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蝿の女王  作者: 黒塔真実
第三章、『亡霊は死なない』
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4、遠い日の温もり

「――きゃっ!?」


 気が動転したアリスは悲鳴をあげて身をのけぞらせ、とっさにサシャの顎を手で押しやりながら、膝の上に乗り上げているお尻をずり下ろした。

 アリスの身体を逃さぬというように、慌ててサシャが抱き直して両腕に力を込める。


「……アリス…っ!」


「いやっ……離してっ!?」


 気が立っているアリスは思わずカッとして、サシャの顔面を殴りつけようとして、振りあげた腕をガシッと掴まれる。

 すかさず顎を頭突きしようと思ったが、察知されたようにさっと頬を重ねらる。

 さすが武人なだけありサシャは隙がなく、腹を蹴りあげようにもぴったり腰を押しつけられていては無理だった。

 

「急にどうしたんだ、アリス……君から、しがみついてきたのに!?」


「――!?」


 焦ったようなサシャの叫びで、アリスは瞬時に理解する――

 またしても自分がソードの時のように、寝ぼけて他人に抱きついた事実を。


(――私、お父様のつもりで現実のサシャに甘えていた――!?)


 ショックで硬直するアリスに追い打ちをかけるように、サシャが説明する。


「……置いて行かないでって、泣きながら私の胸に顔を埋めてきて……よほどテレーズさんの帰国が悲しかったんだね……」 


 アリスは恥ずかしさに、顔から発火して全身に燃え広がるようだった。


「――夢だと お父様だと……思ったの……!?」


 実際、冷たい美貌の父と甘い顔立ちのサシャは顔の造作こそ似ていなかったものの、それ以外は髪色や瞳の色、背格好までそっくりだった。

 半ば夢の中にいる、意識がもうろうとした状態では間違えても仕方がない。

 

「そうか……アリス……君は、知っていたかい? ――昔からずっと私は君の父上がいつもしていたように――こうして君を腕に抱いて慰めたいと思っていたんだ……。

 今日は初めてその願望が叶って――数日、会えなかった寂しさがたちまち吹き飛んでしまったよ」


 幸せそうな声でサシャに耳元でささやかれ、逆にアリスは死にたくなる。

 昔からというのは、たぶん、彼女が両親を亡くし侯爵家に引き取られた7歳か、ミシェルを失った9歳の時から、と言うことだろう。

 当事のアリスはサシャだけではなく、周囲の人間全てを拒絶し、誰の慰めも受けつけず、一人きりの世界に閉じこもっていた……。


 ――アリスはサシャの頬と包み込む身体の感触と温もりに、高鳴る胸の鼓動と全身の熱さが限界になり――


「いい加減もう離して……!」


 爆発するように腕の中で叫んで暴れだし、怒りの砲火をあびせた。


「大体、寝ている他人の部屋に勝手に入って来るなんて最低だと思わないの……!?」


 色々あって、心が荒んで攻撃的になっているアリスの激しい剣幕に、さすがのサシャも両腕をほどいて謝罪する。


「すまない、一刻も早く君の顔が見たかったのと、大切な話があって部屋を訪ねたら、泣いているみたいだったから……」


「大切な話?」


 ようやく抱擁から解放されたアリスは大袈裟に身を離すと、警戒するように部屋の角にある書き物机まで下がって腰を下ろす。

 サシャも押された顎を撫でつつ、今さっきまでアリスを抱いて座っていた椅子に腰を戻した。見たところ、ニードルにやられた首の傷は浅かったらしく、すでに包帯が取れた状態だった。


「あぁ……話というのは……例の王宮訪問の件なんだ。アルベール殿下が安息日明けにでも会いたいとおっしゃっていてね。

 今日も君が屋敷へ帰っていないようなら、マラン伯爵家に使いを出そうと思っていたところだ」


「安息日明けって、つまり、明後日ってこと?」


「いや、王子は明後日でも明々後日でもいいそうなんだが、メロディの都合で、三日後、明明後日はどうかという話になっている」


 アリスは気を落ち着かせるように溜め息をつく。


「明明後日ね、分かったわ」


 ――荊のガードごしにローズを刺し殺したアルベールのことを思うと、アリスの目は憎しみで眩むようだった。

 もちろん戦いの場に身をおく以上、殺す殺されるはお互い様だと分かっている。

 でもローズの墓参り直後の今だからこそ、アルベールの墓碑銘うんぬんの軽口は許しがたく思え、改めて腸が煮えくりかえってくる。

 はっきり言って、感情を表に出さないのが得意な彼女でも、会えば平静でいられない自信があった。


 それでも神の涙を手に入れるためには、感情を殺してアルベールに近づかなければならない。

 順位戦を経ずに四天王に上り詰めるためにも、決して避けては通れない道なのだ。


 沈黙しているアリスを見て何を勘違いしたのか、サシャは力づけるように言った。


「当日は私も可能な限りつきそうから、緊張しなくても大丈夫だからね」


 アリスは指にはめている、オニキスで出来たような漆黒の薔薇の模様が彫られた指輪に目を落とし、表面的にお礼を言う。


「……ありがとう、サシャ」


 サシャは気がついたように彼女の手元を注視した。


「――ところでアリス、その指輪はどうしたんだい? 君がアクセサリーをしているなんて、珍しいね」


「……えぇ、テレーズに貰ったの……」


「そうか……テレーズさんに……」


 感傷的な優しい響きのサシャの声に、そこで、ノック音が重なり――夕食を告げるポレットの声がした――




 アリスはその晩の夕食後、いつもの口実とは違い、本当に早く寝るために、サシャとノアイユ夫人に挨拶して早々に自室へと下がった。

 今夜は幹部会議の夜であったが、グレイは帰宅して休むように――ヘイゼルも数日のんびりしていいと言っていたことから、出なくてもいいと判断する。

 明日はどのみち呼ばれているのでグレイに会わないといけないし、安息日なので教会に行きシモンとも顔を合わさねばならない。

 気が重い予定に備えて気力を回復するため、アリスはベッドに横たわりただ無心になって眠ることにした――




 翌朝。

 早起きして、朝食と外出の準備を終えたアリスが出かけ際に自室で寛いでいると、ポレットがやってきて驚くべき訪問客の名を告げた。


 焦ったアリスが急いで居間へ向かうと、折しも中では『偽者のテレーズ』が、サシャやノアイユ夫人相手に別れの挨拶をしている段だった。


「早くも帰国するだなんて、心から残念だ、テレーズさん」


「えぇ、サシャの言う通り、アリスの親友のあなたとせっかく知り合えたのに、もうお別れだなんてとても寂しいわ……」


「ありがとうございます。短い間でしたが、侯爵閣下や侯爵夫人にお会い出来て、とても嬉しかったです」


「テレーズ!」


 三人の会話に割り込むようアリスが声をかけると、偽テレーズは琥珀色の瞳を細め、艶やかな笑顔を向けてきた。


「おはよう、アリス、今、出立のご挨拶をしていたの」


 アリスはつとめて自然な口調で尋ねる。


「そう、今から帰るの?」


 正直、この場にサシャやノアイユ夫人が居なければ、なぜ来たのかと、怒鳴って問い詰めてやりたい。


「そうよ、昨日言ったように、聖クラレンス教国へ向かう、教会関係者の馬車に同乗させて貰える段取りがついたから、今から待ち合わせ場所に向かうところよ……。急に馬車の都合がついたので、昨夜は荷造りのために、あなたを帰してごめんなさいね」


 いやに説明的な台詞を言ってから、偽テレーズは続けた。


「ところで、その格好はアリスも教会へ行くところなんでしょう? まだ時間的に余裕があるから、私の乗ってきた馬車で教会まで移動して、二人で最後におしゃべりしない? 

 ――構わないでしょうか? ノアイユ侯爵閣下、ノアイユ侯爵夫人」


「もちろんよ、テレーズさん」


「そうだね、そうするといい。私は王宮に出勤するので、教会の礼拝には出られないが、外まで一緒に行こう」


 緋色の軍服を着たサシャは偽テレーズと廊下を並んで歩き、改めて別れを惜しみながら、道中くれぐれも気をつけるように語りかけた。

 その背後をノアイユ夫人とともについて歩くアリスは、心中、穏やかではない。


「それでは、ノアイユ侯爵閣下、アリスのことをくれぐれもよろしくお願いします。

 お名残惜しいですが、私はこれで失礼させて頂きますね……」


 ――サシャに最後の別れの言葉を告げた偽テレーズの後に続き、馬車に乗り込んだアリスは、向かい側の席に座ると――ぎろりと睨んで尋ねる。


「……アリアかリリアか分からないけど、一体、何の悪ふざけなの?」


 たちまち、吹き出す音と楽しげな声が、動き出した馬車の中に響く。


「きゃはっ! アリスったら何怖い顔してるの? 

 私はアリアだけど、あいにく、悪ふざけするほど、暇じゃないわ。

 こうして来たのはあなたへの申し送りもあるし、こう見えても私、仕事は最後まで完璧にやり遂げる主義なのっ!

 ――黙って帰国するのはテレーズ・マルソーとして不自然過ぎるでしょ? 残念ながら知り合い全部の家に寄る余裕はないけど、出来る範囲で挨拶してから出発するのは当然のことよ」


 たしかにアリアの言う通り、テレーズの性格なら知人に挨拶なしに帰国するのはらしく(・・・)ない。

 けれど偽物とバレるリスクを考えればそこまでする必要性を感じないし、アリスにはアリアが単純に面白がっているように見える。


 実のところ修道院で『嘆きのメリー』と並ぶ天敵だったとはいえ、元々他人にも自分にも興味がないアリスは悪口を言われても平気なので、テレーズほど『顔無し姉妹』ことアリアとリリアが嫌いではない。

 姿を見れば不快な気持ちにはなるし、嫌悪感もあったが、その理由も、アリスを冷やかしたりはやし立てたりする悪意ある態度からではなく――単純に二人の容姿のせいだった。

 長い前髪で顔を覆っている双子の姿は、同じく、すだれのような前髪で顔を隠していた、前世の自分と重なるから――

 生まれ変わる前の自分を想起させるから、二人を見ると嫌な気分になるのであって、魔族姿や、他の人物になっている分にはどうでもいい。


 ――ただしそれもこの亡くなったテレーズ姿だけは別だ――見ているだけで心が乱れて酷く胸が痛む……。


「それで申し送りって何?」


 辛い気持ちを隠すために、わざときつい口調でアリスが問うと、アリアはこの数日の代役としての出来事をかいつまんで話しだした。


 まずは初日はヘイゼルの指示通り、テレーズ姿で侯爵家を訪ねてサシャの帰宅を待ち、急用が出来て予定より早く修道院へ戻ることになった旨を告げて、許可を貰い、アリス役のリリアとマラン伯爵邸へ移動したこと。

 その際、念のため、帰国日は馬車の都合がつき次第という漠然としたものにしておいたという。


「No.12は凄いわよね。あなたがカーマイン様におしおきされるところまで、読んでいたんだもの!」


 それはたぶんテレーズの脳を読んで、大きな失敗をしたクィーンが、必ずカーマインから制裁を受けることを知ったからだろう。


 後は、ヘイゼルから聞いていた通り、日中は本部の仕事もあるので外出してマラン伯爵邸を留守にしていたのだが、一度だけ、テレーズ役のアリアだけはマラン伯爵夫人とともに、義理としてオーレリーの葬儀に参列したらしい。アリス役のリリアに関しては、特に知人に会うようなことはなかったとのこと。


「伝達事項は以上よ」言い終えたアリアは、馬車が停車するため減速したのに気がつき、笑いだした。「あはっ、ひょっとしてもう到着? 教会って近いのね。これって、馬車で来るほどの距離? ほんと、貴族って歩かないのねぇ」


 当然、ここでアリアとお別れだと思っていたアリスは、無駄に言い返したりせずに密かにほっとしていたのだが――


「――さてと、あとは、最後の締めくくりとして、ここにいるあなたとの共通の知人に、挨拶をするだけね!」


 いきなり不意打ちのような発言が耳に入り、衝撃でアリスの動きが止まっている隙に、御者が開いた扉からアリアが先に表へと飛びだす。

 なぜ彼女が知っているのかは不明だが、教会に来ている共通の知人とは――シモン以外には考えられない。


「――待って、何言ってるの! 必要ないわ!」


 慌てて制止するアリスの声を無視して、アリアはまっすぐ教会の入り口を突き進んでいく。

 アリスも馬車から飛び降りて慌てて後を追って教会へと入り、人の波を掻き分けるように廊下を駆けていく。


「アリスさんと……テレーズさん!」


 シモンの低く澄んだ声に呼ばれたのは――聖堂の扉をくぐってすぐの場所――アリアに追いつき、腕を掴んだのとほぼ同時だった。

 声がした方向へ視線を移動したアリスの瞳に――アリアに引き続き、本日二人目の――驚くべき人物の姿が映る。


「やあ、先日のお茶会ぶりだな、二人とも」


 にやっと笑って、シモンと仲良く並んでそこに立っていたのは、およそ教会が似つかわしくない放蕩者の子爵令息――キール・デュランだった――



 

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