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蝿の女王  作者: 黒塔真実
第二章、『地獄の底で待っていて』
36/113

28、地獄への道のり

 胸が高鳴って頬が熱くなり、自分でも赤面しているのが分かる――

 シモンを見て動揺しているのはアリスだけではなく、隣に座るノアイユ夫人も乙女のように頬を染め、興奮したような甲高い声を出す。


「まあ、シモンさん! どうぞ、どうぞ、アリスの隣にお座りになって!」


「ありがとうございます。では失礼します」


 シモンは丁寧にお礼を言ってから通路を進み、アリスの隣の席にすっと腰を下ろした。

 座った瞬間、男性なのに、ふわりと、花のような良い香りがした。


 ノアイユ夫人は嬉しくてたまらないといった(てい)で、さっそくアリスごしにシモンに話しかける。


「こちらの教会で、シモンさんと会うのは初めてですわね? 

 お宅は近かったかしら?」


「ええ、こちらはうちから2番目に近い教会でしょうか。

 実はお恥ずかしながら、ここ最近の僕はすっかり教会から足が遠のいておりまして……。

 昨日のお茶会の席で、アリスさんが生涯を神に捧げたいと願うほど信心深いと知り、今日久しぶりに礼拝に出かけてみる気になった次第です」


 シモンがなぜ一番近くではなく、ノアイユ侯爵家からほど近いこの教会を選んだのかは、アリスを見る嬉しげな瞳が雄弁に語っている。


「それは良い影響を与えられて良かったわ! 

 私達はずっと毎週欠かさず通っていますのよ」


「信心深いお二人なら、きっとそうだと思いました。

 しかし初めて来ましたが、こちらはとても大きく、立派な教会ですね」


 シモンの称賛通り、王宮近くにある司教座聖堂ほどではないが、王都の一等地にあるこのサンティス教会も非常に大きな施設だ。

 ロード公爵家とノアイユ侯爵家の通いの教会であることから、両家の多大な寄付により、王都では二番目に大きな聖堂を有している。


 とは言っても、ロード公爵一家は宰相であるロード公爵が多忙。夫人は田舎好きで不在がち。メロディにいたっては信心からはほど遠いがゆえ、今日のように顔を出さない日のほうが多い。


「アリスさんは、今日はいつもより血色がいいですね。

 薔薇色の頬があなたをよりいっそう美しく見せている」


 シモンにじっと顔を見つめられ、甘い称賛の言葉を言われたアリスは、恥ずかしさによけい頬を熱くした。


(これじゃあまるで、本物の十代の小娘だわ)


 シモンの瞳にはさぞ、自分は恥じらった姿に映っているだろうと思い、アリスは情けなくなる一方だった。

 しかしこれでもシモンの顔を見れるようになっただけマシなのだ。


 それもある意味、サシャによるショック療法のおかげだった。

 昨日のお茶会帰り、サシャから受けた密着・抱擁・愛撫の三段攻撃に比べたら、シモンの顔を見る気恥ずかしさなど全然我慢できるレベルだ。


 良いムードの二人を邪魔しないように気遣ったのか、ノアイユ夫人はわざとらしく反対側の隣に座る知人に顔を向け、熱心に話しかけ始めた。


「――ところでアリスさん、僕が昨日言ったことは本気だ――」


「――!?」


 不意にシモンに真剣な口調で言われ、アリスの胸はどきっとする。


「まずはあなたの良き友人になりたいと思っている。そのためにもっとあなたのことを知りたいんだ。特に内面のことを……」


「……」


 昨日はっきり断ったはずなのに、テレーズがよけいな一言を言ったせいか、シモンの友情熱は冷めるどころか高まっているようだ。


「あなたが神に一生を捧げたいと願うその気持ちも、僕は心から理解したいと思っている。

 あなたやテレーズさんに、外面しか見ていない男だと思われないためにも……」


「……シモンさん……」


 ――と、呟くアリスの言葉にかぶさるように、内陣から礼拝の開始を告げる挨拶の声が聞こえてきて、二人の会話はいったんそこで終了する。


 賛美歌のため起立したアリスは、曲が鳴りだすと口だけ動かし、言われたばかりの言葉の意味を考えた――

 

 気持ちを理解したいと言われても、実のところ神に尽くすどころか、深く恨んで反逆真っ最中のアリスなのだ。

 内面だってテレーズやメロディのように魅力的ではない。

 面白みも可愛げもない、じめじめとした暗い性格で、嫌われ要素しかないと自覚している。


 何にせよ、深く知れば知るほどきっとシモンは、テレーズやサシャが言うように、見た目とのギャップにがっかりするだろう。


 それならそれで避けるより、却って積極的に自分を知って貰ったほうが、シモンの恋も冷めるのも早いかもしれない。

 そう思ったアリスの胸はなぜだかチクリと痛んだ。


 そんな風に物思いにふけっている間にも、礼拝は着々と進行していく。

 いつものように聖書の朗読などの流れのあと、サンティス教会の司祭であるフーリエ神父が壇上に立ち、評判の説教が始まった。


 今日のテーマは『天国にいたる狭き門と地獄』についてである。

 フーリエ神父は、最近信仰から離れ、教会から足が遠のく者が増えたことをまず嘆いてみせた。

 それからおもむろに、信心の薄い者は死後に魂の審判を受け、地獄か煉獄へ送られることを熱く語った。


 アリスはその脅しじみた説教を聞きながら、『地獄』という言葉に、同じ修道院にいた『嘆きのメリー』のことを連想する。


 アリスより6歳年長のメリーは、悪意と毒の固まりのような性格だった。

 7年前、初めて修道院入りしたその日も、アリスはいわゆるメリーによる『洗礼』にあう。

 新入りのアリスをわざわざ廊下で出迎え、彼女は悲痛な作り声でこう言い放ったのだ。


『地獄の入り口にようこそ! ああ、かわいそうに!』


 突然の呪いのような挨拶に9歳のアリスは、衝撃を受けてその場で足を止め、進行方向を塞ぐメリーの顔を凝視した。

 浅黒いそばかすまみれの顔に、細く釣りあがった糸みたいな目、薄い唇に尖った顎。

 錆色の髪の毛には艶がなく瞳も濁って淀んでいた。

 アリスは絶句して立ち尽くし、先導していた案内役の少女もメリーを怖がってか、真っ青な顔で震えて何も言えずにたたずむだけ……。

 それをいいことにメリーは、あだ名の由来である『嘆きの文句』を続ける。


『あなたの家族が生きているか死んでいるかは知らないけど、後者ならきっと天国にいるのでしょうね!

 非常に悲しいことだわ。あなたがここに来たということは、神に逆らう道を選択したということ。

 二度と天国にいる大切な人たちには会えないのよ!

 そうよ。あなたは天国に行く可能性を、完全に失ってしまったの! 

 そうして組織で上にいくほど、死後は地獄の下層へと落ちていく。

 生きていても死んでも同じ、これからはずっと下りの一本道を辿ってゆくの。

 地獄へといたる道を、ひたすら進んでゆくのよ!』


 今ならその嘆きの文言が、修道院にいる同じ組織員をライバル認定したうえでの、性悪メリーの精神攻撃だと分かる。

 だが当時のアリスは訳も分からず、ただ呆然とするばかりだった。


『メリーよしなさい。入ったばかりの子供を怖がらせてどうするの?』


 横から現れたシンシアがメリーをいさめるまで、馬鹿みたいに脅し文句を聞かされ続けていたのだ。


 それがアリスと、以後の修道院生活で一番の天敵と理解者になる対照的な二人、メリーとシンシアとの出会いだった。


 そしてその悪趣味なメリー独自の歓迎は、新参者なら必ず受ける『洗礼』。

 もちろん数年後に修道院入りしたテレーズも例外ではなかった。

 ただし違ったのはテレーズがその場で言い返したこと。

 ちょうど偶然にも廊下に出ていたアリスは、テレーズの笑いまじりの言葉を耳にした。


『地獄? いいじゃない。それこそが私の望むところよ!

 あんたのご推察の通り、私の大切な二人は今頃天国の花園で美しい花々に囲まれているのでしょうね。

 そうして私がここにいるということは、死後、彼らに会えないということを意味している。

 けれど良かったわ! あいにく、地獄に知り合いもいないし、ちょうど私も心細い旅路だと思っていたところよ! 

 確実に同じ行き先、地獄に行くだろうあんたに会えて、とても心強いわ!

 さあ、これから共に地獄へいたる道とやらを下っていこうじゃない。

 どこまでも深く深く、一緒にね――』


 テレーズの言葉を聞き、アリスは初めて意識した。

 一人ではなく、この修道院にいる者は全員同じ道を歩いているのだと。


 (のち)に、コンビを組んだテレーズが、その時のことを思いだし、苦笑しながらアリスに告白した。


『あの時はああ言ったけど、死んでまであんな嫌なやつと一緒だなんてご免だわ!

 だから生きている間はせいぜい神に逆らい倒して、組織のトップのほうまでのぼりつめ、死後はあいつが到達できない地獄の最深部に送って貰う予定よ!」


 テレーズはそこまで言うと、急に何か思いついたように口元をほころばせた。


『そうだ、アリス。あんたも組織では、上にのぼりつめる予定なんでしょう?

 だったら、どうせだし、二人で死後の待ち合わせをしない? 

 地獄の一番底で落ち合うの! 

 先に亡くなったほうが、必ずもう一方が来るまで待っているのよ。

 でもって、合流したあとは二人で一緒に暮らしましょう!』


 そう言うテレーズの表情が、あんまり楽しそうだったので、アリスは地獄へ行くのもそんなに悪くない気がした。

 同時に少し救われる感じがしたのは、意識してなくても心の底に、死んでも家族と会えないことを寂しく思う気持ちがあったからだ……。

 自覚したアリスは、珍しく『そうね』と、口に出して同意した。


『約束よ』

『ええ』


 頷き、約束したあの日、初めてテレーズとアリスの心が近づいた――



 そんな記憶を思いだしながら、アリスはふと気がつく。

 あの日、メリーと出会ったテレーズは、大切な『二人』は天国にいると言った。

 一人は母親だとして、もう一人は誰なのだろう? 父親だろうか?


「アリスさん?」


 考え込んでいたアリスは、シモンの声に呼ばれて現実へと引き戻される。

 礼拝の終了前の賛美歌を歌う段階になっていて、周りの人達はみんな起立している。

 アリスも慌てて席を立ち、始まった曲に合わせてまた口だけ動かした。

 神に捧げる歌など死んでも歌いたくないアリスは、つねに口パクだった。


 

 礼拝が終わると、話好きのノアイユ夫人は、帰宅前にしばらく会場で知人と雑談するのが恒例だった。

 その間アリスはいつもなら、傍らに一人で静かに立って控えているのだが、今日はシモンが傍にいるので勝手が違う。

 目立つシモンはあっという間にノアイユ夫人の知人数人に囲まれ、アリスも輪の中に巻き込まれることになった。


 談笑中、子供の姿がなるべく視界に入らないように、アリスは視線をなるべく高くした。

 ステンドグラスから差し込む光が、彼女の淡い金髪と陶磁器のような肌を夢のように輝かせ、シモンならずとも、周囲にいる男性の目をことごとく奪っていることなど気づかずに……。


「二人はとてもお似合いですわね。ご一緒にいらっしゃるということは、親しくおつきあいされているのかしら?」


 並んで立っているアリスとシモンを見て質問してきたのは、裕福な宝石商の奥方だった。


「ええ、私もこんなに似合いの二人はいないと思いますわ。

 おっしゃる通り、親しい間柄だと申し上げることができたら、どれほど良いでしょう。でも残念ながら、二人はまだ知り合ったばかりですの」


 答えるノアイユ夫人の声がいかにも寂しそうだった。


「でしたら、お二人の関係はこれからですのね。

 誰もが憧れるヴェルヌ卿のような方ですもの、アリスさんも、それは個人的に親しくされたいでしょうね?」


「私は……」


 アリスが口ごもっていると、横からシモンが返事を引き受ける。


「ノアイユ侯爵夫人の言う通り、僕たちはまだ知り合ったばかりなので、さしあたっては良い友人になれたらと思っています」


「段階を経て交際を深めていく、ということですわね、ヴェルヌ卿?」


 別のご夫人が興味津々な表情で、少しぶしつけな質問をする。

 教会だろうがどこでも同じ、とかく年配のご夫人方は、若い男女の色恋の話題が大好きらしい。


「さあ、どうでしょう」


 シモンはアリスの気持ちを思いやってか、質問の答えを曖昧に濁し、以降も訊かれても、自分の気持ちについての明言を避けた。


 やがて聖堂内の人気がまばらになってきたところで、三人は世間話を切り上げ、並んで出口へと向かいだす――

 アリスとノアイユ夫人を両脇にして歩きながら、シモンが感動したように言った。


「今日は久しぶりに礼拝に出て、とても充実した時間を過ごせました。

 こちらの教会は本当に素晴らしい。これからは毎週通おうと思います」


「まあ、それはいいわ!」


 シモンの台詞に、ノアイユ夫人の瞳がキラキラと輝いた。


(つまりこれからは毎週シモンに会うことになると、そういうことなのね……)


 少し嬉しく感じる自分にとまどいつつ、アリスが正門から表に出ると、二人を待っていた御者が一礼して馬車の扉を開く。

 

 別れ際、ノアイユ夫人はまた必ず近いうちに会いましょうと、シモンに強めに言った。

 アリスはシモンの瞳を見上げ、最後に一言さようならだけを言った。


「ええ、ノアイユ侯爵夫人、アリスさん、近いうちにまた……!」




 シモンに見送られ、出発した帰りの馬車の中。

 少しの沈黙のあと、ノアイユ夫人が静かに言い聞かせるように、切々とアリスに語りだす。


「アリス。何も修道院へ帰らなくても、神様には祈れるのよ。

 あなたが結婚して幸福になるべきだと思うのは、私も息子と同じ気持ちです。

 そしてどうせ結婚するなら、シモンさんのような心から尊敬できて、愛せるような方と一緒になって欲しいわ……」


 そこでいったん一呼吸おき。


「もちろんシモンさんとのことは、後見人であるサシャが強固に反対している以上、難しいことも分かっているの。

 サシャの母親を22年間しているけど、あの子は一度として自分の意志を曲げたことがない、筋金入りの頑固者なのですから。

 覆すには何よりも、あなたのシモンさんへの愛が前提として必要だわ。

 だけど、あなたにその気が無い現状では、説得は不可能でしょうね……」


 言いながら夫人は落ち込むように深く溜め息をついた。


「ねぇ、アリス、あなたにもすでにシモンさんが得がたい人だということは分かっているはずよ。

 時は残されているようで案外少ないの……私も16歳になってすぐに、婚約者と引き合わされて結婚させられたわ。

 あなたにもいつそんな日が来るか分からない。後から気がつき、後悔したのでは遅いのですよ。

 お願いだから、彼を愛する可能性のことを、もっと今、真剣に考えて欲しいの」


「……はい、ノアイユ夫人……」


 俯いて短く返事するアリスの胸を『愛』という言葉がまた痛ませる。

 愛を知らぬまま死んだ前世の記憶と、愛を得て失った今生での経験により、大切な何かを失うより、最初から何も持たない方がマシだと思い知った彼女なのだ。

 誰かを愛してそれを失う苦しみだけは、生きている限り、もう二度と経験したくない。


 ただ幸いというのも変だが、仮面の騎士との戦いの最前線に立たされている身では、先のことを思い悩むのは無駄だと感じられた。


 アリスはアニメの視聴記憶があるがゆえ、神の恩寵を一身に受けたチートなまでのアルベールの強さを誰よりも知悉している。

 自分では万に一つも勝ち目がないことも。


 でもこの世には『自分が死ぬことより辛い』ことがある。

 そのことをアリスは身を以て知っている。

 だから悲観するどころか彼女は、仲間たちより確実に先に死ねるであろう自分の運命に、救いを見出していた。



 いよいよ明日はアルベールこと仮面の騎士に出くわす可能性が高い、聖クラレンス教国からの使者である、カッシーニ大司教を襲う任務の日だった――




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