兄弟同士ですが、アリス自身は子爵家の次男の娘……王太子と婚約できるような身分では……」


「だったら、お前の妹として嫁ぐならどうだ?」


 意表をつく爆弾発言だった。


「……い、妹!?」


 サシャの声が動揺で裏返り、カミュの銀灰の瞳が興味を引かれたように兄を見る。


「アリスを正式にノアイユ侯爵夫人の養女にしてもらい、侯爵令嬢となってから嫁げばいいだろう」


「そうか……それならば通りがいい」


 アルベールの意見にカミュも納得したように同意する。


「社交の面なら心配ない。サシャ、お前も知っているだろう? ここ最近の夜会などの集まりは、すべて病弱な母や多忙な父のかわりにこの僕が取り仕切っていると。

 僕は大抵のことなら器用にこなせる自信があるから、伴侶の苦手なことはすべて補ってみせる。アリスはつねに僕の隣にいてただ微笑んでくれるだけでいいんだ」


 なんとも頼もしい発言であるが、ローズを殺した仇であり、クィーンとしての天敵にして死神のアルベールと結婚するなど冗談ではない。


(アルベールと結婚するぐらいなら、舌を噛み切って死んだ方がマシだ)


 絶対に、それだけは受け入れることは出来ない。


 しかし昨日たっぷり考える時間があり、あらゆる場面を想定していたのに、よもや結婚話にまでいくとは夢想だにしなかった。

 なんとかこの流れを止めたいのに、一つもうまい文句が思いつかずに、アリスは途方にくれてめまいがしてきた。




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