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蝿の女王  作者: 黒塔真実
第三章、『亡霊は死なない』
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11、運命の二人

 廊下からNo.2の間に場所を移し、グレイの正体に触れる部分のみ省き、クィーンは詳しい状況説明した。

 カーマインは、緋色地の金で装飾された豪華な椅子に長い脚を組んで座り、床に片膝つくクィーンを無言で見下ろして耳を傾ける。

 そして話を聞き終えると、盛大に駄目出しを始めた――

 

「以前から思っていたが、お前は本当に使えない奴だな、クィーン」


「――……すみません」


「まったく! 自分に惚れている男もろくに操れないとは、無能にもほどがあるだろう」


「……グレイ様は、別に、私に惚れていないと思います……」


 お互い特別な好意を抱き合っているのは分かっていても、色恋とは絡めたくないクィーンなのだ。


「下らぬことを抜かすな。今の話を聞けば、魔王様に出撃許可を求めること自体お前への愛が動機ではないか。

 先日この部屋に乱入してきたことといい、No.3はお前のためなら何でもするつもりなのだ」


 カーマインの言う通りで、グレイ本人もクィーンを二度と危険な目に遭わせたくないから、仮面の騎士と戦うとはっきり言い切っていた。

 今回だって彼女のために規則を破ってまで出撃しようとしてくれているのだ。

 

(――なのに私はローズを盾がわりにしたなどと勝手に決めつけて、グレイ様を逆恨みをして……)


 態度にだしてグレイを傷つけ、まだそのことを謝ってもいないのだ。


(……私は最低だ……)


 側近との初顔合わせ時といい、自分の被害妄想的な性格には心底うんざりする。

 自己嫌悪に俯き無言で床を見つめるクィーンに、カーマインが溜め息まじりに言う。


「そこまで夢中になっているのだ、お前が男の扱いさえ心得てさえいれば、簡単にこのような段階になるまでに話をおさめられたものを――

 恋する者はいわば催眠状態に近い、甘い言葉や口づけで気持ちを操作するなどたやすいことだというのに……!」


 第二支部をハーレム化し、所属している大半の女性構成員を恋の奴隷化しているカーマインが言うと説得力がある。

 しかし男性経験皆無のクィーンには至難の業だし、すでにグレイが魔王と会っているこの段階で言われても手遅れに思える。


(――あの時、あのまま機密室でグレイ様を待ってさえいれば、長時間かけて説得することが出来、気持ちを変えられたかもしれないのに……)


 今さらながら優先順位を誤り、グレイに会うことを後まわしにしたことが悔やまれる。

 おかげでグレイを思い止まらせるどころか、ろくに話をする時間さえなかった。


『君が殺されるぐらいなら、自分が死んだ方がマシだと思った……!』


 苦しみに満ちた声でグレイは言った。


(私だってグレイ様が死ぬぐらいなら自分が死んだ方がマシだ……!)


 大切に思う気持ちは一緒なのに、なぜこうなってしまうのか――クィーンは泣きそうになって叫ぶ。


「カーマイン様! 魔王様がグレイ様の出撃を許可した場合、私は一体どうすればいいのですか……!?」


 カーマインは美しい片眉を跳ね上げ、だるそうに説明し始めた。


「――そのことなら今はまだ心配しなくても良い。魔王様は聖剣使いを倒すことよりも、一刻も早い『開放の刻』を迎えることを望まれている。

 そのために結社の布教活動を重視しておられ、組織系統が混乱するのを嫌うので、第三支部トップであるNo.3が出撃するのをあっさり『その場』で認めたりはしないだろう。

 いつものパターンならば、まず間違いなく、大幹部会議を通すようにおっしゃるはず」


「大幹部会議ですか?」


「そうだ。大幹部会議は4日後の新月の晩だから、あと4日間の猶予がある」


「4日!」


 つまり、もう取り返しがつかないと思っていたのに、まだグレイを思い止まらせる時間があるということなのだ。


「もしも大幹部会議の議題に出された場合も、賛成が過半数以下で棄却されれば出撃できないしな。

 もちろん私とNo.1は反対する。他の大幹部ならともかく、戦闘能力的に順位戦で番号を奪い返すのが難しい、No.3にだけは順位を抜かれたくないからな……。

 困ったことに、今、神の涙は仮面の騎士の手元にあると推測されるから、万が一、No.3が勝利した場合、2つの大きな手柄を立てることになる。

 四天王以上になると、どんな功績を上げても順位は一つずつしか上がらないが、この場合は2つ順位が上がり、No.3がNo.1になってしまう」


 クィーンは衝撃を受けて叫ぶ。


「――グレイ様がNo.1!!」


「苦労してここまで昇りつめたのに三番手に落ちるなど冗談ではない。

 No.3の出撃許可など絶対に通すわけにはいかぬ。

 幸い、地位と上下関係を重んじる結社では、大幹部会議の採決でも、派閥のトップの意見に下の者が合わせられるように上から賛否を問う。

 上位の者からNo.順に『賛成』か『反対』か発言していくという方式なので、最初にNo.1が『反対』と唱えれば、当然、派閥に属するNo.4とNo.5、No.7、No.8も合わせると言い切りたいが……」


「……言い切れないのですか?」


「No.8は間違いなく合わせるとして、No.5は反抗期で、No.7は自分の感情と欲望優先、No.4は頭が硬く己の信念重視と、それぞれNo.1の意見に従わないことがある」


 どうやらNo.1陣営も一枚岩ではないようである。カーマインはさらに続けた。

 

「No.6は元のNo.1を慕っていて、今のNo.1を内心良く思っていないので積極的に意見を合わせないだろう。

 そう考えると、確実に反対票を投じると言い切れるのは、お前を入れても『4人』しかおらぬのだ――ここは大幹部会議前に、No.3に思い止まらせた方が懸命であろう」


 明日、会えないとしても、会議開始は『一日の終わりの刻』なので、グレイと話し合う期間はあと3日間ある。


「分かりました、必ずやグレイ様を説得して気持ちを変えさせてみせます!」


 力を込めて宣言しながら顔を上げたクイーンの視界を、椅子から立ち上がったカーマインの深紅のマントが覆う。

 ――と、長い腕が伸びてきて、大きな白い手が彼女の細い顎をがっと掴んで、力まかせに持ち上げた。

 避けることは可能であったが、長年の配下生活で、カーマインを怒らせないよう、逆らわない習性が身についているクィーンだった。


「人の話をきちんと聞いていたのかクィーン? 私は説得ではなく、お前に女の武器を使えと言っているのだ」


「ぐっ……」


「No.3とのことだけではない、これから第一王子に近づくのに、この美貌を使わずしてどうするのだ?

 第一王子は神の涙を常時身につけている可能性が高い。抱き合うような関係になって、身体を探るのが手っ取り早いだろう。

 お前も今年でもう16歳。いい加減大人になって、色じかけぐらい使えるようになれ。

 もしも出来ぬというなら、私がこの場で無理矢理にでもお前の身体を大人の女にして、実地の指導で手練手管を教えてやろう」


 妖しく輝く金色の瞳が迫り、上向きにされた顔に息がかかって、カーマインの白皙の顔が迫ってくる。


「……っ!?」 


 口づけされると思い、歯を食いしばって目を瞑った瞬間、『くっ』と吹き出すカーマインの声が聞こえてきた。


「鞭で打たれている時より苦しげな顔だな」


 実際、唇を重ねられるより、その方がずっと良かった。

 カーマインはくっくと喉を鳴らして顎から手を離し、かわりにクィーンの髪の毛を掴んで頭を引き上げる。


「……!?」


「良いか、これは命令だ、クィーン。出来るだけ早く、神の涙の使い手となる聖乙女が現れないうちに、第一王子をたぶらかすのだ。

 何せ、慈悲の仮面を持つ『人の子の王』と神の涙を持つ『聖乙女』は、惹かれ合う運命の二人――出会った後ではお前に目もくれぬ可能性があるからな」


 運命の二人――たしかに聖書に出てくる慈悲の仮面に選ばれた王は、三人とも聖乙女を妃に娶ったとあり、アニメでもメロディとアルベールは結ばれた。


(だけどこの世界のメロディとアルベールはいまだに惹かれ合ってはいない。

 私の存在が邪魔したのだとしても、運命の二人なら出会った瞬間に何かを感じそうなものなのに――)


「その二人は……出会うと必ず惹かれ合うと……決まっているのでしょうか?」


 懐疑的な思いでクィーンが問うと、カーマインはあいている側の手で水のような流れる赤い髪を掻きあげ、気だるげに答えた。


「三回続いたことは四回目もそうなろう。慈悲の仮面は『神の情け』、神の涙は『神の悲しみ』、どちらも神の人への『憐れみ』の感情を象徴した『対』になるもの。2つの聖具はお互い引き合うとされているので、持ち主の心もその影響を受けるのであろう」


(つまり今はまだ恋が始まってなくても、メロディが神の涙の使い手として目覚めれば、聖具の影響を受けて自然に二人は惹かれ合ってしまう……? 

 だとしたらアルベールとの恋を妨害しても、カミュ様との恋の協力をしても無駄?)


 てっきりアリスの夜会での行動のせいで、二人の恋の芽自体を摘んでしまったのかと思っていたが、カーマインの話を聞くと、単に時期がズレ込んだだけに思えてくる。

 では一体いつ恋が始まるのかと考えた時、現在『神の涙』はアルベールの手元にあり、つねに身につけられているはずであることにクィーンは気がつく。


(明後日、メロディは『神の涙』と初接近する――何らかの反応があってもおかしくない――

 ひょっとするとその時アルベールとメロディの恋が始まる……?)


「差し当たっては泣き落としでもして、大幹部会議までにNo.3の気を変えるのだ。

 ――言っておくが、お前があまり使えぬようなら、先ほど言ったように、私が直接この身体に大人の女の技を教えこむことになるからな――それが嫌なら結果を出すのだクィーン」


 最後にクィーンの頭を高く引っ張り上げて忠告すると、カーマインは握っていた髪束を離した。


「……はいっ、カーマイン様……」


 床にくずおれたクィーンはぞっとしながら返事して、色んな意味で、大幹部会議前にグレイを説得することを固く心に誓った――





 翌日はアリスにとって久しぶりに何も予定のない貴重な一日だった。

 朝食後、サシャは特にキスの挨拶を強要もすることもなく出勤して行き、ノアイユ夫人も侍女を連れて園遊会へと出かけいく。

 

(具合が悪いふりをしなくても、独身男性が参加しているというだけで、集まりに同行しなくて済むのはありがたいかも)


 ゆっくり頭の中を整理して、明日の作戦を立てたかったアリスは、気兼ねなく一人過ごせることが純粋に嬉しい。

 屋敷に一人になると、昨日シモンとした会話の影響もあり、久しぶりに庭に出て薔薇を写生することにした。

 手を動かしていると気が紛れ、頭の中も冴えわたる気がする。


 唯一、美しい薔薇の花にローズの面影が何度も浮かび、胸が傷んで思考が遮られては、手が止まりがちになるのが失敗だったが――


 グレイはもちろんだが、薔薇を見つめながら、ローズにとって大切な存在になりかけていたソードを、絶対に死なせたくないとアリスは強く思う。


(そのためにも、大幹部会議の日までに、なんとしてもグレイ様を説得しなければ――

 もしも最悪、出撃する意志を変えられない場合――カーマイン様は怒るかもしれないけど、グレイ様に一緒に戦うことを主張しよう――2人、ううんソードと3人なら、仮面の騎士を倒せるかもしれない)


 ――日中は忙しく考えごとをしていたせいで、あっという間に時間が過ぎてゆき、気がつくと庭を通る風が涼しくなっていた。


 夕方頃にはサシャとノアイユ夫人が帰宅し、三人で囲む夕食の席、話題が明日の王宮訪問のことになる。


「明日は宮殿内で過ごした後、庭園見学をさせていただくことになっている」


 仕事の疲れを癒やすようにワイングラスを傾け、予定を説明するサシャに、アリスは聞き返す。


「庭園見学?」


「あぁ、と言っても、宮殿内もそうだが、庭園は広大過ぎて一日ではとても見きれず、時間的に見られるのはほんの一部のみだがね。

 明日は私も護衛として常時付き添う予定なので、安心していいからね、アリス」


 サシャはそう言って美しい口元を綻ばせ、愛情ほと走る眼差しをアリスに向けたが――カーマインの命令を思うと、逆に非常にやりにくい。

 色じかけはともかく、サシャの目の前で、アルベールに好意を示して取り入らねばならないのだ。


 ノアイユ夫人は興奮した表情でアリスに話しかける。


「王太子自ら宮殿や庭園を案内して下さるなんてとても光栄なことね、アリス!

 明日だけではなく、あなたはメロディの親友だもの、これからもたびたび一緒に宮廷に招かれる機会があるかもしれないわね。

 この先もしもメロディが王族に嫁いだら、取り巻きとして王宮へ頻繁に出入りすることにもなるのでしょうね! 素敵だわ」


 相変わらず先走り過ぎの夫人の発言である。

 いくら貴族の血を引いて侯爵家に世話になっているといっても、所詮アリスは一介の騎士の娘。

 発言からも分かる通り、ノアイユ夫人もまさか王太子であるアルベールが、アリスに特別な興味を抱いているとは想像せず、今回の招待も、公爵令嬢であるメロディを呼ぶついでだと思っているようだ。


 夕食後、アリスは久しぶりにサシャに執務室に呼ばれ、先日話した段取りを改めて確認される。


「分かっているね、アリス。アルベール殿下に諦めて貰うため、明日ははっきりと君に想い人がいることを言動で示すのだよ」


「分かっているわ、サシャ」


 密室に二人きりで長くいたくなかったので、アリスは何を言われても素直に頷く。

 そのおかげか手を握られる以上のことはされず、その晩は割と早めに自室へ戻ることが出来た。


 


  


 あくる日の王宮訪問、当日。


「アリス、今日はしっかり殿下に気持ちを伝えるんだよ」


 支度を終えて馬車に乗り込むと、さっそくアリスの手を握り、筋金入りのしつこい性格のサシャが、念押しするように言ってきた。

 前日の夜にも充分言い聞かされていたアリスは、内心うんざりしつつも表面上は愛想よく頷く。


「えぇ、サシャ」


 出発した馬車はロード公爵家を経由し、メロディとその侍女を乗せてから王宮へと向かった。


「あぁ、もう胸がどきどきしておかしくなりそう」


 アリスとサシャの向かい側の席についたメロディは、恋する乙女特有の潤んだ瞳で、いつもより声量抑え目に言う。

 今日の彼女は、赤い髪色に似合うモス・グリーンの光沢のあるドレスに、薔薇のコサージュがたくさんついた帽子をかぶり、庭園見学に備えてか、侍女のマリナに日傘を持たせている。

 帽子からこぼれ落ちる赤毛も美しく縦ロールに巻かれ、手に持ったレース模様の扇で笑う時はつねに口元を隠し、見た目は完璧な公爵令嬢然としていた。


(――そうそう、アニメでの王宮デートでもメロディもこんなだったわね。必死に上品ぶろうとしているのを、アルベールにありのままの君でいいんだとかなんとか、甘い口説き文句を言われて……)


 片や控えめが信条のアリスは、侍女も連れず日傘も扇も持たず、シンプルな水色のドレスと同色の帽子をかぶり、裾からストレートの美しい金髪を垂らしている。

 品のあるたたずまいだが、華やかさという点では公爵令嬢のメロディが連れている侍女の方が令嬢らしい装いをしているほどだ。


 やがて王宮の門(ロイヤルゲート)をくぐり、馬車は広大な王宮の敷地へと入り、メイン宮殿の庭のエントランス部分で停車した。


 先に降車したサシャに手を取られ、アリスが石畳の上に降りている途中、


「アリス、メロディ、よく来たね!」


 シモンとはまた違う響きのよく通る声に呼ばれる。

 顔を上げると、宮殿の入り口方向から、着丈の長い白の上衣(コート)と漆黒の髪を靡かせ、爽やかな笑顔を浮かべたアルベールが、まっすぐこちらに向かって歩いてくるのが見えた。

 アルベールは足早に目の前まで来て立ち止まると、真っ青な瞳を向けたまま、王子らしい優雅な動作でアリスの手を取り、指先に唇を押し当てる。


「会いたかった、アリス」


 拒みようもなく手に口づけを受けるアリスは、アルベールの唇が触れた箇所から、熱く、火のような感覚が広がっていくのを感じた――




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