37、物語の裏側で
クィーンにとって、サシャがカッシーニ大司教の護衛をしていることは、別段、驚くほどのことではなかった。
仮面の騎士であるアルベールは、誰よりも腹心であるサシャに信頼を寄せている。
あえて考えないようにしていただけで、このような重要な警護を任せる可能性は、充分想定できていたのだ。
サシャは王子に護衛を命じられた際、当然、悪魔に出会う確率が高い、危険な任務であることも聞いていたはずだ。
今朝の別れ際、いつもより長く惜しむように見つめていたサシャの面影を、クィーンは切なく思い浮かべたあと必死に頭から追い払う。
(今はそんな無用なことを考えている場合じゃない。
――サシャがいるのは分かったけれど、アルベールはどうだろう?)
疑問とともに改めて確認してみれば、馬車を取り巻いている騎士は11騎で、5騎が近衛騎士隊、6騎がフランシス王国騎士修道会の者だ。
修道会の騎士は、クリスタ聖教の象徴カラーである白のサーコートの下に全身甲冑を纏い、グレートヘルムをかぶった重装備。
一方、近衛騎士隊はいかにも親衛隊らしい華やかな緋色の制服に、胸甲、グリーブ、羽根つきヘルムを身につけ、腰に帯剣した軽装騎士姿。
サシャにいたっては頭部にも身体にも一切防具はつけず、淡い金髪を風に躍らせ、隊長らしい飾りの多くついた優雅な緋色の軍服姿に、見事な細工の槍をたずさえている。
悪魔相手にはいかなる防具も役に立たないのだから、彼の選択は賢明といえよう――むしろ重い装備で動きが遅くなることは致命的なのだから。
クィーンは順繰りに騎士達を眺めてゆきながら思考を巡らす。
(この中にアルベールが紛れているとしたら、フルヘルムで顔が分からない、修道会の騎士の方ね……あるいは馬車に今一緒に乗っているか……)
判断材料として、今回の任務のエピソードがアニメにないことが、クィーンには残念でたまらなかった。
たぶん今の時期は『燃える髪のメロディ』でいえば第一話の後半に入る直前。
第一話は、前半部分が夜会シーンで、後半がアルベールとメロディの王宮初デートと、それを妬んだクィーンがメロディが乗る帰りの馬車を襲って仮面の騎士が助ける、というのが話の流れだ。
つまり、カッシーニ大司教が王国を訪問していた事実も、このサンローゼ教会を訪れることも、完全に物語の裏側の部分となり、アニメでは省かれている……。
実は今回の任務にあたり、サシャの護衛のことだけではなく、現実逃避癖のあるクィーンは、もう一つ、考えるのを避けていたことがあった。
それは『一体、アニメの世界では誰がこの任務を担当し、その結果どうなったのか?』ということだ。
決行の時間が近づき、嫌でも考えてしまうその答えが、クィーンには、第三支部に来てからずっと引っかかっていた、『ある事実』と直結するような気がしてならない。
――それは遡ること半年前、フランシス王国に帰国した当日の、シャドウとの初対面時――
クィーンはまだ大幹部になる前で、お互い幹部同士であり、通常、対等な相手には異名を名乗らないことから、自己紹介では彼のNo.と通称しか聞けなかった。
そしてその後も特に機会がないまま、結局、いまだにクィーンはシャドウの異名を知らない。
しかし、アニメに彼が出ていたら、グレイやソード、ニードルのように、聞かずとも異名を知り得ていたはず。
ところがクィーンの記憶には、異名どころかそもそも彼がアニメに登場した記憶さえない。
もちろん大好きなアニメで熱心に視聴していとはいえ、忘れたり、記憶から抜け落ちたりした部分があることは否めない。
母親が仕事を休んだせいで見逃した回も2回ほどあったし、シャドウをアニメで観た憶えがないからといって、完全に出ていなかったとは言い切れないのだ。
けれど、色んな情報から、どうしてもクィーンの思考は、ある結論へと行きついてしまう。
たとえば2期で、No.10のドクターが登場する回に出てきた配下二人は、毒使いと氷使いの魔族だった。
そして第三支部は人材不足で、幹部は必ず大幹部の側近にならないといけないという事情は変わらないだろう。
側近には準幹部も選べるが、幹部がいた場合はそちらを優先して選ばなければいけない決まりがあり、ドクターでないなら、シャドウはクィーンやグレイの配下でなくてはおかしい。
(つまり、このことからシャドウはアニメの第三支部には、いなかったと結論づけられる)
アニメを観ていた印象では、『蝶の女王』である大幹部のクィーンは、グレイにとても甘やかされていて、戦闘力も低いことから、厳しい任務を振られるような立場ではない。
仮面の騎士にしょっちゅう出くわしていたのも、自ら好んで執拗にメロディを追い回していたからで、グレイが指示して危険な場面に送りだしたことなどただの一度もないのだ。
それを踏まえたうえで、では、一体誰がこの任務に能力的に向いているのかと考えた時、真っ先に思い浮かぶのは、やはり情報収集を得意とする、隠密能力に特化していると思われるシャドウだ。
少なくとも第三支部においては、クィーンを抜かしては、能力と実力的に彼以上にこの任務に相応しい人物はいない。
(もしもアニメでこの任務を受けたのがシャドウで、ここで死んだのだとしたら――
今日、アルベールは――仮面の騎士は必ず現れる――あるいは、すでにこの場にいるはず……!)
そんな恐ろしい結論に達したところで、何もしないで逃げ帰るわけにはいかないのだが……。
不吉な予感に胸を苦しくさせながら、クィーンは尖塔から飛び立ち、教会前に到着した一団を空中から観察した。
入り口前に横づけされた馬車から、白いローブを着た初老のカッシーニ大司教が一人降り立つ。
距離をあけて上から見下ろしているので、断定はしきれないが、顔を見たところ身代わりではなく本人のようだ。
蝿のクィーンは壁をすり抜け、大司教たちの後を追うように教会内部に入っていった。
時間はもう正午をまわった頃。
聖堂内は本来なら帯剣不可だが、今日ばかりは許されるらしい。
カッシーニ大司教を取り囲んで、武装した白と緋色の騎士達も一緒に扉をくぐり、祭壇方向へと共に進みゆく。
護衛の中にアルベールが紛れていた場合を考えると、今、襲うのは得策ではない。
クィーンの予想では、聖乙女像に祈る時、大司教は祭壇に最も近い位置に一人で座るはず――その時が最大のチャンスだ。
(祭壇部分に扉を繋げて、大司教が祈っているところを、一気に飛び出して、浚おう)
流れを決めたクィーンは、騎士達の配置を頭に入れていく。
扉の外に修道会の騎士が二名立ち、入ってすぐの場所に近衛騎士隊の二名が止まり、残り7名が大司教に続いていた。
どこまで着いていくのかと思って眺めていると、内陣の手前でサシャを含めた騎士達は立ち止まり、大司教だけが柵を横切り、祭壇の近くまで進んでいく。
聖書にも出てくるこの教会がまつる聖乙女とは、短剣『神の涙』を神より賜った伝説の乙女であり、別名、勝利の乙女とも呼ばれていた。
その呼び名に相応しく、祭壇の上に立つ聖乙女像は、号令するかのように右手を高く掲げて、駆けだすようなポーズで前方を見据えている。
そこへカッシーニ大司教の到着に合わせて、サンローゼ教会の修道士数名が階段状になった足台を内陣に運び入れる。
(何をする気なの?)
蝿のクィーンは不思議に思いながら、いったん聖堂の天井に張りついて成り行きを見守った。
カッシーニ大司教は聖乙女像の前にすえられた足台にのぼってゆき、最上部まで上ると、やおら、懐から何かを取りだす――
彼の手元を見た瞬間、クィーンは衝撃に打たれる。
(――えっ!? あれは……)
驚くべきことに、その手に握られているのは、まごうことなき、第二支部が必死に探し続けている短剣『神の涙』に相違なかった。
現在のくすんだ鉛色は力を出現する前の色で、使い手の手に渡ると美しい銀色になる。
カッシーニ大司教は取り出した短剣を、聖乙女像の上げている右手に差し込むように握らせた。
ぴったりと柄がハマるような手の形をしていたようで、聖乙女像は短剣を振り上げる雄々しい姿となる。
次に足台から下りたカッシーニ大司教は、像を少し見上げてから祭壇前に跪き、一心に祈り始めた。
天井から『神の涙』を見下したクィーンは、すっかり興奮する。
(これはカッシーニ大司教を浚っている場合じゃない――神の涙を手に入れる千載一遇の好機だわ!)
所詮カッシーニ大司教を浚ったところで聞き出せるのは『神の涙』の在りかなのだから。
そのものを手に入れた方がずっと話が早いし、比べ物にならないほどの功績になる。
ソードの順位も確実に跳ね上がるだろう。
短剣を奪う手順のため、大司教の背後に立って見守る騎士たちの並びを見ると、前列に4人、後列に3人だ。
前列の中央、一番大司教に近い位置に立つサシャは、片手に槍を持つ凛々しい佇まいと芸術的に美しい顔立ちから、まるで教会にある彫像の一体のように見える。
(この場にアルベールがいなければサシャが一番の強敵だけど、聖槍を持たない彼の攻撃など、簡単に受け流せる。
警戒すべきはアルベールの可能性がある修道会の騎士だわ――)
クィーンはアジトの本体側に意識を戻すと、ベッドから勢い良く身を起こして、鋭くソードに声をかけた。
「ソード、作戦を変更するわ!」
「ん……あぁ……」
むっくりと起き上がり鈍い返事をする、まるで覇気がないソードの様子に、クィーンは一抹の不安と強い苛立ちを感じる。
このままではいけないと飛びかかるようにソードの胸倉をぐいっと掴み、顔を近づけて気迫のこもった声で叫ぶ。
「ソード! もっと気を引き締めて!」
「……クィーン!?」
「いい? これから言うことをよーく聞きなさい。
もうカッシーニ大司教は浚わなくていいから、あなたは出た場所で扉を維持しながら待機して、私が投げて寄越す短剣を受け取ったら、さっさとここに戻ってくるのよ?」
「短剣? どういうことだ?」
「理由は後でゆっくり説明するから……とりあえず今は、素直に頷いて!」
高まる緊張感から、今は、間近でソードの唇を見ても、少しも動揺しなかった。
クィーンの気合いが移ったように、ソードの精悍な顔の表情がキリリと引き締まり、瞳に強い生気の光が戻ってくる。
「分かった」
しっかりとした頷きを得ると、クィーンは寝台のカーテンをサッと開き、ソードの腕を掴んで引っ張って外界への扉の前に移動する――
「いい、扉が輝いたら、一気にくぐってその場で待機、短剣を受け取ったら一瞬でも早くNo.9の間に戻るのよ?
あとは、襲ってきた騎士は、全員私が相手するから、絶対に手を出さないで――分かった、ソード?」
「了解した」
最後にもう一度くどいほど念押ししたクィーンは、一瞬だけ蝿側へ意識を戻し、異変がないことを確認した後――いよいよ外界への扉のノブを掴んで、再びサンローゼ教会へと繋げた――




