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蝿の女王  作者: 黒塔真実
第二章、『地獄の底で待っていて』
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34、弱くなった心

「……っ!?」


 気が緩んだせいか、どっと精神的ダメージによる疲労感と頭痛が襲ってきて、返事代わりにクィーンの口からうめきが漏れる。


「クィーン!?」


 膝からがっくりと力が抜け、崩れかけたクィーンの身体を、駆け寄ってきたニードルの腕が素早く支えた。


 そのまま肩を借りてソファーに移動したクィーンは、思いのほか自分が弱っていることを意識する。


 ニードルが傍らに跪き、クィーンの左手を取って脈を計る。

 先日も同じ場面があったと思いながら、クィーンは虚ろにその様子を眺めた。


「頭が痛いんですか?」

 

 問いかけながらニードルが顔を寄せ、間近からクィーンの顔を観察した。


「脈が速くて顔色も悪い。もう帰って休まれてはいかがですか?」


 クィーンもそうしたいのはやまやまだが、今夜はまだソードに説教したり、グレイに報告したりと、やることがある。


「……少し、休めば……大丈夫よ……」


「そうですか? 無理しないで下さいね。最近お疲れになっているご様子だし……」


 染み入るような優しい声で言われ、温かなニードルの菫色の瞳を見返しているうちに、クィーンの目頭と胸がジーンと熱くなってくる。 


(あぁ、この泣きたくなるような感覚は、シンシアと一緒にいる時に、よく感じたものだ……)

 

 前世の頃は泣くことさえ知らなかったのに――

 生まれ変わってからの彼女は家族に囲まれ、シンシアやローズに出会うことでおぼえてしまった。

 悪意や暴力より、優しさや愛情のほうが、ずっと深く心に染みることを。

 おかげで涙が出るようになってしまった。


 先刻ローズはクィーンのことを「一人でも平気な人間」だと言ったけれど、あれこそが一番の思い違いだ。

 前世と違って家族やシンシアやローズなど、つねに人に囲まれてきた彼女は孤独にも弱くなっていた。

 だからフランシス王国に来てからのこの半年間は寂しさをおぼえ、大幹部に昇格したことより配下ができることのほうが嬉しく感じられたのだ。


 無意識に仲間として求めていたのは、会えなくなったシンシアやローズの穴を埋める存在。

 だからあれほど配下が男性だったことにショックを受けたのだ。

 今も持病の偏頭痛より、心のほうがずっと痛く感じるのは、酷い言葉を投げつけた相手が親友のローズだから――


(……まったく、情けない……。生まれ変わって、こんなにも心が弱くなってしまっているなんて……)


 自覚したクィーンはソファーの背もたれに身をあずけ、潤んだ瞳をごまかすように目を瞑った。


「……ニードル……。あなたの言う通り、私疲れているみたい……」


「僕にできることがあれば何でも言って下さい」


「そうね、何かあったらすぐに頼むわ……」


 頷きながらクィーンは目を閉じていても、一人でいる時とは違う温かさを感じていた。

 それは、他人が傍にいると気の休まらない彼女が、家族以外で唯一、一緒にいてリラックスできた存在。

 シンシアがまとっていた柔らかな空気ととても似ていた。

 クィーンが懐かしくも癒される感覚にゆっくりと浸っていると、やがてハーブの良い香りが漂いだす。

 誘われるように目を開くと、湯気が立ったティー・カップが目の前に置かれていた。


「どうぞ、ハーブティーです。疲れが取れますよ」


「……いただくわ」


 カップを取って両手で持ち、一口、また一口と飲んでいるうちに、しだいに身体が内側から温まってくる。

 あわせて気持ちもほぐれてきて、精神状態が回復していくとともに、クィーンは不思議な気持ちになった。

 まるでニードルに魔法をかけられたようだと――

 優しい沈黙が流れたのち、ニードルがやや深刻な表情で、ためらいがちに話しかけてくる。


「クィーン、なんだか僕は心配です。遺書の件もそうですが、ブラック・ローズの口から出た地獄という不吉な言葉が……。

 もしも何か問題に巻き込まれているのだとしたら、お願いですから、どうか僕にも相談して下さいね」


 クィーンはニードルの言葉に、はっとして、今さらながら確認する。


「……そういえばニードル、あなたどの辺から、私達の話を聞いていたの?」


 問われたニードルは迷いなく答える。


「最後の、先に地獄へいくことは許さない、という下りの部分からです」


 それを聞いてほっとしたついでに、クィーンは、彼の不安を打ち消すために言った。


「問題も心配するようなことも何もないわ。ローズは昨日の会議と同じように、自分を配下にするように強く言っていただけよ。

 彼女は防御系の能力があるから、自分を側近にしたほうが私が安全だと思っているの。

 地獄という言葉も、昔ローズと交わした、死んだら地獄の底で待ち合わせしましょう、という軽口の約束から出ただけで、特に深い意味なんてないわ」


「……何も無いのならいいのですが……」


「何かあったらきちんとあなたに言うから安心して……」


 気使いへの感謝の気持ちをこめて、クィーンはあえて嘘をつく。

 ニードルがそこで、何かを思いだしたように口元を綻ばせた。


「……しかし、今日は地獄という言葉を良く聞く日だな……。

 今朝、数年ぶりに行った教会で聞いた説教のテーマも偶然『地獄』でした」


 その説教ならクィーンというかアリスも、彼と並んで一緒に聞いていた。


「そうなの……?」


「はい、説教というより、脅迫じみた話でしたが……。

 要は、善人であるか悪人であるかではなく、天国の狭き門をくぐるには、いかに神および教会に隷従したかが問われる、というような内容でした。

 まぁ、僕が特別、神への教えから遠ざかっていることと、ひねくれた性格をしているせいかもしれませんが……。

 何にしても、地獄行きを自ら望んで組織に入ったこの心には、まったく響きませんでした」


 クィーンはニードルの台詞に驚きを禁じえなかった。


「あなたがひねくれている? しかも、地獄行きを望む?」


「ええ、その通りです。だから同性異性問わず友人も少ないし、地獄へ行くような親しい間柄の人間も、実はソードぐらいしかいないんです。

 ぜひ僕も、二人の地獄での待ち合わせのお仲間に、加えて欲しいぐらいだ」


 どうやらニードルの中では、元・側近仲間だったシャドウは友人や親しい間柄のうちには入らないらしい。

 クィーンが意外な思いでニードルを見つめていると――


「俺はその点、地獄には親しい人間だらけだ」


 なぜか自慢気な声が響いてきて、見れば外扉への扉の前で腕組みして立っているソードの姿があった。

 時計を確認したところ、いつの間にか一日の終わりの時刻になっている。


「ソード、寝に戻って来たのか?」


 ニードルが当然のように質問するのを聞き、(……ここはソードの寝室じゃないんだけど……)と、クィーンは不満をおぼえた。


「いいや、ニードル――クィーンに呼び出されたんだ。

 それにしても、地獄だなんて、なかなか興味深い話をしているじゃないか」

 

 どの辺が興味深いのかクィーンにはさっぱり分からない。

 とにかくもうこんな時間だし、お茶なんかのんきに飲んでいる場合ではない。

 用件をさっさと終わらせて、明日にそなえて早く帰って寝なくては――


「ニードル、悪いけど――」


「はい、席を外しますね」


 皆まで言わずともニードルが応じ、クィーンのカップにお茶を注ぎ足してから、速やかにNo.9の間を退出して行った。

 バタンと扉が閉じるのを待ち、ソードが話を促す。


「さて、クィーン、始めてくれ……」


 ソードはカウチに長い脚を組んで深く腰かけ、膝の上で両手の指を組み合わせ、余裕の表情でクィーンを見つめている。

 この態度、絶対に反省していないと、クィーンは確信する。


 しかしすでに今日の彼女には、それなりにニードルに癒されたとはいえ、ソードを怒鳴りつけるほどの気力は残されていなかった。

 この後グレイのところにも行く予定だし、手短に済まそう。

 そう決意すると、ソードの胸元を見ながら口を開く。


「ソード、なぜ、命令と任務範囲を無視したの?」


 まずは説教から入る予定だった。


「……クィーン。俺としても惚れているあんたの言うことは、なるべく聞いてやりたいと思っている。

 だがそうは言っても、己の信義に反することは無理なんだ。分かってくれないか?」


(なぜ逆に私が言い聞かされる形なの?)


 クィーンは苛々した口調で訊き返した。


「上の指示に従うことが、どう、あなたの信義に反するって言うわけ?」


「上とか下とか組織とか関係ない。人としての部分で、俺は個人的に女に暴力を奮う男だけは許せないんだ」


 上下関係はともかくとして、任務に出ているんだから組織が関係ないわけないだろう。


「許せないから殺したっていうの?」


「いや、任務書と資料を読んで、殺したいとは強く思ったが、惚れているあんたのためにも、直前まで我慢しようと心に決めていたよ」


 いちいち枕詞のように『惚れている』を入れるのは止めて欲しいとクィーンは思った。


「だったら、なんで、首を切ったの?」


 ソードはそこで盛大にため息をつき、組んだ両手指を神経質そうに動かした。


「むしろ訊きたいのは俺のほうだね。

 あそこまで覚悟をしてやってきた仲間を、力の差にものを言わせて、強引に止めるのはどうなんだ?」


「どうもこうも……。立場として当然のことをしたまでよ」


「俺が言いたいのは、人の心の話。人情としてだよ」


「……はぁっ、なによそれ……?」


 とは口では言ったものの、ソードの言っていることはなんとなく理解できる。

 問題は人の心や人情などが、クィーンにとって苦手分野であることだ。


「クィーンだって、誰かを恨んで殺したいと思ったことぐらいあるだろう?」


 そう言われても、残念ながらクィーンは、今まで誰かを恨んでも、殺したいと思ったことはない。

 前世の頃、みんな死ねばいいとは何度か思ったし、実際に世界の終末や崩壊を妄想したことは多々ある。

 しかし、個人に対しては、あまり強い感情を抱いたことがないのだ。恨みの多い母親にでさえ、積極的に殺したいと思ったことはなかった。

 

(当時の私は、やり返さないことで同じ次元に落ちないのだと、自分を保っている面があった……。

 ……どのみち、私に人間的に欠けている部分があることは否定できないし、そのことは、自分自身が一番分かっている……)


 考えながら自嘲げに口元を歪めたクィーンは、会話を本題へと戻す。


「話を反らさないで、ソード。そうやって任務に感情を混じえていたらキリがないでしょう?

 いい? 次に命令を無視したり、勝手な行動をしたら、あなたを幹部から降格処分にして、側近からも外すわよ?

 今回のこともどう見てもあなたが()ったことは一目瞭然だし、下手な庇い立てはしないから、覚悟しておいて!」


「それはきついな! クィーンと離れたくないから、側近から外すのだけは勘弁して欲しい。

 しかし今回の件に関しては、下手に庇われるほうが迷惑なんで、ぜひともそうしてくれ」


「……話は以上よ!」


 会話を打ち切るように叫び、クィーンが椅子から立ち上がっても、ソードは何か言いた気な眼差しをじっと向けてくる。


「何?」


「いや……なんでもない。そんなわけないよな……年も違うし……」


 ぶつぶつと呟くソードの言葉に、クィーンはぎょっとした。

 動揺していることを気取られないように、必死に平静な態度を保つ。


 年について言及していることから、導きだされる答えはただ一つ。

 ソードはクィーンがアリスではないかと疑っているのだ。

 根拠はアリスとテレーズのいた修道院が、クィーンとローズがやってきた第二支部の管轄国であること。

 移動してきた時期、ローズのオーレリーへの個人的な恨みなど。

 ここまで一致する符号が多ければ、ローズがテレーズだと気づかれても仕方がない。

 その流れでクィーンの正体がアリスに結び付けられるのも当然のことだ――


(まずい……)


 クィーンが内心冷や汗をかいていたとき、廊下側の扉がノックされた。

 直後「失礼します」という声とともに扉が開けられ、今さっき部屋を出たばかりのニードルが顔を覗かせる。


「クィーン、グレイ様がお呼びです」


「グレイ様が?」


「先にNo.3の間で待っているとのことです」


「分かったわ。ニードル」


 こちらから出向くより前にグレイに呼ばれるとは予測していなかった。

 クィーンは気の重さに溜め息をつくと、キッとソードに向き直る。


「ソード、明日は正午にここで待ち合わせよ。忘れずに来てね!」


「正午か、分かった」


「遅れないでよ」


「ああ、絶対に遅れないから安心しろ……」


 念押ししてからソードに別れを告げ、廊下に出たクィーンは、足早にNo.3の間を目指して歩きながら、憂鬱に考える。


(わざわざ呼びつけるということは、オーレリーのことがもう耳に届いているってことよね……。さて、なんと説明したものか……)


 ふーっと本日何度目かの溜め息をつくと、クィーンは扉の前で立ち止まる。

 そして軽く深呼吸したのち、二度ほどノックして、


「失礼します」


 緊張した面持ちでNo.3の間に入室した――






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