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蝿の女王  作者: 黒塔真実
第二章、『地獄の底で待っていて』
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36、恋ゆえに

「今日は1日静かに祈って過ごしたいの。もしも私に来客があっても、断わっておいてね」


「かしこまりました、アリスお嬢様」


 侍女のポレットに指示を済ませたあと、アリスは屋敷内にある礼拝堂へと移動した。

 中に入って扉を閉じてしまえば、窓は高い位置にあるステンドグラスのみなので、外から見られる心配もない。

 アリスは分離させて出した魂に、祭壇に向かって祈る形を取らせる。

 それから素早くクィーン姿に変化して、異界への扉を開いた――


 するとNo.9の間に到着したクィーンの瞳に、待ち合わせ一時間半前にして、すでにカウチに座るソードの姿が映る。

 洗いざらしのような鉛色の髪はぐちゃぐちゃに乱れ、悄然とうなだれる彼の手には、組織の伝達用のカードが握られていた。

 


「……ソード」


 異様な様子にためらいがちに声をかけると、ソードらしくない虚ろな瞳をクィーンに向ける。


「クィーンか……」


 何があったのかは聞かずとも、おおよその推測はできた。

 昨日グレイは、今回の処罰を、支部内の順位入れ替えのみで対応すると言っていた。

 この表情から察するに、メッセージ・カードの中身は間違いなく、順位が下がるお知らせだろう。

 とっさにかける言葉も見つからず、仕事机へと向かって着席する彼女の耳に、ソードのぼやきが聞こえてくる。


「……ついさっき、ニードルにこのカードを渡されて中身を見たら、なんと俺の番号がNo.16からNo.22に変更されるという、有りがたいお達しだった……。

 笑ってくれよ、クィーン。俺の一年間の努力がパァだ……。

 自分で言うのもなんだが、俺は今まで組織にはずいぶん尽くして貢献してきたと思っている。

 数え切れないほどの首を斬り落とし、己の意志に添わない命令にもできるだけ従って、この手を血で染め上げてきた。

 その挙句の評価がこれだとは、我ながら笑えてしまう……」


 彼らしくも無く淡々とした口調が、却って精神状態が落ちていることを物語っていた。

 いきなりシングルNo.が視野に入る16番から22番に下がったのだから、それはショックだろう。

 クィーンはアニメを観ていたがゆえ、ソードがどれほど大幹部になることにこだわっていたかを知っていた。

 アニメの中の彼は自分ではなく幹部仲間だったクィーンが、グレイの寵愛ゆえに大幹部になったことを、ずっとしつこく根に持ち続けていたからだ。

 クィーンは慰めと励ましの気持ちを込めて、ここ数日ほど直視を避けていたソードの顔を見て語りかける。


「ソード。組織が秩序を乱す者に厳しいのは仕方がないことよ……。

 少なくとも私は、あなたが大幹部に相応しい実力の持ち主だと思っている。心がけ次第で必ず昇格できるはずよ……」


「……必ずね……。No.3が上にいる限り、俺にはどうも、一生、大幹部になれそうもない気がするが……」


 吐き捨てるように言ったソードの鉛色の瞳が、暗い情念を映すように底光りする。

 この様子だと、アニメではクィーンに抱いていた不満の分まで、グレイに向かっているようだ。


「そんなことないわ……」


「そんなことはあるだろう? 実際この支部は、外で人一倍働いている者より、アジトに引きこもっている奴らばかりが出世しているんだから……。

 現に聞いた話では、書類整理係りのニードルがNo.19に、その元相棒で連絡役専門の奴がNo.15になったという。まったく、真面目に任務に出るのが馬鹿らしくなる」


 その馬鹿らしい任務にこれから出ないといけないのだから、今のソードの状態は困ったものだ。

 グレイが任務に出る前に処罰を彼に伝えたのは、教訓を与え、任務中の命令無視を防ぐ『抑止力』のためだろう。しかし、これでは逆効果に思える。

 ただでさえローズと喧嘩し、色々崖っぷちで鬱屈としていたクィーンの気分が、落ち込むソードを見てさらに下降する。

 クィーンは任務書に補足を書き終えると立ち上がり、書類を片手にソードへと歩み寄る。


「お互い腐っていてもしょうがないわ。やるべきことを着実にやっていくしかないのよ。ほらソード、今日の任務書と資料よ」


 励ますよう言うクィーンから、ソードは気が進まなさそうに書類を受け取り、一枚目の任務書から目を通し始める。


「また、殺しちゃ駄目な任務かよ……」


 呟きをスルーして、ソードが書面を読むのに集中している隙に、クィーンは外界への扉の前へと移動した。

 ノブを掴んで扉を繋げたのは、本日カッシーニ大司教が訪れる予定である、王都の外れにあるサンローゼ教会の上空。

 まだ彼女が第二支部にいた頃、『神の涙』の調査の一環で数回ほど訪れたことがある場所だ。


 クィーンは昨夜と同じように、身から一体の蝿を出して虹色の空間へと飛ばしていった。


 落ち込んでいる暇はない。

 今日は特に危険な任務なのだから、雑念は命取りになる。

 気を引き締め、まだまだ時間に余裕があるので、クィーンは逡巡したのち天蓋付ベッドへと足を向ける。


「ソード、いい? 任務書をじっくり読んでおくのよ。特に補足部分をよーく読んでおいて。

 あと、私はベッドで仮眠しているから、正午を過ぎようと何時になっても、自主的に起きるまで放っておいてね」


「……ああ……分かったよ」


 ここ最近のソードは返事だけは素直だなと感心しつつ、クィーンはカーテンをめくり、男臭い寝台内部に身を横たえる。

 そして天蓋を睨みながら、再び、二体目の精神体側に意識を集中させる。


 蝿のクィーンは滑空して建物の屋根を通り抜け、まずは念のため、教会内部の様子を伺うことにした。


(今のところ誰もいないわね。大司教訪問のために人払いされているのかしら?)


 無人の聖堂の奥には、ステンドグラスを背景に立つ伝説の聖乙女像があった。足元の台座には聖乙女の遺骨の一部がまつられており、『奇跡の啓示』を与えるとの評判だ。

 といっても、視覚的に特別なことが起こるわけではない。

 背後のステンドグラスが一番光を取り込む午後の数時間の間、聖乙女に魂が宿り、祈りを捧げている者に天啓が降りるという言い伝えがあるだけだ。

 

 サンローゼ教会関係者の組織員からの情報によると、大司教は天啓を得るためだけに、今日の午後ここにやってくるらしい。

 クリスタ聖教において、一週間の曜日にはそれぞれ意味がある。

 本日のような安息日の翌日は『始まりの一日』と呼ばれ、復活と天啓が与えられる日なのだ。

 一週間しか滞在しないカッシーニ大司教は今日を逃せなかったのだろう。


 しかし祈る時間帯は分かっていても、出発時間や経路など、ごく一部の者にしか共有されていない情報については不明だった。

 とはいえ第二支部にいたクィーンは彼の顔は知っている。あらかじめ魂を飛ばして王宮内で動向を見張る手もあった。

 それをしなかったのは、アニメで何度か『クィーンの飛ばした蝶にアルベールが短刀を投げつける』という衝撃シーンを観た記憶があるからだ。


(蝿は蝶より目立たないけれど、アルベールの第6感は恐ろしいものがある。

 事前に警戒されないためにも、一定以上の距離には近づかないほうが賢明だ)


 物語の中では頼りになるヒーローも、敵に回すとこれほどやっかいな相手もいない。

 蝿のクィーンは壁をすり抜けて表に飛びだすと、教会の建物の一番高い部分、尖塔の先でぴたっと停止する。

 そしてそこからじーっと眼下の一本道を観察し続ける。

 道の遠く果てまで見渡せるので、大司教がやって来たらすぐに分かるだろう。


(監視といえば、グレイ様はもう私の様子を伺っているのかしら?)


 疑問に思い、周囲に意識のアンテナを張り巡らせてみたところ、さっそく近くに人がいる気配を感じ取る。

 ――と、それが精神体側ではなくベッドにいる本体側だと気がつき、クィーンはそちらに意識を移す。

 慌てて横を見ると、視界にソードの顔面が映り、クィーンはひっと呼吸を飲み込んだ。


(なっ 、何でっ、ソードが隣にっ!?)


「なぁ、クィーン」


 激しくうろたえるクィーンをよそに、いつの間にやら大きな図体をベッドに横たえ、添い寝していたソードが普通に話しかけてくる。

 目を開けたまま横になっていた手前、今さら騒ぐのも不自然だった。

 なんとか懸命に動揺を飲み込んで背中を向け、やっとの思いでかすれ声を絞り出す。


「……なに?」


「さっき、俺が愚痴っていたことは、No.15――っと、今はNo.16か――には言うなよな。あくまでも俺が自分からやったことだし、気にされると嫌だからな」

 

「分かった。ローズには言わないわ」そう言って、一呼吸置いてから続ける。「だからソード、お願いだから、私を一人で寝かせてくれない?」


 先日の夜と同じ状況に、どうしても抱擁された記憶が蘇り、胸が高鳴って全身が熱く汗ばんでくる。

 おまけにこの、カーテンが閉め切られた薄暗い雰囲気が、妙に緊張感を高めている。


「そう冷たいこと言うなよ。俺には今癒しが必要なんだ。せめて任務まで愛しいクィーンの横で休ませてくれ……。

 それに必要な資料はもう読んだから安心してくれよ。現在待機中ってことは、向かう途中ではなく、大司教がサンローゼ教会に到着した後に襲うんだろ?

 まだ正午まで時間はあるし、クィーンに何もしないから、いいだろう?」


 いつもの強気さもふてぶてしさも無い沈んだソードの口調に、安心するよりむしろクィーンは危機感をおぼえてしまう。

 こんなに弱ったソードの声を聞くのは始めてだし、果たしてこのあと、まともに使いものになるのだろうか?

 グレイにこの状態を見られる可能性があるのはぞっとするが、それ以上に拒絶してソードを刺激したくない気がする。


 クィーンはふーっと溜め息をつくと、気を落ちつかせる意味合いもかね、段取りの確認をしておくことにした。


「ソード。任務書の補足部分もちゃんと読んだ?」


 先ほど、クィーンが書き足した部分のことである。


「対人はクィーンに任せて、俺は大司教を浚うことに集中しろっていう、あれだろ?」


「そうよ、それよ」


(ついでに今、仮面の騎士が現れる可能性が高いことについて言及すべきだろうか?)


 クィーンは逡巡した結果、今のソードの精神状態から、仮面の騎士の名を出すと悪い方向へ行きそうだと判断した。


「――じゃあ、私は本当に寝るから、触ったりしないでね?」


「今はそんな気分じゃないから安心しろ」


 弱々しく言うソードの声を背中で聞きながら、クィーンは同じベットで寝ている現実から逃れるように、精神体側へと意識を戻す。

 道の果てにはいまだ馬車の影はなく、時間的にも余裕がある。

 ぼんやり待つ間、つい考えてしまうのはローズのことだった。


(ソードの言う通り、たしかにローズの性格なら今回の処罰を気にするでしょうね……)


 ほぼローズが受けるはずだった処分を、ソードが丸かぶりしたようなものなのだ。

 それでもクィーンには、ローズが二重命令違反をするよりはだいぶましだと思えた。

 第三支部では知らないが、第二支部であれば二重命令違反をした者は、間違いなく幹部から降格処分。

 組織でのいわゆる幹部は30番以上で、それより下で50番以上の者が準幹部。

 つまり一気に31番以下、下手したら51番以下に落とされるのだ。

 今まで一緒にやってきて、クィーンはローズがどれほど上を目指して頑張って来たかを知っていた。だからこそあの場でオーレリーを殺させるわけにはいかなかった。

 でもここにきて、今さら大事なことに気がつく――


(そもそもローズが必死に上位を目指していたのは、カーマイン様が好きだったからなんだ……)と――


 ローズは第二支部に異動して数ヵ月で百番以内になり、『塔』の第一層に上がったその日にカーマインに一目惚れをした。

 当時はまだNo.4が大幹部になる前で、第二支部の人間界側の施設『塔』の管理もカーマインが兼任していた。

 一ヶ月遅れで百番以内になったクィーンとローズはほぼ同期。能力同士の相性が良く、任務でも修道院でも一緒にいることが多い、いわゆる腐れ縁に近かった。


『私、第二支部に来て良かったわ。カーマイン様と出会えて凄く幸せよ。これが運命の恋というものなのね!』


『ローズ。それは本当に恋心なの? カーマイン様の魅了スキルにやられているだけなんじゃないの?』


 カーマインには『魅了スキル』があり、発動していない状態でも、つねに女性を惹きつけるフェロモンを放出しているらしい。

 クィーンには分からなかったが、大抵の女性は近くにいるだけで身体が痺れたようになり、胸がときめいてしまうのだという。


『今日もカーマイン様は私の瞳を見て、ねぎらいの言葉をかけて下さったわ。

 クィーン、私、あの方にもっと近づきたい! だから絶対に幹部になって、側近に選ばれてみせるわ!』


 二人が念願の幹部入りしたのは、ちょうどNo.4が大幹部になり、カーマインが『塔』の管理から外れた時期だった。

 ローズは宣言通り恋する一念。クィーンは恵まれた異能力ゆえに、それぞれ百番以内になってから一年弱のことだ。

 

 揃ってカーマインの側近になったある日の任務後、No.2の間で天井から鎖で逆さ吊りされているクィーンを、ローズが羨望の眼差しで見上げた。


『クィーン、羨ましいわ。またカーマイン様にお仕置きされるだなんて』


『これのいったいどこがいいっていうの? だいたい、誰のせいでこうなっていると思っているわけ?』


 クィーンは憤然と言った。

 魔族でなければこんな長時間逆さまにされていたら、命に関わるところだ。


『だってカーマイン様は、私がいくらへまをしても、吊るして下さらないんだもの……。

 それに私は、あんたが通行人を庇って、聖矢に当たりそうになったことをそのまま報告しただけよ。悪いのはそっちだし、羨ましいから、絶対に謝ったりしないわ』


『……』


 その頃になると、さすがに色恋ごとに疎いクィーンも気づいていた。

 第二支部の異常な雰囲気と、自分が修道院に入ってから、ずっと周りに敵視されてきた理由を……。

 カーマインの姿を一目でも見た女性はほぼ彼の虜になり、支部自体がほとんどハーレム化していて、お互いが仲間というより恋敵。

 容姿が際立って美しいアリスやテレーズは、格好の嫉妬の的になったのだ。

 特にメリーと、通称『顔無し姉妹』と呼ばれる双子は、事あるごとに二人に粘着して絡んできた。

 とにかく修道院がギスギスしているのも、第二支部が他に比べて女性幹部の比率が多いのも、全てカーマインの影響だったのだ。


『今日、カーマイン様に心からお慕いしていますって気持ちを伝えたら、憶えとく、って言って下さって、感激しちゃったわ』


『憶えとく、の一言だけ? ローズ』


『クィーンは分かってないわね! 甘い言葉を一つも言わないところが誠意の現れなのよ!』


 それは単に気がないだけではないかと、つっこみを入れたかったが、クィーンは黙っておいた。

 時々、クィーンとローズが抱くカーマインの印象は別人過ぎて、同じ人物の話をしているとは思えなかった。


『カーマイン様は、時々寂しそうな表情をされるの。私がお慰めできるといいんだけど』


『寂しそう……?』


 クィーンの中のカーマインは寂しいなどという感傷とは無縁の、冷酷にして毒舌の、人を天井から吊るすのが趣味なサディストだったのだが……。


(こうやって思い起こせば、ローズの頭の中はつねにカーマイン様一色だったわ。いまだに諦めたなんて信じられない。

 でも本当に諦めたのだとしたら、もう上位にこだわる理由もないし、降格してもそこまでダメージではなかったのかも。その点においては私は余計なお世話をしたのね……)


 などと考えごとに浸り、道を見晴るかしていたクィーンの複眼に――その時、ついに遠くからやってくる一団の影が小さく映る。


(やっとお出ましね……)


 やがて距離が縮まるにつれてはっきり見えてきたのは、一台の馬車とそれを取り囲む白と緋色の対比的な10騎ばかりの騎士達――白は騎士修道会のサーコートの色、緋色は近衛騎士隊の制服の色だ。

 緊張する思いで遠目から観察して、ほどなく馬車の前側を走る護衛の中に槍を片手に騎乗するサシャの姿を認めたクィーンは――今朝の彼がいつもより出かけ際に、別れを惜しんでいた理由を、今、初めて理解した気がした――

 



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