5、別れの挨拶
「――!?」
待ち構えていたように聖堂の入り口付近に立つ二人を見つめ、アリスは内心、うろたえたずにはいられなかった。
(……まずい……シモンやキールは、サシャやノアイユ夫人とはわけが違う……!?
特に、キールというかソードは、私やローズの正体について疑念を抱いていたみたいだし、意外と勘が鋭いから、テレーズが偽物だと気がつく可能性が高い……!)
生半可な演技では通用しないと思い、焦って隣のアリアを見やれば、なぜか完全に動きが止まっている状態。
呆けたような表情から判断するに、どうもシモンかキールあるいは両方に、見惚れているらしい……。
夜会の時も感じたが、ともに高身長で銀髪と金髪で容姿が際立つ二人は並ぶとよけい絵になって目立ち、今も教会中にいる女性の熱い視線を一心に集めている。
なのでアリアの反応も乙女として仕方ないとはいえ――初対面ではないテレーズとしては不自然そのもの。
肝心のアリアがこれでは、まるで自ら墓穴を掘るため、いらない挨拶をしにきたようなものではないか。
(……なんとかしないと……)
アリスはアリアの腕を離して前に進み出ると、誤魔化すように愛想良くキールとシモンに挨拶する。
「ごきげんよう、シモンさん、キールさん。今日は礼拝に二人揃って来たのね」
「あぁ、シモンからこの教会にアリスさんが通っているのを聞いて、急に、俺も神に祈りたくなったのさ――親友が無事に想い人と結婚出来るようにとね。
今日は久しぶりの教会なものだから、張り切り過ぎて、少々早い時間に来すぎてしまったがね」
にやにや笑いで軽口をたたくキールは、No.9の間での印象とは違い特に荒れている様子はない。
シモンもいつもの優美な様子で、中性的で綺麗な顔に柔らかな笑みを浮かべて話しかけてくる。
「アリスさんも今日はテレーズさんと一緒なんだね。
先日のデュラン家のお茶会に、二人が来られなかったのは残念だったけれど……今日は顔が見れて嬉しいな」
(お茶会?)
初耳のアリスの横にすっと並び、テレーズ姿のアリアがかわりに返事を引き受ける。
「お茶会に誘われた時は、兄が亡くなったばかりで、どうしようもなく気がふさいでいたから……。
アリスと一緒に、気分転換に、想い出の場所をあちこち散策していたの……」
「……そうか……」
殺害した帳本人であるキールは神妙な顔で頷き、シモンも同情的な口調でお悔やみを述べる。
「……テレーズさんの兄君は、悪魔の被害に遭ったそうだね……非常に痛ましく残念な出来事だった……」
多少人として気まずいのかキールがさっさと話題を変える。
「それで、テレーズさん、そのお茶会に参加していた、マラン伯爵夫人とノアイユ侯爵夫人の両方から聞いたんだが、あなたが修道院へ帰るっていう話は、本当の話なのか?」
「ええ、本当よ。ちょうど今から帰国するところなの。
私も、マラン伯爵夫人から、お茶会の時にあなた達二人が、とても私のことを気にしていたと聞いてね……。
せめて出発前に、シモンさんだけにでも一言挨拶しようと思って、こうして教会の中に寄ったんだけど、思いかげずキールさんにも会えて良かったわ」
話の流れでアリスは聖堂内を見渡し、先に到着していたらしい遠く祭壇近くで知人に囲まれている、ノアイユ夫人の姿に目を止めた。
彼女の性格なら間違いなくお茶会の時に、教会でシモンに会った話をしたことだろう。
(キールはテレーズがローズじゃないかと疑っていたから、お茶会の時にマラン伯爵夫人に探りを入れたに違いない……。
アリアはマラン伯爵夫人からその話と、シモンがここの教会に通い始めた情報などを仕入れたんだわ……)
考えながらキールの顔を眺めると、心なしか青灰色の瞳には鋭く探るような光がある。
「今からって――!? 先週来たばかりなのに、ずいぶん帰るのが早過ぎないか? もっと長く居ればいいじゃないか」
不満気なキールの顔に、シモンも同意する。
「僕も知り合ったばかりでもう帰国だなんて、これから何度も会えると思っていたのに、残念で仕方がない……可能ならもっと居て欲しいな」
アリアは羽毛のような睫毛を伏せて申し訳なさそうに二人に謝る。
「ごめんなさいね――今、東モルキア帝国内で疫病が流行りだして、病人を看護する人手が足りないらしいの……」
東モルキア帝国は聖クラレンス教国の隣国で、同じ第二支部の管轄国だ。
「疫病にかかった人間を看護するなんて、それこそ移ったら大変じゃないか――危険過ぎるし行かない方がいいんじゃないか?」
率直過ぎるキールの物言いに、アリアは明るい笑顔で返す。
「大丈夫、私は丈夫で健康だし、それが無かったとしても、どのみち近いうちに帰国するつもりだったから、少し早まっただけなのよ」
この台詞といい、さすが代役専門というか、出だしこそ危ぶまれたものの、今のところ見事なまでにアリアはテレーズになりきっている。
あとはボロが出ないうちに一刻も早く会話を切り上げたいが、聖堂にある時計を見ると、礼拝開始時刻まであと10分弱もある。
「そもそも、そこが分からない。テレーズさんはこの国で生まれ育って、家族もこっちにいるんだろう? なぜ帰らなくてはいけないんだ」
予想通りというかキールのつっこみはなかなか厳しく、アリスは内心、気が気じゃなかった。
慣れなのか、度胸が据わっているのか、危なげない演技を続けるアリアは、皮肉気に思い出し笑いする。
「家族といえば、兄のオーレリーの葬儀に顔を出した際、私の義母と姉にあたる二人に『厄病神』と罵られたわ」
「――!?」
キールとシモンの顔に衝撃が走る。
「でも、全然平気よ。私の中では彼女達はとっくに赤の他人だもの。
私にとっての家族は、血よりも、愛情が通い合った相手――アリス以外の私の家族と呼べる大切な人は、全員、聖クラレンス教国にいるんだから、帰るのは当然のことなのよ」
いったん間を挟め、アリアはキールとシモンの顔を交互に見つめ、想いを込めるように言葉を続ける。
「アリスは本当に不器用で、感情や思ったことを表には決して出さず、一人で内に溜め込む性質なの。修道院にいた頃は、他人に誤解されても構わないで敵ばかり作るから、放っておくと大変だった……。
自ら孤独になりたがるこの娘には、私がついていていないと駄目だとそう思い、いつも強引に傍にいたのに……。
アリスがフランシス王国に帰ってしまって、目が届かなくなり、毎日どうしているか、一人でいるんじゃないかと心配でたまらなくて……だから様子を見にこの国へやって来たの!
そうしてアリスが優しい家族や、あなた達のような良い人達に囲まれているのを知った今では、安心して帰ることが出来るわ!
――図々しいお願いだけど、どうか、シモンさん、キールさん、これからは私の分まで、この娘のことをよろしくお願いします!」
姿だけではなくテレーズそのものの言葉で、瞳を潤ませ訴えかけるように、キールとシモンにお願いするアリアを見て、アリスは本気で分からなくなる。
なぜアリスを嫌ってテレーズといがみあっていたのに、アリアはこんな台詞が言えるのか。
ずっと近くにいて親しかったアリスでさえ、本物のテレーズがいるような錯覚を覚えてしまうほどに、アリアの演技は完璧を越えていた。
(――なぜ、目の前にいるのはテレーズじゃない、偽者なのに……)
アリスはアリアの迫真の演技に、自然に目頭と胸に込み熱いものが込み上げてきて、戸惑う。
「もちろんだ、テレーズさん。及ばずながら、これからは君の分まで、僕がアリスさんの傍にいて味方になると誓う」
エメラルド色の瞳に強い決意の光を浮べて、シモンがしっかりとテレーズの瞳を見据えて約束する。
キールも力強く頷いて請合った。
「あぁ……任せてくれ。俺も、シモンと一緒に、アリスさんを見守ろう」
「ありがとう、二人とも!」
お礼を言った瞬間、感極まったようにテレーズ姿のアリアの瞳から、美しい大粒の涙が零れ落ちる。
(……あ……)
気がつくとアリスの瞳からもつられるように涙が溢れ、頬を伝い落ちていた。
(なんで? ここにいるのは本物のテレーズじゃない……こんなのは茶番なのに……!)
幾ら心に言い聞かせても涙が止まらない。
先に泣き出した癖にアリスの様子を見て、アリアが泣き笑いして指摘する。
「アリスったら、何泣いているのよ。滅多に泣かないあんたが、涙腺でも故障しちゃったの?
国一つ挟んで距離があるとはいえ、陸は繋がっているし、もう二度と会えなくなるわけじゃないのよ?」
しかし現実として『もう会えない』ことを知っているアリスは、その言葉に、よけい、涙が込み上げてくる。
前世でも今生でも、涙なんて滅多に流さないアリスだったのに、本当に涙腺が壊れてしまったのかもしれない。
大きく波打つハニーブロンドの髪、長い睫毛に縁取られた琥珀色の大きな瞳、ぷっくりとした愛らしい薔薇色の唇。
寸分たがわぬ、テレーズと同じ容姿を見つめるアリスの心に、別れを惜しむ気持ちが起こる。
これを最後に、アリアはもう二度とテレーズ役をする機会はないだろうから、この姿はもう見納めなのだ。
そう思うと涙が後から後から流れてきて、止まらなくなった――
アリアがハンカチを取り出し、自分の目元だけではなくアリスの涙も拭き取った。
二人で向かい合って泣いているうちに、とうとう礼拝の開始の時刻になり――皆の顔を見回し、アリアが最後の別れを告げる。
「残念だけど、もう約束の時間だから行かなくてはいけないわ。
――それでは、シモンさん、キールさん、お元気で……!」
「テレーズさんこそ元気で……!」
「また、帰国するのを、待っているからな」
シモンとキールの言葉に大きく頷き、お辞儀した後、くるりと踵を返したテレーズ姿のアリアの背を、慌ててアリスは追いかけて行く。
「……待って」
二人は続いて廊下を走り、玄関を通って表へ飛び出した。
気をきかせたのか、シモンやキールはついて来ていない。
礼拝の開始時刻を過ぎた教会前の一本道は無人で、アリスはやっと本当の名前を呼んで問いかける。
「どうして、アリア……?」
(どうしてそこまでテレーズになりきれるの?)
まるでテレーズの何もかもを知っているかのように……。
アリアはアリスの漠然とした問いを無視して、満面の笑顔で振り返った。
「きゃはっ! アリスの涙が見られるなんて、今日は忙しい時間の合間をぬって、この国へやって来たかいがあったわ。
なにしろダーク様はカーマイン様以上に人使い荒くて、時間の余裕がほとんど無いんだからっ」
ダークというのは組織と本部を統べるNo.1の呼び名の一つである。
紛らわしいのだが、現在、魔王に『ブラック』と呼ばれているNo.1には、四天王になる前から使っている『ダーク』というもう一つの通称があって、今でもおもにそちらを愛用しているのだ。
理由は組織の創始者でもある前No.1の通称も同じ『ブラック』だったからかもしれない。
「……」
アリスはすっかりいつもの調子に戻ったアリアを見て、急速に現実に引き戻される。
「ねぇねぇ、気がついた? 涙を見るのもだけど、あなたが私の相手をしてくれたのもこれが初めてだってこと。
修道院にいた頃、あなたはいつだって私達を完全に無視していたものね。懲りずに私がしつこくあなたの悪口言っていたのは、テレーズが毎回、自分のこと以上に怒って、ムキになって楽しかったから。
あなただけじゃなく修道院で面と向かって私達の相手をしてくれるのは、テレーズだけだった――」
一瞬アリスは、アリアの瞳に悲しみが滲むのを見た気がした。
「誰も遊んでくれる人がいなくてつまらないからっ、もしも修道院へ帰ってくることがあったら、この調子で遊んでよね? アリス。
テレーズみたいに、うっかりドジって死ぬんじゃないわよっ?」
調子づいたアリアの口から、昨日も耳にした看過できない言葉が出るのを聞き、アリスは苦し気な声で訂正する。
「アリア……テレーズは……ドジったんじゃない……私を庇って死んだの……!」
けれどその台詞を聞いたアリアの瞳に浮かんだのは、あきらかな苛立の色だった。
「庇った……って、止めてよアリス。
それじゃあまるで……あなたの命の方が、テレーズの命より価値があるみたいじゃないっ……」
「……あっ……」
「ねぇ、アリス、あなたはなぜ、リリアじゃなく私がテレーズ役をやっていると思うの?
それはね、私のほうが演技力が上だからよ。陰気な顔で突っ立っていれば充分成立するあなた役とは、テレーズ役は訳が違うの。
きっと、死んでようと生きていようとあなたの美しさは変わらないんでしょうね。
だけどテレーズは違う!
怒って、笑い、恋して、感情も表情も豊かで、生きていてこその、内側から光輝くような美しさだった。
そうテレーズのほうがあなたの千倍も万倍も美しかった――」
アリアの口から吐かれたのは、紛れもない、テレーズへの賛美だった。
「アリア……あなた……」
「だからこそ、私はテレーズが一番大嫌いだった。誰よりも美しくて、自信家で、何でも出来て中身まで魅力的で……。
――逆に、入れ物だけ綺麗で、中身が陰気臭い、亡霊みたいなあなたのことは哀れんですらいたわ。
きっとロクでもない生い立ちの可哀想な女なんだって思ってね」
アリスの生い立ちについては、テレーズも同じように勘違いしていたのを思いだす。
「ところが代役のためにあなたの故郷であるこの国に来てびっくり!
優しい家族に、何不自由ない生活、後見人といい今の二人といい、王子様みたいな素敵な人達に囲まれているうえ、その美貌ゆえに愛されて……。
アリスとアリア、名前はたった一文字違いなのに、あなたは私と大違いで、何もかも持っている。
――今では、すべてを持っている癖に、何も持っていないような不幸ぶった陰気面したあなたが、大、大、大嫌い!
おまけにテレーズが自分を庇って死んだなんて、傲慢な台詞まで吐くのを聞いたら……ますます許せないっ!
私がずっと見てきたテレーズはどんな状況だろうと、自分の命を投げだすような、そんな程度の女じゃないわっ。
テレーズは死ぬつもりなかったのに、ドジっただけなのよっ! 二度と庇っただなんて言わないで!」
アリアは怒りの口調で一気に吐き連ねると、急に器用に声を明るく一転させた。
「――あはっ! 言いたいこと言ったらすっきりしちゃった。
さてと、本当に時間がやばいわ――じゃあねっ、アリス、また遊んでよねっ!」
最後にアリアはヒラヒラと手を振って、路肩に停めてある馬車へと駆け寄り、素早く乗り込む。
「……」
ほどなく走り去っていく馬車を見つめながら、呆然と立ち尽くし、アリスは頭の中でアリアに言われた言葉を反芻する。
(ローズは……死ぬつもりなかったのに……ドジっただけ……?)
言われてみればその通りで、あの時、ローズは荊のガードを発動していて『聖剣が突き抜ける』ことを知らなかった。
『知らなかった』と『分かっていて』飛び込んだ場合では、両者の間には大きな隔たりがある。
そう、絶望的なほど……。
(……そうよ……私が言わなかったから……荊のガードでは聖剣を防げ無いことをローズは知らなくて……死ぬと思わずにつっこんできた……!?)
ローズの死後、初めて、自分の犯した罪を正しく認識したアリスは、激しいショックに目の前が真っ暗になる。
「アリスさん?」
その時、背後から肩にそっと手を置かれ、気遣うように問いかけてくるシモンの声がした。
テレーズを見送りに出たまま一向に帰ってこない彼女を心配して、表まで様子を見に来たのだろう。
(あぁ……どうしよう……私……っ!?)
アリスは返事をするどころか、罪悪感と絶望感で頭がどうにかなりそうだった。
全身から血の気が引き、突然、足元の地面が崩れていき、闇底へと飲み込まれていくような感覚がして、助けを求めるようにシモンの身体にしがみつく――
「アリスさん……!?」
応えるようにシモンもアリスの身体に両腕を回して、支えるように抱きしめ――二人は教会の前で抱き合った――




