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蝿の女王  作者: 黒塔真実
第二章、『地獄の底で待っていて』
43/113

35、初めての挨拶

「クィーン、来たんだね。さあ、近くまで来なさい」


 厳かにして退廃的な雰囲気のNo.3の間に入室すると、すぐに高みにある椅子から彼女を呼ぶ声がした。

 室内を進んで階段を上り、そばまでたどりつくと、「疲れただろう? 座って話そう」と、いたわるようにグレイに手を差し伸ばされ、クィーンはとまどう。


 見たところ、この部屋には他に椅子はなく、グレイの膝に座るか、肘掛けに座るのかの2択のようだ。


 後者を選び、応えるように手を取ったクィーンは、アニメと同じように椅子の肘掛け部分に腰を乗せた。

 とたん、すかさず伸びてきたグレイのもう一方の手が膝下に差しこまれ、身体の向きをくるりと変えられる。

 近すぎる顔の距離とお互いの足と膝が触れあう感触に、クィーンが少し恥じ入ってると、いよいよ話が始まった――


「今さっきローズが、君たちの任務を妨害し、自分が標的の首を切って殺したと告白しに来たよ」


「……!?」


 つまりローズはクィーンと別れたその足で、自らの罪を報告しにグレイの元に向かったのだ。


「だが、彼女の武器は鞭。君はそのリーチの短い剣。どちらも首を綺麗に斬り落とすには不適格だ。

 詳しい経緯は知らないが、手を下したのはNo.16なのだろう? 

 いずれにしても遺体の切り口を見れば判明することだ。

 私は分かりきったことを無駄に話すのが嫌いなので、話を進めるが――

 殺したこと自体はローズが『殺害不可』の申請を出した本人なので、書類上は問題なく処理できる。

 とはいえ、命令違反をした者にはそれ相応の罰を与えねばならない、分かるだろう? クィーン」


「はい、グレイ様。ただ、今回の件での一番の責任は、その場にいて止められなかったこの私にあります」


 重々しく答えるクィーンに、グレイは険しい顔を向ける。


「ああ、まったくその通りだ。配下もうまく扱えない大幹部でどうする? クィーン」


「……返す言葉もございません」


 そこで硬かったグレイの表情が、ふっとゆるむ。


「まあ、No.16に関しては私もずいぶん手を焼いたので、君のことは言えないがね。

 だからというわけじゃないが、今回のことは本部を通さず、処罰も支部内での順位の入れ替えのみで対応する。

 君については今回のことで、No.16を扱いきれないことがはっきりした。

 よって彼を配下から外し、側近をローズに変更する」


 瞬時に今までの努力を無効にするグレイの宣言に、クィーンは一瞬凍りついてから、叫ぶ。


「待って下さい、グレイ様! 私はローズと馴れ合い過ぎていて、配下としてはソードより扱いにくいのです」


「でも君が死ぬ確率は格段に減る。言うことをきかない配下と任務に出るなどまさに命取りだが、ローズはNo.16とは違う。

 というのも実は任務妨害の告白のあと、ローズは君がNo.16の任務に付き添っている事実を取りあげ、切々と配置がえを訴えてきたのだ。

 彼女の君を守りたい気持ちは、私の心に深く響くものがあってね……」


「……ローズが?」


(私のことなんか、もう見捨てて欲しいのに……!)


 だからこそ先ほどもあんなに冷たく突き放したというのに。

 やはり捨て台詞からも分かっていたが、ローズの気持ちはまったく揺るがないらしい。

 クィーンは唇を噛みしめ、拳を握り締める。

 今まで彼女は組織内で、上の者の決定には百%逆らわない主義でやってきた。

 しかし今度ばかりは素直に頷くわけにはいかない。


「それでも、私はどうしても、ローズを側近にしたくありません。今回はソードを止め切れませんでしたが、これからは絶対に言うことをきかせます。

 お願いします、グレイ様。もう少しだけ様子を見ていて下さいませんか?」


「……だが、明日のカッシーニ大司教を襲う任務には、ローズのほうが使い勝手がいいだろう?」


「――!?」


 またもやグレイの口から鋭い指摘が入る。


「よほど無謀な人間でもない限り、あの任務書と資料を見れば、明日任務に出るに違いないからね。

 何しろ、大司教の王国への行きと帰りは聖なる武器使いの護衛つきで、滞在中はほぼ王宮内にいるのだから」


 グレイの言う通り、聖堂騎士団内部にいる組織員の調べで、出発時間と経路以外の情報はほぼ割れていた。

 それによると、行きは途中まで聖弓使いと聖盾使いであるルカとダミアンが付き添い、途中で聖剣使いと護衛を交代するらしい。

 教皇を守るのが第一任務のルカとダミアンは、本国からあまり遠くに離れられないからだ。

 どちらも聖なる馬具によって神速で馬を駆るので、カッシーニ大司教の移動時間は通常の半分以下だろう。

 帰りも同じように送迎されるだろうから、行きと帰りを襲えば、いずれかの聖なる武器使いとの戦いが必至になる。


「この国にある聖域は王宮近くの主教座聖堂であるサンフィール大聖堂が建っている場所だ。ついでに言えばそこは仮面の騎士の出現ポイントでもある。

 ソードは分からないが、君でなくても大抵の者は、危険な王宮付近で襲うのは避け、そこを離れる4日目を狙うだろう」


 聖域というのはこの世界に点在する、神の聖なる守りが張り巡らされた区域だ。 

 その内側に入ると変化が解ける、百番以内の者にとっての鬼門だった。


「……おっしゃる通りです」


 ただし、クィーンが王宮へ襲いに行かないのは、仮面の騎士の出現ポイントが近いからではない。当の本人がそこに住んでいると知っているからだ。


「今回の任務は書面に書いてある通り、カッシーニ大司教から、この国に来た理由を直接聞きだすというものだ。

 あの大司教は普段は本国の聖域にあるセレスト大聖堂に引き篭もり、滅多に出歩かない。

 わざわざこの国に来たのには、何か特別な理由があるはずだ。

 それを吐かせることができれば、ここ最近で地に落ちつつある第三支部の信用も、少しは回復されるだろう。

 君が直接出るなら、なお成果も期待できよう」


 実はアニメを観ていたクィーンには、聞かずともカッシーニ大司教が来た理由を推察することができた。

 『燃える髪のメロディ』のアニメの中で、危機に陥ったメロディに、仮面の騎士が物語の重要アイテム『神の涙』と呼ばれる短剣を投げ渡すシーンがある。

 その短剣は本来、カッシーニ大司教がいるセレスト大聖堂の奥に隠され、代々そこを預かる大司教のみ在りかを知る特別なもの。

 第二支部はつねにこの『神の涙』をやっきになって探しており、それに危機感を抱いた大司教が仮面の騎士に託したのだと、アニメの中では解説されていた。


(アニメではカッシーニ大司教の王国訪問エピソードは描かれていなかったけど、時系列から『神の涙』を届けに来た可能性が高い――)


 そう察しがついているのだから、あとは誘導尋問で吐かせて報告すれば良い。


「必ずこちらに来た目的を聞き出してみせましょう」


「ふむ……だが、脅して吐くような大司教ではないし、情報を吐かせるならおあつらえ向きの能力を持つ者がいるだろう?

 幻惑の薔薇の香りと瞳で相手を催眠にかける、ブラック・ローズが……」


「――でしたら、ソードと一緒に協力して、螺旋まで攫って来るまでです」


 頑ななクィーンの態度に、氷の美貌に憂いの色を浮かべ、グレイは深く溜め息をついた。


「……あくまでもソードと任務に出るのにこだわるということか……。

 まぁいいだろう、クィーン。

 その代わり次はないし、明日の任務も随時監視させてもらう」


「分かりました」


 意識を飛ばすのが得意なグレイなら、監視なんてお手のものだろう。

 彼の飛ばす霊体は拳大の青白い炎のような光の塊で、どういう性質か不明だが、明るい場所ではほぼ見えない状態になる。日中であればクィーンの蝿より目立たないのだ。


「クィーン、くれぐれも明日は深追いするな。厳重に送迎をするぐらいだ。聖剣使いが近くに控えている可能性が高い。

 出会ったら即、撤退するんだ。いいね?」


「はい、グレイ様」


 アニメと同じなら聖剣使いである仮面の騎士は、極力人前に姿を現さずに活動しているはずだ。

 カッシーニ大司教にも表立っては付き添わないだろう。

 ただしグレイが言うように、近くで見守っている可能性は高い。


 ――と、考えごとをしているクィーンの頬に、不意にグレイの冷んやりとした指先が触れてくる。


「私が今日、君をここに呼びつけた一番の理由も、任務に出る前に忠告しておきたかったからだ。

 私はね、今まで失って怖いものなどなかった。王位も組織での地位にも固執してこなかった。

 けれど君だけは別だ。できれば死んで欲しくない。

 この世界が転覆するのを君と二人で見たい。

 ずっと私の隣にいて欲しいんだ、クィーン」


 熱の篭った言葉に、クィーンはなんと返していいか分からず、やや戸惑ってグレイの顔を見返す。


(――世界の転覆――私とグレイ様の最大の認識の違いはそこかもしれない……)


 実のところ、グレイと違ってクィーンは、組織の目標が達成されるなどとは思っていない。それどころか『望んですら』いないのだ。

 組織に入ったのも『妹の復活』および『運命を呪い神を恨む』という生きるための『よすが』のため。

 そうしないと生きていけないほど自分が『弱い』からだと、クィーンは自覚している。


(前世の頃は、何もなくても生きていられたのに――生まれ変わった私は、弱く、甘く、駄目になってしまった)


 かつては世界の滅びすら夢想していた彼女なのに、今は家族に愛された記憶や、仲間と過ごした時間のおかげで『人間そのものへの憎悪』が消えていた。


 そもそもクィーンがもしも『人間世界の終わり』を強く願っていたなら、アニメ知識をもっと活用して色々先手を打っていた。

 『神の涙』の使い手がメロディであることや、サシャが未来の聖槍使いであることを知っているのだから。

 このままではクィーンの望みが叶う前に魔王が倒され、組織自体が崩壊する可能性が高い。

 そう分かっていながらも思考停止し、自分のことだけで手一杯。

 そんな半端で不甲斐ない自分を内心クィーンは笑った。


「クィーン? 大丈夫か?」


 口元を歪め、無言で俯くクィーンの手を、グレイがぎゅっと掴んで問いかける。


「――ごめんなさい、グレイ様、もう今日は疲れて限界のようです」


「そうか……では、明日に備えて帰って眠るといい」


「はい、そうします」


 頷いたクィーンは、No.3の間の扉経由で侯爵家の自室へ戻り――ようやく今日の長かった一日を終えた――




 翌朝。

 いつものように三人で朝食の席を囲んでいると、サシャが例によって本日の予定を訊いてきた。

 アリスは神妙な面持ちで、あらかじめ用意していた返事をする。


「実は、サシャ、ノアイユ夫人。今日は数年前に私の大切な友人が亡くなった日なんです……。

 遠くて墓参りには行けない代わりに、今日は屋敷の礼拝堂でお祈りをして過ごしたいのですが、構わないでしょうか?」


「そうか……友人が……。もちろん構わないとも、アリス……」


「まあ、そうだったの……。今日は侍女を連れて出かけるから、私のことは気にしないで」


 サシャもノアイユ夫人も予想通り、反対するどころか半ば感動したような目でアリスを見て同意する。


「ありがとうございます……では、今日は一日中、礼拝堂で祈らせていただきますね……」


 信心深い侯爵家は礼拝堂が完備だった。

 予定していたやり取りと食事を終えたアリスは、おもむろに席を立って廊下へ出る。

 当然のようにサシャが隣に並んできた。


「アリス、礼拝堂は冷えるから、長時間祈るなら、ショールかひざ掛けを持って行くようにしなさい」


「ええ、サシャ、そうするわ」


 素直に頷く。


「私は今日は仕事で遅くなりそうだから、夕食には間に合いそうにない。

 君は就寝時間が早いから、次に会うのは明日になってしまうね……」


 サファイア色の瞳を細め、サシャは寂しそうに笑って言ったが、アリスにとっては朗報だった。

 今日はいつもと逆のパターンで、屋敷には本体ではなく精神体側を置いていく予定だからだ。

 なにしろ触れられると実体でないのがばれるので、最近のサシャは危険なのだ。早く帰宅しないことが分かれば安心だ。


 やがて廊下の別れ目にさしかかると、急にサシャがアリスの手を掴んで引き止め、謝罪する。


「アリス。先日は馬車の中で、嫌がる君に触り過ぎて悪かった……」


 どういう心境の変化かは不明だが、反省しているなら何よりだ。


「分かってくれればいいのよ」


「ああ、いきなりではなく、もう少し段階を経て慣らすべきだったね……。

 まずは今日、家族の挨拶から始めてみようか?」


 この国では、特別に親しい相手や家族との挨拶は、抱擁して頬にキスし合うのだ。


(……反省なんかしていなかった……!)


「サシャ。私がそういう挨拶が苦手なのを、知っているはずよ」


 今朝も面倒くさい流れになって、アリスはうんざりして溜め息をついた。


「やはり、君は私を兄のようには思っていないのかな?」


(また、兄という口実か……)


「そういうわけではないわ」


「だったら少しづつでいいので実行しよう。そうだな、手始めに今日は、君のほうから私の頬に一回だけキスするのでいい」


「……」


 それで譲歩したつもりなのだろうか? と、アリスは呆れつつも、悩む。

 キスをしないとこの手を離さない気なのかもしれない。

 しかし一回要求を受け入れると、さらに、さらにと求められる可能性がある。

 これから毎朝、サシャをキスで送り出さないといけなくなるなんてイヤ過ぎる。


「アリス……さあ、本当に家族と思っているなら……」


 強いて促されるようにサシャに言われ、アリスはふと思いだす。


(……そういえば、以前にも、こんなことがあった気がする……)


 あれは両親が亡くなり、アリスが妹と一緒にノアイユ侯爵家に引き取られた初日。

 7歳だったアリスを13歳だったサシャが玄関まで出迎えにきて、両腕を広げてこう言ったのだ。


『アリス、待っていたよ。今日から家族だね。さあ、おいで…』


 その優しく温かみのある笑顔から、歓迎と慰めの気持ちで抱きしめてくれようとしているのが分かったのに――アリスはふるふると首を振り、サシャの腕を避けて逃げた。

 思い起こせばサシャはあの頃からずっと、家族としてアリスに接してくれようとしていた。

 それなのに侯爵家にいた2年間も、帰ってきてからのこの半年間も、アリスの態度は他人行儀そのものだった。


 出会ってから今まで、サシャとの間には色々精神的な葛藤もあった。

 けれど今日の任務を思えば、毎朝どころか顔を見るのもこれが最後かもしれない――

 アリスは珍しくしんみりした気持ちになり、両手をサシャの二の腕に添えると、彫刻のように整った顔を見上げた。


「屈んでもらっていい?」


「ああ……」


 返事のあと、美しい輪郭を描く頬が降りてきて、アリスがそこに唇をさっと軽く当てると、サシャの身体がびくっと硬直したように反応する。

 腕を離し、一歩下がって見上げれば、サシャの顔は喜びに輝いて、まばゆいほどの笑顔を浮かべていた。


「愛しているよ。アリス」


 思いをこめるように言われたアリスは、胸に切ない痛みを感じ、一瞬、言葉を失う。


「……それでは行ってくる」


 サシャは最後に、瞳に焼きつけるようにアリスの顔をじっと見つめてから、玄関へ向かって歩きだす――

 淡い金髪と緋色の軍服の裾を靡かせ、去って行く長身の背中をしばし無言で見つめたあと――アリスは自室へ戻り、任務へと出かける準備を始めた。



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