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蝿の女王  作者: 黒塔真実
第二章、『地獄の底で待っていて』
37/113

29、残すべき言葉

※残酷描写注意

 ノアイユ夫人の話は馬車内だけでは終わらず、屋敷の居間でお茶を飲みながらも続いた。


 そこで初めて知ったのだが、昨日のマラン伯爵邸から帰宅後。

 アリスが自室に閉じこもっていた夕食前、サシャは母親を説教部屋、もとい執務室へ呼び、夕食の時間まで絞りあげていたらしい。


「私もそろそろサシャに怒られる予感がしていたのよ。

 先日の夕食の時、あなたの婚約のことでサシャに逆らう言動をしたでしょう? 

 そのうえ昨日のお茶会の席で、他人の前で責めるような物言いをしたんですもの」


 道理で昨日の夕食の時、夫人は妙に大人しかったわけだ……。

 アリスは今さらながら納得した。


「それでね……。サシャが私が付き添いとしてきちんとあなたを監督できないなら、この先別の人をつけるというの。

 具体的に言うとあなたの外出先を、女性や既婚男性のみしかいない集まりのみに制限して……。

 次に独身男性がいると分かっている場に参加したら、問答無用で親戚のカリーヌに屋敷に来てもらうそうよ……」


 ノアイユ夫人の言葉を聞いて、アリスは自身の耳を疑った。


(シモンだけではなく、独身男性全般がいる場に出入り禁止って……!?

 サシャったら、やるとなったら徹底的ってわけ?)


 明らかにサシャはアリスの自由恋愛の道を完全に潰す気だ。


 しかも彼が屋敷に呼び寄せると言っているカリーヌは、一族の中でもお堅くて有名な女性。

 異性に対して潔癖すぎて、結婚せずに50近くになった、いわゆる老嬢である。

 アリスも数回ほど会ったことがあるが、メロディの最新の家庭教師なみ。

 それかそれ以上に厳しいぐらいの、化石のような(ひと)だった。


(カリーヌ小母様を呼ぶなんて冗談でしょう!? あんな(ひと)と一緒に暮らして四六時中監視されたら、それこそ気の休まる暇がなくなる) 


 アリスの気持ちに同調するようにノアイユ夫人が言う。


「私もカリーヌは苦手だし、できれば屋敷に来て欲しくないわ。

 だからなんとかサシャに知られないように、あなたとシモンさんを会わせる手段を考えていたのだけど……。なかなかうまい案が浮かばずに途方にくれていたところ、今日は思いがけず教会でシモンさんに会えて嬉しかったわ」


「……!?」


 またしても夫人の口から、とんでもない発言が飛びだし、アリスはぎょっとする。


(会わせる手段って、そんなの私は望んでないんですけど……!?)


 人の口に戸は立てられないというし、どんなに慎重に注意を払おうとも、サシャに情報が伝わる可能性がある。

 何よりもシモンに肩入れしているノアイユ夫人と違い、アリスには彼の気持ちに応える予定はない。

 さらに他の男性との出会いも求めていないので、リスクを犯してまで言いつけに逆らう動機がない。


(大体ほぼ毎日に近く、アジトでシモンというかニードルには会えるし……)


 サシャの横暴さにはムカつき、強制されることも悔しいが、それ以上にアリスはカリーヌに監視される生活を避けたかった。

 そのためには、たとえ夫人がどういうつもりであろうとも、これからは徹底的にシモンは当然として、未婚の男性がいる集まりを回避しなくては……。


 とはいえいくらサシャでも礼拝に行くことだけは禁止できないだろう。

 そうなると以降は週に一度の教会だけが、シモンおよび独身男性に会える場所になりそうだ。



 会話しているうちに昨夜の寝不足も手伝い、だんだんアリスは頭痛がしてきた。

 

 ノアイユ夫人に断りを入れ、身体を休めるために自室に戻る。

 その際、後から心配症のサシャに医者を呼ばれないように、ベッドに横たわらず、椅子に座ってうたた寝をする。


 少し眠ってから目を覚まし、時計を見ると二時間ほど経過していた。

 ここは異世界といってもアニメ世界なので、時計や単位などは前世の世界と共通。

 一日も24時間だが、数字や文字だけはさすがに日本語ではなく独自のものだった。

 現在時計の針は、この世界で1の数字の少し手前を指している。


 昼寝のおかげで頭痛が引いたアリスは、次に蝿の形の魂をアジトまで飛ばした。

 ソードの鼾が響くNo.9の間を通り過ぎ、廊下を経由して、扉をすり抜け機密室に入る。


 すると先ほど教会で会ったばかりのシモンことニードルが一人、早くもそこに居て、背中を見せて部屋の中央の棚を整理していた。

 彼に気づかれないうちにクィーン姿の形を取り、入り口近くの書類棚から連絡用の便箋を取りつつ声をかける。


「こんにちは、ニードル」


「――!?」


 無人だったはずの室内で突然挨拶されたニードルは、肩をびくりと跳ね上げ、豊かな生成り色の髪を揺らして振り返る。


「クィーン! いつの間に部屋に来たんですか? 全然気がつきませんでした」


「たった今来たばかりよ。ところで、今日はまだグレイ様とヘイゼルはいないのね?」


「はい、出勤前みたいです」


 例のことを話すなら、今が好機だとクィーンは思った。


「ねぇ、ニードル、ソードのことなんだけど……」


「はい、なんでしょう?」


 無駄話が嫌いなクィーンはいきなり本題に入る。


「できれば彼が私に、いつも馴れなれしい態度を取っていることは、他の人、特にグレイ様に言わないで欲しいの」


 ニードルは少し沈黙したのち、


「クィーン、僕は親友が不利になるようなことを他人に言ったりはしませんよ……」


 溜め息まじりに、言われたこと自体が心外そうに返事した。


「……そうよね、ニードル。よけいなことを言ったわ」


「そしてクィーン。仕えているあなたの不利になるようなことも、僕は決して言わないと誓えます」


 言い切る真摯な態度から、ニードルの口の堅さは信頼できそうだ。


「……ありがとう」


 クィーンはお礼を言って、少し無言で彼と見つめ合い――

 視線を机の上に落とし、乗っている紙束に目を止める。

 昨夜の会議に通された娼館からの依頼関連の書類のようだが、まずはそれを確認する前にすることがある。


 教会でテレーズとの約束を思いだしたアリスは、改めていつ死ぬか分からない我が身を思った。

 それで明日の危険度が高い任務に出る前に、ぜひしておかねばならないことがあると気がついた。


 それは自分が死んだ後に残すメッセージ。遺書を書くことである。


 内容としてはローズには、自分の亡きあと必ずシンシアのいる第二支部に戻ること。

 荊のガードも幻惑技も仮面の騎士には通用しないので、くれぐれも戦わないように書いておく。


 グレイ宛の手紙には、アルベールが聖クラレンス教国に行って帰ってきたタイミングで、ローズを第二支部に戻して欲しい旨。

 絶対に彼女を仮面の騎士とは戦わせないで欲しいというお願い。 

 加えてアニメで得た知識から、仮面の騎士と聖剣に関する詳しい情報を書き添えておく。


 クィーンは無駄話だけではなく、遺書にも必要最低限以上のことを記すのを嫌った。

 内容にも感情的な言葉はいっさいまじえず、宛先もローズとグレイにだけで、世話になったシンシアやカーマインには書かない。


 そして書き終わると封をして、自分の机の引き出しの奥にしまうと、忘れずニードルに伝えておく。


「ニードル、もう一つ、大事な頼みがあるんだけどいいかしら?」


 ファイルを並びかえる手を止め、ニードルが振り返る。


「なんでしょうか?」


「無いとは思うんだけど、もしも万が一、私の身に何かあった場合は、この机の一番奥に入っている手紙を、グレイ様とローズにそれぞれ渡して欲しいの」


「……」


 ニードルは即答せず、美しい菫色の瞳を揺らし、緊張したように唇を引き結んだ。


「お願いできる?」


 再度問いかけられた彼は重々しく頷く。


「……引き受けますが、あなたの身に何かあるなんて考えたくないな。

 クィーン。お願いですから、死にそうな危険な場所に行く時は、どうか僕も一緒にお連れ下さい。

 あなたの盾になるのも配下の勤めだ」


 ニードルは本当に他人の盾になるのが好きな男性らしい。


「ええ、そうね。その時はあなたも連れて行くわ」


 口にしただけで、実行する予定のない約束であったが……。


 結社の戦闘員の中でも、もっとも命が安全なのが、百番以内の魔族姿に変化できる者達だ。

 強靭な肉体と人間相手なら無敵の戦闘能力で、滅多に死ぬ要素のない存在だった。


(第三支部では今のところ仮面の騎士(しにがみ)にでも会わない限りは、まず死ぬことはない)


 忠実なニードルの長生きを願いつつ、クィーンは深く溜息をつく。

 それから気分を入れ替え、次の作業。昨夜の会議で承認された依頼の任務書の作成に入る。


 ――と、目の前の書類を手に取り、一枚目の陳情書に目を通したクィーンは、読み始めて早々に目を見張った。


(なっ――!?)


 そこには館の女主人の文字で、報復して欲しい客の名前として『オーレリー・マルソー』男爵と、しっかり記入されていたからだ。


 昨日に引き続き、またお前か! という感じである。


 逆に言うと娼婦を暴行する、サシャいわく『ならず者』のような騎士は、彼以外にはそんなにいないとも言える。


 女主人の訴えによると、オーレリーは娼婦に殴る蹴るの暴行をするのは当たり前のこと。最も被害に合っていたベアトリスという娼婦は、半殺しの目にまであっていたという。


 さらにそのことがきっかけで出入り禁止にしたあとも、オーレリーは異常にベアトリスに執着し続けたらしい。

 彼女を出せと娼館に乗り込んで騒いだり、つきまといなどの迷惑行為を繰り返していたと書いてある。

 問題はその続きの文章だった。

 不可解なことに、ある日ベアトリスは出先で行方不明になり、後日、異端者として火刑にされていた事実が判明した。


 陳述書にはさらに細かい事実も書いてあり、ベアトリスは娼館で一番の売れっこで、美しいハニーブロンドを持つ美女だったこと。

 そして彼女を暴行する際、オーレリーは決まって『テレーズ』と、違う名前で呼んでいたことまで書かれている。


 クィーンは読んでいるうちに胸糞が悪くなって吐きそうになった。


(こ、こいつは……想像以上の屑だわ!)


 中でもクィーンは『消息不明のち、火刑にされた』という記述が引っかかり、書類をめくって該当の報告書を探した。


「あった……これだ!」


 組織の調査能力は高く、教会関係にも組織員が多数いることから、裏の情報も探ることができた。

 思った通り火刑の経緯についても調査済みであり、クィーンはその箇所の文章を目で読む。


(教会の記録上は『悪魔への関与を自白させるための拷問中死亡。遺体を複数名とともに火刑処分』となっていた。しかし確認したところ、実際の事実とは異なり、死亡済みの女性の遺体を処理するために、理由が後付けされていた模様……!)


 異端審問での有罪者の火刑は、生きたままだけではなく、自白のための拷問死などの理由により、死んだ状態で焼かれるケースも多い。

 その時、みせしめの公開火刑以外は、薪の束で受刑者を覆って姿が見えない状態で焼かれる。

 この方法だとよく焼けて、遺体は骨に近い状態になる。

 不審死の証拠隠滅には持ってこいだ。


 報告書にはさらに詳しい情報も書いてあり、オーレリーがすでにいくつかの娼館を出入り禁止になっていること。

 問題を起こすたびに、彼の母親が教会や国の役人、軍の人脈などを使い、もみ消しにかかっている事実。

 今回の遺体処理の件にも、彼女の関与が判明していることが記載されていた。


 これを読むと本人はともかく、その母親。ローズから見れば『義母』にあたる女性はかなりのやり手の人物らしい。


(調査報告を受けた館の女主人は、ベアトリスはオーレリーに殺害されたと断定したうえで、報復を願うと書いてある。

 母親が遺体処理を依頼してるんだから、それは間違いないでしょうね。

 ベアトリスは逆に組織員ではなかったからこそ、異端者としての汚名まで着せられたんだわ。

 なんて虫唾が走る話なの。頼むからこの男だけは殺させて!)


 たとえようもない怒りに駆られたクィーンは、書類を広げて目的の『確認書』を探し当てた直後、落胆する。


(――やっぱり!? 『殺害不可』か!)


 結社では殺害依頼があると、最初に必ずターゲットの身上調査が行われる。

 上位の組織の親族や関係者がいないか調べられ、該当者がいた場合は、依頼内容は一切明かさず、どの程度の危害なら加えていいか確認が取られるのだ。


 身体に加えていい危害に限度がある場合は、必ずその旨も表記されることになっている。

 今回のように『殺害不可』としか書かれてない場合は、殺す以外なら何をしてもいいと、許可が出ているということなる。



(――妹であるローズには間違いなく確認がいっているはず。そしてオーレリーが娘婿であるマラン伯爵家にも……。

 疑問なのはこの『殺害不可』の回答をしたのが、『誰か』ということよ……。

 私は実のところローズのことを、オーレリーを庇うことは有りえない、と言い切れるほどには理解していない)


 ローズはいつも自信満々で強気な発言をしている。

 だけどこの前の幹部会議や、オーレリーとの再会時の反応を見ると、普段は強がっているだけなのかもしれない。


 その実は悪にも冷酷にも成りきれない、心優しく繊細な女性なのではないか? とクィーンには思えるのだ。

 思えば今までクィーンに厳しいことを言ってきた時も、彼女はまるで自分自身に言い聞かせているようでもあった。

 

(もしかしたら昨夜の幹部会議で、ローズが任務に立候補したのも、対象がオーレリーだと知っていたから?

 結社から親族としての確認が来たタイミングと、唯一の王都の依頼であることから、オーレリーが報復対象である可能性が高いと思ったからでは?

 だからこそ却下された時、あんなに悔しそうな顔をしたのかもしれない。

 そうするとお茶会の時にはすでに、オーレリーが標的になっていることを知っていた? それともその後に……?)


 いずれにしても、『殺害不可』でオーレリーを殺せないのだから、深く考えても意味はないのだが……。


 以上の条件を踏まえて『陳情書』を読み直すと、『できれば殺害希望、無理なら、男性として二度と使いものにならないようにして欲しい』と書いてある。

 館の女主人にとっても、クィーンにとっても残念なことに、この場合は後者を選ぶしかない。


(それにしたって、殺しては駄目な任務をソードに振るなんて……)


 あの剣を抜いた時点で無理だろう! と、クィーンには思えた。

 かと言って、ソード抜きでこの任務をこなすわけにはいかないのだ。


 結社では自分より上の者の指示は絶対であり、一つの条件も漏らしてはいけないことになっている。


(グレイ様はNo.16への任務書を作成しろと言った。

 つまりソード抜きで、私が単独でこの任務を果たせば命令違反になる)


 他は全ての裁量を任せるというのだから、ソードと協力して任務をこなすこと自体には問題がないはずだ。


(だいたいオーレリーのやつ、なんで結婚しているのに、三日も空けずに娼館に通いつめているのよ)


 この任務も王都のものなので、仮面の騎士に出会った場合に備えて、魔界製の剣が仕上がってからするべきなのに――

 今夜も娼婦の被害者。最悪殺される者が出るかもしれない可能性を思うと、心情的にクィーンは一日たりとも先送りできなかった。


(くそっ! 私も大概甘いわね。これじゃあ、ローズやニードルのことをとやかく言えないわ)


 自分自身に苛立つクィーンの脳裏に、不意に以前ローズに言われた『その甘さはいつかあんたを殺す』という言葉がよぎる……。


 不吉な予感をおぼえながら、クィーンが『今夜決行』の任務書を作成していると――誰かが部屋に入室してくる気配がした――



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