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蝿の女王  作者: 黒塔真実
第二章、『地獄の底で待っていて』
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31、拭い去れないもの

 いびきは聞こえなかったが、一応クィーンは寝台のカーテンを引き、中にソードがいないことを確かめた。


(ソードとの待ち合わせ時間まで、まだ一時間以上あるわね)


 壁時計を一瞥すると、仕事机の前に行き、立ったままニードルが運んでおいてくれた任務書と資料を広げる。

 どちらも昼間のうちに目を通し済みだが、もう一度念のため確認しておいた。


 現在結社には国の役人、軍関係、教会、商会など、あらゆる団体に所属している組織員がいる。加えてクィーンのように魂を飛ばせたり、シャドウのように隠密スキルに長けた異能者もいるので、調べられない情報はほぼ皆無と言えた。


 もちろん今回の任務についても必要な情報はすべて調査済みで、オーレリーの勤務表や、行動半径、生活習慣などの情報が抜かりなく揃えられている。


 それによるとオーレリーは、普段は王宮近くの王立騎士団本部に衛兵として詰めているらしい。サシャと顔見知りなのも納得だ。

 毎週安息日の勤務は配下任せできっちり休んでおり、前日はかならず夜遊びをして朝帰りするのが定番コース。

 休みの日は夕方近くまでベッドで寝て過ごし、夕食後に賭け事に出かけるのが習慣のようだ。


(飲む打つ買うをすべて実践した、およそ騎士とは思えない堕落した生活ぶりね)


 呆れつつもクィーンは外界への扉に歩み寄り、鍵と一体化した手でノブを掴んで押し開く。

 扉を繋げた先はオーレリーの行きつけであり、彼女がフランシス王国に帰国してから、二度ほど調査任務で訪れたことがある場所。王都一の規模を誇る賭博クラブ『ルアーヌ』の上空だった。

 しかし現れた虹色に輝く空間へ入っていったのは一匹の蝿のみ。

 クィーン自体は踵を返し、仕事机へに戻って椅子に座る。

 そして、能力的な問題から、分離した魂と本体両方を同時に動かすのが苦手なクィーンは、その状態でほぼ動かなくなった。


 意識を蝿形の精神体へ向けたクィーンは、賭博クラブの大きな建物に入っていく――


(さてと、オーレリーはどこかしら?)


 広い館内をメイン広間から探し始めたクィーンは、ほどなく目立つ大柄な体躯と地声のでかさから、カードゲームに興じているオーレリーの姿を発見する。


 魔族姿での任務は大切な結社の広報活動でもあるので、人目につくように行動するのが原則だった。

 とはいえ背に腹は変えられない。

 今回は余裕があれば帰りがけにさっと人前を通る程度にしておこう。

 仮面の騎士に出くわさずに任務を終えるためには、最短時間で報復任務を終わらせねばならない。

 そのためにはそばに張り込んで、標的が人気のない場所へ移動したところで、素早くお仕置きを済ませるべきだ。

 

 とりあえず時間帯的にまだここに来たばかりだろうし、しばらくは賭け事をして遊んでいる様子を見守っていよう。

 

 そう判断した蝿のクィーンは、煌びやかなシャンデリアを通りこし、広間の天井にぴたっととまった。

 ――そのままオーレリーを見張り続け、30分ほど経過した頃――


「クィーン、約束時間より早く戻ってきたぞ」


 不意にソードの声が耳に響き、はっとしたクィーンは、No.9の間にいる本体側に意識を向ける。

 すると視界に暖簾のように垂れ下がる鉛色の髪と、精悍な顔のどアップが現れた。


「どうした? ぼーっとして」


「……!?」


 間近からソードに顔を覗き込まれていたクィーンは、びっくりして椅子の上でのけぞった。

 無意識に視線が彼の唇に縫いつけられ、心臓の鼓動が狂ったように踊りだす。


(だ、駄目だ、ソードのアップに耐えられない……!?)


 クィーンは思わず俯き、机上の任務書と資料を手に掴むと、ソードの目の前にばっと差しだした。


「……まだ任務には出ないから、向こうのカウチに座って、この書類をよく読んでおいてくれる?」


「……ああ、分かった……」


 書類を受け取ったソードは素直に移動して、自前のカウチに長い脚を組んで座り、一枚目の任務書から読み始める。


「あれ、この名前、俺が昨日会った奴かも!

 でもなんだこれ、『殺害不可』って、殺して駄目な任務を俺に振るなよ!」


 もっともなソードの指摘をスルーして、クィーンはオーレリーの監視に専念するべく指示を下す。


「ソード、私はここで少し仮眠しているから、あなたは書類を読みながら待機していて」


「――え? クィーン。仮眠するならベッドで寝たらどうだ? 時間指定してくれたら起こしてやるぞ」


 親切なソードの提案にクィーンは苛々口調で返す。


「よけいな気を回さなくていいの。ほんの少し寝るだけだから!」


「……分かった……」


 あっさり引き下がる態度に(出会った頃よりソードは扱いやすくなっているかもしれない)と密かに思いつつ、クィーンは机につっぷした。

 再び蝿側へと意識を集中させて、オーレリーの様子をうかがい続ける。

 引き続きカードゲームのテーブルに座っているオーレリーは、ディーラーの配ったカードを見てニマリ笑いした。

 かなり勝ち越ししているみたいで上機嫌だ。


「今日の俺はバカみたいについているな。人生で一番かもしれない!」


 調子に乗って喜色満面で酒を煽って叫ぶ、オーレリーの瞳がそこでふと、広間の一点を見据えて停止した。

 不思議に思って視線を辿ったクィーンの瞳は、会場に入ってきたばかりの、一人の美女へと辿りつく。

 それは胸元が大胆に開いた扇情的、かつ目立つ真紅のドレスを着た、いかにも高級娼婦風の女性だった。


(……?)


 と、どこか見覚えがあるような厚化粧の顔に、蝿のクィーンは複眼をこらす。


(誰かに似てる?)


 メイクが濃すぎるせいで顔の原型が分からず、年齢帯も二十代後半ほどに見えたが、顔の輪郭と目鼻立ちがテレーズに似ている気がした。

 背丈も同じぐらいだし、髪の色も同じくハニー・ブロンドだ。


(まさか……テレーズ? でも……螺旋の仕事で忙しいはずだし……人違い?) 


 クィーンは天井から飛び立ち、顔をもっとよく確認するために相手の周りを旋回した。

 女性はうるさそうに蝿を少し目で追うと、扇で顔半分を隠し、オーレリーが囲むテーブルへと近づいていく。


 彼女が斜め向かい側からゲームを観戦しだすと、オーレリーはすっかり集中を切らし、舐めるような目つきでしきりにその姿を眺めだした。

 そしてとうとう我慢しきれなくなったように、一ゲームが終わったタイミングで席を立ち、女性に声をかける。

 扇が邪魔なのと角度から唇は読めなかったが、二、三言ほど会話を交しただけで二人は合意したのか並んで歩き始めた。


 オーレリーは広間の出口近くにいたオーナーに声をかけてから、女性と連れ立って廊下へ出ていく。

 蝿の姿のクィーンが廊下を追って飛んでいくと、二人は賭博クラブ館内の二階に上がって、個室の中へと消えていった。


(つまり、お楽しみの時間ってわけね……)


 それは同時にようやくクィーンに訪れた、オーレリーを襲う好機でもあった。


 しかし行動からますます、娼婦の正体がテレーズである線が濃厚だと感じたクィーンは、もう少しだけ様子を見ていることにした。

 二人が入ったのは、大きなベッドが置かれた広めの室内に燭台一つのみが灯る、いかにもお楽しみ用の薄暗い部屋だった。


 入室するなりさっそく抱きつこうとするオーレリーの腕をヒラリとかわし、素早い動きでベッドの向こう側に回りこんだ女性は哄笑をあげる。


「名前も名乗り合わないうちに、いきなり襲いかかるなんて、せっかちなのね」


「そんなものはベッドの上でゆっくり聞けばいい。俺は焦らされるのが大嫌いなんだ!

 さあ、こっちへ来い! 俺を怒らせるなよ?」


 たて髪のような癖毛を振り乱し、ベッドの上に乗りあげたオーレリーが、飛びかかる直前の猛獣のように女性へにじり寄る。


「怒らせると、他の娼婦のように殴るってわけ? オーレリー」


「――!?」言われた刹那、オーレリーは息を飲んで立ち止まり、「お前は誰だ? なぜ俺の名前を知っている?」呼吸を荒げて、問う。


「お前は誰だなんて、多少化粧が濃いぐらいで、血の繋がった妹に対して冷たいじゃない? オーレリー」


「なっ……まさかっ、お前はっ――テレーズ、テレーズなのかっ!?」


 衝撃を受けたのはオーレリーだけではなく、クィーンも同様だった。


(やっぱり、テレーズだったんだ!!)


 正体が発覚するのに合わせ、テレーズの身から無数の黒い花びらが飛び散り、ばーっと周囲を旋回し始める。

 ブラック・ローズが魔族姿に変化する合図だ。

 ――このままではいけない――!?


 慌ててクィーンは本体に意識を向け、椅子を跳ね飛ばすように立ち上がると、外扉への扉へと駆け込んだ。

 魔族姿に変化出来る百番以内の者は、正体を組織外の者に知られた場合、相手を殺すか結社に入信させるかの二択。

 テレーズがオーレリーを結社に勧誘するとは思えない。

 とすれば、自ら名乗ってから魔族に変化したという、彼女の行動が示す意味はただ一つ。

 オーレリーを殺す気なのだ。


 そう悟ったクィーンは、虹色の空間から室内へ飛びだし、変化を終えたばかりのローズを制止する。


「止めなさい、ローズ!」


 現れたクィーンを見ても、ローズは平静な態度のままだった。


「クィーン……やっぱりさっきの蝿はあんただったのね」


 追って入室してきたソードが、クィーンの背後で驚きの声をあげる。

 

「No.15……!?  それにオーレリー・マルソー!?」


 室内には濃い薔薇の香りが充満し、黒色から今は色を変え、琥珀色に輝くローズの瞳を見つめる、オーレリーの目はトロンとしている。

 すでにローズの幻惑催眠スキルにかかっているようだ。


「悪いけど、二人とも、少し黙って見ていてくれる?」


 ローズは静かでありながら凄みのある表情と声で言い、クィーンとソードの顔を交互に見てからオーレリーに向き直った。

  

「さあ、懺悔の時間よ。あなたが犯した悪事を吐きなさい。

 娼婦を暴行したのはあなたなんでしょう?」


 ローズは昨夜の会議で承認された依頼の標的が、オーレリーであるかをまず確認するつもりらしい。

 催眠スキルによって操られているオーレリーは問われるままに口を開く。


「……暴行? 違う……お楽しみだ。殴ったり、首を絞めたりして、可愛がっただけだ」


「首を絞める? 娼婦を殺したの?」


 昨日のヘイゼルは依頼内容をさらりと説明しただけで、殺しの容疑がかかってることにまでは言及しなかった。


「首は死なない程度にしか絞めていない。ベアトリスは殴り過ぎて死んでしまった」


「……ベアトリス?」


「ベアトリスが悪いんだ。どの娼婦よりひいきにしてやったのに、俺を嫌がって避けるから……」


 ローズは緊張したような硬い声で、さらに問う。


「その娼婦を愛していたの?」


「――愛? まさか……見た目がテレーズに似ているところが、気にいっていただけだ。

 何しろ他の娼婦より、刺激的な妄想ができる相手だったからな……。

 おかげで少し興奮してやり過ぎたことが一回あって、それから、俺を生意気にも避けるようになった。

 テレーズのように、俺から逃げようとするから……悪いんだ……」


 催眠状態に陥って正気を失ったオーレリーは、目の前にいる女魔族がテレーズであることも分からなくなっているらしい。


「……だから死ぬほど殴ったの?」


「ああ、そうだ……浚って閉じ込めて、いたぶってやった……最初は命ごいをしていたが、そのうち静かになって、気がついたらくたばっていた」


「……」


(本物の下衆野郎だ)


 クィーンはこれ以上、気持ちの悪い話を聞きたくなくて、血の気が引いた顔のローズに向かってお願いした。


「さあ、ローズ、確認したいことは済んだでしょう? あとは私たちに任せて、あなたはもう引き下がってちょうだい!」


「引く? 冗談止してよ。これからが本番なのに――

 こいつは私が殺すのよ!」


「――って、おいおいNo.15、冗談言ってるのはそっちだろ? これは俺に下った任務だし、殺害不可の案件だが?」


 珍しくソードがまともなつっこみを入れる。


「いいえ、元々は私が引き受ける予定の任務だったのよ。それなのにクィーンが横取りするから、こんな回りくどいことをするハメになったんじゃない!」


 苛立つように叫ぶローズに、とっさにクィーンは何も言い返せなかった。

 別に横取りなんかしたおぼえはないが、あの場で自分がローズのサポートをグレイに申しでていれば、彼女の希望が通った可能性は高い。

 引け目から口ごもるクィーンの前に、長髪と黒衣の裾を靡かせてソードが進み出る。


「どんないきさつがあるにしろ、No.3は何よりも命令違反を嫌う。

 他人の任務を横取りするだけでも厳罰対象なのに、殺害不可の標的を殺して二重の命令違反をしたら、間違いなく降格処分だぞ?」


 彼の言う通り、今ローズがオーレリーを殺せば、厳罰はまぬがれない。

 もしも殺害不可を出したのがローズ本人なら、手続きを踏めば殺す許可が降りる筈だから、ここで早まるべきではないのだ。

 いったん引いてくれたうえで、どうしてもローズが手を下したいなら、今度こそグレイに了解を得る心の用意がクィーンにはあった。

 でも万が一マラン伯爵家や他の者が出した『殺害不可』であれば、ローズの正体がばれた今、このゴミ屑を組織に勧誘するしかない……。


「こいつを殺せるならそれでも構わないわ! 

 この男だけは、自分の手で殺さないと気が済まないの!」


 感情的に訴えるローズに対し、ソードはあくまでも冷静に、言い聞かせるように語りかける。


「止せ、No.15。

 誰かを殺して胸がスッとしたとしても、それは最初のうちだけだ。

 憎かろうが恨みがあろうが、何の感情も抱いていない相手だろうがそれは同じ。

 誰かを殺したという、いつまでも血がべっとりと手に張りついているような不快感って奴は、一生拭いきれず、呪いのように心につきまとう。

 そんなものは一つも無駄に背負うべきではないと、他ならぬ俺には断言できる。

 だからクィーンの言う通り、大人しくここは引き下がって、こいつの始末は俺達に任せるんだ――」


 第三支部の粛清担当だったソードの重みのある台詞は、説得力を持ってクィーンの胸に迫る。


(そうだ。どんな屑野郎だとしても、実の兄をローズの手にかけさせるべきではない)


 身内だからこそ、自分の手で始末をつけたいという彼女の気持ちは分かるが、実の兄を手にかけた事実は確実に消えない心の傷として残る。

 そう強く感じたクィーンは、遅まきながらもローズの説得を試みることにした――




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