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蝿の女王  作者: 黒塔真実
第三章、『亡霊は死なない』
51/113

3、クィーンの帰還

 たった数日留守にしていただけだというのに、No.9の間は酷い有様だった。

 床中に転がる酒瓶と、暴れて壊したらしいソード専用のカウチの残骸。破かれた書類の紙片。

 呆れながら天蓋付ベッドのカーテンをめくって内部を覗いてみれば、長時間寝ているらしい、変化が解けたソード――つまりキールの寝姿が見える。


「……」


 キールの銀髪はくしゃくしゃに乱れ、大きな図体を横向きにして酒瓶を抱え、赤らんだ寝顔は子供のように無防備だった。

 この様子だと荒れてひたすら飲んだくれていたのだろう。 

 クィーンが複雑な気持ちで少しの間、キールの寝顔に見入っていると、突然、銀色の長い睫毛がぴくっと動く。

 身じろぎするキールの様子に、クィーンは慌ててカーテンを引き、何も見なかったフリをして廊下へと飛びだした。

 


 そのまま向かったのは第三支部の機密室。

 ためらいがちにノックして、思い切って扉を開くと、部屋の奥でガタッと椅子を蹴るような音がした。

 現れた彼女を見て驚いたらしい、書類棚の前に立って固まるニードルと、机に手をついて立ち上がっているグレイの姿が室内に見える。


「クィーン!」


 同時に呼ぶグレイとニードルの声が重なった。


「……ただいま。グレイ様、ニードル」


 気まずい思いで挨拶してから、クィーンは部屋の中央を進んでいく。

 弾かれたようにニードルが飛んできて、隣にぴったり並んで勢い込んで話しかけてきた。


「大丈夫ですか!? 怪我して第二支部に逗留していると聞いていました!」


「見ての通りよ」


 視線も向けずクィーンは短く答える。

 グレイも慌てた様子で傍に駆け寄り、無事を確かめるようにクィーンの両腕を掴んで、正面から顔や身体を眺める。


「クィーン……本当に大丈夫なのか……!?」


「はい、怪我は治して貰いました……戻るのが遅くなって申し訳ありません……グレイ様」


 ニードル同様、クィーンはグレイの顔も見ずに、俯いた状態で言葉を返す。


「……謝らないといけないのはこの私だ……今回のことは本当に申し訳無かった……!」


 苦しげに詫びるグレイに続き、ニードルが床にがばっと腰を落として、クィーンを見上げる。


「一番、謝らないといけないのはこの僕です……後からグレイ様に詳しい状況を聞いて……いかに自分の行動が愚かであったか知りました……。

 僕のせいで、ブラック・ローズが……!

 申し訳ありせんでした……クィーン……! どう謝っても、許されるようなことでないのは分かっています……!」


 悲痛なニードルの訴えに、グレイが銀糸の髪を揺らしてかぶりを振る。


「……いいや、違う、その前に私が悪かった……ローズではなく……自らが出るべきだったのだ……。

 下らぬ決まりごとより、配下の命を優先すべきだった……! すまなかった、クィーン!」


 争うように謝罪する二人から強い後悔の念が伝わり、クィーンの心も同調して苦しくなる。

 クィーンは拳を握って、低く噛み締めるように言った。


「二人とも、止めて……誰が一番悪いかといえば、それは私よ……。

 ローズは私を庇って死んだのだから……!」


 重苦しい空気が流れ――肩を震わせていたグレイが、耐えきれぬというように苦しい胸のうちを吐露する。


「……クィーン……、何度、第二支部に問い合わせても、君に会わせてもらえず……最後に見た君の状態を思い、この数日は気が狂いそうだった……! 君が無事で……本当に良かった!」


 肩に回されたグレイの手に力がこもり、抱き寄せられると察したクィーンは、とっさに腕を突き出しグレイの胸を押す。


「――!?」


「……ご心配を……おかけして、申し訳ありませんでした……!」


 拒否する気持ちを腕にこめ、クィーンは取ってつけたような言葉を吐く。

 ニードルの前だからではなく、今のクィーンはグレイの抱擁を受けることに、強い抵抗感があった。

 こうしたグレイの『クィーンへの特別な感情』が、ローズを死なせたのだと思うと耐えられなかったのだ――


 気まずい沈黙が室内に満ち、いたたまれなさと胸に広がる苦みに、クィーンは吐きそうになる。

 唯一の救いは目を反らしていたので、ショックを受けたグレイの顔を見ないで済んだことだ。


 ともかく、この場から一刻も早く逃れたいとクィーンが願っていたとき――救いのように第三者の入室を告げる扉の開閉音がした。


「クィーン――戻っていたのですね。待っていました」


 直後に響いたヘイゼルの冷静な声が、場とクィーンの緊張感をゆるめる。


「今、戻ったところよ」


 彼女の心理が伝わったように、すっとグレイの手が肩から剥がれ、静かで暗い調子の指示の言葉が響く。


「……クィーン、今日は疲れているだろうから、また明日二人でゆっくり話をしよう……。

 今日は自宅へ帰って休むといい」

 

「はい、グレイ様……」


「ヘイゼル、幹部室に移動して、彼女に詳しい状況説明をしてあげて欲しい……」


「かしこまりました。では、行きましょう。クィーン」


「ええ、ヘイゼル……」


 クィーンは頷いてから、床に座った状態でいるニードルを振り返る。


「――ニードル――立って……あなたにお願いがあるの」


「……はい、何でしょうか?」


 ニードルが立ち上がるのを待ち、クィーンは言葉を続ける。


「ソードに、私が帰ったことを伝えに行ってくれる? それと荒れている室内を元に戻すようにも言っておいて……」


「分かりました、クィーン」


 ニードルに指示を終え――クィーンはヘイゼルに遅れて幹部室に入ると、扉を閉じて、はーっと大きな溜息をついた。

 明日二人きりでグレイと話すのは憂鬱だが、ひとまず今日の山場は終えることが出来た。


「座って下さい」


 今は、事務的な話し方や態度のヘイゼルといる方が気楽でいい。

 クィーンは促されるまま、ついこの前グレイと並んで座った、入り口付近の長椅子に腰を下ろした。

 向かい側に立った状態でヘイゼルが話を始める。


「さっそく本題に入りますが……ブラック・ローズの死後の各種手配は、すべて私が『彼女の意志』に従い行いました」


「ローズの意志?」

 

 遺書か何か残していたのだろうか?


「はい、彼女の脳内を『閲覧』して、望み通り修道院で葬儀を行えるよう、あなたも付き添えるように、急いで本部に連絡して代役を手配しました」


 ヘイゼルの口から出た予想を越える事実に、クィーンは瞬時に頭の中が真っ白になる。


「……!?」


「心配しないで下さい。寝ているあなたの脳を読み取ったりはしておりません。

 ローズの脳を読むだけで、ある程度あなたのことも分かったので、代役との打ち合わせもとどこおりなく行えました。

 元々、彼女が世話になる家をマラン家に決めたのは、兄嫁の実家というだけではなく、あなたのいるノアイユ家と付き合いがあったからです。

 任務に出る際のアリバイ工作などに、協力し合えると思ったからなのですが、皮肉なことにその環境は、生きている間ではなく死んだ後に生かされることになりました。

 ――今、あなたの代役は、修道院へ戻ることが決まったブラック・ローズと別れを惜しむという名目で、マラン伯爵邸に滞在しております」


「……」


 なかなかクィーンは頭が追いつかず、言葉が出ない。


「――No.55とNo.56にも他の任務があるし、ブラック・ローズはともかく、あなたの家族や知人は代役に違和感を感じる恐れがある――そう思いましたので、日中はつねに二人を外出状態にして、使用人以外とは会わない生活を送らせています。

 今から私が本部に連絡を入れておきますので、あなたはただ、マラン伯爵家に行き、夫人に馬車の手配を頼んでノアイユ家に戻るだけで、問題なく元の日常に戻れます。

 残っていた任務も、あなたの戻りがいつになるか不明だったので、私がかわりにNo.22に指示して遂行済みですので、数日はゆっくりお休みになっていて結構です」


 クィーンは遅れて、やっと疑問を口に出すことが出来た。


「――つまり、あなたは……ローズの頭の中を読んだの?」


「今説明した通りです」


 発作的にクィーンは立ち上がり、感情的にヘイゼルに詰め寄る。

 

「ヘイゼル! 一体あなたに何の権利があって、ローズの脳を勝手に読むなんてことが許されるの!」


 心や記憶は本人だけの聖域のはずだ。死んだからといって、決して他人が踏み込んでいい領域ではない。


「逆に問いますが、死んだ者にいかなる拒否権があると言うのですか?」


 対するヘイゼルの回答は、一切感情をまじえない、冷淡なものだった。


「――!?」


「あなたが嫌ならば、死んだ後、脳の閲覧を拒否する旨の遺書でも残しておけばいい。

 ブラック・ローズは第三支部に来たばかりで、死後の処理については本人が何も残していなかった。 

 物が言えなくなった以上、直接、脳にきくしか手段がない。必要があったから読み取ったまでです。

 本来、死んで組織の役に立てなくなった故人の意志など、捨てておけばいいところを、わざわざ汲み取るというのは、グレイ様の温情なのです」


「……っ!?」


 クィーンは唇を噛しめ、怒りに任せて拳を壁に叩きつける。

 理屈で言われても、感情が納得しない。

 なんと言われようとも、何の関係もない第三者が、本来ローズだけのものである世界を――感情や思い出を――暴いたということが許せない。

 そんな指示を出しているグレイにも、憤りを感じずにはいられなかった。

 クィーンはヘイゼルを睨みつけ、怒りに震えた押し殺した声で言う。


「……他人には……絶対に、ローズの個人的なことは口外しないで……!」


「当然です」


 ヘイゼルの言葉を背中で聞き、クィーンは苛立ちもあらわに、開いた扉を叩きつけるように閉めて、幹部室から廊下へと出て行った。


 

 こんな精神状態でソードの顔を見れば、確実に八つ当たりする自信がある。

 クィーンはNo.9の間を避け、No.3の間の外界への扉を経由してマラン伯爵家に向かうことにした。

 まずは屋敷の上空へ扉を繋げ、ヘイゼルが『夫人に馬車を頼め』と言っていたことを思いだし、蝿を飛ばしてマラン伯爵夫人の居場所を突き止め、一人になるタイミングを見計らい近くに扉を繋ぎなおす。


 虹色の空間から出現したクィーンを見て、伯爵夫人はすぐさま床に跪いた。


「これは、No.9! お帰りを、お待ちしておりました」


 マラン伯爵家の誰かが組織員なのは分かっていたが、いざ顔見知りである夫人がそうだと知り、現実を目のあたりにすると、複雑な気持ちになる。

 クィーンは腰から魔剣『ブラック・ローズ』をはずし、指輪の形に変えてから、変化を解いてアリス姿に戻った。

 たとえ伝達のためでも、魔族の正体の名を他の者が口に出すのはご法度なので、今この瞬間、初めてNo.9の正体がアリスだと知ったマラン伯爵夫人は、大きく瞳を見開き衝撃を受けたような表情になる。


「留守の間、世話をかけていたそうね。ありがとう」


「――お礼など恐れおおいことです! 今まであなた様が結社の大幹部だと知らず、重ねて非礼な態度を取り、申し訳ございませんでした……!」 


「謝る必要など無いし、今後も、普通の態度を取ってもらわねば困るわ。

 ――ところでNo.55とNo.56は、昼間は屋敷にいない設定だそうね」


「はい、お仕事があるとかで、出先から本部へと移動されているようです。

 滞在中は連日、テレーズさんと、買い物や、王都の名所巡りなどをしていることになっておりますので――」


「では、私がこのまますぐに侯爵家に帰っても問題ないのね?」


「はい、このままお戻りになっても大丈夫です。

 ――ただ今、馬車へとご案内いたします」


 どうやら不愉快な双子には会わないで済みそうだ。

 さすが結社員の屋敷というか、マラン伯爵夫人の個室には隠し扉や通路があり、アリスは廊下を通らず、屋敷の外にある厩舎へと出ることが出来た。


(世話になっているのがこの屋敷なら、組織の活動もぐっとやりやすくなりそうね)


 内心思いつつ、アリスは中年の御者が扉を開く、馬車へと乗り込む。


「今後も、何か私めに出来ることがあれば、いつでもお申し付け下さい」


「ありがとう、マラン伯爵夫人。何かあればお願いするわ」


 お礼と別れを夫人に言うと、アリスは数日ぶりに侯爵家へと帰宅するべく、マラン伯爵邸を後にした――





 侯爵家の玄関ポーチに横付けされた馬車から降り立ち、アリスが玄関扉をくぐって間もなくのこと。


「まぁ、アリス、お帰りなさい!」


 使用人から知らせを受けたらしいノアイユ夫人が、わざわざ廊下まで出迎えにきた。


「ただいま戻りました。侯爵夫人」


 ノアイユ夫人は温かな抱擁をもってアリスの帰宅を喜ぶ。


「本当に良かったわ! あなたがいないせいで、サシャの機嫌が悪くて困っていたの!

 快くあなたを送り出したものの、しきりにどうしているのか気になるみたいで、屋敷にいる間は終始、苛々し通しなんですもの!

 それはもう、いちいち以前のことを持ち出しては、私に説教してきたりして大変だったのよ!」


 それはさぞや災難だっただろう。


「サシャは、今日も仕事ですか?」


「ええ、いつものように、夕食までに帰ると行って、朝方、出かけて行ったわ。

 帰って、あなたの顔を見たら、きっと大喜びするわね!」


 最後に会ったのは、サシャをキスで見送った5日前の朝だった。

 もう夕方近くなので、帰ってくる時間も近い。

 アリスは疲れていることを告げて、早々に会話を切り上げ、夕食時まで一人で部屋で休ませてもらうことにした。


 実際、アリスはおもに心が疲れきっていて、精神的に弱りきっていた。

 順位戦などの憂鬱ごとが増え、ローズを失い、シンシアを避けて、グレイや仲間を遠ざけ、孤独感が限界まで深まっていたのだ。

 自室の椅子に座ると、凍えるように身を縮こませて、束の間、アリスは眠りの中へと逃げこむことにした――


 寒さに震えるような心が求めたのか――アリスは夢の中で懐かしい人の温かな腕の中にいた――

 淡い金髪に澄んだサファイア色の瞳、長身のとても美しい男性が、アリスを膝の上に抱き上げ、優しく語りかけてくる。


『アリス、また悲しい夢でも見たのかい?』


 幼いアリスは、よく夢を見ては、うなされて泣いていたのだ。


『ただの夢じゃないわ。これから起こることなの……ねぇお父様、お願い、騎士のお仕事をやめて』


 ノアイユ家の血筋特有の際立った美貌をもった父は、母が嫉妬するほど、幼いアリスを可愛がっていた。

 それはアニメのアリスが妹ではなく、父を失ったことを一番嘆いていたほどに。


『可愛いアリス、お父さんが仕事を辞めたら、家族を食べさせていけないよ。

 私は、子爵家の次男で、爵位を継げないし、頭も良くない。剣を奮うぐらいしか、能が無いんだ』


 幼いアリス相手でも、父は誤魔化したりせず、いつも真剣に会話をしてくれた。


『もっと安全な死なないお仕事をして欲しいの!』


 アリスは決して諦めなかった。最愛の父とずっと一緒にいたかったのだ。

 温かく自分を抱き締めてくれる広い胸や腕を、大きな手を、失いたくなかった――


『――お父さんも大好きなアリスを置いて死にたくないよ。

 だから今度、従兄弟に頼んで近衛騎士隊に入隊させてもらう予定なんだ。

 王族に仕える仕事だから、ほとんど戦闘もないし、ずっと安全な仕事だよ』


『ほんとうに安全? ぜったい死なない?』


『ああ、死なないよ、最愛のアリスを置いていくものか』


『約束よ。ぜったい置いていかないでね。お父様』


『もちろん、ずっと一緒だ。私の天使』


 幼いアリスが父にしがみついて暖かい胸に顔をうずめると、大きな手が優しく頭を撫でる。

 夢にしては異様に現実感のある温もりと感触に、アリスは急速に意識を戻していく――


 ――目覚めても、やはりアリスは誰かの膝に乗り、広い胸に顔を埋め、両腕の中に抱き閉じ込められていた。

 まだ夢の中にいるのだろうか? 疑問に思って顔を上げると、ぼやけた視界に、白皙の顔と淡い金髪が映る。


「アリス……かわいそうに」

 

 慰めの言葉とともに、泣いている彼女の目尻に温かい唇が落とされ、優しく涙を掬い取られる。


「あ……!?」


 じょじょに目の焦点が合ってきたアリスは、目の前にあるのが父ではなく、サシャの顔であることに気がつき、心臓が止まりそうになる。

 いつの間にやら現実世界のアリスはサシャの膝の上にいて、その両腕に抱かれている状態だった――




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