26、明かされた真実
第三支部に到着すると機密室にはグレイとヘイゼルがいて、それぞれの机に向かって仕事をしていた。
入室してきた三人を見るとヘイゼルがさっと立ち上がり、ローズに近づきながら話しかけてくる。
「――待っていました、No.15。『螺旋』内部を案内します」
『螺旋』とは王都レーヌの地下深くにある、人間界側の第三支部の施設の名称である。
呼び名の通り地下にある螺旋状の構造の施設で、王都内に数箇所出入り口があり、入り組んだ地下通路を通らねばたどりつけない。
下へ下へと階層が連なった施設は、下層へいくほど重要区域になる。
末端の組織員の集会所や窓口などは最上層、逆に百番以内の施設は最深部にある。
クィーンであるアリスは、フランシス王国に帰国した当日の『一日の終わりの時刻』に、侯爵家の自室に現れた連絡役のNo.19『シャドウ』により、第三支部の施設の説明を受けた。
羽で飛んで一気に最上部へ行ける第二支部の『塔』と違い、ずいぶん重要区域へ行くのが面倒な施設だという印象だった。
幸い他の支部の幹部であるクィーンに気を使ってか、任務の伝達のみならず、報告時も向こうから来てくれたので、一度も『螺旋』に行かずに済んだが――
(ローズは今日からそこで働くのよね)
ローズの背中を見送りながらクィーンが考えていると、部屋の奥側からグレイが声をかけてきた。
「クィーン。一昨日ぶりだね。その後の調子はどうだい?」
「はい、グレイ様」
反射的に返事をしたクィーンは、入り口近くの書類棚から報告書の紙を多めに取ったあと、室内の奥へと進んでいく。
「おかげさまですべて順調です」
「それは何よりだ。
何か不自由なことや要望があったら、いつでも気軽に私に相談して欲しい」
優しい口調でグレイに言われ、さっそくメロディとの王宮訪問の件で、確認しておきたかったことがあるのを思いだす。
「実は折り入って話したいことがあるので、後で少しだけお時間を取って頂いてもよろしいですか?」
「ああ、もちろんだともクィーン。私はいつでも大丈夫なので、そちらの手が空き次第声をかけてくれ」
「分かりました。でしたら書類を一枚書くだけなので、今急いで片づけますね」
クィーンははきはきした調子で言うと、先日教えてもらった自分の席に座り、机上にあった羽ペンを使って素早く書面に文字を書き始める。
(そういえば、報告書って久しぶりに書くかも)
報告書は任務を遂行した本人、報告を受けた者、どちらが書いても良いことになっているのだ。
第三支部に来てからは毎回シャドウが引き受けてくれていた。
してみると支部の情報案内から任務の伝達、報告、書類までとこの半年間、クィーンはシャドウに世話になりっぱなしである。
(彼はつねに無愛想に私の顔を睨みつけていたし、相当嫌われていたようだけど……。
人として一度は、今までのお礼を言っておくべきよね)
ちょうどローズにドヤされたことだし、良い機会なので今夜の幹部会議に出て、ついでに感謝の気持ちを伝えることにしよう。
心に決めたクィーンは立ち上がり、書き終えた書類を手に持ってグレイの席まで歩いて行った。
「グレイ様、報告書です」
「確認しよう」
グレイは受け取り、内容を確認したあとポンと承認印を押して返してくれた。
「ニードルに渡してくれ」
「かしこまりました」
ソードと違って番号ではなく通称呼びしているところをみると、グレイはニードルとは相性が悪くなさそうだ。
「これお願い」
「はい、クィーン」
机から顔を上げ、ニードルが愛想良く書類を受けとる。
周りは棚だらけ書類だらけだが、メンバー的には良い職場環境だなとクィーンが思っていると、
「それでは隣の部屋に移動して話をしようか」
銀色の長髪を揺らし、小脇に冊子を抱えたグレイが歩いてきた。
「実は私も、ゆっくり君と二人きりで時を過ごしたいと思っていたところだった」
移動した幹部室の入り口近くの長椅子に並んで座ったところで、グレイが嬉しそうに表情をゆるめる。
「やはりグレイ様も王宮訪問の件で私に話があって?」
クィーンが問うと、
「――ということは、君の話とはそのことなのだね。
たしかにメロディ嬢のために、当日顔を出すように兄からは言われているが……。
私が言ったのは純粋に君と一緒に過ごしたいという意味だ」
グレイは冷たく整いきった顔を寄せ、苦笑まじりに口説き文句のようなことを言った。
クィーンは照れくささを誤魔化すように、王宮訪問の話を進める。
「私達が王宮に訪問する日、グレイ様も同席されるんですよね?」
「君が来るのでは顔を出さないわけにはいかないだろう」
「私、ですか? メロディと親しくなりたいからではなく?」
「……なぜそう思うんだい?」
「だってグレイ様は、先日の夜会に、メロディを見にいらしたんでしょう?」
「ああ、そうだ。たしかにあの日はメロディ嬢を見に行った。かねてより母に、公爵を取り込むために娘に近づけとしつこく言われていたからね。
しかし遠目から観察していても分かったよ。彼女は私の最も苦手な騒がしい種類の女性であるとね……。
王宮訪問の件も、君が来ると聞いていなければ、迷わず断わったところだ」
グレイの口から王位を望むなら絶対に出るわけがない台詞が飛びだし、クィーンは一瞬息を飲む。
「グレイ様、でも王位は?」
どうしても尋ねずにはいられなかった。
問われたグレイはどこか面白そうな表情でクィーンの瞳を覗きこむ。
「――その質問が出るところを見ると、君は思ったより王国の内情を知っているようだね。
なるほど王位を望むなら、母が言うようにメロディ嬢とはぜひとも親しくするべきだろう……そうして婚約でもして、宰相である公爵の後ろ盾とやらを得るべきかもしれない。
けれど私にとって王位とは、そこまでして得るほどには価値が無いものなのだ。どうせ手に入れたところで、いずれは無価値になるものだと知っているからね」
「――!?」
――グレイの言葉でクィーンは2つのことを一気に悟る――
一つ目は、アニメでグレイがロード公爵を陥れた一番の動機は、やはり自ら王位を手に入れるためではなかったこと。
そして二つ目は、彼が組織の最終目標を知っているということだ。
――魔王の目的が果たされ、世界が塗り変わったあと、人間世界の一国の王であることなど意味がなくなることを――
グレイもまた同じようにクィーンの表情から悟ったらしい。
彼女が彼の言葉の意味するところを即座に理解したということを。
「クィーン。どうして王位の価値が無くなるのかを問わないということは、君も知っているのか? 組織が最終的に目指すところを……」
どうせ嘘をついてもグレイにはバレるだろう。
クィーンは素直に頷く。
「……はい、知っております……」
「そうか……。No.2はそこまで君に話していたのだね。なんだか妬けてしまうね」
グレイの口ぶりから察するに、四天王であれば当然知っていることであるらしい。
クィーンが知っているのはカーマインに聞いたからではなく、アニメを観ていた前世の知識のおかげなのだが、あえてそこは否定しないでおいた。
「……ですがグレイ様。組織の目標が必ず達成されるとは限りませんよね?」
「少なくとも私は必ずや達成されると信じているよ。
同時にいずれは意味が無くなる地位であるとしても、組織の目標を早く達成するための過程においては王位も有用であるとね。
だが気のすすまない女性を籠絡し、策を労してまで玉座についても、私は少しも嬉しくないのだ……。
クィーン、君は王妃になりたいかい?」
「まさか……!?」
クィーンはびっくりして答えた。
「私も同じだ。王になどなりたくない。器ではないのだ」
「そんなことは……!?」
「ところが母はなんとしても私を王位につけたいらしい。まったく困ったものだ」
「……」
記憶によるとアニメに出てきた第二王妃は神経質かつ狂信的だった。
グレイはふと燐火のような瞳を細め、まじまじと不思議そうにクィーンの顔を眺める。
「――本来は話すべきではない内情話や、自分の気持ちまでこうしてつい話してしまう……。
本当に君はいったい私の何なのだろうね?」
問いながら何かを確かめるように、冷やりとしたグレイの手がクィーンの手を掴み、強く握りしめる。
「……グレイ様……?」
「酷く指先が冷えている。とても疲れた顔をしているね、クィーン」
指摘された通り、ここ数日は色々あってクィーンの精神は疲れきっていた。
長いつきあいのローズでさえそのことに気がつかなかったのに、グレイには簡単に見抜かれてしまうらしい。
「……私はとても精神が疲れやすい性質なんです……」
思えば生まれ変わる前からずっと自分はそうだった。
神経が消耗しやすく、すぐに精神力を使い果たしてしまう。
ゆえになるべく無駄に気を使わないように、周囲の目や他人の気持ちなどを極力考えず気づかないよう、最大限鈍感でいるように心がけてきた。
ところが、前世の人づきあい皆無の自分であれば、それでも問題なかったのに……。
今生の自分には家族や友人や仲間がいて、どうしても他人の気持ちや反応に気を使わなければいけない。
「分かるよ。私もすぐ心が疲れるほうだ。他人に接すれば接するほど、精神が削られていく」
静かにグレイが言い、前回と同じように二人の間に強く共感し合う空気が流れだした。
(私も訊きたい。どうして私はグレイ様の前では、こんな風に本音や弱味を見せてしまうのだろう?)
今まで必死に他人に対して鎧ってきた心が丸裸になってしまう。
他人は誤魔化せても自分自身は無理なように、グレイの前では心のガードがすべて無効になる。
強く共感する心が引かれ、自然に表へと流れ出してしまうのだ――
「……最近とても、精神的に疲れることが多くて……」
クィーンの口から漏れた言葉をグレイが続ける。
「何もかもどうでも良くなる……?」
「……はい……」
気力を回復させるには心を休ませ、ひたすら眠るしかない。
だから本当なら今日も早く帰って休みたかった。
「だったら私の肩を貸すので、夜の会議まで休んでいたらいい。
胸や膝でもいいが、抵抗あるだろう?」
「ありがとうございます。でも、お気持ちだけで結構です」
いくら何でもそこまでグレイに甘えるわけにはいかない。
「では命令しよう。組織では上の命令は絶対だ。
私の肩にもたれて、しばらく休みなさい、クィーン」
「……」
躊躇するクィーンの肩をグレイの手が掴み、有無を言わせず抱き寄せられる。
振りほどくのも悪い気がして、彼の肩に頭を乗せた状態でもたれかかり、そのまま無言でじっとしたクィーンは、次第に眠気に襲われていった――
――次に意識を取り戻したのは――コンコンというノック音と、「失礼します」という声が聞こえた時だった。
「……!?」
ハッと目を開いたクィーンは、グレイの肩を枕にしている自分に気がつき、慌てて身を起こす。
隣で任務の依頼書を束ねた冊子をめくりながら、グレイが穏やかに笑いかけてきた。
「おはよう、クィーン。よく眠っていたね」
言われて幹部室の時計の針を確認すると、驚くべきことに『一日の終わり』直前の時刻をさしていた。
どうやら2時間ばかり寝ていたらしい。
「クィーンに……グレイ様……!?」
呆然としていたところに動揺したような声で呼ばれ、ギクリとして見ると、扉を開けた状態でローズが固まっていた。
非難がましい目つきを向け、物凄く何か言いたそうな表情でクィーンを凝視している。グレイの手前なので言葉をぐっとこらえているのだろう。
密室で二人きりとはいえ、並んで座っていたぐらいでこの反応。
寄り添って寝ている現場を見られなくて良かったと、つくづくほっとして思うクィーンだった。
そこでふっとローズは我に返ったように扉をくぐる。
それを皮切りに、幹部室にはぞろぞろと今夜の会議メンバーが姿を現す。
ヘイゼルが来るとグレイは立って迎え、並んで相談しながら部屋の奥へと歩きだした。
そのタイミングを見計らったように、ローズがクィーンに迫ってきた。
「クィーン?」
まるで娘の男女交際に反対する母親のような怖い顔だ。
クィーンはローズの追及から逃がれるべく床を蹴り、ニードルに続いて入室してきた、No.19シャドウの前に勢いよく飛び出して声をかけた。
「シャドウ! 久しぶり」
目にかかる長い前髪の漆黒の髪に同色の深い瞳、魔族の特徴である浅黒い肌。
寡黙で陰気な雰囲気の、長身痩躯の青年魔族シャドウが、いつもの無愛想面をクィーンに向けてくる。
「お久しぶりです。クィーン。
No.13からNo.9に昇格されたそうで、おめでとうございます」
祝いの言葉を口にしながらも、相変わらずシャドウがクィーンを見る目つきは険しかった。
しかし、たとえ嫌われていたとしても、世話になったお礼はきちんと言わなければならない。
「ありがとうシャドウ。私が大幹部になれたのもあなたのおかげよ。第三支部に来てからずいぶんお世話になったわね」
「お礼など不要です。
それよりもニードルがあなたの側近になったと聞いた……」
「ええそうなのよ。No.10のところで二人は側近仲間だったそうね」
「正直言って俺はその事実を知った時、なぜニードルなのかと愕然とした。
あなたが大幹部になったという情報を俺は一早く仕入れ、誰よりも早く、その日のうちにグレイ様に、あなたの側近にして欲しいと願い出たのに……。
なぜ通して貰えなかったのかと!」
いかにも不満気に語り、シャドウは恨みがましい目でチラリとグレイのほうを流し見した。
そんなことがあったとはまったく知らなかったというか、嫌っているみたいなのになぜ側近に志願したのだろう?
(実は嫌われてないとか?)
疑問に思いつつ無言でクィーンがシャドウと見詰め合っていると、幹部室中央の円卓近くから、少し苛ついたようなグレイの声が飛んできた。
「クィーン、来なさい。君の席はここだ」
「はい」
慌てて飛んで行く途中、背中に突き刺さるような視線を感じる。
ちらっと振り返ってみたクィーンの瞳に、睨みつけているローズと、鋭い眼光を向けているシャドウの顔が映る。
(やっぱり嫌われている!?)
「席は番号順と決まっているので、毎回同じ席に座ることになります」
会議の開始時刻になり、ヘイゼルが無表情に説明して、各自、円卓を囲む椅子に着席した。
――かくしてクィーンが第三支部に来てから初めての、幹部会議が始まった――




