32、しばしの別れ
※残酷描写注意。
「ローズ、気持ちは分かるけど、この男にあなたがわざわざリスクを犯してまで、手を下すような価値があるとは思えないわ。
誓って悪いようにはしないから、ここは私を信じて、いったん預けて。
この男の処遇に関して、なるべくあなたの意向に添うように努力するから、今は思い止まってちょうだい……!」
クィーンにしては珍しく気持ちを込めてお願い口調で言ったのだが、硬質なローズの態度は少しも崩れる様子がない。
「クィーン、それにソード、無駄よ。何と言われようとも、私は絶対に引くつもりなどはないわ!
だいたい馬鹿にしないでくれる? 私が処分や罪を背負う覚悟もなしに、ここに来たとでも思っているの?
他人から見て価値があろうがなかろうが関係ない。業を一生背負う? 結構よ! それこそが私の望みなのだから。
何もかも喜んですべて引き受けるから、あんた達こそ黙って大人しくそこで見てなさい。
今日この男を殺すと決めたからには、ただの一日足りとも、先延ばしする気などないわ……!」
「……!?」
(……駄目だ……今のローズの心には……私なんかの言葉は届かない……!)
想いの強さの『レベル』が違うのだと、気迫のこもったローズの表情と言葉から悟ったクィーンは言葉を失う。
しかしクィーンの立場上、ここでローズが言うように大人しく引き下がるわけにもいかないのだ。
――言葉で駄目なら腕ずくでも止めるしかない――
クィーンの瞳に緊張がにじむ。
お互いが相手の動きを待つように無言で見つめあい、一触即発の空気が流れる――
「――うわぁああああっ!!」
沈黙を切り裂いたのは、とても大男の口から出たとは思えない甲高い悲鳴だった。
「……!?」
弾かれたようにクィーンは振り返る。
ローズの瞳が反れて催眠状態が解けたオーレリーが我に返り、悪魔三人に囲まれている己の恐ろしい状況に気がついたのだ――
失禁しながらその場で腰を抜かす兄の姿を見たローズがあざ笑う。
「ずいぶんと、いい格好じゃないの、オーレリー」
「ひぃっ、たっ、助けてくれ!」
床に這いつくばって命ごいするオーレリーを冷然と見下ろし、漆黒のドレスを纏いしブラック・ローズは『荊の鞭』を掲げる。
「助けてくれ、ですって? あんたはベアトリスがそう言って命ごいをしても殺したのでしょう?
――さあ、今こそすべての報いを受ける時が来たのよ、観念しなさい、オーレリー!」
宣告するように叫び、ローズは一気に鞭を振り降ろしたが、クィーンが腰から双剣を抜き、繰り出す動きの方が一瞬ほど速い。
生き物のようにオーレリーの頭部に向かう鞭の先端を、フライ・ソードの一方が捉えて、ぐるんと巻き取る。
「――くっ!? 邪魔しないでよクィーン」
ギリギリと鞭を引き合いながら、二人の視線が激しくぶつかる。
「ブラック・ローズ命令よ、この場は引きなさい! 引かないならこの私が相手をするわ」
口では勝てなくとも実力行使では圧倒的にクィーンに分がある。
本気で妨害すれば、素早さではるかに劣るローズがオーレリーを殺すことは無理だ。
そのことはコンビを組んでいた本人達同士が一番知っていた。
険悪なムードで睨み合う二人の傍らでソードが深く溜息をつく。
「おいおい二人とも、仲間同士でやり合うなんて止せよ。
No.15。あんたの覚悟は充分伝わったが、それでも俺はクィーンに賛成だ。
あんたが命令違反してまで直接手を下す価値が、この男にあるとは思えない。
何よりあんたみたいな綺麗な女の手が血で汚れるのは似合わない。こういう汚れ役は俺みたいな男が引き受けるべきだ」
そこで、対峙するローズの瞳が急に劇的な様子で見開かれ、不審に思ったクィーンは背後を振り返る。
――次の瞬間、瞳に映ったのは――いつの間にやら大剣を抜いたソードが、四つんばいで逃げようとしているオーレリーの首もと目がけて、しゅっ、と素早く剣を振り抜く姿だった――
「……えっ!?」
動体視力の高いクィーンには、首を通過した剣の軌跡がばっちり見えた。
しかし脳みそが懸命に、今見た信じられない光景を否定しようとする。
(まさか……!? 嘘っ!!)
そんなことは有り得ない、目の錯覚だと自分に言い聞かせ、現にオーレリーの首が繋がったままなのを見て、クィーンが安堵しかけたとき――
身動きしたはずみでオーレリーの頭が、ころっと、胴体の上から転がり落ち、床の上で鈍い音を立てる。
「――うわーーーーーっ!?」
今度はクィーンが叫ぶ番だった。
遅れて出た血しぶきが、赤い花を咲かせるように周囲に盛大に飛び散り、首無しのオーレリーの身体が床に崩れてゆく。
「なっ、な、な……何で……どうしてっ……殺したの、ソード!!
じっ、自分でさっき、ローズに殺害不可の案件だと説明していたのにっ!!」
動揺のあまりどもりながらクィーンは、振る速度が速すぎて血さえつかない大剣をすっと鞘に戻すソードに飛びかかり、胸倉を掴む。
「何でって……、女を殴るだけでも許せないのに、あげくに殺してしまうような男は、どう考えても死んだほうがいいだろう?」
こともなげに答えるソードは、憎たらしいほどふてぶてしい態度だった。
「……っあっああっ!? ――もうっ――最悪っ!!」
クィーンはいつかのソードとの初顔合わせ時のように、黒髪を掻き毟り、地団駄を踏む。
やはりソードはどこまでもいってもとんでもなく頭の痛い存在だ。
(こんなの、信じられない……!?)
死んだほうがいいから殺したとか! 先ほどのいかなる理由でも無駄に人を殺すべきでは無いという語りはいったいなんだったのかと、クィーンは怒りでめまいをおぼえた。
一方、自分の役目を奪われたローズは、勝手に手を下したソードをなじるかと思いきや。
気の抜けたような顔で、ぼーっと、オーレリーの生首を少し見下ろしたあと、揺れる瞳でソードを見上げた。
「……なぜ? 人には命令違反するなと言った癖に……」
震え声で問うローズに、ソードが済まし顔で答える。
「任務を受けた本人である俺なら、手が滑ったで済む話だからな。
実際俺の剣は切れ味が良すぎて、相手を殺さないっていうのはなかなか難しい。
No.3は分かっていて俺にこの任務を振ったんだから、強くは言えまい。
あんたがやれば厳罰処分はまぬがれなくても、俺がやった分には、大したお咎めにはならないだろう――」
手が滑って人を殺すというのも酷い話だし、軽い口調で言っているけど、どうもグレイはソードには特別厳しい向きがあるので、あまり大丈夫そうには思えないクィーンだった。
ローズがさらに何か言いた気に、ソードを見つめていたとき――
突然、音を立てて扉が開かれ、悲鳴を聞いて駆けつけてきたらしい従業員が、室内を見たとたん叫んで逃げ去っていった。
(しまった……!?)
この賭博クラブは王都の中心街にあり、王宮からもさほど距離が離れていない。
夜会の無い夜は仮面の騎士が王都を見回っている可能性が高いから、これ以上の長居は無用である。
今の従業員と先ほどのオーレリーの悲鳴が、死神『アルベール』を呼び寄せる危険性がある。
(――早く逃走しなくては!)
クィーンはフライ・ソードをシュッと鞘におさめると、焦って右手をかざし、異界への入り口を開いて二人を急かす。
「急いで移動するわよ! ほら、ソード、早く入って!」
「――んじゃ、お先に」
軽い調子で挨拶してソードが虹色の空間へ消えていくと、次にクィーンはローズに視線を送る。
「ほら、ローズも! 早く!」
「ええ」
呼ばれたローズは一瞬進みかけた足を止め、もう一度床に転がるオーレリーの生首に目を止める。
一度は家族としての愛情を求めたこともある相手なのだ。
見つめるローズの心情は計り知れない。
早る気持ちを飲み込んでクィーンが見守っていると、最後にローズはオーレリーの頭部に向かって、小さなかすれ声で呟く。
「……またね……兄さん……先に地獄の底で待っていて……」
妹が兄に告げる別れの言葉にしては、ずいぶん変わったものだった。
ローズの瞳に涙が光るのを目にして、見てはいけないものを見た気持ちになったクィーンは、慌てて顔を背け、先に異界への入り口をくぐった――
――No.9の間に戻った三人の間には、気まずい沈黙が流れ続けた……。
ローズは脱力したように無言でソファに座りこみ、異様にピリピリした空気をまとって歩き回るクィーンの姿を、ソードが立ったまま黙って眺める。
クィーンは怒鳴りつけたい衝動を抑え、気を落ちつかせるように、数回深呼吸をしたあと、押し殺した声でソードに言う。
「ソード、あなたには言いたいことが山ほどあるけど、後にするわ……。
とりあえず、ローズと二人きりで話したいことがあるから、今日の一日の終わりの時刻にまたこの部屋に来てくれる?」
「分かった」
ソードはあっさり頷き、外界への扉へと足を向ける。
虹色の空間に長身の背中が消えるのを確認してから、クィーンの目は改めてローズを見据える。
悄然としている彼女にたいし、クィーンの口から出たのは、責める言葉でもいたわりや慰めの言葉でもなく、疑問の言葉だった。
「ローズ……どうして?」
どうして自分に何も相談せず勝手なことをしたのか、クィーンはそう訊きたかったのだ。
「……どうしてと、聞きたいのは私の方よ……なぜ、大幹部であるあんたが、自ら任務に出ているの?」
「それは……」
出だしから痛いところをつかれて、クィーンは口ごもる。
ローズは暗赤色の唇で深く溜息をつき、思いだすように目線を遠くした。
「――オーレリーを殺していいか、第三支部から問い合わせがあったのは、私がまだ第二支部にいた頃よ……。
あんな奴、もう兄でも何でもない、関係ない。
そう思いたかったのに、思い切れず、ずっと保留にしていたんだけど……。
お茶会で再会して、ついに決意したの。
せめてこの手で殺そうとね……。
ルール違反だけど、マラン伯爵家側では、殺害『許可』を出していると口頭で確認してから、第三支部に戻って『殺害不可』の回答を出したの」
膝の上でぎゅっと拳を握り締め、続けてローズは語る。
「貴族の処刑や報復依頼は、必ず百番以内の者が請け負う決まりがあるから、幹部会議に出る………。
そうして、さっそく娼婦の暴行の依頼が出たとき、いかにもオーレリーのやりそうなことだと思った。
他には王都の任務はなかったし、これだと確信した。
任務を受けることができたら、私が『殺害不可』を撤回するだけで、問題なくこの手で殺せる。そう思って立候補したのに……」
ところがグレイとクィーンがローズの計画を邪魔したのだ。
「こうなったら、あんたが任務に出るより先に、殺しに行くしかないと思ってね……。
マラン伯爵夫人から、オーレリーは安息日の夜、必ず賭け事をしに賭博クラブへ行くと聞いて、今夜来たってわけ。
まさか、あんたが依頼を受けた翌日にもう任務に出るとは思わなかったしね……」
もしもクィーンが無難に魔界製の剣の完成を待ってから任務に出ていれば、今頃ローズはオーレリーを手にかけていたはずだ。
そしてソードがいうように、厳罰は免れず、一生兄を殺した業を背負って生きていくことになっただろう。
それを思えば、ローズにとって最悪の結果は回避できたのだ――
「あんたに何も言わなかったのは、オーレリーの殺害許可を出せなかった、自分の甘さを知られたくなかったからよ……」
「……ローズ……」
考えてみるとローズは修道院時代から、クィーンの前では決して自分の弱みを見せようとはしなかった。
「……さあ、私の話はこれで全部よ。
次はあんたが説明する番よ、クィーン。
任務に出ていた理由もそうだけど、なぜ会議の時に、私を側近にすると言わなかったの?」
ついにローズに面と向かって、避けたかった厳しい質問をされたクィーンは、ぐっと言葉に詰まって俯いた――




